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その年のクリスマス 夜


 冷え込みの中でも街がにぎわいを見せているだろう刻限に、ふたりは居間のソファに並んでいた。といっても、姿勢を崩したプロイセンが三分の二をしめている有様で、ドイツは残りの三分の一ほどのスペースに大きな図体を押し込めている。明度を落とした照明の下、テレビ画面が床をさまざまな色に照らし出す。プロイセンは特に見たい番組がないようで、先ほどから忙しなくチャンネルを変えているが、結局定番のニュースに落ち着いた。アナウンサーが各地のクリスマス模様を伝えるのを視聴しながら、プロイセンは諦めの心境でぼそりと呟いた。
「うー、結局ほんとに何にもしないで一日終わっちまったなあ」
「悪くはないだろう、こういう過ごし方も。たまにはゆっくりしたいものだ」
 プロイセンはドイツの言葉を否定はしなかったが、それでも少々納得がいかないのか、つまらなそうな表情を浮かべると、肘掛けに背をつけてソファに仰向けに寝そべった。脚を乗り上げさせ、断りもなくドイツの膝の上に預ける。ドイツはちょっと迷惑そうに顔をしかめたが、そのままプロイセンのフットレストになってやった。プロイセンはドイツの太股を踵で軽く突付くと、再び愚痴っぽく口を開いた。
「確かにのんびりもいいもんだけどよー、風邪と忙しさにかまけて結局クリスマスマーケット行けずじまいだったのがやっぱ悔やまれるぜ」
 と、ドイツが意外そうに目をしばたたかせた。
「一度も行かなかったのか?」
「そりゃ、それどころじゃなかったし。そう言うおまえは行ったのかよ」
「何度か足を運んだぞ。今日ではないが」
 ドイツが当たり前のように答えると、プロイセンは途端にヒステリックな声を上げながら、唐突に上半身を起こした。
「え! うっそ、ずるい! なんで誘わなかったんだよ!」
 プロイセンに詰め寄られたドイツは、不可抗力だというように首を緩く左右に振った。
「一応何回か電話したぞ、おまえのアパートに。でも全然つながらなかったんだ」
「ヴェ、ヴェストの馬鹿ぁ! 自分だけ楽しみやがって!」
 実に悔しそうな声と表情で叫ぶと、プロイセンは八つ当たりにドイツの襟首を両手で掴んでがくがくと揺さぶった。ドイツは、ああ、これくらいの力なら本気で締め上げられることはないな、と長年のつき合いによる経験からそうアタリをつけ、落ち着いた口調で答えた。
「ふむ……そうだな、それなりに楽しかったが、おまえほどひとりを満喫することはできなかったように思う」
「何の嫌味だそれぇぇぇぇ!」
 ドイツの返答に煽られたプロイセンは、ますます激しく彼の首を揺さぶった。容赦なく掴みかかって絡んでくるプロイセンに懐かしさを感じつつ、あまり脳みそをシェイクされると気分が悪くなりそうだったので、ドイツは適度なところでするりと彼の手から逃れた。
「まあ……今年は残念だったが、どのみち今日はあと数時間で終わってしまうことだし、また来年ということでどうだろう」
 ドイツが提案すると、プロイセンがぴたりと動きを止めた。それに伴い、ドイツの頭の揺れも止まる。数秒の短い逡巡のあと、彼はドイツの服からぱっと手を離した。
「ちっ……仕方ねえな。じゃ、来年は絶対だぞ。約束だかんな」
「ああ、約束する。なんなら文書に残すか?」
「いい。おまえが覚えてりゃいいだけの話だ」
 存外あっさり引き下がったプロイセンに、おまえは覚えておく気はないのか、とドイツは思わないではなかったが、彼が忘れる可能性は低そうだったので、突っ込むことはしなかった。もっともドイツとて、念を押されずとも忘れない心積もりなのだけど。
 今年のクリスマスマーケットへの未練は断ち切れたのか、プロイセンは再びソファに転がると、期待をにじませた面持ちでドイツに視線をくれた。
「なあ、酒は? ワインねえの? 俺、持ってきたと思うんだけど」
「飲みたいのか?」
「そりゃそのために持ってきたんだから、当然だろ」
 にやにやと笑みを浮かべるプロイセン。あからさまにドイツに対して催促をしている。ドイツはやれやれと苦笑を漏らすと、
「わかった。つくってくる」
 ソファから腰を上げ、再度キッチンへと向かって行った。今度はエプロンなしで。
 十分ほどすると、ドイツが湯気の立ち上る陶器のカップふたつとシュトレンの皿を載せたトレイを携えて戻ってきた。それを見たプロイセンは、目を輝かせてソファから跳ね起きた。
「お、できたか。ん? シュトレンも一緒か。気が利くな」
 プレゼントを喜ぶ子供のように、プロイセンは両手を広げてドイツの帰りを歓迎した。
「熱いぞ。こぼさないように」
「おう」
 プロイセンは嬉しそうににかっと笑うと、いそいそとドイツからカップを受け取った。温められたワインから上る芳香に鼻を近づけるが、やはりそれらを楽しむことはできなかった。それでも、湯気の湿り気から雰囲気を感じることはできた。
「どうした、飲まないのか?」
 カップに顔を近づけるだけで口をつけようとしないプロイセンに、ドイツが不思議そうに首を傾げた。プロイセンはソファの上を横に移動すると、
「まずは座れよ」
 と言ってドイツを促した。彼が腰を下ろし、カップを手に取ったところでプロイセンはドイツお手製のグリューワインを傾けた。
「ん〜、やっぱこれがないとなー!」
 一口楽しむと、プロイセンはご満悦といった表情を浮かべた。
「飲みすぎるなよ。一杯だけだぞ」
「えー、けちー! あったまるからいいじゃん」
「適量ならな」
 おもしろくなさそうに唇を尖らせるプロイセンだったが、健康管理についてはドイツは甘く見てくれそうにはなかった。とはいえ、もともとビールほど大量には摂取しないので、それほど大きな不満はなさそうだった。
 温かいワインを一口ずつ味わう合間に、プロイセンがぽつりと話しかけてきた。
「なんかさ」
「なんだ?」
 プロイセンは口元にカップの縁を寄せたまま、静かな声で続けた。
「なんか、いまになって実感湧いてきた。こうしておまえと自由に会って、話せるようになったんだな、って」
 感慨深そうに語る彼の顔には、あまりお目にかかったことのない穏やかさが差していた。珍しい表情に、ドイツは逆に落ち着かない心地になった。輪郭を縁取る線が、心なしか細くなったように感じられて。
「……そうだな。話し合って日程決めて実際に手続き踏んで……と、まあ兎にも角にも立て込んでいたからな」
「まだ問題山積みだけど、とりあえず一段落ついてよかったぜ」
「ああ。本当によかった」
「なら、もっと嬉しそうな顔しろよ」
「十分喜んでいる。というか、ほっとしている。こうしておまえとの関係を戻せて」
 そう答えたドイツは、相変わらずむっつりと気難しそうに見えたけれど――
「みてえだな。おまえ、見かけによらず表情読みやすいもんな」
 プロイセンはドイツの言葉が真であることをすぐに悟り、へっと笑って見せた。
 それから、ただ静かに心穏やかにともにいられる時間が再びふたりの間に訪れたことが嬉しくて、無目的に時を過ごした。しばらくぼんやりとニュースを眺めていると、プロイセンのまぶたがうとうとと下がり出し、ドイツは肘掛けの横につくねてあったブランケットを引きよせ、プロイセンの体に掛けてやった。
「疲れが溜まっているか。風邪も長引いていることだし、あまり無茶はしないでくれ」
「ん……いまは平気だ」
 プロイセンは目をこすると、心配するなと示すように姿勢を正そうとしたが、力が入らず背もたれに沈んでしまった。
「お、おい?」
「うー……なんか酔ったかな。まだ半分残ってんのに」
 眠そうに呟きながら、テーブルの上のトレイに置いたカップを見下ろす。飲みかけのワインは幾分冷めてしまっているだろう。
「大丈夫か? 気持ち悪くなったか?」
 プロイセンの頬は紅潮するどころか、むしろ病的に白かった。気を揉んであれこれ世話をしようとするドイツに、プロイセンが微苦笑する。
「心配すんな。大丈夫だよ。むしろいい気分だ。でも、前はもっと飲めたのによ。もっとぐいぐいいきてー」
「それは治ってからだ」
「それ、当分無理ってことじゃねえか。あーあ、せっかくおまえとまた、酒場で騒げると思ったのによぉ」
 残念そうなプロイセンの声。何気なく漏らした言葉だが、ドイツは思うところがあるらしく、しばし意味ありげな沈黙に陥った。
「どうした?」
 プロイセンが目をぱちくりさせると、ドイツはためらいがちに話しはじめた。
「……はじめて俺と酒を飲んだ日のことを覚えているか」
「おう。忘れもしねえ。おまえ酒癖悪くて大変だったもん」
「まあ……その話は置いておいて」
 絶対にその話題が出てくると思ったから切り出しにくかったんだ。
 胸中でぼやきつつ、ドイツは咳払いをした。その話はやめにしよう、というように。当時の思い出を克明に記憶し、ドイツの心境が手に取るようにわかるプロイセンは、意地の悪い笑みとともに言った。
「なんだよ、おもしろいのに」
「俺はおもしろくない。だいたい、俺の恥ずかしい思い出ならいままでだって散々語り倒しただろうが。まだ足りないのか」
「もちろん。何回思い出してもいまだに笑えるもん。めっちゃ鮮明に覚えてるしよぉ……くくくっ、だめだ、思い出し笑いが……」
「おまえ性格悪いぞ」
「何を言う。それだけ俺がおまえを見ていたっていう証拠だろうが。俺の愛の深さを知れ」
「深すぎてたまに溺死しそうだ」
 はあ、と盛大なため息をつくドイツ。しかし、何にいちばんため息をつきたいかと言えば、プロイセンの口から繰り出される言葉に内心ひどく喜んでいる自分だ。ドイツは、まだわずかにワインの残る自分のカップを手に取ると、静かなトーンで改めて話し出した。
「俺を飲みに誘いに来たとき、おまえはすでにほろ酔いだったから覚えていないかもしれないが……酒場のカウンターに並んで座った俺にこう言ったんだ、『おまえと飲み交わすのがささやかな夢だったんだ』と。おまえに大人だと認めてもらえたように感じて、俺はとても嬉しかった」
 室内灯の光を反射する水面を見下ろしながら、ドイツが微笑を浮かべた。すっかり大人の横顔になったドイツを前に、プロイセンは喜びとともに一抹の寂寥が胸に落ちるのを感じた。彼はおもむろに腕を伸ばすと、ドイツの髪をくしゃりと撫でた。昔と変わらない仕種で。
「……覚えてるさ。ずっと、おまえとそうする日を思い描いてたんだからよ。忘れるはずがない。俺も嬉しかった。ちょっと寂しかったけど」
「寂しい? なぜ?」
「さあ、なんでだろな」
 怪訝な面持ちのドイツに対し、プロイセンは曖昧に答えを濁すと、自分のカップを掴んで唇につけた。一口だけ含んでみたが、これ以上は飲めないと判断し、すぐにカップをトレイに戻した。彼は毛布を肩まで引き上げると、ドイツのほうへ身を寄せた。
「……またおまえと飲み交わせるように、なるよな」
 珍しく気弱な声。長引く不調で不安が募っているのかもしれない。そうでなくても、具合の悪いときというのは何かと心細いものだ。
 彼の言葉に、ドイツは肯定も否定もしかねた。先の見通しはまだまだ不透明で――正直なところ、彼が今後どこへ身を落ち着けることになるのか、どうなってしまうのか、誰にもわからないのが現状だ。ドイツにもまた、不安な気持ちはあった。けれどもそれを表に出すことはせず、しっかりとした声音で答える。
「俺はそうしたいと思っている」
「ん……そうだな。俺もだ。またいつか……」
 プロイセンは気だるそうな声で中途半端に返すと、甘えるようにこてんとドイツに寄り掛かった。そして、彼には不似合いな静寂のうちに眠りの闇へと落ちていこうとした。
「寝るなら寝室へ上がったほうがいい。毛布一枚では冷える」
 ドイツはプロイセンが完全に眠り込む前に声を掛けた。が、プロイセンはいやいやをするように首を小さく左右に振ると、
「ここがいい……おまえ、あったかいもん」
 暖を取るためにますますドイツの体に引っ付いてきた。
「おい――」
「さむいの、やだ……やなゆめ、みそう……」
 舌足らずにそれだけ言い残すと、プロイセンは本格的な眠りに入っていった。
 昨晩の出来事が脳裏によみがえったドイツは、彼を起こそうとする手をぴたりと止めた。いや、止まった。
 しばらく固まったあと、うつむき加減の彼の顔をそろそろと覗き込む。高熱とよくない夢にうかされたゆうべの苦悶はどこにもなく、安らかな寝顔があるだけだった。ドイツはほっと息を吐くと、彼を起こしてしまわないよう注意しながらブランケットを掛けなおしてやると、自分もまたソファに背を沈めた。
 そうして、彼の少し高い体温を肩や腕に感じながら、残りわずかなクリスマスの夜を静かに過ごした。今夜は彼が平穏な眠りに包まれんことを祈って。




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