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「説得、交渉、そして最終手段」からつながる話で、EUサイドです。
ちょっと独仏/仏独っぽいかもしれません。





直前連絡



 開催日の二日前、最終調整のためにブリュッセルを訪れたドイツは、一足先に会場入りをしていたフランスと顔を合わせた。これから会議終了までは多忙が途切れることがないだろう。フランスは気合を入れる意味を込めてか、長めの髪を後ろで束ねていた。
「よー、ドイツ、遅かったじゃねえか。さっそくだが手伝え。機材運ぶの」
 フランスは廊下で遭遇して早々、ドイツの襟首を引っ張って倉庫に連れて行くと、映像や音響装置など、重量のある機器を次々に渡してきた。しかしドイツは、頭のてっぺんを超える高さに詰まれた機材を胸の前に抱えて平然と立っている。フランスはちょっとおもしろくなさそうに唇を曲げたあと、ドイツが抱えているのと同じくらいの量の機材を棚から一気に持ち上げようとする。
「おい、無理はするな。一度に運ぶ必要はないぞ。落として壊したらどうする。経理にどやされるぞ」
 足元が微妙によろめいているフランスに、ドイツが忠告する。AV機器は得てして高価なものなのだ、うっかり故障させられてはたまらない。が、フランスはなんとかバランスを整えると、ドイツに率先して倉庫を出た。
「おまえより運搬量が少ないのは癪なの」
「だったら俺にこんなに渡さなければいいだろう」
「持てるだけ持ったほうが効率いいじゃん」
「ならおまえも持てるだけ持てばいい話だ。逆に言うと、キャパ超えはするな。かえって能率が悪くなるからな」
「おまえ、何気に俺を馬鹿にしてるだろ」
 並んで廊下を歩きながら、フランスがじと目でドイツを見やる。
「イタリアの倍は運べていると思うが」
「ここでイタリア引き合いに出されてもなあ……」
 フランスがぼやくと、ドイツは思い出したように彼に尋ねた。
「というか、あいつはまだ来ていないのか」
 準備要員としては期待していないが、姿が見えないことに気づくと、遅刻が心配になってくる。ちょっとやきもきしつつ、エレベーターの前に着いたので、ドアの前で立ち止まる。
 フランスは首を傾げつつ、まあ本番は明後日なんだしまだ焦ることないじゃん、と前置きして、
「どうだっけな? 俺は見てないけど。ま、来てるにしても、いまシエスタの時間じゃん? どこにいたって結局寝てるだろ」
「……だな」
 ドイツのため息とともに、エレベーターが到着する音が響いた。
 階下に移動し、機器の設置をしつつ、並行して打ち合わせも行う。出席者の現地入り時間についての話題になったとき、
「あ、そういえばロシアのやつ、オブザーバーをひとり連れて来るっつってたけど、いったい誰なんだろうな」
 今度はロシアも来るんだよなー、とフランスが平生にはないちょっとした気負いを覗かせながら呟いた。配線作業をしていたドイツが顔を上げる。
「確認していないのか?」
 人事関係の担当はおまえだろうが。ドイツが眉をしかめる。
 フランスはコードを束ねているプラスチックの紐を解き、ドイツに渡した。
「いや、聞くには聞いたけど、その時点じゃまだ本人に了承得てないから保留だってことになったんだよ。結局いまだに保留状態なんだが」
「それは……だめだろう、いろいろと。会議は二日後だぞ」
 ドイツが気難しい顔でうなる。対照的にフランスは軽い調子だ。
「まあロシアだしなあ。んー、けど、誰が来るんだろな。ベラルーシか? あの氷の美人、見るだけならほんとたまんないんだけどなあ、見るだけなら」
 本人たちがいないのをいいことに、ベラルーシの美貌を想像してっちょっぴり息巻く。一方ドイツは真剣な表情で、床に取り付けたコードの上にカバーを掛けている。転倒防止の措置だ。引っかかって転びそうなメンツが自然と思い浮かぶ。張り付いたコードを追って、床に膝をつけたまま、部屋から廊下へと移動する。
「いや、彼女は独立国だから、そういったかたちで同伴はしないだろう。ロシアだって彼女をそのように扱ったりはしないはずだ。来るとしたら連邦内の誰かじゃないか? CISの成立で大分減ったが、それでもいまだにけっこうな大所帯だからな、あそこは。正直顔と名前が一致しないやつほうが多いが。ロシア以外はあまり出て来ないことだし」
 妥当というか普通の受け答えをする彼に、フランスが軽くこめかみを押さえる。そういった回答がほしかったわけではないのだが。
「相変わらず生真面目な返答をどうも……。おまえ、ほんとユーモアってもんを理解してねえよな」
 そんなもんをおまえに求めるのは酷だったか。フランスは呆れて肩をすくめた。ドイツはきょとんとして彼を見た。
「そうだろうか?」
「そうだよ。まあ、おまえらしいっちゃらしいが」
 はあ、と苦笑とともに息を吐く。と、コンコン、と乾いた音が短く響いた。
 音源を探索すると、窓のほうへ顔が向いた。二段組になっている廊下の窓、その上部を見上げると、外側に一話の小鳥が羽ばたいていた。
「あれ、俺に用事かぁ?」
 フランスが下段の窓を開けてやると、小鳥は彼のほうへ降りてきた。
「ピエールか。何号なのかさっぱりだが」
 作業の手を止め、ドイツが立ち上がる。フランスは人差し指に留まらせたピエールから通信を受け取る。
「ん?……ロシアからだ」
 ピエールにご苦労さんと告げて空に返してから、手紙をごそごそと開く。ペーパーレス会議を行う時代に伝書鳩からの通信。なんともミスマッチな光景である。
「お、噂をすれば……」
「会議の件か?」
 窓辺に寄ってきたドイツに、フランスが肩越しに振り返る。
「ああ。オブザーバーの件、よろしくだってさ」
「もちろんその準備はするが……具体的には誰なんだ? 連絡を寄越したということは、決定はしているのだろう」
「ん、ちょっと待て、なになに……え?」
 文面を読み進めたフランスが、ぴたりと止まる。斜め後ろから彼の眉がゆがんだのが見てとれた。ドイツは怪訝に思って尋ねる。
「どうした?」
「え、あ……これって……」
「なんだ」
 話しかけるドイツの声に気が向かないのか、フランスは手紙に視線を落としたまま、ぶつぶつと独り言のように言う。
「いや……なんつーか、確かにこいつが出席ってのは、明後日の議題を考えれば納得がいくけど……でも……」
 耳を貸さないフランスに焦れ、ドイツは彼の肩を軽く掴んで注意を引いた。
「おい。なんと書いてあるんだ? さっきから一人劇場を繰り広げて」
 フランスは指先に挟んだ手紙をドイツの肩口につけると、しばしの逡巡のあと、口を開いた。
「……連れてくるの、カリーニングラードだってさ」
「……なんだと?」
 告げられた固有名詞にドイツが目を見張る。知らない地名ではない。むしろ浅からぬ関係がある。彼は皺くちゃの紙を伸ばしながら、フランス語で書かれた文章を読んだ。そこには確かに、いましがたフランスが言った地名が綴られていた。まばたきも忘れている様子のドイツに、フランスが話しかける。
「あそこにも俺たちみたいなやついたんだな、全然知らなかったぜ。今度議題に上る割にゃ、ずっと隔絶されてたせいで全然事情わかってねえんだよなー、あそこ。おまえ、顔くらい知ってるか?」
 フランスの質問に、ドイツは数秒遅れて反応した。
「いや、知らないが」
「へえ、おまえでもわかんないのか」
「なぜ俺が知っていると思うんだ。ロシア――ソビエトの閉鎖都市だったところだぞ。潜り込むような無茶な真似をするはずないだろう」
「や、そうじゃなくてさ。元はおまえんちだったから、もしかしたらなんか知ってんじゃないかと思っただけだよ」
 ドイツから返された手紙を胸ポケットにしまいながら、フランスが答える。
「見当もつかないな。あそこはまともな情報がなさすぎる」
 ドイツは首を横に振った。
「まあそれもそうか。しかし、どんなやつなのかねえ。プロイセンの後継者みたいな感じだったりして?」
 久しぶりにその名前を口にした気がして、フランスは自分で言ってから、ちょっと懐かしい気分になった。が、ノスタルジーも数秒のことだった。背後の嫌な沈黙を察知して、彼は恐る恐る振り向いた。もしかしたら地雷だっただろうか。
 フランスの挙動不審に気づいたドイツは、はっとしてかぶりを振った。
「……いや、それはないだろう。あそこはすでにロシア人の街になっている。プロイセンの街並はもうないはずだ」
 存外しっかりした声音で、しかし遠い目をする。
 その横顔を眺めながら、フランスがぽつりと呟く。
「おーおー、寂しそうな顔しちゃってまあ……」
 フランスはふっと息をつくと、気を取り直すように明るいトーンをつくり、
「よーし、ドイツ、なんならお兄さんが慰めてやろーかぁ?」
 景気づけとばかりにドイツの背をバンバンと叩いた。
「いまなら大サービスで優しくしちゃうぞ」
 などと言いながら、実際には締め技でも仕掛けるような乱暴さで相手の首に腕を絡み付ける。うりうり、と軽く締め付けると、ドイツから思わぬ返事が返ってきた。
「ふむ、たまにはそういうのもいいかもしれない」
「へっ!?」
 想定外の反応に、フランスのほうがうろたえる。やばい、ドイツがおかしくなった。会議前にどうすんだ。
 本気でちょっぴり青くなっているフランスに、ドイツがあっさり言う。
「冗談だ」
 不思議そうに首を傾けるドイツ。フランスはほっとしながらも、まだ引かない冷たい汗を拭う。
「冗談っておまえ……キャラ違うだろ」
「先ほどおまえが指摘しただろうが、ユーモアに欠ける、と」
 なるほど。さっそくユーモアに取り組む努力をしたらしい。その迅速な対応に、やっぱ無駄に真面目だな……と呆れつつ、だったらタイミングも考慮しろ、とフランスは胸中で毒づいた。
「あ、あはは……冗談を冗談で返してくれたってわけね。やるじゃねえの、ドイツのくせに。はん、意外に大丈夫そうじゃん」
 ごまかすように笑いながら、ドイツの背をもう一度パンと叩いた。
「ああ。だから、気を遣う必要はない。慣れたさ。もう半世紀以上経つんだ」
 元気付けるようなそれに応えるように、ドイツはフランスの肩にぽんと手を置いてから、準備作業を続けるために会場に戻っていった。
 フランスは窓を背に立ったまま、長身の彼の背を眺めた。
「……まだ半世紀、だろーが」
 慣れた――何に?
 発せられなかった問いには、当然、答える者などいなかった。




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