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ライトなエロコメです。といってもエロいことは何ひとつしていません。けれども品性に欠ける内容なので、苦手な方はお気をつけください。冷戦期です。





テレフォンXXX



 ベルの音が唐突に鳴り響いたとき、ドイツはベッドの上でびくりとまぶたを上げた。普段なら目覚まし時計が朝一の仕事をはじめる少し前にゆっくりと覚醒がはじまり、鳴る前にはおおむね起きる準備が整っているのに。
 体内時計が正しく作動しなくなるほど深く寝入っていたのだろうか、俺にしては珍しい、疲れていたんだろうか――強制的に目覚めさせられた頭でぼんやりとそんなことを考えていると、ふいにちょっとした違和感を感じた。
「目覚まし……じゃない?」
 彼は寝返りを半分ほど打った中途半端な姿勢でベッドサイドのナイトテーブルに手を伸ばす。ゆうべセットした目覚まし時計は、まだ静けさを保っていた。時刻を見ると、午前四時半少し前。ベルの定刻まで、まだ二時間以上余裕がある。
 どうやら音源は目覚まし時計ではなかったらしい。よくよく耳を澄ませば、音の質や鳴る間隔が時計のそれとはことなることに気づいた。
「電話……? こんな時間に……?」
 眠い目を擦りながら、彼は目覚まし時計の奥に置かれた電話の受話器を手に取った。あまりに奇妙な時間帯に掛かってくる電話に不信感と幾許かの漠然とした不安を覚えながら、彼は電話口に向けて返事をした。
「はい」
『よー、こんばんは。いや、時間からしたらおはようのがいいのか? でもまだ暗いし、こんばんはでいいよな。おまえやっぱベルリンに来てたのか。ボンのほうに掛けても出なかったからよー』
 受話器の向こう側から響いてきた、やや雑音が混じって聞き取りづらい音声は、しかし嫌というほど聞き覚えがあり、また聞き違えようもないものだった。深夜と早朝の境目にふさわしくない、無駄にハイテンションな声と、遠慮の欠片も感じられない言葉。
 ドイツは早々に電話に応答したことを後悔しながら、額を押さえてうめくように尋ねた。
「……いま何時だと思っている。そして、どこから掛けている」
『時刻は〇四二〇時、場所は俺のアパートだ』
 はきはきとした声で即答するプロイセン。ドイツはベッドの端に腰掛けると、太股に肘を突いてなかば頭を抱えながら呟いた。
「ということは、通信傍受の可能性は十割か。……何を考えている」
 向こう側の体制をすべて把握しているわけではないが、どう控えめに見積もっても、絶対盗聴はされている。されないはずがない。その上で電話を掛けてくるとは、何の狙いがあってのことなのか。ドイツは気色ばみながら、警戒に身を引き締めた。が、電話の相手はいたって平静、というよりむしろ緊張感のないだらけた調子でいとも簡単に答えてきた。
『んー? イタ電』
「切るぞ」
 相手の回答を聞いたが早いか、ドイツはさっさと受話器を耳から放そうとした。この時間なら起床予定時間まで十分二度寝ができるだろう。非常識ないたずら電話のことはとっとと忘れて睡眠時間を確保しようとしたドイツだったが、電話線のはるか向こうのプロイセンが慌てて引き止める。
『ちょ、待て、早まるな! 冗談だって! ってか、久々に声聞かせてやってんのに、その態度はねえだろ! もっと恋しがれよ! かわいくねえぞ!』
 喚きたててくるプロイセンに辟易しながらも、ドイツはもう一度受話器を顔に近づけた。心底迷惑そうなため息をつきながら。
「そんなこと言って兄さん、先週も夜中にいたずら電話掛けてきたじゃないか。クロスワードの答えに詰まったから一緒に考えろとかいうろくでもない理由で」
『あれはいたずらじゃありませんー。ほんとに困ってたんですぅ』
 なんとも苛々を増長させる口調でしゃべるプロイセン。ドイツの左手が、無意識のうちに受話器を握り潰そうと力を込めはじめる。こめかみに青筋を浮かべつつ、それでもドイツは辛抱強くプロイセンの相手をした。下手に通話を絶ったら、のちのちさらにやかましい報復をされるかもしれない。
「で、何の用だ」
『ちょっといいこと思いついたんでな、おまえ誘ってみた』
 実に楽しげに告げるプロイセンだったが、ドイツはげんなりした様子で一言のもとに切り捨てた。
「断っていいか?」
 が、それで引き下がるようなプロイセンではない。
『聞く前から返事するなよ。そして答えはヤーしか許さん』
「やっぱり切る」
『そしたらもう一回掛けるぞ』
「電話線を切断する」
 ドイツはベッドの下に半分入り込んだ靴を取り出して爪先を引っ掛け立ち上がると、電話機の裏側から伸びるコードに手を伸ばした。彼がほとんど有限実行モードなのを視覚的には確認しようがないプロイセンは、やや呑気な口調で突っ込んだ。
『物理的手段は横暴だぞ。そこはせめて受話器上げっぱにしとくのが関の山だろ。なんでいきなり切断なんだよ』
 ドイツはくりくりと指先でコードをいじりながら半眼になる。無論、その不機嫌な表情が相手に伝わるわけはないのだが。
「そちらの言い分のほうがよほど横暴だと思うぞ」
『ちぇっ、イイコトに誘ってやろうってのに』
「兄さんの言ういいことが俺にとっていいことだったためしはあまりないのだがな」
『あまりないってことは、ちょっとはあったってことだろ。今回はおまえも満足すると思うぜ』
「聞いてしまったらなし崩しに最後までつき合わされそうだな。よし、このへんでお開きにしよう」
 ドイツは会話に応じず、一方的にそう決めて今度こそ電話を切ろうとした。すると、さすがにその雰囲気を察したのか、プロイセンが慌てた様子で叫んだ。
『だぁぁぁぁぁっ! てめえ、それは冷たすぎるぞ! せっかく俺がいい思いさせてやろうって言ってんのに! 聞かなかったら絶対後悔するぜ! するったらするんだからな!』
「そうか、聞いたら絶対後悔するんだな。わかった、言わないでくれ、絶っっっ対言わないでくれ頼むから。いま電話切るから。俺が切ったらいくらでも電話口でしゃべってくれて構わないぞ。おおいにしゃべってくれ、朝日が昇るまで」
 段々と声に苛つきをにじませながら、ドイツが冷淡に答えた。睡眠妨害された上に延々といたずら電話につき合わされたとあってはたまったものではない。しかもここ数年、プロイセンから掛かってくる無意味な、というよりむしろ微妙に悪意的な気がしないでもない電話の頻度が増えているのだ。いい加減嫌になってくるのも仕方ないことだろう。
『冷たいこと言うなよ。だいたいそれじゃ意味ないだろ。おまえ、つれないにもほどがあるぞ。そういう態度ばっかだと、自ら幸せを逃すぞ』
「自ら災厄を招き入れるよりは懸命な選択だと思う」
『んなこと言うなよ。まじイイコトだから。な? 聞いておけよ? 俺、聞くまでねばるからな』
 面倒くさくなってきたドイツは、とりあえずさっさと本題を聞くことにした。どうせ電話なのだ、切ろうと思えばこちらの意志でいつでも切れる。
「……なんだ」
 プロイセンは意味ありげにしばし沈黙を置いたあと、聞く者に鳥肌を立てさせるような不気味に熱っぽいトーンで言った。
『テレフォンセックスしようぜ』
 ぶちん!
 一瞬、自分の血管が切れたのかと思ったドイツだったが、はっとして手元を見やれば、手が勝手に電話線を引っこ抜いていた。
「四時半か……あと二時間くらい寝られるな」
 正直プロイセンの気味の悪いいたずら電話のせいで目が冴えかけていたが、寝不足で本日の仕事に支障をきたすようなことがあってはならないと、ドイツは無理矢理あくびをしながら眠気を呼び起こし、ベッドへと戻っていった。電話線を抜いたいま、彼が妙な電話を掛けてくる可能性はなくなったことだし、安眠できるだろう。

*****

 数日後、出張を終えてボンに戻ったドイツは、再び奇妙な時間帯に電話を受けることとなった。時刻は先日いたずら電話を受けたのとほぼ同じ、午前四時二十分。嫌な予感、というよりむしろ腹立たしいまでの確信があったが、それでもドイツは受話器に手を伸ばした。職場からの緊急連絡という可能性もなくはなかったから。まあ、この状況ではコンマ以下の可能性だろうが。
「……もしもし」
 起き抜けということもあり、まったく覇気のない調子で応答するドイツ。対して戻ってきたのは、
『てめえ、こないだはずいぶんなご挨拶だったじゃねえか』
 予想どおり、無意味に元気そうなプロイセンのチンピラボイスだった。ドイツは布団に潜ったまま、眠たげな不明瞭な発音で面倒くさそうに言った。
「またか……しつこいぞ」
『おかげですっかりその気が殺がれてあのあと気持ちよーく安眠できたぜ』
「そうか、それはよかったな」
『俺の誘いを断るたぁ、いい度胸してんな』
「あんなおぞましい誘いに乗るような度胸は俺にはない」
『大丈夫だって。たかがテレフォンセックスじゃねえか』
 あまりに軽々と、かつ堂々と言ってのけるプロイセンに、ドイツは頭痛と胃痛を鈍く感じはじめた。
「なんで俺をそれに誘うんだ。著しくおかしい発想だと思うんだが。頭大丈夫か?」
『いやあ、いまの生活いい加減マンネリ気味でよー、そういうときってなんつーかこう、いままでにないような刺激がほしくなるじゃん? おまえもそういうときない? それに、正味な話こっちの閉鎖的な環境にうんざりしてんだわ。それに、こっちで盗聴してるおっさんだかおにーちゃんたちだって、たまには刺激がほしいだろ。毎日単調な仕事ばっかしてんだからさあ』
 それが目的か……とドイツは嘆息とともに瞠目した。おそらく監視が常態化している生活へのちょっとした反抗といったところだろう。取り締まりの対象にはならないだろうが、同時に何の意味もなさないことは火を見るより明らかだ。抗議活動というよりはただの嫌がらせの域だろう、これは。
「仕事で疲れている彼らにかわいそうなことはしないでやってくれ」
『えー? 俺のセクシーボイス聞けるなんてラッキーだと思うけどなあ……俺、なかなかの演技力だし』
 言外に、いっぺん聞いてみたくねぇ? という誘いを込めたプロイセンだったが、ドイツはまったく乗ってこなかった。むしろ引いている様子である。
「あー……それについては怖いから深く突っ込まないでおくが、とにかく、俺を巻き込むのはやめてくれ。そういうことがしたいなら、そちらで相手を調達したらいいじゃないか。兄さんなら、口数を十割減らせば相手には事欠かないだろう。ただしザクセンに強引なことはしないように。平和的合意に基づくならとやかく言わないが」
 丁重にお断りしたい旨を伝えるドイツだったが、プロイセンは聞く耳持たず、勝手に話を進める始末だった。
『いまなら俺、超がんばっていつもより三割増しで喘ぐからさあ』
「『いつもより』!? いつもそんなことしてるのか!? いや、やっぱり答えてくれなくていい! 聞きたくない!」
『ははははは、もう大サービスって感じ? よし、じゃあさっそく披露してやっから、耳の穴かっぽじってよーく聞いとけよ』
 電話の向こうで、すう、と息を吸い込む音が聞こえる。まずい、次に呼気がはじまるときにはとんでもなく恐ろしいものが鼓膜を襲ってきそうだ。そう直感したドイツは、大慌てで叫んだ。
「何を言っているんだ兄さん!? 嫌がらせか? 嫌がらせだろう! そうやって俺にストレスを与え、精神的疲弊を狙っているんだろうが、その手には乗らんぞ!」
『なに被害妄想繰り広げてんだ。俺がおまえにそんなことするわけないだろう』
「ひとの安眠を妨害しておいて何を言う。しかも何度も」
 とりあえずプロイセンの名演技とやらを拝聴するを先延ばしにできたことに安堵しつつ、ドイツは呆れきったため息をついた。が、プロイセンはなおもこの話題から逸れるつもりはないらしく、諦めという言葉自体をかなぐり捨てたかのような見上げたスピリッツでもって、しつこく尋ねてきた。
『あ、そんでさあ、先攻と後攻どっちがいい?』
「は……?」
『先突っ込むか後突っ込むか。交代制にして二ラウンドやりゃ公平だろ?』
 またしても一方的にとんでもない提案をしてくる。いや、彼の中では提案ではなく決定事項なのだろうが。
「脳みそが悪い虫に食われているようだな……」
 彼と会話すること自体に途方もない疲労感を覚えたドイツは、力ない声でぼやいた。一方プロイセンは、いよいよやる気が頂点に達したようで、気合の入った声で指示を出してきた。
『まあいいや、そのへんは成り行きで決めようぜ。んじゃヴェスト、まずは自分の指をよーく見つめろ。あ、できれば左手な。俺、こういうときの利き手も左だからよぉ。ま、おまえが右手のが使いやすいってんなら、それでもいいけど。よし、次は自分に暗示を掛けるんだ。その手はおまえのじゃない。俺のだ。いいか、こういうのは思い込みが大事だ。イマジネーションを全開にしろ! 想像の扉のすべてを開くんだ!』
 ぐしゃ!
 理性より先に危機を察したらしい本能が、ドイツの上肢の筋肉にいち早い命令を送っていた――受話器を壊せ、と。
 部品が飛び出し無残な姿になってしまった子機を見下ろしながら、ドイツは先ほどから増悪の一途を辿る頭痛に耐えるように額を押さえた。
「まったく……なんて迷惑な兄貴なんだ」
 そう呟いたあと、ドイツはおもむろに立ち上がって寝室を出た。まだほかの部屋で生き残っている子機と本体の受話器をすべて上げてしまうために。


迷惑しつつも結局会話に応じちゃう独でした。

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