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バイエルンを捏造しています。ご注意ください。
バイエルンのほか、プロイセン、ドイツ、ザクセン、ブランデンブルクが登場します。
ドイツ以外みんな微妙に性格が悪いです。





ドイツとバイエルン、ほかお兄さんたち 1



 午前九時、始動しはじめた公機関の建物の一角にある資料作成室と名づけられた倉庫のような狭苦しい部屋で、ドイツは大きな体をちんまりと縮め、書類ラックまみれのデスクの前に座っていた。情報保全の観点から資料の持ち出しには制限が掛かっているため、この階の資料室に収蔵された書類は、閲覧は原則として資料室内またはこの作成室の中でのみということになっている。いくつかある資料作成室の中でもとりわけ狭い部屋だったが、ドイツは窮屈さなどどこ吹く風、ひとり閲覧作業に励んでいた、というより没頭していた。ひとたび仕事のスイッチが入れば、多少の環境の不備は無視できる脳をもっているらしい。
 そんな彼の集中力を寸断したのは、
 ズガンッ!!
 ――という短くも鋭い金属の悲鳴だった。その金切り声にも似た大音量を背後にとらえたドイツは、びくんと肩をすくめたあと、全身に警戒をまといながら立ち上がって振り返った。
「な、何事だ!?」
 威嚇するように険しく尋ねると、先ほどの耳に痛いほどの金属音とは打って変わって穏やかな響きでもって部屋の扉が開かれた。その先で立っていたのは、
「あっ、よかった、いたか。ノック三十回くらいしたのに出てこないから、中で埋もれてんのかと心配しただろ。思わず鍵ぶっ壊しちゃったじゃん」
 緊張感なくへらっと笑ったザクセンだった。しかし、そののんびりした声音とは裏腹に、手にはバールとステンレス製の直角定規を持ち、それらの柄でとんとんと自分の右肩を叩いていた。おそらく、いや、間違いなく、鍵を破壊するのに使用した道具だろう。
 もっと穏健なやり方もあるだろうに、と思ったドイツだったが、ふと考え直す――鍵を壊すくらいなら十分穏当と言えるんじゃないか? もっと過激な方法――たとえばドアごとぶち破るとか、壁をドリルで削るとか――を選択しそうな連中もいることを思い出すと、なんとなく相手を咎めにくくなってくる。自分が最初からノックに気づいて対応していれば、ザクセンだって鍵を壊そうなんて考えなかっただろうに。
「すまない、書類見るのに集中していた」
 自分のほうに非があるような気がしてきたドイツは、立ち上がったときの振動でばらけた書類を集めながら、ザクセンに軽く詫びを入れた。
「あはは、おまえらしいな。いいよ、鍵はあとで直しとくし」
「直せそうか?」
「直せないような壊し方はしてないから大丈夫」
 よくよく見れば、ザクセンはバールや定規に加えて、左手に携帯用の工具箱を提げていた。自力で修理することを前提に壊しにかかったらしい。
 ドイツは呆れつつも、本当に修理可能かどうか心配になり、工具箱の蓋を開き店を広げるザクセンの手元を覗き込んだ。ザクセンはの手は必要な工具を迷いなく選んだ。大工仕事をはじめた彼の横で、ドイツが話題を変えて尋ねた。
「ところで、俺に用でも? 上から呼び出しでもあったか?」
「んー、直接の用件はないけど、伝えといたほうがよさそうなことはあるかな」
 数本のマイナスドライバーを指の間に挟み、ネジとのサイズを見極めながら、ザクセンが答えた。少しばかり含みのある彼の言いように、ドイツは目をぱちくりさせた。この時点では、よい予感も悪い予感もせず、ニュートラルな気持ちだった。
「なんだ?」
「プロイセン来てるぞ」
 簡潔な回答を寄越すザクセン。ドイツは一瞬きょとんとしたあと、
「あ、ああ、知っているが。今日の夜は予定空けておけと、一ヶ月前から毎日メール攻撃を受けてたからな。失念したくてもできない」
 自分もまたその情報をすでに仕入れていることを伝えた。個人的な事情も付加しつつ。彼の発言に、ザクセンはけっこう本気で口の端を引きつらせた。
「うわあ……なに怖いことしてんだプロイセンのやつ……」
 少しオーバーに寒気を耐える仕種をするザクセンの傍らで、ドイツはここ一ヶ月ほどの彼らとのやりとりについて淡々と報告した。
「しかもブランデンブルクまでほぼ同じ内容のメールを毎日送ってきてな……正直あまりにうっとうしかったから、早く今日という日になってくれとここ一週間はひたすら願っていた。あのふたり、メールの口調というか文面がそっくりなものだから、うっとうしさも二乗だった」
「うっわ、超ウザそう……。愛されすぎるのも苦しいもんなんだな……」
 ザクセンが憐憫のまなざしを向けてくる。ドイツはそれを静かに受け止めながら、なかば独り言のような愚痴をこぼした。
「しかも返信しないと延々しつこくメールが来るし、段々着信の間隔が短くなるしで、正直気が狂いそうだった。なんの精神修練かと思った」
「着信拒否すりゃよかったじゃん」
 ドライバーを指の股で支えたまま頬杖をついたザクセンが、他人事のように簡単すぎるアドバイスをする。しかしドイツはゆるゆると頭を左右に振るだけだ。
「あのな……そんなことしたら、ドットの文字に代わって実物(本人)が俺の家に届くことになるだろ……」
「ああ、確かに……。きっとふたりセットなんだろうな」
 ドイツの突拍子もない想像は、しかし逆説的なリアリティがあった。ザクセンは遠い目をしながら、青い顔でドイツ宅のドアを叩くプロイセンらの姿を思い浮かべた。あまりにも容易に想像ができてしまい、思わずドイツに同情した。
 ドイツとて、彼らの暑苦しい愛情をただうっとうしいとだけ思っているわけではないだろうが、やはりときに重たいらしい。彼は疲れきったような重苦しいため息をついた。
 とりあえずそれで気が済んだのか、ドイツは家庭の事情的なお悩み相談をひとまず切り上げると、顔を上げてザクセンを見た。
「もしかして、あいつの来訪を教えるために来てくれたのか?」
 そのためだけにわざわざ?
 それではまるで、自分が彼の来訪をいまかいまかと待ち受けているように聞こえるじゃないか――ドイツは言葉に出さないが、不服そうに眉をしかめて見せた。
 しかし実際のところ、プロイセンと再会して間もない頃のドイツは、まるで幼い子供のように、彼と会える日を待ち望んでそわそわしていたものだ。ザクセンはそのときのドイツの様子を思い出してにやりとしたいやらしい笑みをかたちづくった。ドイツが気味悪そうにちょっと肩を引く。またろくでもない思い出を再生されているんだろうな、と推測しながら。
 そんなドイツの心境を察したザクセンは、なんだか妙に愛しい気持ちになり、笑いを堪えながら答えた。
「うーん、まあ、伝達内容の半分はそれかな。で、あとの半分は……」
「半分は?」
 ザクセンが意味深長に文の途中で語を切ると、ドイツはよろしくないニュースの予感を覚えたのか、少し緊張した声音で先を促した。ザクセンは、選んだ一本のドライバーを指先でくるりと器用に一回転させると、先刻の含みを覆すかのような世間話じみた調子で言った。
「バイエルンも仕事でこっちに顔出してるぜ。珍しいよな、あいつ本人がわざわざ来るなんて」
 あまりにあっさりと提供されたザクセンからの情報に、ドイツはたっぷり十秒ほど、まばたきも忘れて沈黙した。相手の言葉の意味を理解するのにひどく時間が掛かっている。いや、脳が理解を拒み、処理速度を極力落としているのかもしれない。
 しかし結局のところ、言語は情報を運ぶ媒体となって彼の頭の中を駆け巡った。否応なしにザクセンの言葉の意味するところが反響する。
 いい加減眼球が渇きを訴えたところで目をしばたたかせると、彼は頓狂な声で尋ね返した。
「……なんだって?」
「さっき上の休憩室で鉢合わせてた、プロイセンと」
「……………………」
 再び、沈黙。その場で凍りつくドイツとは対照的に、ザクセンは平生となんら変わらぬ口調で、事務的な独り言をこぼした。
「備品修理の請求書ってどこで作成すればいいんだっけ? とりあえず庶務に聞いてみればいいか。あ、この鍵は俺が直せるから、わざわざ申請しなくても大丈夫だぞ」
 修理――この文脈において、対象となるのがこの部屋の扉の鍵でないことは明白だ。ドイツは自分の頭部をめぐる血液がサアーッと下へ落ちていくような感覚を覚えた。そして、数秒の溜めのあと、
「ちょっ、な、なんで止めないんだ! 備品どころか部屋が壊れるじゃないか! あのふたりの仲の悪さは知っているだろう! ふたりきりにしたら絶対殴り合うぞ!?」
 身を乗り出す勢いで声を荒げた。なかなかの威圧感と迫力だったが、さすがに年長の身内なだけあってザクセンはものともしない。このままCMに起用できそうなくらいの、白い歯がこぼれるようないい笑顔を浮かべつつ、あっさりと答える。
「うん、それを期待して放置してきた」
 軽い。あまりにも軽い。
 なんら悪びれることなく報告だけしてくるザクセンに、ドイツはどんよりとした空気をまといながら呟いた。
「ザクセン……」
「にらむなよ。参加しないだけましだろ?」
「……おまえ、実はストレス溜め込んでるだろ?」
「いやあ? 充足した日々を送ってますよ?」
 ザクセンはちょっと大仰な動作で首をすくめて見せた。
 と、そのきっかり三秒後、階上からテロリズムを疑いたくなるような激しい破壊音が鳴り響いた。続いて、なぜか火災報知器が狂ったように叫び出した。
「なあ、これって……」
「間違いなくあいつらだろうな。そろそろ物理的な応酬に切り替わる頃だと思ってたんだ」
「い、いかん……!」
 のんびりとドアの鍵を修理するザクセンの背後を迂回して、ドイツは大慌てで廊下に飛び出した。が――
「うわ!?」
 なにやら黒っぽい物体が目の前に現れ、ドイツはとっさに足にブレーキをかけた。一歩後ろによろめいた彼をザクセンが後ろから支える。改めてふたり並んで廊下を見やると、そこにはさながらバイオテロ対策の特殊部隊員のような出で立ちをした人物が立っていた。防護マスクの後ろからわずかに目元が覗いている。
「ブランデンブルクじゃん。どうした、旦那に加勢してやんねえの?」
 ザクセンがドアの外に首を伸ばしながら尋ねると、ブランデンブルクは重量のありそうなバッグを背中から降ろし、ふたりに投げて寄越した。これを持ってついて来い、という意味らしい。ザクセンが鞄のファスナーを開けて中を見ると、そこには縄やら鎖やら猿轡やら耐刃繊維の網やら催涙ガスやら、物騒な品物が整然と並んでいた。
 ――ああ、これは本格的な捕り物劇になるな。
 ザクセンは確信めいた予感を得ながらドイツに言った。
「ドイツ、早めにスタンバっとけってさ。こりゃ後始末めんどくせーぞ」
「まったく……」
 ドイツも近未来の予想図をすでに描けているらしく、眉をしかめながら上腹部を手で押さえた。
「胃薬持ったか?」
 ザクセンが尋ねると、ドイツの代わりにブランデンブルクが携帯用の薬箱をすっと差し出してきた。アフターフォローの準備まで万端ということらしい。
 脱走中の猛獣の捕獲を試みるかのような心地で、三者は揃って階段を駆け上がった。




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