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何十年か前のプロイセンとザクセンの話 番外編

飲み明かし



 空瓶が数本足元に転がるようになる頃、ザクセンがふいに素面じみた声を発した。
「なあ」
「ん?」
 プロイセンは瓶を口につけたまま相手に目線をくれた。ザクセンは一瞬の逡巡のあと、少しためらいがちに口を開いた。
「……おまえさ、ほんとに元気にしてた?」
 話題が弾んでいるような気でいたが、そういえば質問するのはもっぱらプロイセンで、ザクセンはこちらの情報を伝えるばかりだ。
 こいつのこと何にも聞いてないじゃん、と思い当たり、尋ねたザクセンだったが――
「どっか悪いように見えるか?」
 質問を質問で返される。ちょっとばかり機微を利かせた肯定の返事とも取れるが、はぐらかしと取れなくもない。ザクセンは判断に惑ったが、思い切って尋ねてみる。
「なんかあったんだろ。どこがどうってわけじゃないけど、ちょっと違和感あるよ、おまえ。うん、なんていうか、言葉にしにくいんだけど……とにかく、なんかおまえ、変」
 うまく説明できなかった結果、ちょっぴり失礼な結論が飛び出した。プロイセンはそんなザクセンの話の飛躍ぶりがいっそ愉快だったのか、気分を害したふうもなく、むしろ噴き出す始末だった。
「ぶっ……なんだそれ。わけわかんねえよ。そーいうのは曖昧で気持ちが悪いからよ、もう少し具体的かつ詳細に説明しろ」
 真面目に聞いたはずのザクセンだったが、プロイセンの言葉に思わず情けない声を出す。
「上司みたいなこと言うなよ〜」
「やっぱ言われてんだな、こういうこと」
「いまのそっくりだった。やめろよもー」
「ははははははは」
 突っついてくるザクセンに、プロイセンは意地悪そうににやりと口の端をつり上げて見せた。脚をばたつかせながらひとしきり笑ったあと、彼はふと話題を戻した。
「まあ、いろいろあったのは事実だけどよ」
 思い出したように、というよりは、話ついでに、といった口調で答える。突然の回答だったので、ザクセンはちょっと虚を衝かれたようにぽかんとする。そして、とりあえず相槌を打つ。
「そっかぁ」
 どうコメントを続けるべきか数秒迷ったが、結局出てきたのは素朴で簡潔な疑問だった。
「つらかった?」
「ま、人並みに苦労はした」
 プロイセンは瓶を片手に持ったまま肩をすくめた。
「寂しかった?」
「ひとりは気楽だぜ?」
 実に彼らしい答えが返ってきた。
「苦しかった?」
「まあ、お世辞にも豊かじゃなかったな。飢えはしなかったけど」
 生活苦のほうで解釈された。
 短い質問に短い返答をすると、プロイセンはほとんど空になったビール瓶を軽く揺らした。ちゃぷちゃぷと液体がガラスにぶつかる音を聞きながらしばし黙っていたザクセンだったが、
「……話したくない?」
 もうひとつだけ聞いてみた。数秒の沈黙ののち、返ってきたのは――
「……うん」
 
というささやき声だけだった。
 プロイセンは何かを振り切るように小さく頭を左右に振った。ザクセンはその様子を無言で見守ったあと、ナイトテーブルに手を伸ばしてまだ栓の開けていないビールを取る。
「そっか。まあ、いつか話したくなったら言えよ? 聞くくらいはするからさ。……ビール、まだ飲む?」
「飲む」
 プロイセンは空瓶をザクセンに渡し、代わりに新しい瓶を受け取った。そして、栓のついたままのそれにかじりつく。
「おい、口で蓋開けるなよ。歯、削れるぞ。栓抜きあるのに」
 ザクセンの忠告を無視し、プロイセンは瓶の首を斜めにして奥歯で栓を外した。そして、行儀悪く栓を吐き出すと、ぐっと角度をつけてボトルを傾けた。
「あー、うめぇ。やっぱ酒はビールだな。正直ウォトカは好かん」
 三分の一ほど胃に流し込み、ぷはっと息を吐く。暴飲というほどでもないが、かなり勢いがいい。
 手の甲で口元を拭うプロイセンを見ながら、ザクセンは眉間に皺を寄せた。
「一気飲みは体に悪いぞ。もう大分飲んでんだし、ほどほどにしとけよ?」
 忠告するものの、大分酒が入っている相手の脳にまで届いたかは甚だ疑問だった。
「いいだろ、久しぶりなんだから」
 案の定、聞き入れる気のなさそうな答えが返ってくる。ある意味期待どおりの反応だったので、呆れることもないが。
 ザクセンがやれやれと首を横に振っていると、ビールを飲む手を一旦止めたプロイセンが、ぽつりと言ってきた。
「……俺が倒れたら、介抱くらいしろよ?」
 プロイセンは唇を瓶の口に寄せたまま、横目でザクセンをちらりと見ている。返事を待たれているようだ。ザクセンはちょっと据わりの悪い心持ちになりながらも、こくりとうなずいた。
「ああ、うん、まあ……いいよ。でも、できれば倒れる前に飲むのをやめるのが望ましいな」
「そいつはできない相談だ」
 鼻先で笑うと、プロイセンは再びアルコールを体に染み渡らせはじめた。倒れるのも辞さない構えのようだ。
 ザクセンは忠告はしたものの、結局プロイセンが瓶を傾けるのを止めようとはしなかった。そして結果的に、酔いの回ったプロイセンの長広舌にとっぷり夜が更けるまで付き合わされる羽目になった。
 プロイセンはよくしゃべった。もともと必要以上に口と喉を働かせるのが好きな男だが、生来のそれにアルコールが拍車を掛けたのか、輪をかけてやかましかった。
 年配者がバーで若年者相手にくだを巻くときのように、話の多くは昔のこと――過ぎ去り、歴史として残された時代のことだった。トピックの八割を占めたのは、彼が敬愛してやまないかつての啓蒙専制君主についてだった。同じ話題がかたちを変えて何度も繰り返されたが、酔っ払いの言うことなので、適当に相槌を打つよりほか、対応はなかった。
 ザクセンはプロイセンがよく酔っているのを見極めると、何度か不意打ちのようにここ最近の状況、すなわち彼が実家にいたときのことについて、いささか誘導尋問じみた方法で尋ねてみた。が、その点についてはろくに口を滑らさない、という以外、いかなる情報も知ることはできなかった。




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