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「あたたかい場所」と「耐えてこそ」の間で省略したシーンです。読まなくてもまったく問題のない幕間話です。
露普で、ベッドで何やらしています。むしろそれしかしていません(最低!)。全然たいしたことはないですが、苦手な方はご注意ください。

大丈夫!という方はスクロールどうぞ↓



























その夜のことだった



 背中が暖かい。そして、重い。
 プロイセンはシーツの上で軽く組んだ腕の上に自分の顔を埋め、夜の静寂を聞いていた。冬の深夜で、暖房はなし。防寒具もなし。けれども寒いとは感じなかった。むしろ暖かくて、ともすれば熱い。直接肌に接する、他人の体温が。そして、首から肩口にかけてあたる、湿った生ぬるい呼気が。時折耳元をかすめるそれに、彼はそのつど目を強く瞑った。顔を伏せているから相手からは見えないだろうが。
 うつ伏せになった彼の背に、ロシアは左側から斜めにかぶさるようにして、ぴとりと胸腹部をつけていた。プロイセンの肩を挟んで自分の両腕をシーツにつけ、顔を彼の右の肩甲骨に寄せる。湿気を含むやや高めの体温が皮膚に接触するのを感じるたびに、プロイセンはシーツを握る力をこっそりと強めた。両手は組んだ手の下に隠れている。ロシアは彼の背や首の後ろに唇で触れた。
「うっ……」
 気を張っているのだろうが、たまに低いうめきを漏らす。
「体、痛む? 冷えてはいないと思うけど」
「………………」
 返事はなかった。だが、反応を見れば回答の推察はつく。
 彼はプロイセンの背から肩甲帯にかけて手の平を移動させていった。触覚の閾値をほんの少し上回る程度の弱い接触を保つ。そして、そのままゆっくりと彼の胸の下に腕を指し込んだ。プロイセンが組んでいる前腕の肘近くを掴むと、手の平を先端へと滑らせ、握られている拳に辿りつく。ロシアは彼の拳を自分の手で覆いかぶせてしまうと、組んだ腕をそろそろと解かせようとした。しかし、彼の指先はシーツから離れようとしない。体幹の熱とは裏腹に、手指は血の巡りが悪いのか、ひどく冷たかった。
 ロシアが、きゅ、と握力を込めると、プロイセンはますます指を折り曲げる力を強めた。開放しても、握り締めたまま。ロシアは何度か力を入れたり緩めたりを繰り返したが、シーツの皺が鋭利になるだけだった。仕方なく、強引に手を開かせることにする。彼の指間に自分の指を這わせ、くすぐるように軽く撫でる。しばらくすると、少しだけ指が弛緩するのが感じ取れた。胸郭の動きから、息を深く吐いたのがわかる。
 ロシアはそのタイミングを狙い、彼の指の股に自身の指先を割り込ませ、そのまま彼の手の平をぐっと握った。プロイセンは冷えた指先をひくりと震わせたが、それ以上はどうにもならないと悟ったのか、ようやく拳を開く素振りを見せた。
 手を掴んだまま組んだ腕を両脇へと移動させる。プロイセンは抗わず、されるがまま、腕を開かれ体の横に放り出した。支えを失った彼の頭部がくたりとマットレスに沈んだ。同時に、浮いていた胸もぺとりとシーツに密着する。しばしそのまま固まっていたが、やがて、呼吸を確保するためだろう、顔を右に向けた。
 ロシアは彼の鼻頭に自分のそれを接近させた。そして、その距離でささやくように尋ねる
「緊張してる?」
 プロイセンはきつく閉じていたまぶたを震わせると、のろのろと持ち上げた。いくらかかすれた声でぶっきらぼうに答える。
「……さあ。自分じゃわからん」
「してるよ。いつもより」
 わかっているならわざわざ聞く必要はないだろう。プロイセンは思ったが、口にはせず、沈黙を守った。ロシアはくすりと笑うと、彼の手から自分の指を外した。そして、左手を彼の後頭部に置く。短い頭髪は、汗で少しだけしっとりと冷たくなっていた。
「きみはいつだって緊張してるよ。でも、今日は特にそれが目立つね」
 髪を梳くような要領で頭を撫でてやると、驚いたように肩が跳ねた。プロイセンはばつが悪そうに呟いた。
「……そうかよ」
「ほら、目が泳いでる」
 ロシアの手が髪に接触しているのが落ち着かない。体のほうは、熱の移動が起こらないくらい、互いの体温になじんでいるので気にならないのだが。
「わかるのかよ、真っ暗なのに」
「明かりつける?」
 ロシアがいまいちかみ合わない質問をしてきた。プロイセンは肯定も否定もせず、ただ事実について述べた。
「俺んち、あんま余裕ねえんだけど」
 電灯くらいは点くが、節制は不可欠だ。急に生活じみた発言をする彼に、ロシアは呑気に応じて見せた。
「そうだね。まあ、僕は質素な生活には慣れてるから暗くても平気だけど。寒いのは嫌いだけどね」
 そう言うと、ロシアはおもむろにプロイセンの右肩を掴み、ころりと体を反転させた。
 ロシアの下で仰向けになったプロイセンは、狭い部屋の低い天井を見つめた。暗闇に慣れて久しいので、パネルの筋まで見分けることができた。彼はちょっと現実に引き戻された気分になった。
 ――ああ、ここはベルリンだ。上司が勝手に手配したとかいう、一人用のアパートだ。多分仮住まいに過ぎないだろうが、とりあえず新しい俺の部屋だ。……俺、こんなところで何やってんだか。
 思考回路が賦活の兆しを見せた。が、彼はそれを意識的に中断した。考えるな、と胸中で唱えながら。
 ふいに、胸が重くなった。気持ちのせいではない。物理的な要因だ――つまり、これもまた、ひとつの現実というわけだ。
「おい……」
 プロイセンは頭を少しだけ浮かせると、顎を引いて目線を下に向けた。見れば、ロシアが彼の胸の上に両手を乗せ、その上に顎を預けた状態でこちらを見ている。
「やっぱ人肌ってあったかいねえ」
「そりゃそうだろ。人間は恒温動物で、常に三十六度くらいはあんだから。火のないいまの状況じゃ、いちばん暖かい物体だろ」
「冬場の倹約生活って感じかな。シベリアだと命がけだけど」
 ロシアは冗談とも本気とも着かない声音で答えると、ずいっと上方に移動してきた。プロイセンはどきりとしたが、すぐに反応できるほどの敏捷性が保たれていなかったので、そのまま距離を詰められた。鼻先五センチのところに迫った相手を見下ろして、彼はぼやいた。
「おまえが言うとリアルすぎて怖ぇ」
「うん、だって実体験だからね」
「だろうな――ん……」
 会話はそこで中断された。くぐもった声が漏れる。
 唇に触れる濡れた感触。それは内側の粘膜もくすぐった。
 上の切歯の縁をなぞるように歯茎を突付かれ、彼はゆっくりと下顎を下げた。が、そこで接触が途切れた。
 ぎりぎり焦点の合う距離まで下がったロシアが、自分の唇を舌先で舐めながら、彼のほうを見て微笑んだ。
「体表よりあったかいね。熱いくらい」
「……口ん中はわざわざ他人の熱取らなくても、自分の体温で十分だろ。外気に触れてないんだし」
「でも、しゃべったり息したりすると冷えるし」
「じゃあしゃべるな。口で息すんな。何のための無駄に高い鼻だ」
 プロイセンのもっともと言えばもっとも、乱暴と言えば乱暴な言い分に、ロシアは軽くうなずいた。
「そうだね。そうするよ」
 ロシアはその言葉を守った。プロイセンの言葉と呼吸のリズムを引き換えにして。
 小さな水音がいやに響いて聞こえる。
「う……ん……」
 声が鼻腔で共鳴して抜けていく。
 口蓋から歯茎、そして切歯の裏側を辿って、舌の先がゆるりと離れた。小声でしゃべっただけでも唇がぶつかりそうな近さでロシアが呟く。
「ん……あったかい」
 暖を求めてか、彼は再びプロイセンの唇に触れた。
 プロイセンは、循環の悪く体温の低い手指を持ち上げると、相手の背中にぴとりと当てた。冷たいよ。熱っぽい呼気を使ってロシアがぼやく。プロイセンは、俺は手が寒ぃんだよ、と彼の背に腕を巻きつけた。
 熱を奪い奪われながら、冷え切った夜の空間をやり過ごした。互いの体温が同化するまで。




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