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平行線上の駆け引き


 ベラルーシは微妙に顔を左右非対称に引きつらせながら、不機嫌な目つきでプロイセンをねめつけてくる。クールだと思っていた彼女が案外表情豊かなことに 気づいたのはいつのことだっただろうが。もっとも、豊かなのは主に負のエネルギーを伴う場合なので、まったくもって嬉しい発見ではないのだが。
 一歩間違えばキッチンごと文字通り爆発炎上してもおかしくない緊張感の中、プロイセンは数回深呼吸をしてから口を開いた。
「いいか、最初に言っておく。俺は何も犯人探しに躍起になってたわけじゃない。たまたま犯人の目星がついちまったってだけだ。だからおまえがロシアのパン ツを勝手に持っていったこと自体は俺にとっちゃどうでもいいこった」
 気休め程度の保険として前置きを述べると、彼は本題を切り出した。
「しかし……なんでわざわざ自分のパンツを残していくんだよ。不審すぎるだろ」
 そう、こちらのほうが大問題だった。いったい何がそんなに大問題なのかと冷静に考えると、自分で自分の思考がわからなくなってくるが、とにかく看過はで きなかった。年若い娘が人目のある――それも男の目のある――ところに平然と下着を置き去りにするなんて! 非常識極まりない。神経を疑う。もっと恥とい うものを知るべきではないだろうか。
 頭の奥の冷静な声が、なんで俺、だらしない不良娘をもってしまった親みたいな心情に陥っているんだな……とささやいてくる。だが同時に無意味な使命感が 胸に燃えあがってくるのも事実だった。すなわち、この世紀の恥知らず娘には教育的指導が必要だ、と。とっくの昔に手遅れだと感じないでもないが、だからと 言って放置しておくのもなんとなく引っかかりを覚えてならない。ただの自己満足だと理解しつつも、躾にうるさいのはこの身に流れる血のせいだと自分を納得 させ、彼はじと目でベラルーシを見やった。
 意外にも、彼女は素直に答えた。
「下着の枚数が合わなかったら、おまえ、怪しむだろう。そういうことには目聡いと聞く」
「男用の洗濯籠の中に女物の下着が入っとったらそっちのほうが怪しいわ! 何考えてんだおまえは! そういう工作するなら、まずはどっかで男物の下着を調 達してくるのが普通だろ」
 彼女の口から飛び出した斜め上の回答に、彼は全力で突っ込んだ。勢いあまって犯行の入れ知恵までしてしまう始末だ。
 彼の言葉を聞いたベラルーシは、大仰にうなずいて関心の意を示した。
「……その手があったか。ハエの知能も馬鹿にはできないものね」
「感心するようなとこか。ってか、なんで思いつかねえんだよ、そんな単純なこと」
 この馬鹿娘と罵ってやりたい気持ちでいっぱいのプロイセンだったが、反応が怖いので心の中で呟くに留めた。いや、彼の罵詈雑言など彼女にとっては虫の鳴 き声くらいにしか受け止められないかもしれないが。
 ベラルーシは腕組みをすると、ふっと鼻から息を抜きながら遠い目をした。どこか陶然としているようにも感じられる目つきだ。
「わからないの? 兄さんの下着を前にしたら、理性的な思考など吹き飛ぶというもの」
「衝動的な犯行だったのか……どうりで状況がカオスなわけだぜ」
 状況文脈の支離滅裂さにはまったくもって納得がいかないものの、彼女の言葉がもつ意味不明な説得力によって、プロイセンは何かが腑に落ちたような気に なった。その何かが何であるのかは、きっと誰にもわからないだろう。
「しかし、こうもあっさり見破られるとは、工作が足りなかったか」
 自分の犯行にはまったく反省の素振りを見せないベラルーシだが、失敗点については素直に認めているらしく、こめかみに人差し指を押し付け気難しそうな顔 で黙り込んでしまった。
「足りないも何も工作になってねえじゃねえか。むしろ自ら犯行の証拠を落としてってるも当然だろ、あれじゃ。こんなことするくらいなら、お目当てのもん抜 き取ってトンズラしといたほうがよっぽど安全だろうが。モノがないだけなら、偶発的になくなっただけって可能性だって十分考えられるんだから、俺だってこ んなピンポイントで容疑者追及に走ったりしてねえよ」
 プロイセンが彼女の行動のおかしさの一部――ほんの一部――を指摘すると、彼女ははっと目を見開いた。
「そこまで考えが及ぶとは……さてはおまえ、日頃から兄さんのパンツを虎視眈々と狙って計画を立てて……?」
 またしても妙な方向に想像を及ぼそうとするベラルーシ。プロイセンはまたかと苛立ちながら、やはり力いっぱい否定した。
「誰がするかそんなこと! むしろこの世でもっともいらねえもんのひとつだ! 痛みまくって五本に分かれた枝毛の先ほどの興味もないわ! おまえの発想の ぶっ飛び具合には恐れ入るぜまったく」
「力説するのが逆に怪しい……興味がないふりをして油断を誘おうという手か? 古典的な手法だ。しかし私を陥れようとしても無駄だ」
 ベラルーシは疑いを百パーセント全面に出したまなざしでじっとりとプロイセンを見つめる、というか睨みつけた。彼は先ほどの波に乗って叫ぼうとしたが、
「だーかーらぁぁぁぁ!……あー、もういい、面倒くせぇ」
 最初の一声のあと、突然抗いがたい無力感に襲われ、すぐに声をしぼめた。どんな単語を選びどんな文を紡ぎだそうが、こちらの意図したかたちでは彼女の脳 には届かない。絶対にだ。
 諦観に至った彼は激しい徒労感に打ちひしがれつつ、力のない投げやりな調子で言った。
「もういい、かっぱらったもんについてはおまえの好きにしろ。手ずから洗うにしろ、なんか別の用途に使うにせよ、俺には関心のないことだ。っていうか関わ らせないでくれ頼むから。やつに返すつもりがないなら、俺が適当に言い訳しといてやってもいい。ただ、この一回くらいならいいが、ちょくちょくこういうこ とがあったらさすがに怪しまれるから、もうこういうセコイ犯行はするんじゃないぞ?」
 口調こそ子供に言い聞かせるときのもののようだったが、発言の内容は相手の軽犯罪を見逃すという宣言だった。大目に見てやるよ、と褒められない方向に寛 大さを見せるプロイセンだったが、ベラルーシはなおも彼に対する疑念と警戒を解いてくれないらしく、探るような目で彼を凝視した。
「なぜ私がおまえに命令されなければならないの」
「命令じゃねえ。ただのありがたい忠告だ」
「忠告? おまえが私にか?」
「お願いだったら聞いてくれるのか?」
「おまえのお願いを聞いてやるいわれはない」
 こういうときだけは予想通りの答えを返してくれるベラルーシに、プロイセンはやれやれと肩をすくめた。
「じゃあ、命令だろうが忠告だろうがお願いだろうが一緒だろ」
「屁理屈の好きな男だ」
 彼の指摘にむっとしたようで、彼女はおもしろくなさそうに軽く唇を尖らせた。その子供っぽい仕種に、彼は一瞬だけ毒気を抜かれた気分になった。そしてそ れに触発されるように、彼の頭にちょっとしたアイデアが唐突に閃いた。彼は顎をさすりながら口を開くと、
「ま、俺だっておまえが素直に言うこと聞いてくれるとはハナから思ってねえ。だから……」
 ふいに意味ありげににやりと口角をつり上げ、声を低くした。ベラルーシは怪訝に眉をひそめたが、彼の態度の変化が気になったらしく、つられるように声を ひそめた。
「だから?」
 彼は腰を軽く屈めると、勇敢にも彼女の耳元へ顔を近づけた。そしてことさらひっそりと小声でささやく。
「また欲しくなったら、アホなことやらかすまえにまずは俺に相談しろ。おまえよりは有用な小細工、考えられると思うぜ?」
 つい先刻までの自身の説教はどこへやら、彼はあっさりと前言撤回し、あまつさえ彼女への加担を申し出た。
 よくよく考えればきょうだい間の物の取り合い(この場合は兄が一方的に奪われているが)なんて他人がいちいち目くじらを立てるようなことではない。それ に伴う彼女の奇行については、屋敷の風紀維持のためにも止める必要があるが、布製品一枚をかっぱらうくらいなら、目をつむってもいいだろう。それに何よ り、このまま彼女に敵視され続けるくらいなら、いっそ犯行の片棒を担いでやったほうがよほど自分の未来は明るいに違いない。
 彼女の犯行と同じくらい目茶苦茶な理屈だったが、ともかく自分の中でひとつの結論を出すにいたった彼はどこか清々しい気持ちで拳を握り締めた。
 が、ベラルーシはますます剣呑に眉間の皺を深くする。
「おまえ、そんなことを言い出すとは、やっぱり兄さんに対して普段からよからぬことを考えていたということか……」
「ひとがせっかく協力申し出てやってんのになんだその言い草は! そういうふうに疑ってくるとは思ったけどよぉ!」
 予想通りとはいえやはりかわいくない。彼女にかわいげを期待するほうが間違いだと理解しているものの、やはりちょっぴり腹立たしい。
「要するに、俺の言うことは何でも気に食わないんだな」
 プロイセンは諦めと呆れを滲ませながらぼやいた。
 が、意外にも次の瞬間、
「まあいいわ、その申し出、受ける」
 ベラルーシが首を縦に振った。
「へ……?」
 目をぱちくりさせるプロイセンの顔にねっとりとした視線を注ぎながら、ベラルーシが言葉を続けた。
「おまえの腹を探る機会にもなるもの、ここはあえて乗っておくわ。もし兄さんに邪なことをしようと企てている素振りを感じたら、そのときは……」
 小動物なら本気で眼だけで射殺せるに違いないと思わせるような鋭い眼光で、彼女は真正面から相手を睨みつけた。
「そんなことは絶対にないと天に誓えるが……被害妄想で俺を妙な犯罪者に仕立て上げるのはよしてくれよ……?」
 彼女の迫力にあっさりと負け、プロイセンは思わず一歩あとずさった。と、そのとき、
「え、あ、おい、おまえ、ちょ、鍋……!」
 視界の脇に不穏な色をした気体がもくもくと立ち上っているのが映った。思い出したように鼻をひくつかせてみれば、あたりには異臭が立ち込めていた。気付 かなかったのは徐々に臭いに慣れてしまっていたのか、あるいは緊張のあまり嗅覚がまともに働いていなかったのか。
「ちっ、おまえがごちゃごちゃとうるさいから……」
 ベラルーシはぎろりとプロイセンをにらんだものの、彼を攻撃するより先に早々とコンロへ向かうと、慌てた様子もなく手際よく火を止め、中身の救出作業へ と乗り出した。
 てっきり包丁のひとつも飛んでくるかと身構えていたプロイセンは、拍子ぬけしながら彼女の後姿をぽかんと眺めていた。片手の中に、いまだに返せていない 彼女の下着を握り締めたまま。




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