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何十年か前のプロイセンとザクセンの話 4


 その日は、厳寒と言われた今冬の中でも特に寒かった。晴れてはいるが、空の青はどこか薄く、寒々とした雰囲気が視覚的にも伝わってくる。オフィスは建物全体が凍てつき、平生より音がよく響いているように感じられた。
「あー、寒ぃ。ちょっとこれ本気で凍えそうなんだけどよ、なんとかならねえのか?」
 職場の小さな部屋の中で、プロイセンとザクセンは仕事を放り出してパイプ椅子をふたつ並べ、一枚のおんぼろな毛布にふたり一緒にくるまっていた。なぜそんなことをしているのかというと。
「この冬いちばんの冷え込みらしいからな。こんなときに暖房壊れなくても……」
 タイミングの悪いことに、暖房が故障したのである。それも、一室ないし一フロアだけの問題ではなく、機械の大元がストライキを起こしてしまったらしく、現在、この建物の中に文明の利器で暖を取る手段はほとんどない。復旧の目処も立っていない。臨時に配布された毛布は一枚しかない。よって、彼らはこうして互いに身を寄せ合って寒さに対するささやかな抵抗を試みるしかなかった。もっとも、体を引っ付けていたほうが暖かいから、というのもあるのだが。
「くそぉ、これって西側の陰謀かぁ? それとも同志の内輪揉めか?……なんか後者のがあり得そうだと素直に思っちまったぜ……」
 プロイセンの愚痴とともに、白い吐息が漏れる。息を吸えば、肺にじんわりと寒気が浸透していくようだった。
「いや、さすがにここまでみみっちいことをするやつはいないだろ。単に暖房買い換える余裕がないだけだって」
「寒いのは懐だけにしてくれってんだ。しゃれにならねえよ、この寒さ。さっきから吐く息真っ白じゃん。おらザクセン、もっとくっつけ。引っ付いてたほうがあったかい」
 プロイセンは枕に抱きつくような要領で、毛布の下でザクセンの体に腕を回した。
「はあ……何が悲しくておまえと抱き合ってなきゃいけないんだろうな」
「俺だって同意見だが、背に腹はかえられないって言うだろ。あー、寒い」
 プロイセンは寒い寒いと繰り返しながら、今度は毛布に潜った。といっても寝ているわけではないので、背を丸めて毛布を頭から被るようなかっこうだ。椅子の上で体操座りになり、立てた膝に顔の下半分を埋めるようにして体をちぢこめる。
 と、プロイセンがダンゴムシのように丸まっていると、視界の端でザクセンが目をぱちくりさせているのが見えた。プロイセンは怪訝そうに眉をしかめ、なんだよ、と視線で尋ねた。
 ザクセンは、自分の耳を指差しながら、
「おまえ、耳動かせるのか。付き合い長いけど、はじめて知ったわ」
 とちょっと感心したように言った。今度はプロイセンが目をしばたたかせる番だった。
「は?」
「いや、さっきから耳介が動いてるからさ。少しだけだけど」
 と、ザクセンはプロイセンの右耳に人差し指で軽く触れた。プロイセンはきょとんとする。
「え、まじ? 俺、耳動くの? どんなふうに?」
「ぴくぴくって。多分、力むと連動して動くんだと思うが。寒くて力入ってるだろ。あ、また動いた」
 プロイセンの耳は、数ミリの可動範囲だが、確かに動いている。人間の耳は普通動かせないものなのだが。
「……なんか動物みたいだな」
「下等だって言いたいのか――――!」
 プロイセンはザクセンに掴みかかる……ように見せかけて、ちゃっかり抱きついて暖をとった。ザクセンはパイプ椅子から落ちないようにバランスを取りつつ、彼を受け止めた。寒いのはどちらも同じである。
「いや、かわいくていいんじゃね? 犬とか猫とかウサギだと思えばさ」
「愛玩動物じゃねえか!」
「じゃあ馬。おまえ、馬好きだろ、軍馬」
「対象変えればいいってもんじゃねえ」
「まあまあ」
 と、ザクセンは彼を宥めるように、もう一度彼の動く耳を指で摘んだ。
「うわ、めっちゃ冷えてんなー。俺の指もたいがい冷えてるけど、それでも冷たいって感じるってことは、おまえの耳のが温度低いってことだよな」
「もう冷えすぎて感覚ねえ」
「耳当てする? 俺の貸してもいいけど」
 ザクセンは荷物を取りに立ち上がろうとしたが、プロイセンが離れないので動けない。プロイセンはゆるゆると首を横に振った。
「だめだ、離れるな、寒いだろ。っつっても、さっきからあんま温まった感じしねえよなあ……」
「いっそ服脱いだほうがあったかかったりしてな。人間の体温って高いし。北極圏のひとってそうやって体温を維持しようとするって聞いたことあるし」
 ザクセンが笑いながら提案すると、プロイセンは真顔でうなずき、
「それもそうだな。脱ぐか」
 と、もぞもぞと動き出した。
「おい、冗談だって。そこまで切羽詰って寒くないだろ」
「そりゃまあ、冬将軍に比べりゃはるかにマシだけどよ」
「生々しいなあ」
 結局脱ぐのはやめたプロイセンは、しばらくザクセンとくっついて体温の保持に努めた。今日はもう、労働どころではない。いま書類仕事をしても、指がかじかんでいるのでタイプミスを連発するに違いない。それではかえって仕事が増えるし、インクと紙が無駄になる。経費削減は、平生からの課題である。
 しんしんと冷える静かな室内で、ふとプロイセンが呟いた。毛布の中なので、声はちょっとくぐもっている。
「あー、こうしてると戦時中思い出すぜ。あまりに寒かったんで、座ったままあいつと引っ付いて寝たんだよな。あいつはあったかかったな。さすがマッチョ。筋肉万歳」
 ちょっぴり懐かしそうに遠い目をする。すると、ザクセンが少し驚いたように尋ねてきた。
「え、脱いだのか?」
「いや、さすがにそれはない。作戦行動中だったんだぞ」
 プロイセンはパタパタと右手を振った。と、突然動きを止めて目を瞑り、眉根を寄せた。
「うー……」
 ザクセンから離れた彼は左手で右肩を押さえると、低く呻いた。
「どうした? ひょっとして古傷が痛むとか?」
 大丈夫か? とザクセンが聞くと、プロイセンは苦笑いをしながら体を起こした。
「ああ、まあな。普段は平気なんだけど、寒いとだめだ、なんかうずく」
「けど、古いって言っても、そんな何百年も前のじゃないだろ? やっぱ大戦中のか?」
「ああ。実家のほうでやりあったときに、ちょっとヘマしてな。もうどうってことないけど、気温が下がるとたまに痺れたり動きにくくなんだよ。……あ、いま、腕上がんねえかも」
 プロイセンは左手だけで毛布を被り直した。
「神経伝導がまだ回復しきってないのかもな。つながってはいるんだろうけど」
「大分経つんだけどな」
 まだ少し顔をしかめているプロイセンの肩周りに、ふいにザクセンが手を伸ばした。
「ちょっと失礼」
 言いながら、彼は左手をプロイセンの背側から、右手を胸側から伸ばし、右肩を掴んだ。鎖骨と肩甲骨を挟み込むようにして。
「なんだよ。手ぇ冷たいんだから触るなよ」
「いや、もし可動域が悪くなってるせいで神経圧迫されてるとかそういうことだったら、ほぐしたらどうかと思ってさ」
「おまえ治療なんかできるのかよ」
「聞きかじりくらいなら」
「生兵法はよせ。いろいろ怖ぇ」
 プロイセンが身じろぐが、ザクセンは手を離さない。
「大丈夫大丈夫。失敗したってどってことないって」
「何を根拠にそんな自信満々なんだ」
「だっておまえ頑丈じゃん」
「それが理由かよ」
 プロイセンは半眼になった。しかしザクセンは気にした様子もなく、手掌で彼の肩に圧をかけ、ゆっくりと動かす。
「これ痛くね?」
「ん……平気だ。って、おい、肩外す気じゃねえだろな」
「おまえじゃあるまいし、んな馬鹿力かけたりしないって。それより、ワイシャツじゃ首周りきついだろ。脱がなくてもいいから、上のほうのボタン外せよ」
「まあ、いいけどよ」
 効果があるとは思えないが、悪い気もしなかったので、プロイセンは小さくうなずいてからネクタイを解こうと左手を結び目に差し込んだ――と。
「……あ、だめだ、外せねえ」
 ネクタイの裏側に手を入れたところで、彼は止まった。
「どうした?」
「ペンダント掛けてんの忘れてた。ほら、これ。襟の下にチェーン挟んでんだ」
 結び目の下から引っ張り出されたのは、彼が昔から掛けている鉄十字のペンダントだった。ザクセンはプロイセンに示されたそれを指で摘んだ。
「おまえ、まだこれ掛けてたのか」
「当たり前だろ」
 きっぱりと答えるプロイセンに、ザクセンはふっと苦笑を漏らした。
「……ま、気持ちはわからないでもないけどさ。でも、なんで服の下に入れておかないんだ? 外に出してたら邪魔にならないか?」
 ザクセンの質問に、プロイセンは少し間を取ってから、
「このほうがシャレてていいだろ」
 白い息とともに、意味ありげにニッと口角をつり上げた。




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