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露普過去話です。
直接的な表現はありませんが、普と露がベッドでいちゃいちゃしていますのでお気をつけください。むしろいちゃいちゃしかしていません。





冬の日の朝


 肌寒さ――よりももっと染み入るよう な冷たさに意識が引き上げるのを感じながら、彼は覚醒を迎えた。
「ん……」
 間の抜けた声を小さく上げ、うっすらと目を開く。あたりはまだ暗い。とはいえ、夜中であるとは限らないだろう。いまの時期、モスクワの朝は遅く寒い。彼 はぼんやりと視線を動かすと、冷たさを感じた部位を視覚的に同定した。自分の右肩から先が布団の外に飛び出しているのが映る。外界から遮断された室内は空 調が利かされ、冬の気候がもたらす凍える寒さとは無縁だったが、それでも体温によって暖められた布団の下に比べれば冷たい。彼は冷えた右腕を引っ込める と、暖めるように左手で何度も擦った。そうこうしているうちに次第に眠気が遠のいていく。
「うー……起きるには早いが、二度寝するには微妙だな」
 無造作に後頭部を掻きながらむくりと起き上がる。布団が落ち、肩や胸を冷感が襲う。軽く鳥肌の立った剥き出しの上半身を見下ろした彼は、やれやれとため 息をついた。そして、おそらく床に落ちているであろう服を探して視線を落とす。と、ふいに腕をぐいと掴まれる。反射的に振り返ると、布団の端からちょこん とはみ出した金髪と、その下から覗く双眸と目が合った。
 おはよう、とでも言っておくのがいいだろうか。彼が一瞬迷っている間に、相手のほうから朝の挨拶が発せられた。
「おはよう」
「……おう」
 プロイセンは起き抜けのローテンションがそのまま反映された低い声でぶっきらぼうに返した。自分の手首を掴んでいる手を見ながら。
「腕、また外に出てた? 冷えちゃってる。きみって微妙に寝相悪いよね」
 言いながら、ロシアはプロイセンの冷えた右腕を自分の掌で包み込んだ。体温が低下し、血の巡りの悪くなった彼の腕を自らの体温で暖めるように。相手の熱 が移ることで、少しずつ体温が戻ってくる。それに伴い、ぴりぴりと痺れた感覚が腕全体を覆う。痺れの不快感から逃れるように、プロイセンはロシアの手を軽 く振り解いた。腕はあっさりと解放された。
「もう起きる?」
「いまから二度寝したら、仕事に出るのが嫌になる」
 答えたあとで一度大きなあくびをすると、プロイセンは腕を上方に突き出して手を組み伸びをした。そうしてから、改めて衣類を回収しようと片腕を床に伸ば す――と。
「そこ、まだ痛むの?」
 シャツを掴んだとき、唐突に尋ねられ、彼はきょとんとして目をしばたたかせた。
「は?」
 そこって、どこだよ。
 目線でそう問い返すと、ロシアは立てた人差し指でプロイセンの背中の一部分を示した。そこにはちょうど、プロイセン自信の右手が当てられていた。彼は不 思議そうに自身の手を見下ろした。ロシアに指摘されるまで、自分が背中を押さえていることなどまったく意識していなかった。
 ロシアは、小首を傾げているプロイセンの背に指先を滑らせた。背骨のわずかな窪みから少し横に逸れた、肋骨の付け根のある位置。その一番下を指の腹で撫 でながらロシアが言う。
「ここの、肋骨のとこ。布団がめくれちゃってたのかな、背中のほうまで少し冷えてる。それとも血の巡りが悪いとか? 大怪我したんでしょ、昔」
 プロイセンは、そう問われてはじめて思い出したというような声音でうなずいた。
「ああ、ここか。そういや古傷があったな。モスクワの寒さが身にしみたのかねえ。久しく痛むことなんざなかったのに」
 意識すると、確かにそこは小さな疼きをもっていた。痛むといってもたいしたことはなく、違和感として認識される程度のものだ。完全に忘れていた古傷の記 憶がふいによみがえってきて、我知らず苦笑がこぼれる。そうだ、そんな傷もあったんだったな……。
 奇妙な感傷が胸に到来したが、浸れるほど大きくもなければ深くもなかった。ただほんの少し、唇の端がゆがんだ。それだけのことだった。
 ロシアはしばし彼の横顔を眺めていたが、やがて遠慮がちなトーンで、
「……きみって、痛いのが好きな人?」
 脈絡のない問いをかましてきた。そのデリカシーのなさは一瞬にしてプロイセンの胸中に立ち込めた霧のような何かを消し去った。
 プロイセンは露骨に眉をしかめると、呆れた声で言った。
「朝っぱらから何とんちんかんな質問かましてくるんだおまえは。俺はマゾじゃねえよ」
 それでも律儀に質問への返答はするプロイセンに、ロシアはふふっと小さく笑って見せた。
「まあそうだとは思うけど、でも、なんかさっき、ちょっと嬉しそうだったから」
「嬉しそう、だぁ?」
「うん、傷が痛むって言ってたとき。ちょっとだけ、ね」
 ロシアの指摘に、プロイセンは何も返そうとはしなかった。ただ考え込むように複雑そうな表情でうつむくだけで。逸らされた視線を追うことはせず、ロシア は続けた。
「まあ、そう不思議な話でもないかな。消えたように見える傷も、きみという存在の中には確かに残っているんだから。きみが自分自身を忘れ去らないのと同様 に」
「はっ、俺に懐古趣味はないぜ」
 プロイセンは目を閉じると、安っぽく鼻で笑った。閉ざされた瞳にはどんな色が浮かんでいるのだろうか。
「きみはいつもそうやって過去を封じ込めようとするね。思い出が懐かしくなることはないのかな」
「大なり小なり懐かしさを帯びる記憶を思い出と呼ぶんだろ」
 抽象的な言葉でもって答えるプロイセンに、ロシアは苦笑じみた息を漏らした。
「きみって、答えにくいことがあると変に一般論化したがる癖があるよね」
「……うるせぇやつだな」
 呟くと、プロイセンはおもむろに上体を傾け、ロシアに顔を近づけた。朝っぱらからよくしゃべる口を間近にとらえる。
 音はない。しかし確かな熱が触れ合う。
 無音に近い静寂がほんの数秒落ちたあと、ロシアは相手の体温からわずかに距離を取ると、呆れた笑みをこぼした。
「キスでごまかす癖もついちゃったみたいだね」
 プロイセンは一瞬不機嫌そうに眉をしかめたが、
「そう思うんなら、素直に応じておくのが甲斐性ってもんだぜ?」
 下手な弁明はせず、むしろ開き直ったようにそう告げると、再び相手の唇を食んだ。何も考えず、ただそこにある感触に集中する。慣れて久しい感覚は、どこ か気楽だった。思考を意識から締め出すように、彼はひたすら相手の熱を追った。
 しばし熱と湿った感覚に没頭していたが、やがてロシアが少しだけ顎を引いた。
「んっ……きみのキスってなんでこう動物的なのかな」
 つい、とロシアの親指がプロイセンの濡れた下唇をなぞる。
「動物は普通こんなことしないと思うが」
「まあそうだけど。でも、きみのやり方ってなんかキスって言うかむしろ捕食って感じがするんだよね。なんだか食べられてるような気分になるよ」
「はん。動物は賢いから、こんな毒気の強いもん食ったりしねえよ」
 プロイセンは皮肉っぽく半眼になると、舌先を覗かせ、わざとらしく舌なめずりをして見せた。自分の唇と一緒くたに、相手の親指も舐め、そしてぱくりとく わえた。一瞬後、彼はその指をぺっと吐き出すと、自嘲気味にぼやいた。
「あーやだやだ、馬鹿と一緒にいすぎたせいか、俺もすっかり馬鹿になっちまったもんだ」
 腕を枕辺につくと、再び体を布団の中に潜らせる。そうして横向きになってから、彼は明確な意図をもって相手の背に腕をかけた。相手もまた同じように腕を 伸ばしてくる。
 外気に触れたやや体温の下がった表皮に、別の人間の体温がじわりと染み込んでくる感覚がかすかな痺れをもたらす。が、不快ではなかった。
 しばし言葉を交わすことなくただ熱のありかを求めていたが、ロシアの指が再度プロイセンの胸椎をなぞったとき、脈絡のない質問が飛んできた。
「ねえ、痛くしてもいい?」
 プロイセンは一瞬目をぱちくりさせたあと、露骨に眉根を寄せた。もっとも、この視界の明度では表情などろくに伝わらないだろうが。第一、伝えるには彼ら の距離はあまりに近すぎた。
「あん? おまえ、俺の話聞いてなかったのか。マゾじゃねえって言っただろ」
「うん、聞いてたよ。だからなおさら」
 さらりと答えるロシア。プロイセンは布団の中で身を捩った。が、特に意味はなかったようで、抜け出す気配はない。
「何気持ちの悪いことぬかしてんだてめえは」
「たいした怪我はさせないから大丈夫だよ〜」
「それ、ちょっとは怪我させるつもりだっつーことだろ」
 冗談じゃねえぞ、とぼやくプロイセンにはお構いなしに、ロシアは彼の背に爪を立てた。
「ほんとたいしたことしないって。このくらい――」
「んっ!」
 痛みに至るほどの強さではなかったが、唐突な感覚にプロイセンは思わず喉の奥で奇妙な音を漏らした。

*****

 遠かったはずの朝日の足音が間近に迫ってきた頃、プロイセンはむくりと体を起こした。今度こそ本当に起床するために。勢いよく布団から抜け出たが、思っ たほど外気は冷たくなく、鳥肌は立たなかった。
 早起きしてもこれじゃ意味ないよな、と自分自身に呆れつつ、彼はシャツを拾い上げた。気休め程度に皺を正しながら、反対側で同じく着替え中の相手を肩越 しにちらりと見やる。
「結局何がしたかったんだおまえは」
 たいして痛いわけではなかったが、プロイセンはなんとなく背中を押さえた。ロシアは非難がましい彼の視線を無視すると、
「さあ……なんだ……ろう? マンネリ防止とか? こういう努力も必要かなって」
 自分の行動の意味や理由をいまいち理解していないのか、不思議そうに肩をすくめた。
「そんなわけのわからん努力はいらん」
「いいじゃない、たまには」
 ふふ、とお決まりの笑みが漏れる。
 どこがどういうふうにいいと言うんだ、とプロイセンは胸中でぼやきつつ、シャツの袖に腕を通した。と、袖口から手首が覗いたとき、その内側に見慣れない 色を見つけて目を留めた。赤っぽい小さなそれを、プロイセンは思わずしげしげと眺めてしまった。
 珍しい。本当に、いったい何のつもりだったのか。
 先ほどと同じような疑問が胸裏に湧く。が、もう一度尋ねる気にはならず(どうせ返ってくるのは変わり映えのない答えだろう)、彼はさっさと身支度を整え ることにした。




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