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清く正しく美しく?


 湯上がりに髪を拭いたタオルが概ね乾いた頃、説明という名の長い愚痴はとりあえず終わりを迎えた。プロイセンの語る破綻しきったストーリー展開――現実とは得てしてこういうものなのかもしれないが――に、隣に座って聞いていたドイツは頭痛を堪えるように額を押さえていた。何がいちばん頭が痛いかといえば、自分の知らないところで好き放題言われているということだ。しかもとんでもない言いがかりを。
 話を聞いていただけで疲れてしまったドイツの横で、プロイセンは無駄に元気に口を動かし続けた。
「……ということがあってな、収拾がつかんから最終手段としてわざとベラルーシに投げられてそのまま逃げてきた。いやあ、ごみ置き場に頭から突っ込んじまって悲惨だったぜ。超寒かった。危うく凍死するとこだった。ま、おかげで何もかもうやむやにできから結果オーライだったけど。ってなわけだからよ、しばらく泊めろ」
 プロイセンは尊大にそう頼んできた。ドイツはいまだあっけに取られたまま、はあ、と生返事を返した。プロイセンが端折った部分――ベラルーシに捕獲されかけたロシアの安否――にいったい何が起こったのか気にならないではなかったが、尋ねるのも恐ろしかったので、結局踏み込んで質問することはできなかった。省略箇所にはきっと言葉にするのもはばかれるような何かがあったに違いない――今朝プロイセンを発見したときの状況を思い返しながら、ドイツは漠然とそんなことを考えた。
 数時間前、明け方にビアホールから帰ってきたドイツは、自宅の玄関の前で転がる大きなごみを発見した。不法投棄にしてはやけにピンポイントだし、テロにしては露骨過ぎる、と不可解に感じつつも警戒して近寄ると、「よお、遅かったじゃねえか、朝帰りとはうらやましい限りだな。こっちは凍え死ぬところだったぜ」とごみがいきなりしゃべりかけてきた。しかも妙に恨めしそうな声音で。酔いも一気に醒める心地でドイツが固まっていると、ごみだと思っていた汚らしい塊がごそごそと動いて立ち上がり――恐ろしいことに、自分の身内であることが判明した。暗がりの中、プロイセンはなにやら不機嫌な顔でぶつぶつとロシア語で口汚く吐き捨てると(彼の前で罵詈雑言をこぼすとき、プロイセンは決まって向こうで覚えた言語を使う)、申し訳程度に体の埃を払った。生命を吹き込まれた産業廃棄物のようないでたちのプロイセンは、呆気に取られてぽかんと口を開けているドイツに、さっさと家に入れろ寒いじゃねえかと一方的に話しかけながら、勝手に鍵を奪って我が物顔で彼の自宅へと上がりこんだ。その後、浴室と洗濯機に悲鳴を上げさせながら実家でこびりついた汚れを落とし、これまた無断でドイツの部屋着を拝借し、まるでこの家でいちばんの重鎮であるかのようなふてぶてしさでソファに陣取った次第である。
 職場の人間関係のもつれ合いによって蓄積した鬱憤を一通り垂れ流したプロイセンは、すっきりした顔でソファでリラックスしている。緊張感がなさ過ぎて、隣に腰掛けるドイツにずっしりと体重を預けるほどだ。ドイツは肩に乗せられた彼の頭のてっぺんを見下ろしながら、
「別に泊めるくらいは構わないが……その、ロシアたちをほったらかしにしておいて大丈夫なのか?」
 懸念事項について恐る恐る尋ねた。プロイセンが関わり合いを途中放棄したとなると、あとは兄妹間だけの問題になったわけだが……。
 プロイセンは小難しそうに眉根を寄せると、
「あんまり大丈夫な気はしねえが、あのままあの場にいたら俺がいちばん被害に遭いそうだったからな、とりあえず目先の安全確保を優先し全身全霊で逃亡した。あのときばかりはイタリア兵がうらやましくなったくらいだ。この俺の健脚をもってしても、あの逃走能力には及ばないからな。ま、いかに妹に弱いとはいえ、ロシアのやつだってさすがに最後の砦として、貞操は守り抜くだろ」
 自分があの危険ゾーンからの逃走もとい脱出にいかに全力を尽くしたかを力説した。もっとも、疲労のせいで声に力はない。
「そこまで事態は深刻なのか……?」
「ん〜……ま、最悪の事態にはならんだろ。あいつまじでめっちゃ嫌がってるし、合体。真冬に防寒具忘れて泣きながら逃げ惑うくらいには」
 プロイセンはとうとうドイツの膝の上に上半身をうつ伏せにかぶせるようにして乗りかかった。かなりうっとうしいが、大型犬に懐かれているんだと自己暗示をかけ、ドイツはその場から動かずにいてやった。
「それはそうだろう。相手は実妹だぞ。立場を置き換えて想像しただけでぞっとする」
「それは俺も同感だが、包み隠さず本心を言えば、俺としてはやつらにゃ下手に仲違いされるよりは仲良くしてほしいんだけどな、切実に。まあ、ある意味究極的な愛情なのかもしれないけどよ、あの兄妹の関係は。行き過ぎてるだけで。過ぎたるは及ばざるがごとしってな。重すぎる愛も考えものだぜ。はあ……なんでひとんちの家庭の事情でこんな疲労感を覚えなきゃならねえんだ……」
 愚痴とともに一層ぐったりとしなだれかかたプロイセンは、腕を前に放り投げてストレスを表すように両手を交互に小さくばたつかせた。
「実感こもってるな。大丈夫か?」
「あんま大丈夫じゃねえ。ロシア見捨てて逃げてきたからな、あとでどやされそうだ。ベラルーシから逆恨み買うよりはなんぼかましだが。ベラルーシの機嫌損ねるのはけっこうシャレにならん、物流的に。帰る前になんか貢物でも買ってくか……しかし、何を贈っても切り刻まれそうな気がする。んー、イモかキャベツが無難なとこか……? 切り刻んでも今夜のおかずになるだけで済むし」
 ドイツの大腿部の上に転がったプロイセンは、ごろんと体を横向けながら、帰宅後の個人的安全保障問題についてあれこれ策を巡らしはじめた。
「おまえも大変なんだな」
 そう呟くドイツは、無意識のうちに相手の金髪を撫でていた。自己暗示が効いたのか、彼の手つきはブラッキーたちを触るときのそれにそっくりだった。と、おもむろにプロイセンが彼の首に片腕を伸ばして引っ掛けた。
「おう、大変も大変だぜ。ンなわけで、変態兄妹のいびつな愛の空騒ぎに巻き込まれてカリーニングラードくんてばお疲れだからよー、ちゃんと労われよ、ドイチュ?」
 顔を無駄に近づけ、チンピラのような絡み方をしてくるプロイセンからちょっと首をひねって視線を逸らしつつも、
「はいはい……」
 適当な返事を返すだけだった。なんだかんだで嫌がる素振りを見せないってことは、心の答えはjaだな、とプロイセンは勝手に解釈し、ますます彼に絡みついた。
「あ〜、筋肉あったけぇ」
 ドイツのセーターをめくってインナーを剥き出させると、プロイセンは薄い布越しに彼の体温を味わった。自分の頬っぺたで。
「その位置邪魔なんだが」
 胸に顔を摺り寄せてくるプロイセンに眉をしかめるドイツだったが、相変わらず強引に引き剥がそうとする気配はない。彼のそのような態度は相手をますますつけ上がらせた。
「だってこの部屋省エネだかなんだか知らんが寒いんだから仕方ねえだろ。あっためろ」
 言いながら、プロイセンはインナーの下に手を突っ込み、直接ドイツの胸筋や腹筋をべたべたと触った。幸い、湯上りということも合ってプロイセンの手は冷たくはなかった。
「触るのはいまさら構わんが、わざわざ服をめくるのはよさないか」
「いいじゃん、ケチケチすんなよ。減るもんじゃねえだろ」
「いや、俺の体温が減るだろ。それから、乗りかかってくるのはよしてくれ。重いんだ。あと、おまえうまく髭剃れてないだろ。さっきからときどき剃り残しが当たってちくちくするんだが。……ほら、ピスタチオやるからどいてくれ」
「む……」
 さすがにうっとうしくなってきたのか、ドイツはローテーブルの上に置かれたピスタチオの皿から一粒取り出すと、器用に片手だけで剥き、プロイセンの口に中身を押し付けてやった。プロイセンは素直に唇を開いて実を食べたが、依然としてドイツの膝に居座る気満々だった。彼は寝転んだまま腕を斜め後ろに伸ばし、手探りでピスタチオ探して数粒鷲づかみにすると、
「おまえも食う?」
 乱暴に殻を剥いてドイツの口元に実を近づけた。
「自分でな」
「いいだろ、お返しだ。受け取っとけ」
 うらうら、とプロイセンが無理矢理押し付けると、ドイツは仕方なく口を薄く開いてピスタチオを軽く歯で噛んで受け取った。
「うまい?」
「まあな」
「今度は俺にも」
「はいはい」
「あ、これ、殻。片付けてくれ」
「しょうがないな……」
 互いに相手の手で何粒かナッツを口にしたあと、プロイセンは剥いた殻をドイツの手に押し付けた。ドイツは自分のズボンや彼の服の袖に散った細かな残骸も気になるらしく、大きな手をちまちまと動かし、せっせとごみ集めをしている。
 ドイツに服をきれいにしてもらいながら、プロイセンはひときわ大きなため息をついた。
「はあ……この平和な光景をあの道誤りまくりの兄妹に見せてやりたいぜ。あいつら不健全すぎるっつーの。ったく、ロシアもベラルーシも、どうして俺らの仲を妙に勘繰るんだか。別に変なことなんてしてねえのになー」
 ロシアとベラルーシがこぞってプロイセンらの関係をとんでもない方向に誤解していることを心底不思議に思いながら、プロイセンは難しい表情で首をひねった。ドイツもまた、彼と同じような顔で首をかしげている。
「話に聞くだけだが、確かに不思議な疑われようだな。ロシアたちはなぜそんなことを……? おまえ、何か誤解されるようなこと彼らに吹聴してるんじゃないか?」
「まさか。あいつらの目が曇ってるってだけだろ。自分らが不健全だからって他人にまでそれ適用すんなよって感じだぜ、まったく。俺らを見習って健康的な関係を築けって言ってやりたいぜ」
 不健全兄妹の狂った愛の騒動に巻き込まれる身にもなれってんだ――ぼやきながら、プロイセンは体をひっくり返し、ドイツの膝の上で仰向けになった。膝枕としては不適格に固いが、慣れてしまえばなかなか居心地のいい場所だ。
 彼らが度を越えて体を密着させている向かいでは、
「お馬鹿さんたちが……。もう好きにしてたらいいですよ、心行くまで」
 不幸にもタイミング悪く午前中に訪問して以来、ふたりのやりとりの一部始終を見せつけられたオーストリアが、食傷気味の表情で冷めたコーヒーをすすっていた。心なしか、マリアツェルに元気がなかった。




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