ドイツと親戚のお兄さんたち 5
多少なりともいちゃついたことで気が済んだのか、プロイセンは居住まいを正して椅子に座りなおした。ブランデンブルクもまた、隣でぴしりと背筋を伸ばしている。一分前までのピンクな空気などなかったかのように、彼らはビジネスライクな顔に戻った(そうでもしないとお互い甘ったるい雰囲気が醸し出されてしまうためだろう)。しゃべらず表情を整えていると本当にまるっきり同じ顔だ、とドイツとザクセンはしみじみ思った。
こほん、と小さな咳払いをしてから、プロイセンはわずかに気詰まりな様子を覗かせながら、彼にしては珍しくやや重たげに口を開いた。
「まあ、なんだ……連絡を先延ばしにしてたことについてはほんと悪かったと思ってる。おまえらに何も伝えられないままドロンしたり、そのまま永久出張状態になったりで、俺としてもなんつーか気まずいモンがあったんだ」
と、彼はそこでドイツにちらりと目線をくれた。
「そんで、いつおまえに連絡取るべきか迷っててタイミングはかりかねててな……。けど、そうこうしてるうちにロシアのやつが話まとめちまって、結局今日おまえんとこに俺を派遣していまに至ってるってわけだ。上には逆らえねんだよなー」
「あー、それめっちゃわかるわ……」
実感のこもったプロイセンの弁に、ザクセンがうんうんとおおいにうなずいた。ブランデンブルクもまた、大きな動作で首を縦に振っている。彼らふたりもまた、プロイセンとは違うかたちで半世紀間苦労を積み重ねたので、共感するところがあるのだろう。めいめい愚痴をこぼしたそうな空気ではあったが、このメンツだとドイツがひとり疎外されてしまう。示し合わせたかのように、年長者三人は過去に対する不平不満を述べるのを自嘲した。
ドイツはドイツで、彼らが自分に対して気を遣ってくれたのを察し、ありがたいような、けれども少しだけおもしろくない気持ちになった。年の差が埋められない以上、自分は永劫に彼らに年下扱いされ続けるのだろう。大事にしてくれていることがわからない彼ではないけれど、この距離感をもどかしく感じることがあった。もちろん、この差があるからこそいまに続く彼らの関係は築かれたの言えるのだが。
「ヴェスト? どうした? 怒ってんのか?」
物思いに耽っていたところに掛けられたプロイセンの声に、ドイツははっとして面を上げた。気がつけば、上半身を乗り出したプロイセンが斜め下から覗き込んできていた。上目遣いに見てくるプロイセンのまなざしは、不安そうというよりはむしろ優しげだった。おまえが怒るのも当然だ、と言うように。
「いや……その、改めて驚いているだけだ。カリーニングラード当人を寄越すとは聞いていたが、まさかおまえだったとは」
顎を引き、どぎまぎしながらドイツが応えると、プロイセンは身を起こしてにやりと笑い、ドイツの肩を親しげに叩いた。
「はははは、いいサプライズだっただろ。勇気出してロシアを口止めしといた甲斐があったわ。あとでぜってー仕事増やされるけど」
「確かにとんだサプライズだな。驚きすぎて心臓に悪かった」
胸の真ん中に右手を当て、大げさに息を吐いて見せるドイツ。この部屋で彼とブランデンブルクの姿を目撃したとき、心臓が跳ねたのは事実なのだが。実際に思い切り硬直、いや、凍結してしまったくらいだ。
しかし、彼の驚愕の表現法は肝心のプロイセンを満足させるには至らなかったようだ。プロイセンは不満そうに唇を尖らせると、
「あんだよ、もっと喜べよ、半世紀ぶりの再会だぜ?」
ドイツの肩口を人差し指でつんつんと突付いた。ドイツは困ったように眉根を寄せると、もごもごと弁明した。
「いや、会えたのは嬉しいが……最初のシチュエーションのショックが尾を引いているというか……」
「最初? ああ、こいつが俺に乗っかってたとこ? いやあ、こいつ、俺に会うたびに熱烈に歓迎してくれちゃってなー。こう見えてこいつめっちゃ大胆でよー」
気味悪く頬を染めるプロイセンは、照れていると見せかけて、満更でないどころか自慢げである。ブランデンブルクの頬を指先だ軽く突付くその姿は、どこに出しても恥ずかしくない(いや、親類的には死ぬほど恥ずかしいのだが)立派なバカップルだ。
砂が吐けるなら間違いなく吐いているであろう勢いで、ザクセンがうげぇとひしゃげた声を出した。
「うわあ、力の限り惚気てるよ……」
静寂を保っているかに見えるブランデンブルクも、その実かなり乗り気そうな視線をプロイセンに送っている。もはやこいつらを止める術はないな。ザクセンは確信した。
カロリーオーバー必至の甘すぎる空気に当てられたザクセンとドイツが黙り込んでいると、プロイセンがさらに文句を続けてきた。むぅ、と怒りを誇張するように眉間に皺を寄せながら。
「それに引きかえ、おまえらの反応の淡白なこと淡白なこと……それが半世紀ぶりにあった身内への対応か? もっと劇的かつ熱〜い再会を期待してたってのに……がっかりだぜ」
大きなため息とともに落胆するプロイセンに、ドイツが仕方がないだろうと抗弁する。
「あまりの光景にそれどころではなかったんだ。もう少し穏健な再会シーンを演出してくれれば、多少リアクションも変わっていたと思うぞ」
大真面目なドイツの言い分を聞いたプロイセンは、なかなか悪そうな、実にイイ笑顔をつくった。にや〜、とゆがんでいく彼の口角を見たドイツは、ぎくりとしたわずかに上体を引いて距離を取った。が、プロイセンが彼を追いかけるようにずいっと机の上に乗り出したのでむしろ距離は縮まった。息が掛かるほど間近でプロイセンはことさらゆっくりはっきりと言った。
「それならもっぺんやり直すか?」
「な……何を」
「さ・い・か・い」
と、彼は一旦ドイツから離れると、机の上に完全に座ってしまった。そして、両手を大きく広げて自分の胸元をドイツの前にさらす。
「ほら、来いよ。俺の胸に飛び込んで来い!」
抱き締めてやるから。
行儀よく椅子に座ったままのドイツを見下ろしながら、プロイセンは目線で訴えた。再会の抱擁、まだ交わしてないぞ、と。
ドイツとしてもそれはやぶさかではなかった。むしろ望んでいるくらいだ。が、いかんせんTPOの縛りが大きすぎる。なにしろここは小会議室で、自分たちは話し合いのためにこうして集ったのだ。生真面目な彼は突拍子もないプロイセンの提案の前にたじろぎ、ややもすれば引き気味だった。
「いや……それはどうかと。いまは仕事中だろう」
彼は片手を前に出しておずおずと辞退を申し出た。が、それを素直に聞くようなプロイセンではない。
「あんだよ、堅いやつだなー。こんなときくらいハジけろよ!」
「うわ!?」
足を振り上げて反動をつけたプロイセンは、机から降りる勢いのまま、ラリアットを食らわせるような格好でドイツを巻き込んで床に倒れ込んだ。長机と椅子が派手な音を立てて床や壁に衝突した。
「ちょ……な、何をするんだ!」
「この期に及んで堅物なおまえが悪い」
横向きに転倒したプロイセンは、隣で同じく倒れているドイツを逃がさないよう腰にがっしりと脚を絡めた。ドイツはなんとか立ち上がろうとするが、プロイセンの身ひとつでの拘束は侮れないものがあり、簡単には抜け出せなかった。
「お、おいっ……!」
「おらおら、素直に甘えろって! この俺が来いっつってんだからよぉ!」
「うわ、や、やめろ!」
プロイセンはじたばたと暴れるドイツの腰に完全に両脚を絡めると、背中でクロスさせて固定した。そしてそのまま自分が下になって床に背をつける。ドイツは彼を押しつぶさないよう腕で自分の体を支えている。傍から見ると、プロイセンがナマケモノよろしくドイツにぶら下がっているような珍妙な光景だった。プロイセンは苦しい体勢をものともせず、威勢よく叫ぶ。
「へへ、逃がさねえっての! おいブランデンブルク、こいつ押さえろ!――いや、もう乗っちまえ、こいつの上に!」
とんでもない指令をブランデンブルクに下すプロイセン。ドイツはますます焦った。
「ちょ、よせ! おまえが潰れるぞ!?」
「おーおー心配してくれるのか、お優しいこって。だいじょーぶだって、そいつ、力加減が絶妙かつ完璧だから。怪我なんかしねえよ」
意味深長なプロイセンの発言に、傍観者を決め込んで壁際に避難していたザクセンがぼそりと漏らした。
「なんか無駄に卑猥に聞こえるな……元夫婦だし」
そんなことを言っている間に、プロイセンとブランデンブルクの連係プレイがはじまっていた。プロイセンに命じられたとおり、ブランデンブルクがドイツの背中に乗ろうとする。
「ちょ、ブランデンブルク! おまえまで悪ノリするな!」
不自由な姿勢の中、なんとか首をひねって抗議するドイツだったが、ブランデンブルクはますますべったりと張り付いてくるばかりだ。下からは、プロイセンの勝ち誇ったかのような高笑いが響いてくる。
「無駄無駄ぁ! こいつは基本、俺とシンクロしてんだからよ!」
「ちょ、やめっ……!」
「やめるなブランデンブルク! もっとやれぇ!」
プロイセンとブランデンブルクに挟まれたドイツは往生際悪くもがくが、元夫婦の息の合ったチームワークの前になす術などあるはずもなく、あれよあれよとサンドイッチ状態に持ち込まれてしまった。とてもではないが感動的な再会の抱擁には見えず、もはや乱闘騒ぎの末路のような様相を呈していた。もっとも三者三様、暴れながらも相手に怪我をさせないよう気を遣っている様子だったが。
ザクセンはもつれ合う大人三人を止めようともせず、微笑ましさと感慨とほんの少しの憧憬の入り混じったまなざしで眺めた。いまの彼の目には、幼い頃のドイツと、若き日のプロイセンとブランデンブルクの姿が浮かんでいるに違いない。
「うわ〜、懐かしいなこの絵面……ドイツのプロイセンサンド。まさか大人バージョンが見られるなんて。……写真撮っとこ」
ザクセンはいっそ感動的な心持ちでそう呟くと、たまたま携帯していたデジタルカメラを取り出した。昼休みに修理店から引き取ってきたものだが、この日持ち合わせることになったのは偶然なのか必然なのか。
デジカメの画面と実物のプロイセンらを見比べながらシャッターを押すザクセンに、ドイツが非難の声を立てる。
「ザクセン! おまえもか!」
身内相手に珍しく歯を剥き出すドイツだったが、ザクセンはさらりとかわす。
「空気読んだだけ。しっかし、同じ顔に挟まれるってすごいよなあ。俺絶対そのポジションやだわ。ダブルプロイセンなんて耐えられん」
そっくりなふたりに挟まれてもみくちゃにされるドイツを写真に収めつつ、ザクセンは呑気な感想を述べた。すっかり頭髪のセットの乱れたドイツは、降りた前髪の間から必死のまなざしを向けてくる。
「そう思うならこいつらを止めてくれ!」
「まあまあ、いいじゃん、おまえ慣れっこだろこーいうの。ガキの頃、ベッドでこいつらに挟まれてすやすや眠ってたくらいだし。あの頃はまじでかわいかったよなあ。……ん? なんだよブランデンブルク? いまでもかわいいって?」
ドイツの頭を後ろから撫でながらブランデンブルクが無言で主張してくる。すると、ザクセンに代わりプロイセンがうなずきながら同意した。
「ん〜、そうやって困ってる顔、ほんとかわいいよな。昔から変わんねえなあそういうとこ」
と、彼はドイツの金髪をくしゃくしゃと掻き混ぜた。子供を猫かわいがりするような要領でべたべたと容赦なく触ってくるふたりの間で、ドイツは弱りきったうめきを上げていた。
「あー、確かにかわいいかも。ガキの頃はよくおまえらにもみくしゃにされてたもんな。思い出すなあ、懐かしい」
収めた写真をディスプレイで確認しながらザクセンがくすりと笑う。と、床に転がったままのプロイセンが首を伸ばして横柄に言った。
「あとで俺にもデータ回せよ、ザクセン」
「りょーかい。あ、ブランデンブルクもほしい? わかった、メールで送っとく。なんならプリントアウトもするぞ」
被写体の中心人物であるドイツにはなんの断りもなく、三人はさっさと取り決めてしまった。
「ちょ、何を勝手に……」
さすがに文句のひとつもつけようとドイツが口を開きかけるが、
「おら、もっとこっち寄れ」
プロイセンに後頭部を掴まれ引き寄せられたので、それもままならなかった。プロイセンはそのままドイツの鼻頭に唇を近づけると、ちゅっと触れるような軽いキスをした。その感触というよりはわざとらしい音に反応し、ドイツはぴしりと固まった。プロイセンは、当惑する彼の鼻を指先で押してやった。
「照れるなよ、いまさら」
「うぅ……」
もはや返す言葉も見つけられず、ドイツは突っ伏すように顔をプロイセンの胸に沈めてしまった。プロイセンは何の臆面もなく彼の頭を胸に抱くと、
「ほんっと、こういうとこ変わってねえな」
と苦笑混じりに言いながら、斜め上にあるブランデンブルクをとらえ、先ほどとは打って変わって露骨で濃厚なキスを交わし出した。それはもう、熱く、激しく。ドイツはますます顔を上げられなくなってしまった。
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