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はじめましてを言う間もなく


 真顔でいけしゃあしゃあと嘘をついたプロイセンに、オーストリアは一瞬聞き違えたというような顔になった。プロイセンはなおも、さあ、驚いた顔を見せろよ、と心のうちで口角を吊り上げながら期待していたが、オーストリアは冷静な声で、
「嘘をおっしゃい」
 と相手を咎めた。
 なんて癇に障る反応だ、と思いつつ、プロイセンは答える。
「嘘じゃねえよ。俺に似てるだろうが」
「何を言います。造作は……まあ似てなくもないですけど、本当にあなたに似たらこんな利発そうな面差しになるはずがないでしょう」
 オーストリアはドイツの寝顔を覗き込みながら指摘した。プロイセンは半眼になる。
「素直に馬鹿だって言う勇気もないのか」
「いいえ、そのような発言をする気は毛頭ありません。あなたは十分小賢しいと思いますよ。まあ、彼のほうが賢そうですが」
「小賢しいは褒め言葉じゃねえ」
「それに、あなたがいかにだらしなく気の多い性分であろうとも、自分で子供を育てるような甲斐性があるとは思えませんからね。自分の子供だと主張した時点で、嘘以外の何ものでもないということです」
「おまえのそういうとこが大嫌いだ」
 犬歯を見せるプロイセンに、オーストリアはちょっと首を横に向けつつ視線は固定したまま言った。
「ありがとうございます。それで、どこからさらってきたんですか、その子? だめですよ、誘拐は。山賊のすることです。仮にも一国である身ならば、そのあたりの礼節はわきまえていただきたいものです」
「誘拐じゃねえよ」
「では、子買い?」
「てめえが俺をどう思ってるのかよーくわかった」
 プロイセンは剣呑な調子で首を大仰に縦に振った。すると、オーストリアが意外そうにまばたきをする。
「いままでわかってなかったんですか? 案外鈍いですね」
「ほんとにむかつくな、おまえは!」
「お互いさまです。で、結局その子はいったい? だめですよ、ちゃんと親元に返してあげなければ」
「返すところはない。行くところならあるがな」
 と、プロイセンは両腕を小さく動かしてドイツを抱え直すと、
「こいつは俺の同居人だ」
 今度は事実を述べた。オーストリアも、即座に嘘だと断じはしなかったが――
「やはりあなた、そういう特殊な趣味が……」
 ちょっぴり青ざめて、文字通り一歩引いた。
「ねえよ! なに妙な妄想してんだ! おかしいのはおまえの頭のほうだろ」
 青筋を立てて声を荒げたプロイセンだが、眠っている子供を起こしてしまうかと、すぐにトーンを抑えた。不可解そうにこちらを眺めてくるオーストリアに、そろそろ種明かしをしてやろうと、真面目な顔をつくる。少しだけ鼓動が早くなり、緊張しているのが自分でもわかった。が、同時にニッと笑いたくなった。今度こそ、オーストリアを出し抜けそうだ。
「こいつはドイツだ」
「ドイツ……ですって?」
 プロイセンの言葉を聞いたオーストリアは、彼らしからぬことに、ぽかんと口を開いた。そうだ、その間抜け面が見たかったんだ、とプロイセンは内心ぐっと拳を握り締めた。
 もっとも一秒もしないうちに、オーストリアは思い切り眉をしかめ眼鏡の下で目つきを鋭くし、露骨に疑わしそうなまなざしを彼に向けた。改めて、プロイセンに抱かれている子供の顔を凝視している。真剣、というよりいっそ必死な様子だ。プロイセンは笑い声を上げたくなるのを堪え、すまし顔で肩をすくめた。別に驚くようなことじゃないぜ、とある種の優越感をたたえながら。
「――だそうだ。こないだ上司から紹介された。面倒をみろ、とな」
「あなたが?」
「ああ」
 取り澄ました表情であっさり首を縦に振ると、オーストリアは少し顎を引いて、不審そうな光を瞳に宿したまま、声を低くした。
「……あなたに子供の世話ができるんですか」
 この幼児が本当にドイツであるか否か、ということは尋ねてこなかった。聞かなくても直感的に理解したのか、あるいは彼の上司からそのような話をすでに耳にしていたのか――いずれにせよ、プロイセンがまた嘘をついているのではないかとは、口にしなかった。
 プロイセンのほうも、聞かれない事柄についてはわざわざ細かく説明してやる義理はないと思い、質問されたことについてだけ答える。
「そう手のかかるガキでもないからな」
「虐待してないでしょうね。あなたは昔から粗野で乱暴で粗暴で行儀が悪いので心配です」
「ついでとばかりに悪口並べ立てやがったな……まあいい」
 はっ、とプロイセンは嘲るように鼻で一笑する。
「こいつはおまえではなく俺に任された。この意味、わからないではないだろう、お坊ちゃん?」
「……………………」
 プロイセンが挑戦的な目を向けると、オーストリアもまた険しい表情でそれを受けた。
 いくらか緊迫した空気がふたりの間に張った。しかし、それも長くは続かなかった。彼らの視界に、もぞ、と小さな動きが映った。
 話題の中心でありながら蚊帳の外に置かれていた人物――ドイツが、目を覚ましたのだった。
「うん……」
 ドイツは寝返りを打とうとしたのか、反射的な動作で半身を動かしたが、いつもと重力の感覚が違うことに気づき、少し不安そうに、緩慢に首を振った。自分の体の方向がまだつかめないのか腕をばたばたさせたが、安定を得るために掴んだ人の肩と、その横にある短い金髪の存在を認めると、寝起きの目をぱちくりさせた。
「プロイセン……?」
「お。起きたか」
 彼の声を聞いたドイツは、ちょっと安心したように力を抜いた。しかし、あまりに至近距離なので顔がわからない。ドイツは腕を突っ張り、少し体を離した。と、プロイセンの青い瞳が見える。ようやく、自分が彼に抱き上げられていることを理解した。
「よく寝てたな」
「ここは……?」
 眠気を払おうと目尻を指でこすりながら、ドイツはあたりを見回した。普段よりずっと目線が高いので、知っているはずの屋敷だというのに、はじめての場所のように感じられた。彼が心許ない様子だったので、プロイセンは彼の体をさらに高い位置に抱え直し、肩の辺りに子供の腰が来るように支えた。上体が不安定になるので、ドイツは自然プロイセンの肩と首にしがみついた。見慣れた大人の顔がよく見える。自分が彼の顔を見下ろすような位置にいることが不思議な感覚だった。彼の頭のてっぺんが見えるなんて。
 ドイツがプロイセンの金髪をしげしげ眺めていると、
「こんにちは、ドイツ」
 オーストリアが挨拶をした。子供は一瞬びくりと背を揺らしたあと、声のしたほうを振り返った。
「……誰だ?」
 視線の先には、眼鏡をかけた品のよさそうな青年が立っていた。彼は穏やかな笑みでドイツを見つめている。
「気にするな、外野だ」
 真下から、プロイセンがそう言った。が、眼鏡の青年は無視してドイツに話しかけてくる。
「オーストリアです。内野ですよ、私は」
「おい、なに勝手に自己紹介してんだよ」
 突っかかるプロイセンに、オーストリアは苦笑する。
「いいでしょう、私だって彼の親族ですよ。それとも、秘蔵っ子のつもりですか?」
 静かに視線をぶつからせる大人ふたりを眼下にとらえ、ドイツは呟いた。
「オーストリア……」
 その名を知らないではない。それが意味するところも。
 ドイツははっとして下を見た。そして、慌てたようにプロイセンに支えられた状態でもぞもぞと動いた。降ろしてもらおうと思ったのだが、それを伝える前に姿勢が崩れて落ちそうになり、プロイセンの肩を掴むのに気をとられてしまった。
「すまない、非礼を」
 結局ドイツは彼に抱き上げられたままオーストリアに詫びた。
「いえ、構いません。私こそ、起こしてしまってすみませんでした。まだ眠いんでしょう。寝てていいですよ。抱いているのが彼というのが少々不安ですが」
 オーストリアがじと目を向ける先にいるのはプロイセンだ。彼は歯を剥き出して威嚇するように言った。
「おまえはつくづくむかつく野郎だ。いまに見てろよ、お坊ちゃん」
「それは小悪党の台詞ですよ、プロイセン」
 と、一拍置いてオーストリアは再びドイツに目を移した。
「ドイツ、このお兄さんに危害を加えられそうになったらただちに逃げるんですよ。そうしたら私のところへ来なさい。助けますから。私もまた、あなたの身内なんですからね」
 オーストリアは真摯に、かつ誠実にそう申し出た。プロイセンはむっとして口を開こうとしたが――
「確かにプロイセンは乱暴だ」
 子供に先を越された。ドイツが、プロイセンの頭を抱えながら言ったのだった。
「おい、おまえまで肯定するのか? 言っとくが、俺はおまえにゃ――」
「だが、どうやら子供を脅す趣味はないらしい。その点は安心していいと思う……そうだよな、プロイセン?」
 見上げてくるプロイセンに、ドイツはちょっと首を傾げながら聞いてきた。質問というよりは、確認に近い。まだ出会って短いが、少しは信頼されているらしいと感じて、プロイセンはふっと笑った。しかし、訂正すべきところは訂正しておこうと言葉を紡ぐ。
「ちょっと違うな。俺は子供だから庇護しようって考えたわけじゃない」
 彼は自分が抱えている子供を視界の真ん中にとらえた。そして。
「おまえだからだ、ドイツ」
 と迷いなく言った。あまりにもまっすぐ見つめてくる青い双眸がまぶしくて、ドイツは彼と同じ色の瞳を揺らした。
「これはこれは……」
 オーストリアが驚いたような、それでいて納得したような両極端な表情で、小さく呟いた。
 と、当座の目的を達成したプロイセンが、いつもの調子に戻って軽口を叩く。
「さ、帰るぞ。俺はどうにもこのメガネの顔を長々と見つめる気になれないんでな」
「降ろしてくれ。もう目は覚めた。歩ける」
「わかった。でも、手はつないでろよ」
「ああ」
 ドイツがうなずくのを確認してから、プロイセンは彼を廊下の床に降ろした。そして、左手を差し出す。ドイツがそこに右手を乗せると、彼は子供の手を軽く握った。
「行くぞ」
 プロイセンはドイツの手を引き、小刻みな歩幅でもと来た道を戻ろうと踵を返す。ドイツはそれに従ったが、一度だけ振り返って、
「オーストリア。また――」
 オーストリアに向けて小さく手を振った。何か言いたそうだったが、先導するプロイセンに遅れてしまうので、すぐに首を戻すと、彼と一緒に去って行った。
「ドイツ……あなたはここに……」
 広い廊下に、オーストリアのぽつりとした呟きだけが小さく響いた。




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