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何十年か前のプロイセンとザクセンの話 番外編

おかえり



 プロイセンを連れて四階まで上がると、ザクセンは廊下を右に曲がり、十数歩進んだ。左手にあるドアのひとつの前で立ち止まり、
「ここだよ、俺の仕事部屋。いま絶賛ひとり職場でさあ、あんま片付いてないけどまあ寄ってけよ」
 鍵を指し込み、扉を開けた。
 プロイセンを先に中に入れると、ザクセンは照明をつけた。窓は高いところにあるだけで、しかも北向きなので陽光の恩恵はほとんど望めない。
 部屋の真ん中あたりまで行き、ぐるりと室内を見回しているプロイセンの後ろから、ザクセンは突然、ラリアットの逆向バージョンのような動きで首に腕を回した。
「うわっ!? ちょ、ザクセン、いきなりなんだ!!」
 奇襲を受けたプロイセンは、よろめきながら怒鳴る。
「ああ、もう、ほんっと、おまえが帰ってきてくれてよかった――――! プロイセェェェェェン!!」
 人目を気にする必要がなくなったためか、ザクセンはひときわ大きな声と動作で、改めてプロイセンの帰還を喜んだ。廊下での再会のときよりずっと強くぎゅうぎゅう抱きついてくるザクセンの腕に触れながら、プロイセンは天井を仰ぎながら目を閉じる。
「ザクセン……それは……」
 感慨深そうにほうっと息を吐いたあと、彼は顎を引いて目線を元の位置に戻した。そして、言葉を続ける。
「それは、この文字通り山積みになった書類の処理に心底困っていたということか?」
 ザクセンの腕越しに室内をにらむプロイセンの目は半眼だった。
 デスク及びその横につけられた長机には、書類が山となっていた。さすがに散乱はしておらず、なんらかの基準で分けられているらしい文書の数々は、まとまりごとに紐でくくられ、アルファベットと数字の記載された色紙で目印がつけられている。整理を怠っていないのは評価できる点だが、いかんせん、紙の量が尋常ではない。デスクだけでは飽き足らず、緊急で寄せ集めたらしいパイプ椅子の上にも、書類は群れを成している。
 じと目で見つめてくるプロイセンに、ザクセンは後頭部を掻きながら、てへっと笑った。
「……へへへへへ~。いやもう、おっしゃるとおりで」
 期待のまなざしを向けてくるザクセンに、プロイセンは呆れきった面持ちでぼやいた。
「ちゃんと仕事しろよ……」
 すると、ザクセンは心外だとばかりに叫んだ。
「してるよ! ちゃんと毎日毎日書類書いてるって! でも今度の上司が超厳しくてさあ、十件に八件は再提出食らうんだぜ!? 『要求水準を満たしていない』とか『この考察に対する説明を求める』とか言ってさあ!」
 プロイセンはザクセンの抗弁というか愚痴を聞きつつ、デスクに置かれた一束の書類を手に取った。ぺら、と最初の数枚をめくる。
「うっわ、細けぇなあ、論文の添削かよ……」
「だろ、だろ!?」
 そこには、ザクセンの言う《上司》が書いたと思しき文字がずらりと並んでいる。再提出として突っぱねた分だろう。書かれている内容は、要するに全部駄目出しだ。
「でも内容を見るに、俺がその上司とやらの立場でも、これは再提出を求めると思うぜ」
「なんで!?」
 無情なプロイセンの言葉に、ザクセンが不服そうな声を上げた。プロイセンは彼の書いた書類を示しながら、
「項目の立て方が悪い。要約が下手だ。それから客観的事実しか書かれていない。や、それも大切なことだけど、これじゃただの観察日記だろうが。分析がまるでできてない」
 次々と指摘していった。概ね、上司の駄目出しと一致する。ザクセンは唇を尖らせた。
「むー……そう思うなら手伝ってくれよ」
「おまえな、俺は半日前にこっちに着いたばっかなんだぞ」
「今日はいいよ。明日から頼む」
「おまえ、それは全然遠慮してないぞ。それに所属だってまだ決まってねえし――」
 他人の仕事に勝手に手を出せるかよ、と言いかけたが――
 コンコン、というノック音がその先を阻んだ。
 ドアを開けてザクセンが対応するが、訪れた職員はプロイセンのほうに用があったようだ。二重の意味で若い《東ドイツ人》の青年は、彼らを同志と呼び、プロイセンに一通の封筒を渡した。命令書のようだ。青年は小間使いとして出されただけらしく、プロイセンが封筒を受け取ったのを見届けると、丁寧な敬礼をしたあと、踵を返してきびきびと廊下を去っていった。
「若いな」
「若い子だね」
 ふたりは扉の前でしみじみと呟いた。
 プロイセンは部屋の中に戻ると、デスクのペン立てからはさみを借り、封筒を開けた。折りたたまれた一枚の紙ぺらを伸ばすと、ザクセンが覗き込んでくる。
「おい、勝手に見るな。俺宛てのだぞ」
「わかってるけどさ、この部屋でおまえに渡してそれっきりな命令書なんて、俺が読んでも構わないですよー、ってことじゃん?」
「まあ、さっきのやつの態度を意訳すればそうなるだろうが……」
「で、なんて書いてある――」
 文書の中身はきわめて簡潔だった。なので、十秒とかからず読むことができた。
 形式ばった文章をピリオドまで追ったザクセンは、両目をきらきらさせながらプロイセンの手を取った。
「やったなプロイセン、俺と一緒!」
 上司から命令書は、プロイセンの所属決定に関する通知だった。そこに書かれた部署名を見てもいったいどこを指しているのかさっぱりだったが、ザクセンの反応からすると、どうやら彼と同じらしい。しかも、所属の有効性は本日からだった。
「素直に喜んでいいのか、これは……?」
 書類を前に、助かったー、となかば涙をにじませているザクセンを見やりながら、プロイセンは手紙を片手にむうっとうなった。
「今日から俺たち、正式に同僚な! 改めて、よろしくな、プロイセン!」
「お、おう……」
 いろいろ先行き不安になりつつも、あまりに嬉しそうなザクセンの声に毒気を抜かれ、プロイセンは生返事をした。
 とりあえず、どんなときでも苦難を覚悟しておいて損はないだろう。
 今後の教訓及び方針としてそんなことを考えつつ、彼は書類の移動を手伝ってやった。




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