ちょっとだけですが冒頭に普とブランデンブルクが絡んでいる非常に気色悪いシーンがあるので、苦手な方はご注意ください。
念のために下げておきます↓
ドイツと親戚のお兄さんたち 2
度肝を抜かれたドイツとザクセンは、驚きの声が漏れそうになるのをなんとか堪えた。そして、机の真後ろを覗き込む。
とそこには、スーツを着たふたりの青年が、床に倒れこんだ体勢でもつれ合っている姿があった。ひとりは仰向け。もうひとりはその上で四つんばいに近い姿勢を維持している。先ほどひょっこり現れた脚は、仰向けのほうのものだった。顔は、上に被さる金髪の青年の影になって見えない。
床に背をついた青年は、自分の上に軽く乗っている相手の下顎を人差し指で突付きながら言った。
「ん〜、やっぱおまえは最高だわ。三百年連れ添っただけのことはあるぜ。おまえほど俺を知り尽くしてるやつはいねえ。ま、俺もおまえのことならなんでも知ってるけどよ」
と、彼は相手と鼻の頭を擦り合わせようと顔を寄せた。彼の左脚は、相手の背中に撒きつくように絡んでいる。
が、相手の青年はぴたりと止まると、わずかに首を横にひねった。
「ん? どうした? ブランデンブルク?」
彼は相手――ブランデンブルクの首に腕を引っ掛けたまま尋ねた。ブランデンブルクは彼からすっと離れると、そそくさと襟元を正した。そして音もなく静かに立ち上がると、寝そべっている彼に手を貸して起き上がらせた。
「あちゃー、もう時間だったか」
数秒遅れて立ち上がった男は、顔から背格好まで、隣のブランデンブルクとそっくりだった。
ブランデンブルクは無言で彼の解けかけたネクタイの結び目に手を伸ばすと、きゅっと締め直してやった。相手は当たり前のように世話を受けていた。と、彼もまたブランデンブルクのジャケットの襟が曲がっているのに気づき、正してやる。
まったく同じ顔をしたふたりが向かい合って衣服を整え合っている光景は、鏡の世界を無理矢理真横から覗き込んでいるかのような不思議な印象だった。同じ姿をした者同士で巻き付き合っていたかと思うと気味が悪いが。
ザクセンは十秒ほど、呆気に取られるあまりまぬけに口を開いたままだったが、やがてはっと正気に戻ると、
「ブランデンブルク……? おまえ、なんで分裂して……」
瓜二つな青年たちに声を掛けた。どちらが本物のブランデンブルクなのか、すぐには判別できなかった。よくよく見れば髪の色が少し違うが、もともと彼がどんな色の髪だったのか、いざ記憶を検索しようとするとあやふやで、しっかりと思い起こせない。記憶とは得てしていい加減なものである。
ええと、ブランデンブルクがほいほいしゃべるわけないから、さっきしゃべってたやつじゃないほうが本物だよな?……あれ、さっきしゃべってたのってどっちだっけ? 右? 左? あ、これってまさかドッペルゲンガーか!? だったらまずいぞブランデンブルク! 早く離れろ!
大混乱に陥るザクセン。つい十数秒前の記憶さえ定かでない。冷静さを欠くあまり、ドッペルゲンガー撃退法に関する知識が頭のどこかに貯蔵されていないか探しはじめる始末だった。
うろたえた彼は、隣に立つドイツを一瞥した。
「なあ、ドイツ、何がどうなって――ドイツ……?」
呼びかけるが、ドイツは無反応だ。返事をしないばかりか、少しの動きも感じられない。不審に思ったザクセンは彼の腕を引っ張りながら声を掛ける。
「おーい? 聞こえてるか? ドイツー?」
やはり何のリアクションも返ってこない。よくよく顔を見れば、まばたきひとつしていないことに気づいた。まるで、地獄の深遠でも目撃してしまったかのような引き攣りようだ。お子様にはけっしてお見せできないような凄まじい形相で彼は固まっていた。
どうやら、ほとんど気絶に近いところで放心しているらしい。
*****
ザクセンは机に手を置くと、腰を折ってその下に顔を覗き込ませた。
「ドイツ、大丈夫かー?」
机の下では膝を抱えたドイツが大きな図体を可能な限りちぢこませ、膝に顔を伏せ頭を抱えながらガタガタと震えていた。
「み、みみみみみみ、見ていない……俺は何も見てなどいない……!」
平坦な、呪文のようなトーンで延々と自己暗示を繰り返すドイツ。先ほど目撃した光景――ブランデンブルクとそのドッペルゲンガーの絡み合い――が余程衝撃的だったようで、かれこれ十分ほども机の下に引きこもって出てこない。会議の開始時刻はとっくにオーバーしているが、どんなに呼びかけても、ドイツは応じようとしない。
「う〜ん、完全に逃避しちゃってるよこりゃ。親のセックス見ちゃった子供ってこんな気分なのかねえ……」
弱り果てたザクセンが、片手で頭を押さえながら体を起こした。ザクセンが引きこもったドイツを宥めようと尽力している間に、ブランデンブルクと彼のそっくりさんは、自分たちが乱したであろう机を元通り整列させ、会議の準備を整えて終えていた。彼らは並んで席につくと、頬杖をついて机の下のドイツを眺めていた。
このままでは埒が明かない。ザクセンは大きなため息をひとつ落としたあと、
「ブランデンブルク、ちょっといいか?」
手前に座る青年の肩に手を置く。
「俺はブランデンブルクじゃねえよ」
答えつつ、相手はちらりとザクセンを見やった。向けられた赤い双眸に、ザクセンは心拍数が上がるのを感じた。
「え。あ、ああ、ほんとだ……」
人違いという点においてはとりあえず納得すると、彼は隣に座るブランデンブルクに改めて声を掛けた。こちらは虹彩が青い。
ブランデンブルクは手招きされるがまま、腰を上げてザクセンのほうへ近づいた。ザクセンは彼の肩を寄せると、壁のほうを向いて猫背になり、ひそひそ声で質問した。
「なあ、あれってもしかしなくても――え? 本人に直接聞け?――そりゃまあ、それがいちばんなんだろうけど、でも、さっきのいちゃつきようからして明らかに……いくらフリーとはいえ、おまえがそう簡単にほかのやつになびくとは思えないしさあ」
ブランデンブルクは声ひとつ立てないが、長年の付き合いのためか、彼の言いたいことはなんとなくわかった。見えないお友達と話しているような心地がしないでもなかったが。
彼らがこそこそと会話を交わしている間に、残された青年は暇を持て余したのか、ふらりと席を離れると、向かいの机の下で膝を抱えているドイツのそばへ移動した。彼は床に膝をつくと、ドイツの背を軽く叩いた。ためらいがちに、ドイツが顔を上げた。
「おい、大丈夫か? 別にたいしたことはしてねえと思うんだけど。ま、仕事部屋で盛り上がってたのは謝るぜ。でも、ほんと何もしてねえからな? ほら、ちゃんと服だって着てたし(ちょっと乱れたけど)。いくらなんでも他国のメンバーに堂々と手ぇ出したりしねえよ。よし、わかったらとっととビジネスしようぜ。そのために来たんだからよ。おら、何事も心の切り換えが重要だ」
差し出された手を、ドイツは数秒ぽかんとしたまま見つめていた。が、やがて意図を察すると、相手の手をそろそろと握った。
「そ、そうだな……あれは幻だ、白昼夢だ、俺は何も見なかったんだ……そうだ、気にすることはない、幻に惑わされてどうする」
ぶつぶつと呟きながら、ドイツはようやく机の下から出ると、青年の手を借りて立ち上がった。足が痺れたようで、わずかにふらついた。
「大丈夫か? しゃんとしろよ?」
掛けられた声は、取り立てて優しいわけでもなかったが、不思議なくらい耳に馴染んだ。
「あ、ああ……すまない」
ドイツは青年の顔を気にしながらも、露骨に凝視することはできず、不自然に視線を虚空にさまよわせた。この顔は――いや、まさか。《彼》だなんてそんな。それだったらブランデンブルクのドッペルゲンガーが出現したと考えたほうが現実的だ。しかし、そうだとしたらブランデンブルクの身が危ないかもしれない。対ドッペルゲンガー護身術について学んだことなど、過去にあっただろうか? さすがの《彼》もそんなものは教練に取り入れていなかったはずだが……。
奇しくも先ほどのザクセンとまったく同じ思考の迷宮にはまるドイツ。いったい何がどうなっているんだと再び混乱がぶり返しそうになったところで。
「んじゃ、そろそろ席につかねえ? 時間、過ぎてっぞ」
ドッペルゲンガー疑惑の青年の合図で、三人はこの場所に集ったそもそもの理由を思い出した。各々席につくが、ブランデンブルクはなぜか青年の側に座った。人数的な配置で言えば二対二でバランスがとれているが、関係を考慮すればおかしな話であった。が、ブランデンブルクの無言の主張により、席替えは行わず、話し合いを開始することになった。
こほん、と空咳をひとつしたあと、ドイツは向かいに座る青年を見つめた。同じ顔がふたつ並んでいるというのが落ち着かないが、彼は努めて目的の相手だけを視界に入れるようにした。
「基本的なところから尋ねたいのだが、あなたは――」
「ん? ああ、挨拶がまだだったな。失礼した。本日ロシアの代理で来たカリーニングラードだ。よろしくな」
青年は意味ありげな笑顔とともにそう答えると、机の上で手を組んで、挑発的な目つきでドイツを見つめ返した。その隣では、ブランデンブルクが不安そうなまなざしでふたりを見守っていた。一瞬だけ、ザクセンに目配せをする。変に口を挟んでくれるな、というように。
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