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第一印象はよくなかったが、第二印象はもっと悪くなった


 すっかり教育モードらしいプロイセンは再び屈み込むと、
「ちょっと緩いか? 背中に密着してないな」
 連れの少年のナップザックを降ろさせ、ショルダーベルトを調節しはじめた。背を丸めてちまちまと手先を動かしている男に、少年がおもむろに手を伸ばした。
「俺が調整する。そのほうが感覚がわかる」
 彼はプロイセンの手からショルダーベルトを受け取ると、金具と結び目をいじって長さを縮めた。
「おー、器用じゃん」
「別に難しくないが」
 ぽん、と頭に置かれたプロイセンの手の平を少年は目線だけで見やった。子供らしくない冷めた表情が印象的な少年だったが、淡白な言葉に比し、そのまなざしは硬くはなかった。
 傍観者――というよりすっかり除け者のフランスは、実際の距離はともかく心理的には遠巻きで彼らを眺めながらいよいよ首をひねった。
「なあ」
「あん? なんだフランス、まだいたのかよ」
 プロイセンが心底邪魔そうな声音とともに肩越しに振り返る。フランスはベンチから立ち上がると、彼の横まで移動し、同じようにその場にしゃがみこんだ。そして、眼前に立つ少年を指差した。
「でさ、正味な話、このがきんちょ、何者なわけ?」
「ん? 結論は出たんじゃなかったのか?」
 彼らは、並べた肩がいまにも引っ付きそうな近さで視線をばちりと合わせた。少年はというと、さすがに大人ふたりの頭が自分の目の高さにあるのは落ち着かないようで、ふいっとそっぽを向いてしまった。それに気づいたフランスは、子供の横顔を凝視する。その注視に少年は居心地悪そうに身じろいだが、やはり顔は背けたままだ。
「いやあ……いくらなんでも嘘だろ? おまえの息子だってのは」
「ならなんだと思うんだよ」
 プロイセンは愉快そうに尋ねた。正解を言いたくてたまらない、でももうちょっと焦らしてやりたい、そんな子供じみたアンビバレンスを交えて。目の前の本物の子供より、彼のほうがよほど少年くさい。フランスは内心呆れたが、自身の好奇心のほうが勝り、いましばらく相手に付き合うことにした。
「えー……弟? それか新しい親戚。おまえんとこ、いっぱいいるからひとりくらい増えてもわかんねーよ」
 フランスが妥当そうな線で推測を述べると、プロイセンは一度目を伏せ、吊り上げた口角からふっと息を吐いた。呼気とともにわずかに流れる音声は、どこか喜悦の色が見えるようだった。
「……だとさ。どうやらおまえと俺は他人には見えねえらしいぜ、ドイツ?」
「それはそうだろう」
 プロイセンの言葉に、少年――ドイツはこくりと首を縦に振りながら答えた。
 その反応があまりにもあっさりさっぱりしすぎていたため、フランスは狐につままれたようにきょとんとした。数度まばたきしてから、わななく口をなんとか制御して音をつくる。
「なんだって?」
「何が」
「いや、そいつ……ドイツって」
「ああ。こいつの名前」
 プロイセンはドイツをぴっと指差すと、ひどくあっさりと言ってのけた。そう呼称するのが自明の理だというように、至極当たり前の調子で。
 対照的にフランスは、眉根を思い切りしかめて疑念を隠さない。
「ドイツ……だぁ?」
「そのように呼ばれている」
 答えたのは少年だった。青の双眸が、フランスの不審そうな表情をとらえている。フランスはまだ眉間の縦皺を維持したまま、首をプロイセンのほうへ向けた。同じく青い瞳がどこか挑戦的な光を宿している。
「いや、でも、ドイツって国は……」
「いずれ嫌でも知るようになるだろうよ、フランス、その身をもってな」
 聞き捨てならない発言に、フランスは目つきを険しくした。
「プロイセン……」
「俺がそうする」
 プロイセンがきっぱりとした口調で言った。フランスではなく、ドイツのほうを見て。彼の視線を一身に受ける少年は、微動だにせず佇むだけだった。
 その反応をどう解釈すべきか迷いつつ、フランスは呟いた。
「……あんまチビに入れ込みすぎると、いつか痛い目みるぜ? 嫌味じゃない、助言だ。前例を知ってるからな、俺は」
 目を閉じて一息つき、彼は立ち上がった。両腕を真上に挙げ、左手で右手首を掴んでぐっと背を伸ばしたあと、胸ポケットから懐中時計を取り出し、
「そろそろ昼飯時か……」
 と、話題転換をはかろうとしたとき、ピンと閃きが走った。彼は悪巧みににやける口元を隠そうともせず、おもむろに振り返ると自分の上着に手を掛けた。立ち上がりかけたプロイセンとドイツがまったく同じタイミングで、虚を衝かれたように目をしばたたかせる。
 フランスは目にも留まらぬ早業で、上着のみならずその下のシャツまで一思いに、大変潔く脱ぎ去った。
「なあ、ちびっこ、おまえってまだおっぱい飲んでんのか? よかったらお兄さんがおごっちゃう――」
 と、裸の胸を示しながらずいっとドイツに近寄ろうとしたところで。
「何やってんだこの変態野郎!」
 フランスが文を結ぶのを待たず、プロイセンが彼の裸の上半身飛び蹴りをかましてきた。
 ……まあ、保護者としては当然の反応だろう。
 フランスは飛び蹴りを腕をガードしてから、着地後立て続けに繰り出されるプロイセンのローキックをひょいひょいと交わしつつ、
「おいおい、無意味に戦争ふっかけるなよ。っつーか、おまえいま殺る気満々で蹴りかかってきただろ。すごい殺気だったぞ」
 目論見どおり、いや、それ以上の反応が引き出せたことに内心にやりとした――もしかしたら顔にも出ていたかもしれない。
 プロイセンはフランスへの威嚇攻撃をやめると、ドイツのほうへ一足飛びで後退し、子供の両目を片手で隠した。
「無意味なのはおまえの行動だ! その汚いもんを早くしまえ! こいつは赤ん坊じゃねえ。とっくに乳離れしてる年齢だろうが、見てわからねえのか」
「論点はそこじゃないと思うんだが、プロイセン」
 視界を塞がれたドイツが冷静に指摘する。プロイセンは教育上不適切な光景を見せまいと、なおも手の平を外さない。
 フランスは、相手の威嚇行動を誘発しない距離を保ちつつ、ぱたぱたと手を振りながら実にイイ笑顔をつくった。
「あんま純粋培養しないほうがいいぞ〜。適度に汚れた環境で育てたほうが丈夫に育つって」
「汚染源の自己弁明に向ける耳はないっての」
 心なしか、プロイセンの短髪が逆立っている気がする。フランスはへらへらと笑いながらドイツにアドバイスを放つ。
「ほらがきんちょ、おまえも頭柔らかくしないと俺みたいなすてきなお兄さんになれないぞ〜。あと、股間の魔物も大きくならな――」
「子供の耳を汚すんじゃねえ!」
 声を荒げつつ、プロイセンはドイツの背後から伸ばした両腕を顔の前でクロスさせ、視覚と聴覚の保護を試みた。後ろから抱き込むように胸と腕で少年の頭をぎゅうっと加減なく締め付ける。
「痛いんだが」
 ドイツが、目元を覆うプロイセンの腕をぽんぽんと叩いて外すか力を緩めるかしてくれと合図を送るが、フランスに対する防衛に気を取られている彼には届かない。
 仕方のない大人たちだ、とドイツはプロイセンの腕の中でこっそりため息をついた。




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