ドイツとバイエルン、ほかお兄さんたち 3
拘束されたままのふたりを床に正座させると、ドイツは嘆かわしいとばかりに額を手で押さえながら説教をはじめた。
いちばん若年のはずの自分がなんでこんな小学校の先生みたいな役割を請け負わなくてはならないんだ――それがいちばん嘆かわしかった。
「まったく……いい大人が何事だ。まあ、ふたりの険悪ぶりがもはや伝統と格式のレベルにまで昇華されていることは骨の髄まで染み入るくらい知っているし、いまさら仲良くしてくれとは言わないが、もう少し場をわきまえた行動はできないのか」
ドイツが忠告しているそばから、無言の火花を散らすプロイセンとバイエルン。互いににらみつけたあと、先に口を開いたのはプロイセンだった。
「ちゃんとわきまえてるぞ。一般人に被害者出さないように。ほかの連中だって巻き込んじゃいねえ。十分すぎるくらい配慮してるだろうが」
唇を尖らせるプロイセンに、ドイツはひくひくと眉の端を痙攣させた。
「部屋ひとつ壊滅状態に追いやっておいてそれを言うのか……」
ドイツが呟くと、それに同調するようにザクセンとブランデンブルクが同じタイミングでうんうんと深くうなずいた。しかしそれで納得するようなプロイセンではない。
「てめえらだってソファとか椅子とか蹴っ飛ばしたり投げつけたりしてきただろうが! てめえらが来なけりゃここまで被害は拡大せんかったわ!」
唾を飛ばしてくるプロイセンから一歩退きつつ、ドイツは荒れ果てた休憩室を改めて見渡した。どう見ても大災害の被災地の建物の内部としか思えない。
「俺たちが来たからこの程度で済んだのだと思いたいのだが……」
「それには賛成。なあ、ブランデンブルク?」
ドイツの肩をもつザクセンは、ブランデンブルクを横目で見やった。ブランデンブルクは基本的にプロイセンの味方だが(なにしろ元夫婦である)、ドイツが絡む場合その限りではなくなることがある。現在の立場や関係から言えば、同国の代表であるドイツを優先順位の第一とするのが鉄則ではあるし。といっても今回のケースにおいては、暗黙のルールを守るとか弟分のドイツがかわいいからという理由ではなく、単純にドイツの言い分のほうが妥当性があるからだろうが。
ドイツはとりあえず同席の年長者のうちふたりが味方についてくれたことに安堵しつつ、剥がれた床のパネルを見下ろしながら、疲れきったため息をついた。
「はあ……どれだけ備品を壊したと思っている。リスト作成するだけでも一苦労ではないか。ふたりとも、始末書はきっちり書くように。あとで書式ファイルを渡すから、フロッピーなりメモリなり寄越してくれ」
ふたりにそう言い渡しながら、ドイツは背後の机でノートパソコンのキーボードを静かに叩くブランデンブルクを一瞥した。彼はドイツの依頼により、破壊された備品とそれらの購入時の価格や新規購入に掛かる費用などを表計算ソフトを使ってまとめ、リストを作成している最中だ。
後始末に向けて着々と事を進めるドイツたちに、プロイセンは不服そうなまなざしを向けた。
「え〜、俺も書かなきゃいけねえの?」
俺、客なのに、と暗にぼやくプロイセンに、ドイツが真顔で返した。
「当たり前だろう、当事者なんだから。……あ、現在の所属を考慮すれば提出先はロシアにするべきか?」
ドイツの真剣そうな呟きに、プロイセンはぴしりと背筋を伸ばして固まったあと、文字通り額を床につけた。
「やめてくださいお願いします後生だから内輪で処理してください」
ロシアに報告されるのだけは避けたいと、プロイセンは物理的にも低姿勢で頼み込んだ。バイエルンが横から軽蔑のまなざしを投げているに違いないが、この問題についてはプライドを捨てることにした。おまえにあのアル中シロクマのやばさが理解できるものか、と胸中で吐き捨てながら。東側の苦労を知っているザクセンとブランデンブルクはちょっぴり顔色を悪くしながら、ここは大目に見てやれとばかりにドイツにじっとりとした視線を送った。
ドイツとしては何も脅しのつもりではなく、単純に思いついたことを口にしただけだったので、プロイセンたちが急に深刻な態度に出たことに驚いた。触れてはいけないところに触れてしまったような気がして、ドイツは慌てて発言を訂正した。
「わ……わかっている。そんな目で見ないでくれ、なんか怖いぞ。ちゃんと内輪で片付けるから心配しないしなくていい。親族間の喧嘩で他国を煩わせたくはないし、こんなことでロシアに呆れられるのも癪だしな」
ドイツの言葉に、三人はほっと胸を撫で下ろした。バイエルンもさすがに他国絡みとなると軽口は慎んでいた。
ドイツはこれ以上この話題は引っ張るまいと、ブランデンブルクの横に移動してパソコンのディスプレイを覗き込んだ。エクセルで作成中の表にざっと目を通すと、そのうちの一枚をプリントアウトしてくれるようブランデンブルクに頼んだ。彼はうなずくと、すぐにプリンターに接続し、指示された表を印刷した。
ドイツは紙面に印刷された物品リストを片手に難しい顔をしながら呟いた。
「ふむ……さすがブランデンブルク、よくまとめられている。合計三十六品目か……内訳は全壊が八、半壊が十二、部分破損が十六。ひどいな……壊れていない物を探すほうが難しいくらいだ。ええと、この先やるべきことと言うと……まずは修理可能なものとそうでないものを振り分けて、修繕費の請求と新規購入の請求を別々に行う必要があるか確認して……。なあブランデンブルク、このふたつは請求先が異なったか? それとも同じでよかったか?」
庶務関係の細かい手続きまでは把握していないドイツは、あらかじめ下調べをしておいてくれたらしいブランデンブルクに、あれやこれやと質問した。何かと母親に頼る子供を見ているようで、ザクセンはこっそり笑った。
ドイツはブランデンブルクから教えてもらった内容をリストの裏側に書き留めると、ペンの尻で額をつんつんと突付きながら元のポジションへと戻った。
「ざっと見たところ、修理費その他を経費で落とそうと思うと、かなり気合の入った始末書が要求されそうだ。でないと上が納得しないだろうからな。ふたりとも、がんばってくれ」
怒っているわけではないが、状況の厳しさに顔をしかめるドイツ。なかば自動的に威圧感が漂いはじめる。と、それまでしばし口を噤んでいたバイエルンが、そっぽを向きつつも目線だけをドイツのほうへ向けてきた。
「悪かったよドイツ、仕事増やして。おまえがいちばん忙しい立場なのにな、煩わしてすまない。悪い兄ちゃんだったな」
素直に謝られたドイツは、拍子抜けしたようにきょとんとして目をしばたたかせた。
「う、うむ……?」
ドイツは困惑しながら視線を下方へ移した。謝罪しつつもバイエルンの表情は不機嫌にしかめられたままだ。彼はドイツの顔を視界の中央にとらえると、キッと目つきを鋭くした。
「だがその態度はいただけない。おまえいちいち細かすぎるんだよ。ブランデンブルクの野郎がつくったリスト見て満足げにうなずくなんて病気だぞ」
低い声で文句をつけるバイエルンだったが、その真意は相手には伝わらなかったようで、ドイツはますます戸惑いを深めるばかりだった。
「え? え……?」
バイエルンの指摘に内容および機嫌の悪化の理由がわからず、ドイツは疑問符を浮かべるしかなかった。
「ちっ、相変わらずだな」
おもしろくなさそうにぼやくバイエルン。と、そこにプロイセンが異議を挟んだ。
「何言ってやがるバイエルン。こういうのはきっちり記録に残した上で、のちのち整理が容易なよう的確に分類しておく必要があるに決まってるだろ。おいヴェスト、ちょっと見せてみろ」
「あ、ああ……」
ドイツは、全身のばねを使って器用に体を起き上がらせたプロイセンの前に片膝をつき、リストを見せた。プロイセンは隅から隅まで視線をじっくり二往復させると、感嘆の声を漏らした。
「いやあ、さすがブランデンブルク、《元》が付くとは言え我が伴侶なだけはある。一分の隙もねえ完璧なリストじゃねえか」
そう褒め称えながら、ブランデンブルクとアイコンタクトをとる。元夫婦に間に何ともいえない空気が漂いかけたが、バイエルンの不機嫌な声がそこに割って入る。
「おまえらはやりすぎだ。別におまえがそのテのことにこだわろうが構やしないが、ドイツにまで感染させるんじゃねえよ、その病気。生きづらくてかわいそうだろ」
「ユルユルだったらそれこそ人生の無駄遣いにほかならねえだろうが。自分の脳みそがユルイからってそれを基準にモノ考えるんじゃねえよ」
「へっ、てめえのカチコチな脳よりましだろ。この前時代の遺物が」
「……あんだと」
売り言葉に買い言葉で罵詈が交わされる中、ふいにプロイセンが気色ばんだ。それまでの険悪モードとは質の違う異様な剣呑さが生じる。バイエルンの発言は、なまじ言い過ぎではない――歴史的な真実を指摘しているという点で――だけに、プロイセンの癇に障るものだった。
一触即発の空気を醸すふたりの間でドイツはおろおろと立ち尽くした。助けを求めるようにちらりと後ろのブランデンブルクに目をやるが、彼は静観を保っていた。プロイセンの手綱を片手でしっかりと握り、キーボードを叩く指も休めていることから、何か起これば介入するつもりらしいが、現時点でのアクションはなさそうだ。
沈黙が痛い。というか、息苦しい。
段々と耐えがたくなったドイツは、そろそろと自ら口を開いた。
「な、なあ、ふたりとも、まだ話は――」
終わっていないんだが、と言いかけたところで。
「だいたいなあドイツ!」
言葉の続きはバイエルンの声によって掻き消された。突然のすさまじい剣幕に、ドイツは思わずたじろぎ、頓狂な返事をした。
「は、はい!?」
反射的に背筋がピンと伸びる。軍事教練で上官に怒鳴られたときを思わせる動きで、長年身に染みた習慣というか、ある種の条件反射だった。
軽く硬直しているドイツの前に、簀巻き状態のバイエルンが気合と根性で無理矢理立ち上がり、ずいっと詰め寄った。急に矛先が自分に向けられたことに驚き戸惑うドイツ。
彼らの一連のシーンを第三者的な立場で観察していたザクセンは、バイエルンのやつ、あれ以上プロイセンを突付くのは大人気ないと判断して話題を摩り替える気だな、まったくどんだけカッコつけたいんだ、と呆れていた。
ギャラリーに心理を読まれていることを知ってか知らずか、あるいはザクセンになど最初から興味がないのか、バイエルンは鼻先数センチの至近距離でドイツをねめつけながら怒鳴った。怒っているというよりは苛つきのほうが強く窺えるトーンだ。
「おまえ、いっぺん自分の人生振り返って見ろよ! プロイセンなんぞにべったりがっつりべっちょり引っ付いてたりしたから、そんな難儀な性格になっちまったんだろうが! 俺はおまえのことは昔から憎からず思ってるがな、ひとつどうしても我慢ならないことがある。それはなあ、プロイセンの野郎にすっかり染められたことだ! 腹立たしいにもほどがある! 懐き過ぎなんだよ! あんな野郎に!」
まくし立ててくるバイエルンから半歩後退すると、ドイツははっきりしない物言いで答えた。
「い、いや、そんなこと言われたって……。というか、俺は多分もともとこんな性格だと思うんだが……」
「悪化させられてどうする!」
「な、なんで怒るんだ……」
バイエルンが何を言いたいのかはよくわからないが、自分に対して並々ならぬ怒りを抱いているのはわかる。いったい何がまずかったのだろう、俺は何か彼の気に障るような発言をしたのだろうか――ドイツは頭を悩ませた。事態の打開策を講じようにも原因がつかめなくてはどうすることもできない。
と、そのとき。
「うぉらバイエルン! ヴェストに変な言いがかりつけんじゃねえよ! 困ってるじゃねえか! かわいそうだろ!」
真剣に悩みはじめたドイツを見かねたのか、プロイセンがふたりの間に体をねじ込ませるようにして割り入った。バイエルン同様気合で体を起こし、あまつさえ全身を宙に飛び跳ねさせながら。
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