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ドイツと親戚のお兄さんたち 11


 すっかり頭髪のセットの乱れたドイツの下では、同じく元の分け目がどこへ行ったのかわからなくなったプロイセンが、相手の体を受け止めるようにして床に仰向けになっていた。取っ組み合い――といっても喧嘩ではなくじゃれ合いのようなものなのだが――の結果、ふたりともすっかり息が上がっていた。ドイツは、プロイセンに体重を掛けないよう気をつけながら、彼の胴体の脇に手を突き腕を突っ張って体を起き上がらせた。プロイセンは少し距離の離れたドイツの顔に手を伸ばすと、少し埃っぽくなった頬を擦ってやった。きゅっと目を閉じる彼の仕種が不釣合いに子供っぽくて、プロイセンは思わずくすりと笑った。そしてそれとは対照的に、指の腹から伝わってくる髭の剃り跡の感触に、ああ、すっかり大人なんだな、といまさらながら感慨に耽る。
「はあ……ほんと、大きくなったもんだ」
 ドイツは彼の体に覆いかぶさるような体勢で向き合ったまま、神妙そうにうなずいた。
「ああ……おまえのおかげだ」
「はは、ブランデンブルクと一緒によく言ってたもんだ。こいつは絶対でかくなるって。昔から足でかかったもんな、おまえ。大型犬の子供みてえによ」
 つん、と鼻先を指で突付いてやると、ドイツは不思議そうに目をしばたたかせた。
「彼、その頃はしゃべったのか?」
 素朴な疑問を投げかけてくるドイツに、プロイセンは堂々たる口調で答えた。
「俺らの間に音声言語は必要ねえ」
「そうか」
 ドイツはあっさりと納得した。その回答に対して疑問を挟むほど野暮ではない。というより、疑問の余地などない。ずっと身近で彼らを見てきたドイツにとっては。
 と、ふいにドイツは首を垂らすと、プロイセンの肩に頭を預けた。
「ヴェスト?」
 プロイセンは目をぱちくりさせながらも、ドイツの後頭部に手を添え、支えてやった。ドイツはさらに頭の位置を下げると、彼の胸元に顔の右側を押し付けた。服越しに小さな心音が伝わってくる。ドイツはほうっと息を吐くと、しばらくそのまま何も言わず、ただ静かに目を閉じていた。プロイセンはドイツの体を抱き寄せつつ、楽な姿勢を取ろうとゆっくり体を回し、ソファの縁に背を預けた。やや崩れた体勢だったが、座ったまま抱き合うような格好になると重心が安定したのか、ますます体が密着した。甘えているのか、ドイツは彼の服の胸元に鼻を擦り付けると、一層ぴったりと寄り添ってきた。
 珍しすぎるそのさまに、プロイセンは夢でも見ているのかと思わず数回すばやくまばたきした。が、視界に映る光景は変わらない。大きな図体をした青年が、甘えた仕種で彼の体の上で寝そべっている。
 ドイツは半分うっすらと目を開けながら、不明瞭な発音で小さく言った。
「おまえたちが、仲のいい間柄でよかった。俺はずっと、争いの中にいたから……」
 それだけ呟くと、ドイツは完全に瞳をまぶたの裏側に隠し、口も閉ざしてしまった。思いがけない再会の衝撃に気疲れしたのだろう、彼はプロイセンに体重を預けると、うとうとと寝入りはじめた。その表情があまりに安らかだったので、プロイセンは思わず声を潜めた。
「これじゃ膝枕じゃなくて、胸枕じゃねえか」
 苦笑をひとつ漏らし、彼はドイツの背に腕を回し、相手の呼吸に合わせてゆっくりと撫でてやった。完全に眠ってしまうまで、ずっと。

*****

 日が落ちかけた休憩室に、ふいに新しい影が落ちる。ドイツの体を抱き寄せたまま軽く目を閉じていたプロイセンだったが、音もなく出現した気配にそっとまぶたを持ち上げた。
「来たか」
 小声でそう言いながら、やや首を捻って扉のほうに視線をやる。出入り口の真ん中には、自分そっくりな青年の顔。
「大丈夫。起きねえよ」
 だから入って来い、とプロイセンは顎をしゃくって示した。ブランデンブルクはかすかにうなずいたあと、やはり何の音も立てずにドアを閉め、足音を完全に消してプロイセンのそばまで歩いていった。
 ブランデンブルクが隣に膝をつくと、プロイセンは床に目をやった。視線の先には、先ほどのドイツとのもみ合いで壊してしまったマグカップの残骸。
「ごめん、おまえに借りたマグカップ、うっかり割っちまった。あとで新しいのプレゼントする。今度一緒に買いに行こうぜ。もちろんペアのやつ、な」
 ブランデンブルクは怒ることも呆れることもせず、ただ静かにうなずいた。プロイセンとドイツがどんなやりとりをしたのか把握しているのだろう。そしてきっと、それが彼らにとって必要なコミュニケーションだったということも理解している。
 プロイセンは腕の中のドイツを見つめると、彼らしからぬ柔和な目つきでぽつりと言った。
「なんだかんだでこいつ、寝ちまった」
 ドイツはプロイセンの服を軽く掴んだまま、くうくうと平和な寝息を立てている。目を覚ます気配はない。まるで子供返りでもしたかのような、安心しきったあどけない寝顔だった。
「こんなでっかい図体してんのにさ、どうしてだろうな、俺はいまでも子供の頃のこいつのイメージが抜けねえ。こうして黙って寝てると、特に。昔の、ちびっこい体にくそ真面目な目つきで俺のこと見上げてたこいつの姿がいまでもダブるんだ」
 幼い頃の彼の姿が自然脳裏に浮かび、プロイセンは遠い目をした。と、肩にわずかな重みを感じる。彼の右肩に手を添えたブランデンブルクは、やはり彼と同じ顔つきでドイツを見下ろした。
「おまえも同じだって? ふ……そうだよな、子供の頃知ってると、いつまで経っても小さいままのイメージがつきまとうよな。どんなにでっかくなってもさ」
 プロイセンはドイツの背に左腕を回したまま、右手を持ち上げて、肩に触れているブランデンブルクの手の甲にかぶせた。そして、ほんの少し苦いトーンで、
「苦労させちまったな。おまえにも、こいつにも。すまなかっ――」
 言いかけたところで、阻まれた。
 ブランデンブルクが左手の人差し指をぴんと立て、プロイセンの唇に押し当てていた。その言葉の先はいらない、と言うように。
 プロイセンは口の中で、そうだな、と苦笑とともに呟いたあと、ブランデンブルクの指を軽く退けた。そして、いままで言い損ねていた言葉をようやく紡いだ。
「長いこと留守にしちまったが――ただいま。一時とはいえ、俺は帰ってきたぜ」





――――おわり




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