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いまからジョギング行って来ます、とでも言うのが似合いそうなナイロン製のウインドブレーカーとズボンを着込み、プロイセンは寝室のドアへと足を向けた。これ以上長居するのは安全保障上よろしくないと察したのか、あれだけやかましく熱弁を振るったり喚いたり懇願したりしていた割に、あっさりと帰宅の準備を始めたのだった。 結局ドイツは部屋から立ち去らず、彼が往路に着てきたと思しきスポーツウェアを再度いそいそと着用するのを見届けた。黙っていればそれなりに立派なアスリートに見えるというのに、なぜああも口数を増やしてはいろいろ台無しにしてしまうのだろう、この男は。 ドイツの嘆息をさらりと無視したプロイセンは、一旦はきっちり上まで閉めたウィンドブレーカーのファスナーがどうにも落ち着かないらしく、鎖骨の高さまで下ろして首の可動域を確かめた。そして、支度が調うと、 「じゃあ、またな」 と背を向けて片手を挙げて挨拶した。学友が『じゃあまた明日』と帰途につくのと同じような軽さだった。ドイツは、ひらひらと振られる彼の手の甲を見ながら尋ねた。 「また不法侵入する気か?」 「不法じゃねえよ。……壁はとっくに壊れてるだろが」 腕を組んで呆れたふうなドイツを肩越しに一瞥し、プロイセンはぽつりと言った。ドアと対面している彼の表情は見えない。ドイツは一瞬虚を衝かれて挨拶のタイミングを逸したが、扉が開かれる音が深夜の静寂の中に小さく響いたとき、 「この際だ、泊まっていけ」 唐突に提案の声をかけた。相手は、聞き取った音声が何を告げたのかすぐには理解できなかったようで、反射的に振り返った顔は、ぽかんと口が開かれていた。 「……は?」 「どうした? そのつもりで来たんじゃなかったのか」 いまさら遠慮するのは不可解だ、とドイツは訝しげに首を傾げた。プロイセンはまだ相手の弁が信じられない様子で口をぱくぱくさせてながら、人差し指をドイツに向けた。 「え、いや……おまえ、いまなんつった?」 「泊まっていけと言った」 「そうか、泊まっていけ……泊まって……って、ええ!?」 「何を驚いている?」 「え、だってよ……」 いざ最初の目的が叶う段になってなぜかうろたえ出したプロイセンに、ドイツは腰に両手を当てて説教じみた口調で説明を加えた。 「真夜中に出歩くな。職務質問受けたらどうする。おまえに機転の利いた答えができるとも思えん。間違って留置されたら、呼び出されるのは俺だろうからな」 プロイセンはなおもドアの前で中途半端に体を室内に向けた姿勢のまま固まっていた。呆気に取られて開かれたままの口がアホっぽさを強調しているから早いところ口を閉じたらどうだ、とドイツは助言してやりたくなった。 やがて、三十秒ほど続いた沈黙を破ったのはプロイセンだった。彼は先刻までも驚いた表情を整えると、今度は妙に癇に障るしたり顔で、腕を組みながらひとりうんうんと大きく首を縦に振った。 「そうか、つまり俺に泊まっていってほしいんだな」 「その質問に素直にうなずくのはかなり納得のいかないものがあるが……端折って結論だけ言えばそうなる」 ものすごく嫌そうな表情で、それでもドイツが肯定の返事をすると、プロイセンは嬉しそうにはしゃいだ声を立てた。 「うん、おまえのことだからなんだかんだ理由をつけつつ、そう言うと思ったんだ。こんな事態をも事前に予測していた俺は、宿泊の準備をすでにしてきた。見ろ!」 と、彼はドアを開け、腰を屈めて腕を廊下の床に伸ばした。ドアのすぐ横に、何かを置いていたらしい。 「じゃーん!」 彼が見せてきたのは、シュラフだった。おそらく彼の私物で、持参したものだろう。 「いやー、やっぱシングルベッドに成人男子ふたりはきついよな。さっき潜ってみて実感したわ。おまえ無駄にでかくてごついから余計に狭くて仕方なかったぜ。シュラフ持って来て正解だった。おまえの横じゃ安眠できないもんな。俺の気配りに感謝しろよ?」 やはり最初から強行宿泊する気満々だったようだ。ドイツは額から目元を片手で覆って呟いた。 「うっとうしい上に面倒くさい男だ……」 そして、相手に近づいてシュラフを手放させようとする。 「わざわざそんなもの使わんでも、来客用の寝室くらい使わせてやるから」 「えー、せっかく持ってきたんだからこれ使わせろよ。なんか持って来損っぽくてヤじゃん。俺、これで寝たい」 プロイセンはドイツの手からシュラフを庇うように胸に抱えた。 「好きにしろ。ベッドの上でも床の上でも、好きに転がっていればいい」 「よっしゃー」 家主の許可を得ると、プロイセンはさっそくシュラフを広げ、少し前に着込んだばかりの上着を脱いで潜り出した。ドイツは足元に転がる彼を見下ろした。 「……なぜ俺の部屋で転がる?」 「好きにしていいって言ったじゃん、おまえが」 「客室使っていいと言ったろうが! なんでわざわざ俺の部屋でシュラフに潜り込むんだ」 「だって客室ってベッドあるだろ」 「それはそうだ」 「空きベッドのある部屋で寝袋使うなんて意味わかんねえよ。何考えてるんだおまえ?」 「こういうときだけ正論を言うな。非常に腹が立つぞ」 「そういうわけでお休みー」 「おい、プロイセン! 本気でここで寝る気か!」 「ぐー」 「おい……」 プロイセンは横向きになると、背を丸めてそのまま動かなくなった。さすがにまだ眠りに落ちてはいないだろうが、こうなったら梃子でも動かないだろう。もっとも、ドイツがその気になれば彼を担ぎ上げて廊下なり外なりに放り出すことも可能なのだが―― 「……寝るか。眠い」 あくびを隠さず、ドイツはベッドに向かった。 騒音に加えて不法投棄はいくらなんでもまずいだろう、と思いながら、彼は照明を落とした。
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