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ドイツとバイエルン、ほかお兄さんたち 2


 凶悪な強盗事件か、ともすればテロの標的になったかのごとき様相を呈する休憩室は、いまだ喧騒が耐えなかった。内部のありさまはひどいもので、窓の強化ガラスはまるで特殊な共鳴を受けたかのように粉々に砕けて舞い散り、ドアは床掃除用のモップで串刺しにされていた。ロッカーは平らな面を探すほうが困難で、床のタイルは半分以上剥がれ、照明はとうに死んでいる。ソファやテーブル、棚といった家具はことごとくひっくり返るか横転しており、正しい位置に留まっているものはひとつもない。唯一これといった破壊の痕跡がないのは天井のパネルだが、それとて舞い上がった埃と誤作動したスプリンクラーの飛沫で汚れていた。
 厳重な警戒態勢を取りながら突入した(しかしこの時点でドアは壊れていた)ドイツたち三人は、室内の惨劇をものともせず、直前の即興的な打ち合わせに沿って見事なコンビネーションプレイを発揮し、野性全開のケダモノ二匹の捕獲に成功した。
 騒動の当事者であるプロイセンとバイエルンは、背中側に腕を回した状態で手錠を掛けられ、さらに二の腕を脇にぴったりつけるようにして上から縄で縛られていた。下半身も袋状の拘束衣で覆われているので自由は効かず、ほとんど手足を動かせない状態でふたりはめいめい床に転がされている。背中側の縄には金属製のフックが取り付けられ、それは長めのチェーンにつながっていた。チェーンの片端はそれぞれ人の手の中に納まっており、ブランデンブルクがプロイセンの、ザクセンがバイエルンの動きを封じる。さながら躾のなっていない犬を訓練するように。ブランデンブルクは倉庫から持ち出した折りたたみ椅子と簡易デスクの上で持参したノートパソコンを立ち上げ、プロイセンの動きに注意を払いつつ、すまし顔でせわしなくキーボード叩いている。ザクセンは完全に傍観者の気楽さでにやにや笑いながら、破壊の限りを尽くされた室内に向けてシャッターを切るとともに、無様な格好で床に転がるふたりの姿も写真に収めていた。この騒動のあと提出を求められるであろう始末書に添付する証拠写真を残しておくためである。……名目上は。
 効率的に行動しているのか、はたまた統制が取れていないのかさっぱりな状況の中、部屋の入り口から五十センチほど内側のところに立ち尽くしたドイツは、腕組みをしたまま眉間に深い皺を刻んでいた。問責しようにも、問題点がありすぎてどこからピックアップすべきか悩ましい。
 怒るというより困り果てている様子のドイツに、プロイセンが歯を剥き出して威嚇するように叫んだ。
「てめぇぇぇぇぇ! 身内に対してなんだこの仕打ちは!」
「すまないが、これ以上被害を拡大させないための措置だと思ってくれないか。職員の安全を確保しなければならないし」
 ドイツはため息をひとつ落とすと、足元でぎゃあぎゃあ喚き散らすプロイセンを見下ろした。プロイセンは、海から陸へと打ち上げられた魚のように、剥がれた床の上でびちびちと体を跳ねさせた。全身で怒りを表現しているようだ。
「なんかいかにも不可抗力的な理由述べてっけど、おまえめっちゃ意気揚々としながら縛ってただろ! このドS! 俺が教えてやった技術ことごとく悪用してるんじゃね―――!!」
「普通に捕縛しただけじゃないか」
 反論するドイツに、プロイセンは怒り心頭といった形相で声を張り上げた。
「いいや! おまえ絶対縛るの楽しんでたね! ルンルン気分が伝わってきたぞ!」
「言いがかりはやめてくれ」
 確かに彼らふたりに拘束を施したのは主としてドイツだったが、別に趣味で行ったわけではない。迷惑そうに眉をしかめているドイツを横目で眺めながら、ザクセンがうんうんとうなずいた。
「そうだぞプロイセン。ドイツは至って真面目だったじゃないか。もし趣味に走ったんだったら、いまごろおまえこいつの革ベルトで縛られてるって、手首とか足首とか」
 いったいどちらの味方なのか、フォローとも悪口ともつかない発言をするザクセン。
「根拠のない悪評を立てるのはやめてくれザクセン」
「そうか? 根拠なら山ほど――」
 特に悪気はないらしく、きょとんとしながらザクセンが証拠例をを挙げようとしたそのとき――
「おいこらザクセン! てめえあとで覚えてろよ!」
 足元から負け犬の遠吠え的な台詞が大音量で届いてきた。プロイセンから数十センチ離れたところでやはり同じようにうつ伏せに転がされたバイエルンが、こめかみに青筋を浮かべている。相手にはるか上から見下ろされているのが気に食わないらしい。そんな彼をザクセンはへらへらと愉快そうに笑いながら、
「はいはい、おもしろい格好だなー、バイエルン」
 緊張感のないコメントでもって応答した。バイエルンの青筋がますますくっきりと浮き立つ。ドイツははらはらしながらザクセンを窘めた。
「ザクセン、あまりバイエルンを煽らないように。すまないなバイエルン、拘束なんかして。でもこうでもしないとふたりとも落ち着かないだろう」
 ドイツがバイエルンに対して下手(したて)に出ると、途端に別方向から非難めいたヒステリックな声が上がった。
「おまっ、なんでバイエルンにだけ気ぃ遣ってんだよ! むかつくぞ!」
 拘束された体をもどかしそうにばたつかせるプロイセン。ドイツの態度が自分のときより丁寧なのが癇に障るようだ。しかし怒りの矛先はどちらかというとバイエルンのほうに向いているようで、プロイセンは比較的自由の利く首を目いっぱい横に回し、目下の敵をにらみつけた。ドイツはあくまでかわいい弟分だが、バイエルンは何のためらいもなく噛み付ける相手である。ちなみにブランデンブルクには一切の文句をつけていない。
 が、バイエルンのほうはというと、相手と同じ舞台に上がるのが嫌なのか、低い声で忠告する。
「うるさいプロイセン。いい年した男がぎゃあぎゃあ喚いて甲高い声出してんじゃねえ、見苦しい」
 冷静そうに告げてくるバイエルンに、プロイセンはせせら笑いとともに挑発した。
「はん! なぁにヴェストの前でいい顔しようとしてんだ、気持ち悪ぃぞ!」
「忠告したそばから叫ぶとか、ほんと馬鹿だろこいつ……」
 あくまで自分はプロイセンなんぞと同レベルではないことを主張するバイエルン。しかしそんな大人の態度も、ザクセンの一言が台無しにする。
「ドイツ来る前はおまえだって負けず劣らず吼えてただろー。まあ、年下の前でがんばっちゃうおまえはちょっぴりかわいげあるかもな。や、全然かわいくないけど」
「ザァァァァァクセン! おまえはなんでいつも一言多いんだ!」
「ほら、すぐボロが出る」
 したり顔を向けるザクセンに、バイエルンがぎりぎりと奥歯を噛んだ。かなりむかついている様子である。隣ではプロイセンがにやにやと嫌味ったらしい笑みを浮かべている。唯一静けさを保っているのは例によってブランデンブルクだが、その彼も制止や仲裁の動きは見せない。なお、一見おとなしい印象の彼だが、実際はさして温厚でもなく、この休憩室に突入する際に催涙弾を撃ち込もうとしてドイツとザクセンに止められたりしていた(ガス被害の拡大を未然に防止するためである)。
 誰も彼も騒動終結の役に立ってくれない中、ドイツは思い切って叫んだ。
「頼むから! 少し黙ってくれみんな! これではいつまで経っても収拾がつかないではないか! もう! なんでいつもいつもこうなんだ! まとまる能力自体はあるのに、なんでそれを発揮してくれないんだ!」
 両手で頭を抱えながらドイツは地団駄を踏んだ。珍しく、これでもかとばかりに感情があらわだ。
 その声が、いつもの威圧感というよりはむしろ悲痛な響きに満ちていたためか、好き勝手言い合っていた年長者らが一瞬ぴたりと動きを止め、続いて一斉にドイツへと視線を注ぐ。にらみつけるわけではなく、どうしたんだヒステリーなんか起こして、という心配の色を覗かせながら。ドイツとしては、元凶たちにそんな心配をされるのは甚だ心外なのであるが。
 しかし、身内ばかりという気安さにいささかの甘えが生じて感情的な振る舞いをしてしまったという自己分析が働いたため、ドイツはすぐにばつの悪さを覚えると、ごまかすようにコホンとわざとらしい咳払いをした。そして、彼らの自分に対する注目を逸らすべく話題を少しばかり路線変更した。
「あ、ブランデンブルクはもうちょっとしゃべってくれたほうがいい。無理にとは言わないが」
 ちらりと後方を振り返ると、ブランデンブルクと目が合った。彼はドイツの心境を見通しているのか、微苦笑を浮かべるだけだった。プロイセンと同じ顔だが、皮肉っぽさが薄い分、表情が少し優しげに感じられ、ドイツはちょっぴり気分が落ち着いてきた。
 そんな彼の足元では、プロイセンとバイエルンがおもしろくなさそうに唇を曲げていた。ザクセンはやはり傍観者だった。




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