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データ採取


 ノートパソコンの音源から鳴り響く、聞くに堪えない罵詈雑言の数々。持ち主の声を機械越しに再生するパソコンは、なんともガラが悪かった。画面には、いつのまにか泥沼のジャングル戦を思わせる過酷な戦場が流れていた。まさにサバイバル。時折ちらちらとカメラのフレームに入るプロイセンの顔には、これでもかとばかりに迷彩ペイントが施され、もはや誰だか判別不可能だ。加えて、カメラワークは異常に手ぶれが多く(撮影につき合わされたのは誰なのだろう)、粗雑な撮影であった。いや、この上なく臨場感溢れる映像と言えるかもしれない。
 プロイセンはテーブルに身を乗り出しながら画面を指差し、
「なあ、どうどう? けっこううまく撮れてると思わねえ?」
 やや興奮気味に、隣に座るドイツに尋ねた。
 そのドイツはというと、DVDが再生されてからこっち、石像のごとく椅子の上に固まっていた。
「俺ってカメラ映えするよなー。いや、元がいいからか、やっぱ!」
 感想を聞いておきながら、結局自分で自分を評価するプロイセン。画面に映る自分の勇猛果敢な姿に対し、ぱちぱちと拍手を送って上機嫌だ。凍結中のドイツを気にする様子はない。プロイセンはその後も嬉々として他のチャプターをクリックし、映像を流した。各章のタイトルは、『二の腕引き締め』だの『背筋強化』だの『フェイスリフトアップ』だの、いかにもエクササイズらしいネーミングがされていたが、中身はといえば、ミリタリースーツに身を包んだプロイセンが鬼軍曹のステレオタイプな表情で放送禁止用語を連発する、教育上著しく不適切な内容だった。また、合成なのかもしれないが、チャプターごとに場所が切り替わり、ジャングル以外にも大海原やら活火山やら砂漠やら断崖絶壁やら、勇壮な大自然が映っていた。そう、これが衛星放送の自然紀行番組だったなら、実に感動的だったに違いない。
 そのような秀麗な光景を、いまにも硝煙の立ち込めてきそうな物騒な雰囲気漂う動画に編集した本人は、
「……すばらしい。完璧だ。完全無欠すぎる」
 自画自賛しながらご満悦といった表情で画面を眺めている。
 と、ふいにマウスのクリック音がしたと思うと、映像が消失した。
「…………………………」
 プロイセンがはっとして横を見ると、いつのまにかドイツがマウスを奪い、勝手に停止コマンドを押していた。
「あっ、なんで消すんだよ!」
 喚くプロイセンの隣では、倒れそうなほど血の気の引いたドイツの顔があった。彼は、映像中のプロイセンとはまた別の意味で、子供が見たら一発で泣き出しそうな形相で凍り付いていた。しかしプロイセンは己の自信作に途中で水を差されたことが気に食わないらしい。彼はキーボードを操作すると、メニュー画面に浮かぶチャプターのサムネイルのひとつを選択した。
「あのな、こっからが見せ場なんだぞ! 特に次の映像! 俺、久々にすっげーがんばったんだからよ! あと、カメラに向かってこういうことすんの、ギャラリーいないとはいえちょっぴり恥ずかしかったんだからな!」
 肩を掴んで揺さぶってくるプロイセンとは目を合わせないまま、ドイツはうつろな声音でぼそりと言った。
「ノリノリにしか見えなかったが……」
「……? どうした、顔色悪いぞ? 俺の男前っぷりにあてられてちまったか?」
 まあそれなら仕方ねえよな、と根拠のわからない自信とともに偉そうな笑みを浮かべるプロイセン。しかしドイツはそんな彼の態度を華麗にスルーすると、
「いや……なんというか、こう、トラウマをえぐられかけてな……」
 心臓の辺りに指を立ててぎゅっと服に皺をつくった。ああ、よみがえる地獄の特訓の日々。半端なく過激だった。彼にどれだけ罵られ蹴倒され投げ飛ばされ沈められ埋められ、場合によっては半殺しにされたか知れない。前世紀に比べればずいぶん丸くなった彼ではあるが、本質的には変わっていないようだった。ドイツは過去の思い出に蝕まれながら、胃痛をこらえるときの表情でうめいた。
 一方、ドイツの心境など知る由もないプロイセンは呑気に首を傾げている。
「ん? おまえ、ダイエットになんか嫌な思い出あんのか?」
 と、彼の指摘でドイツは思い出した。このDVDがダイエット本のシリーズ商品の試作品であるということを。映像を見る限り、甚だ疑わしい限りではあるが。
「……そういえばこれ、ダイエット・インストラクターの映像だったんだな……どこの戦争ドキュメンタリーかと思った。少なくとも俺はこのビデオでダイエットはしたくないな」
 げっそりとした表情で呟くドイツ。プロイセンが不服そうに唇を尖らせる。
「えー? このくらいの厳しさは必要だろー?」
「もっといろいろ考え直したほうがいい。対象は民間人なんだろう。おまえの基準で訓練などやらせたら間違いなく健康被害が出るぞ。訴えられたらどうするんだ、相手はアメリカ、訴訟大国だぞ」
 健康被害どころか死人が出かねない勢いである。あのわけのわからない映像に従ってトレーニングを試みる輩など存在しないと信じたいところだが、主要マーケットがアメリカとなると……ひとりやふたり、実践者が出ないとは言い切れないかもしれない。
 ドイツは本気で懸念を示したが、プロイセンは楽観的だ。
「説明書にこと細かい注意書きしとくから大丈夫だって。読むのが嫌になるくらいのやつな」
 と、DVDソフトを終了させると、デスクトップ上のフォルダから画像ファイルを開いて見せた。そこにはおびただしい文字数で、無駄に長く細かい英語の説明がぎっしりびっしり載っていた。付属の説明書らしいが、それ単品で一冊のマニュアル本のような厚さだった。ドイツは、呆れるというよりはむしろ感心してしまった。
「凝り性だな……」
「あ、あと、ウチの野郎ども向けのも一本つくってみた。軍人がメタボ気味とか俺まじ憂えてるんだぜ。報告聞いたときは本気で嘆きたくなったぞ。そんなわけで、こっちはけっこう容赦ない感じで仕上げてみた。見るか?」
 プロイセンはケースから別のDVDを取り出すと、目をきらきら輝かせながら尋ねてきた。誰が見てもjaを期待している顔だ。しかしドイツは空気を読むのを放棄し、自分に素直になった。
「心の底から見たくない」
 ……結局見せられてしまった。最後まで。
 四十分にわたって現役時代さながらのプロイセンの特訓映像を視聴させられたドイツは、朝早いというのにすっかり憔悴した面持ちだった。対照的に、プロイセンは自分が作成したDVDの出来にいたく満足しているようで、しきりにうんうんとうなずいては、やっぱ俺ってすげえよ、自分の才能が怖いぜ、などと盛大な独り言をかましていた。
 やがて最後のチャプターが終了すると、プロイセンが表計算ソフトを全面に開いた。やっと終わったことにほっとしたドイツはマグカップに指を掛けると、長距離走の直後のような表情でふらふらと立ち上がった。いやに渇ききった喉を潤したい。
「朝から異様に疲れたな……」
 ぼやきながらカウンターに足を向けると、ふいにプロイセンに引き止められる。
「あ、そうだ、せっかくだし、おまえも協力しろよ」
 足を止めて振り返りながら、ドイツは目をぱちくりさせた。
「協力と言われても、俺はおまえほど妙な文才はないのだが」
「いや、文章じゃなくて、データのほう」
「データ?」
 カウンターの上にマグカップを置き、ドイツが聞き返してくる。プロイセンはパソコンのディスプレイの角を指先でとんとんと叩きながら、
「そう。一定期間トレーニングメニューをこなして、その前後の変化を数値化するんだよ。まあ、ありがちな方法だけど、一般人には説得力あるじゃん、こういうのって」
 妥当といえば妥当であろう説明をしてきた。
「トレーニング……極端にきつくなければ構わないが」
「大丈夫大丈夫。現役の頃よりずっと甘い内容だから。俺だって民間向けのモン書いてる自覚はあるっつーの」
 プロイセンの基準では、最初のDVDは十分一般人向けの内容であるらしい。この感覚のずれを修正するのはもはや不可能なのだろうな、とドイツは諦念とともに感じた。
 ドイツが統計表やグラフの映し出されたパソコンの画面を眺めている間に、プロイセンは次の仕事に取り掛かる準備を進めていた。彼は持参したらしいキャリーバッグのファスナーを開くと、計測器をテーブルの上にずらりと並べた。メジャー、握力計、体重計、体脂肪計といったお馴染みの身体測定器に加えて、ノギスやマイクロメータ、分度器、天秤といった工業系の物理量計測器まで出てくる始末だ。呆気にとられるドイツをよそに、プロイセンはメジャーを鞭のように両手の間でピシリと張らせながら、
「よし、そんならさっそく、データ取らせろ」
 ずずいと迫る。そして、ドイツの了承を得る前に彼のシャツを捲り上げて胸囲をあらわにさせた。
「お、おい、何をするんだ!」
 ぎょっとしたドイツが思わず声を高くする。
「そりゃ、身体各部位の計測だよ。基本だろ」
 当然のようにそう言うと、プロイセンは腕を上げろと指示してきた。しかしドイツとしては納得がいかない。
「なぜ脱がされる?」
「服があったら正確な値が出ないだろ」
「いや、そのくらいの誤差は許されると思うが。むしろ、一般人はわざわざ全裸になってまでスリーサイズを測ったりしないだろう。だったらサンプリング集団だって同じく着衣のままのほうが……」
「いや、そのへんはぬかりない。本の中で、サイズ測るときはなるべく全裸になること、と注意書きをしてある」
 ノープロブレム! とばかりに答えると、プロイセンはいそいそとドイツのシャツを脱がしにかかった。あまりに堂々と作業を進めるので、ドイツはかえって反応が遅れてしまった。
「ちょ……よせ! 脱がすな!」
「別にいいじゃんよ、おまえ夏とか普通に脱いでんだし」
「脱ぐのと脱がされるのは違う!」
「恥ずかしがるな。別に見せるのが恥ずかしいような体じゃねえだろ。むしろ積極的に見せつけてもいいくらいだと思うぞ、この筋肉」
 プロイセンは羨望のまなざしをドイツの上半身に向けた。どちらかというと、美術品にうっとりするときの表情に近いかもしれないが。
「俺がこれだけの肉体をもっていたら、ストリーキングのひとつもかましたくなると思うぜ?」
 と、彼は指の腹をドイツの肌に直接ぺたりとつけた。そして、なんだか意味ありげな手つきで筋肉の隆起を撫でたり、硬い筋肉の束を摘まんだりする。
 ドイツの全身を、ぞぞぞぞぞ、と悪寒が駆け巡る。一瞬にして鳥肌が立つのが自覚された。
「うわ! わ、脇腹を掴むのはやめろ!」
「おー、いい感じに固いなー。さすがだ」
 プロイセンは腹筋群を叩いたり摘まんだりこすったり押したりと、もうやりたい放題である。ドイツの怖気はますます増強した。
「ああ、もう! わかった、わかったから! 脱いでやるからどいてくれ!」
 これ以上変な触り方をされるよりはましだと、ドイツは観念とともに妥協して立ち上がった。そして自らシャツの裾に手を掛ける。が、プロイセンが彼の手首を掴んできた。動きを阻むように。
「えー? そういうこと言われると、脱がせたくなるのが人情ってもんだろ。おらおら、おとなしくしてろよ、俺が脱がせてやるからよぉ」
 彼は手首を掴んだままドイツの体をくるりと反転させ、後ろから腕を引っ張る体勢になった。そして改めて脇腹に手を這わせてシャツの裾を上げていく。
「やめろ! やめないか!」
「ははははは、無駄無駄。多少体重差があろうと、姿勢と関節のポイントさえ押さえられたら、動けねえもんだぜ?」
 プロイセンはさらにドイツの肩に顎を置き、耳の穴にふぅっと息を吹きかけた。嫌がらせを通り越してセクハラである。
「ひぃ!? ちょ、本気で気持ち悪い!」
「ははははは、そう固いこと言うなよぉ!」
 普段から高いテンションをさらにアップさせ、プロイセンは絶好調でドイツから服を奪おうと手を動かした。
 三秒後、ドイツの着ていたシャツが空中を舞った。

*****

 はあ、はあ……と荒い息をつきながら、ドイツは床に足を崩して座り込んだ。どうにか死守できたのは、下着一枚だけだった。彼はげっそりとした顔で、床に散った自分の衣服をのろのろと回収した。
「まったく……おまえというやつは」
「はははは、ばっちり三十項目、データ採らせてもらったぜ」
 抵抗を試みたドイツだったが、結局はプロイセン主催の身体測定の被験者として最後まであれこれ計られる羽目になった。姿勢やポジショニングにやたらと注文をつけられたため、ひどく疲れた。いや、どちらかと言えば、なぜか服を脱がしたがる彼とちょっとした取っ組み合いになったのが原因だろう。最終的にはドイツが折れて、おとなしく脱がされてやった挙句(交渉の末、全裸は免れた)、いろいろと測らせてやった。……そう、いろいろと。
 まったくなんでこんな目に、とドイツが額を押さえている傍らで、プロイセンは採取したデータをパソコンに打ち込んでいる。
「よし、これで全部。さて……と。おい、今度は俺の番だ」
「は?」
 エンターキーを押したプロイセンが、ドイツを振り返って呼んだ。ドイツがきょとんとしていると、プロイセンが唐突に脱衣し出した。
「俺もデータ対象として参加してんだよ。ひとりじゃ計りづらい項目もあるから、おまえが俺のデータを計測しろ」
 説明しつつ、メジャーをドイツに投げて渡した。ドイツはそれをキャッチしてうなずいたものの、ふと思いついてやんわりと異議を唱えた。
「まあ別にいいが……しかし、いま思ったんだが、俺たちが被験者になる意味はあるのか? ダイエット、特に必要ないだろ。データ採っても役立たないと思うんだが。ノーマルデータとして参照付録くらいにはなるかもしれないが、それなら標準的なアメリカ人から採らないと有用性が落ちるんじゃないか? 俺たち、ドイツ人だぞ。これ、アメリカの出版社が出すんだろう?」
 もっともな意見である。ダイエットの有効性を示すための数値がほしいのなら、ダイエットの意味がある人間のデータを採用しなければ、信頼性のある統計は取れない。
 プロイセンもそれは認めるようで、はっとしながら呟いた。
「あ……そういやそうだっけ……」
「なんで肝心なところが抜けてるんだ……」
 ドイツが呆れると、プロイセンがむぅっと唇をへの字に曲げた。
「おまえももうちょっと早く気づけよ」
「俺のせいじゃないだろう、明らかに」
「でもまあいいや、せっかくだから測れ」
 自分のうっかりミスを認めるのが悔しいのか、プロイセンは無意味だと知りながらなおもデータ採取を続ける気らしい。
「何のために?」
 眉をしかめるドイツの前で、プロイセンは腕を水兵に持ち上げた。胸囲を測れ、ということらしい。
「いいから早くやれ。寒さで乳首が立ったらメジャーが擦れて痛ぇだろ」
「なんでいちいち気持ちの悪いことを言うんだおまえは……」
 頭痛薬はどこだっただろうか。ついでに彼の頭につける特効薬も別途あったらなおいいのだが。
 ドイツは内心、つき合いきれないと思いながらも、プロイセンの指示に従って意味のない身体測定を実施した。
 そしてまたしても最後までつき合わされてしまった。
 ドイツが測定し記録した数字を見たプロイセンは、素っ裸のままパソコンのディスプレイを覗き込んで、
「うーん、さすが俺、寸分の無駄もない理想的な数値だ」
 と自分の身体測定結果にいたく満足した様子だった。
 本来の趣旨から完全に外れていると感じたドイツだったが、これ以上彼のわけのわからない執筆活動に巻き込まれてはたまらないので、適当に彼の意見に同意しておくことにした。テーブルの上に彼の服を置き、早く着ろ、とそれとなく促しながら。




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