ドイツと親戚のお兄さんたち 10
自分の膝を指差しながら、ここに寝ろと指示を出すプロイセン。ドイツはどうリアクションを取ってよいものかと戸惑いつつ、右手の平を相手に向け、ちょっと引き気味に断りを入れようとした。
「いや……遠慮す――」
「遠慮はいらねえ」
辞退しようとするドイツの言葉を遮り、プロイセンは自分の太股を叩きながら促した。男らしくどっしりと座り膝を開いた格好で。有無を言わせぬ態度で断固主張してくる彼に、ドイツは性質の悪いチンピラに絡まれている気分になった。やぶにらみの目は完全に据わっていて、膝枕でくつろぐというシチュエーションとは程遠い迫力を醸していた。
「……しかし」
なおも断ろうと口を開くドイツ。と、プロイセンがやれやれと首を左右に振りながら、
「あのな、俺は明日にはベルリンを発つんだぜ」
少しばかり言葉で突付いてみた。すると途端にドイツはしゅんと露骨なまでにうなだれてしまった。
「そうだったな……」
誰の目にも明らかな、寂しさいっぱいの表情。プロイセンの言葉は、本人の予想以上に効果覿面だった。プロイセンはその効き目の程に驚きつつ、呆れた苦笑を浮かべた。
「も〜、おまえは……。おら、寂しそうな顔する時間があるんだったら、早くこっち来い。一緒にいたいんだろ? 俺と」
傍から見たら自意識過剰とも思えるプロイセンの台詞は正鵠を射ていたようで、ドイツは数秒のためらいのあと、唇を引き結び、無言でこくりとうなずいた。子供の頃にときどく見せた仕種と表情だ。プロイセンに本心を言い当てられたとき、ドイツは悔しさとばつの悪さ、そしてほんの少しの嬉しさを交えて、こんなふうに肯定の反応を返してきたものだった。
ガキの頃の癖って残っちまうもんなんだな――プロイセンは懐かしさを感じながらちょっとばかり笑いたくなったが、照れて気まずそうにしているドイツの心情を害さないよう、顔には出さないでおいた。ドイツのことだ、ここでからかわれたら恥ずかしさのあまり意固地になり、彼の言葉に甘えるなんて到底無理なこととなってしまうだろう。
そう予測したプロイセンは、先ほどよりややトーンを低く穏やかにした。
「なら、来いよ」
ドイツは一度、拗ねるように首ごとそっぽを向いたあと、目線だけをおずおずとプロイセンのほうへ戻した。
「ちょっと……いや、大分、恥ずかしいのだが」
「いいじゃねえか。誰も見てねえよ。おまえと俺しかいない。何も恥ずかしいことはないだろ」
プロイセンは立ち上がってドイツの正面に立つと、はあ、と大仰なため息をひとつ落としてから、相手の手首を掴んで引き寄せた。そのままソファへと引っ張ると、ドイツは素直に足を動かしてついてきた。プロイセンは彼を先に座らせてから、その隣に腰を下ろした。
ドイツの横顔を間近でとらえたプロイセンは、ここまで来ればこっちのものだとばかりに、にんまりと口角をつり上げた。
「あのさぁ、俺はおまえの寝小便の後始末したこともあれば、小便まみれのおまえを風呂に入れてやったこともあるし、ピ――ッの皮の事情だって知ってんだぜ? 何がいまさら恥ずかしいんだ」
「そっ、そういう恥ずかしさではない! というか、なんで引き合いに出す話題がそっち方面ばかりなんだ!?」
耳元で過去の恥を掘り返されたドイツは、怒りよりも羞恥に駆られ、反射的に立ち上がって距離を取ろうとした。が、いつの間にかプロイセンの腕ががっちりと肩や胴に巻きついていたため、腰を浮かせることすらかなわなかった。
ドイツを捕獲したプロイセンは、完全に主導権を握り、それはそれは悪そうな笑みをわざとらしく浮かべて見せた。
「おいおい、この程度で赤くなっててどうするよ。おまえが俺に見せたみっともない姿の数々はこんなもんじゃねえだろ。なんならもっと恥ずかしい思い出を引きずり出してやるが。ははははは、いくらでも出てくるぞ、おまえの過去のあらゆる醜態。俺の記憶力を舐めるなよ。さ〜て、何から思い出そうかなぁ……」
こめかみに人差し指を当てながら口元をにやつかせるプロイセン。
「ちょっ……やめてくれ!」
ドイツは慌てて彼の口を塞いだ。立ち聞きするものがいないしにしても、ほかならぬ自分自身が聞きたくない。
プロイセンは、思い出話くらいで必死の形相を見せるドイツの頭を撫でてやると、
「なら、観念して寝ろ。そしたら今日のところは勘弁してやるぜ。ははははは、俺ってやさしー!」
交換条件とばかりに、再度自分の膝を指差した。
「なんだその不条理な条件は。というより、それは脅迫だろうが」
「嫌ならいいんだぜ? ここが閉まるまでずぅっと昔話してても、俺はぜーんぜん構わないんだぜ? あー、子供の頃のヴェストはほんっとかわいかったな〜。そうそう、確かあれは下の毛が生えはじめた頃――」
「わかった! わかったからそこまでにしてくれ!」
プロイセンの口を止める術がないことを悟ったドイツは、とうとう白旗を上げた。すると、気をよくしたプロイセンがにんまりと笑いながら、無言でそろりと動き出した――ソファの片端へと。改めて、ドイツを寝かせる準備を整えるようだ。彼はゆったりと背もたれに身を預けると、こっちへ来い、と指先でちょいちょいとドイツを呼んだ。
「なんで脅されてこんなことを……」
ドイツはしぶしぶといった様子で靴を脱ぎソファに脚を上げると、ぎこちない動作でプロイセンの大腿部に自分の後頭部を置いた。仰向けになると、天井が嫌に高く感じられた。ドイツは寝そべっているというのにまるでリラックスせず、背筋をぴんと一直線に伸ばしていた。上官の前で直立不動の姿勢を保つ兵士が、そのまま九十度回転させられたかのように。
「どうよ?」
膝の上に乗せたドイツの顔をおもしろそうに眺め下ろしながら、プロイセンが尋ねる。
「どう、と聞かれても……」
「この俺が膝枕してやってんだぞ、感想のひとつやふたつあるだろ」
無理難題に近い質問を吹っ掛けてくるプロイセン。ドイツは目をきつく瞑り、悪夢にうなされているかのように難しそうに、また苦しそうに眉根を寄せて十秒ほどうなったあと、
「見事な大腿四頭筋だ。よく鍛えられている」
苦肉の策のような感想を述べた。いや、ドイツからしてみれば、感じたままのことをそのまま言語化しただけなのだけれど。
色気もかわいげもないドイツの言葉に、プロイセンは唇を尖らせた。
「嫌味か? 俺がどんなに鍛えたって、おまえには負けるぜ。このムキムキが」
と、彼はおもむろに左手をドイツの腹部へと伸ばすと――
「うわ! ちょっ……やめないか!」
よくトレーニングされ発達した腹筋を人差し指の先で突付いた。突然の刺激に、ドイツが素っ頓狂な悲鳴とともに制止の声を上げる。が、プロイセンは指先をさらに滑らせて筋肉の隆起を辿った。
「ははははは、見事な腹直筋だな〜」
「やっ、やめろと言ってるだろうが!」
「うら〜、腹横筋だ! すげえ、どこもかしこもカッチコチ!」
「やめてくれ、くすぐったい!」
腹部に這い回る他人の手の感触がもたらすこそばゆさが、全身に鳥肌を立てていく。ドイツは身をよじって逃れようともがいた、プロイセンの手で額を押さえつけられているため、上体を起こすことすらできない。くすぐったさのあまり、目尻に涙が浮かんでくる始末だ。
「はははははは、いい反応じゃん!」
「くっ……そっちがその気なら……」
ドイツはぐっと歯を食いしばると、かろうじて動かせる右手を上に持ち上げると、
「うわ!? ちょ、おまっ……何すんだ、くすぐってぇ! あひゃ!?」
プロイセンの脇腹を思い切り掴み、そして揉んだ。予期せぬ刺激に体を跳ねさせるプロイセンを見たドイツは、ほんの少し腹の虫が治まる心地がした。
「これでおあいこだな」
「にゃろう! なら俺はもっとこうしてやる!」
ドイツの思わぬ反撃は、より一層プロイセンの興奮を煽る結果となった。彼はドイツに覆いかぶさるように上半身を屈曲させると、腹に触れていた手を下へと移動させた。
「ふわ!? ちょ、て、手を突っ込むのはやめてくれ!」
鼠径部のあたりをくすぐられたドイツはたまらないとばかりにばたばたと暴れたが、ここで負けてなるものかと、相手の脇腹を掴む手は離さない。組み付いているプロイセンの体もつられて揺さぶられた。互いに譲らないまま、ふたりはもつれ合いながらソファから転がり落ちた。もっとも、激しい攻防の中、彼らは自分たちの体が床に落ちたことに気づかなかった。巻き添えを食らったマグカップ――ブランデンブルクから借りたものだ――が無残にも砕け散ったことにも気づかなかった。……まあ、多分彼なら許してくれるだろう。スキンシップのほうが大事だとかいう理屈で。
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