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冷戦期で、露領な普の話ですが、特にカプ要素がないので露普には分類していません。……が、見ようによってはこの上なく露普(むしろ普露?)かもしれませんので、苦手な方はご注意ください。
立場的には普=カリーニングラード州ですが、カリグラシリーズとは独立した話で、完全にコメディです。
普が露の家で下働き、もとい家政夫をしている設定です。バルト三国は秘書ですが、なんか普のほうがエラそうというか、仕切っています。





主人と秘書と家政夫と



 厳冬期のモスクワの朝は遅い。日の出がまだ少し遠く、朝焼けの気配のない静まり返った時間帯、けれども郊外にある大きな屋敷の内側では、にわかに喧騒が生じつつあった。
 冷え切った外の世界から遮断された屋内は暖かい。もっとも、エネルギー供給や暖房の調子が日によってまちまちなので、油断はできないのだが。
 幸いゆうべから暖房はご機嫌のようで、室内は薄着で過ごせるくらいの温度が保たれている。ロシアは暖かさを満喫しながらうとうとと気持ちよく朝のまどろみを享受していた。
 ――のだが。
 がちゃん!
 と乾いた音が乱暴に響いたかと思うと、開錠されたドアが開け放たれた。
「おら! 朝だぁ! とっとと起きろぉ!」
 主の断りもなく突入してきたのは、朝も早くからテンションが頂点を極めている様子のプロイセンだ。色気もそっけもない合成繊維製の業務用エプロンに身を包んだ彼は、頭を三角布、両手をゴム手袋、両足をゴム長靴でがっちりと固めている。これで首に防護マスクを掛けていたら、農薬でも撒きに行きそうなスタイルである。彼は照明を点けると、運んできた洗剤やスポンジを入れたバケツと掃除機を床に置き、つかつかとベッドのほうに歩いていった。
「いつまで寝てる気だ! 起きろ! 朝だ!」
 布団に包まっているロシアの肩を掴んで耳元に顔を寄せると、彼は持ち前の大声を存分に使って叫んだ。ロシアは一瞬びっくりしたように目をぱっちり開けたが、もぞもぞ動いたかと思うと、布団を引き上げて頭まですっぽり被ってしまった。
「ん〜……やだぁ、まだ寝るー」
 蓑虫のように布の中へ潜り込んでいくロシア。プロイセンは容赦なく彼の肩を揺らした。
「駄目だ! 起きろ! 目を覚ませ!」
「えー。今日は休みじゃないか。それにまだ暗いし寒いし……」
 ロシアは布団の間から双眸だけをちらっと覗かせて、窓のほうへ視線をやった。厚手のカーテンの隙間からは、一筋の陽光も漏れていない。
「もう七時だ! 冬なんだから暗くて寒いのは当然だ! 当然のことなんだから当然のこととして当然のように割り切って諦めろ! うらっ、気合を入れるんだ! 布団から出ろ、朝だ、目覚めのときはいまだ! いまこそ起き上がれぇ!」
 ハイテンション真っ盛りなプロイセンとは裏腹に、ロシアときたら、
「や〜」
 と情けない声を上げながら、布団に包まって拒否するばかりだった。
「『や〜』じゃない、『や〜』じゃ! かわいい口真似しても駄目だ! おまえの図体じゃ全然かわいくない!」
「寒いときに血圧上げると危ないよ」
「おまえが上げさせるようなことをしてるからだ」
 プロイセンはぶつぶつと文句を漏らしながらも、本や衣類で散らかった寝室をてきぱきと片付けていく。もちろん洗濯籠も持参している。
「まだ眠いのー」
「休みだからってだらけるな。休日にリズムを崩すと休み明けきついだろーが。常日頃から規則正しい生活を心掛けろ」
 説教を垂れ流しつつ、プロイセンはカーテンを開けた。外はまだ暗い。いっそ窓を開け放して凍てついた外気を呼び込んでやろうかと考えたが、自分まで寒い思いをするのは嫌だったので、すぐにその案を撤回した。
「ったく、今日は大掃除の日だっつっといただろ」
 プロイセンは、机の上に積み上げられていた書籍を本棚に片しはじめた。本棚を見ると、部分的に分類がぐちゃぐちゃになっていることに気づき、むっと眉をしかめた。この野郎、せっかく先月俺が整理してやったのに、すぐに崩しやがって。こんなことしてるから部屋がどんどん荒れるんだろうが。
 彼は主に無断で書棚の整理整頓に精を出す。ロシアはそれに対しての文句は言わなかったが、
「なんで四週に一回も大掃除するの。半年に一回でいいよ」
 彼の掃除への熱意についてはいささか不満があるようだった。
 すると、プロイセンは悪びれるふうでもなく、逆に胸を張って手を腰に当てた。
「俺はこの家の家事一切を任されてんだよ。確かにここはおまえの家だが、家政を取り仕切るのはこの俺だ。家事については俺の組んだスケジュールに従ってもらう。いいか、一室の乱れってのはそのまま施設全体の風紀の乱れにつながるんだ。俺が艦に乗ってた頃は、乗組員どもに徹底した整理と掃除を命じていた。狭い艦内では、普段から風紀を維持し規律を遵守することが有事における……って、ひとが真面目に力説してるそばから寝るな――――!!」
 この掃除に対するほとばしる情熱が何も病的な潔癖症から来ているわけでないと弁明するプロイセンについていけなくなったのか、はたまた最初から彼の話など聞く気がないのか、ロシアは枕に頭を乗せて堂々と寝ていた。
 プロイセンは頭に血を昇らせながらベッドサイドに歩み寄る。ロシアはいじけたように壁際に向けて寝返りを打った。
「だってきみのスケジュール、分刻みじゃないか。几帳面も度が過ぎると一種の病だよ」
「こんくらい計画立ててやんねえと終わらねえんだよ。おまえんち無駄にだだっ広いんだから。おら、おまえがごねてるせいで、予定より約二百五十五秒ずれこんでんだ。これ以上の遅延はあとのスケジュールに支障をきたす。一〇二五時までに二階の部屋全部掃除するんだからな!」
 プロイセンは布団の端を掴むと、瞬発力にものを言わせてロシアから布を引き剥がした。室内はさして低温でもないが、急に外気にさらされればやはり寒さを感じる。
「寒い! 布団返してよもう〜」
 ロシアが布団を引っ張り返す。しかしプロイセンは頑として譲らない。
「駄目だ、しゃんとしろ! 起きろ! 着替えろ!」
 布団を丸めるようにして奪い取ると、今度はロシアの寝巻きのボタンに手を掛ける。
「脱がさないでよ、えっち」
 眉根を寄せながら言いつつ、特に抵抗は示さない。が、それは制止の言葉以上に効果的であったようで、プロイセンの手を退かせることに成功した。
「気色悪いこと抜かすな! おまえがちんたらしてるからだろうが!」
「もー、まるでお母さんだね」
 眠たげに目を擦ったあと、ロシアはしぶしぶといった表情で着替えに応じた。
「お母さん言うな。傷つくじゃねえか」
 おもしろくなさそうに顔をゆがめながら、プロイセンは新しい服を渡してやった。
 と、そのとき。
「……ん? なんかおまえ酒臭くねぇ……?」
 ふいにアルコールのにおいが鼻腔をくすぐり、プロイセンは鼻をクンと震わせた。布団に潜り込んでいたためか、それまでは特ににおわなかったのだが。
「そう? 別になんもにおわないけど」
 しれっと答えるロシアの顔に、プロイセンは思い切り顔を接近させた。そして、間近で無遠慮ににおいを嗅ぐ。さながら警察犬だ。
「そりゃおまえ自身が酒臭いからだろ! おまえ……夜中に酒飲んだな! しかもこのにおい、けっこうな量だろ! 酒量は守れって言ってるじゃねえか! ってか、昨日は休肝日だったはずだ! なんで守らねえんだ!」
 推測のまま怒るプロイセン。まあ、このアルコール臭はごまかしようがないのだが。ロシアもそれは理解しているらしく、あっさりとうなずいた。
「飲んだって言っても、寝酒にちょっとウォトカあおっただけだよ。グラスに一センチ程度。そんな目くじら立てなくてもいいじゃない」
「ちょっとぉ? じゃあ、ここに落ちてるこの水筒はなんだ?」
 プロイセンは長靴のつま先で、床に転がっていた金属製の水筒をつついた。お馴染み、ロシアの燃料タンクだ。容積はさして大きくないが、ウォトカの度数を考えれば、かなりのアルコール量だ。
 半眼でにらみつけてくるプロイセンの前で、ロシアは水筒を見下ろしながらきょとんとした。
「あれ、いつ落としたんだろ?」
「とぼけるな! 飲んだんだろ!? 夜中に飲んだんだろ!! 駄目っつってんのに!」
 掴みかからんばかりの勢いで、プロイセンはロシアに迫った。が、ロシアは慌てもせず、面倒くさげに尋ねた。
「なんでそんなにカリカリしてるの」
「おまえがあまりにだらしないからだ!」
 その後も不毛な押し問答は続き、プロイセンのスケジュールは中途修正を余儀なくされた。

*****

 主人の寝室から聞こえてくる大音量に、階下のラトビアは壁に張り付いてびくびくと震えていた。怯えるあまり、無意識に隣の観葉植物の葉をびりびりと破いていた。気づいたリトアニアが青い顔をして掃除と葉の手入れをはじめたが、ラトビアは彼の行動の意味を解していない様子だった。
「うう……あのひと、よくロシアさんの寝室に乗り込んでいけますね……」
 リトアニアは、もじもじと手を動かすラトビアを観葉植物から引き離しながら答えた。
「彼、規律の鬼だからね……こうだと決めたことについては、杓子定規に遂行しないと気がすまないみたいだよ。この家に来て以来、なんか家事に目覚めちゃったみたいだし」
 炊事洗濯掃除買い物食料管理その他諸々の家事に対するプロイセンの並々ならぬ熱心さには、感心を通り越して恐れおののくばかりだ。花嫁教室で教鞭を取ったら盛況間違いなしだろうな、とかなり真剣に思えてくるくらいには。もっとも、彼の家事スキルの高さは長年の軍隊生活に由来するので(どんな集団や施設であれ、人間が生活する場所において家事は必要不可欠な能力なのだ)、とんでもない方向性の教師になるかもしれない。未来の花嫁を屈強な兵士に変えるくらいはやってのけそうだ。
「その勢いだけでロシアさんを叩き起こすなんて、とんでもない命知らずです……」
「失言率から言ったら、ラトビアよりは安全圏だと思うけど……」
 リトアニアが呟くが、ラトビアの耳には入っていないようだった。ラトビアは震えながら階上から響いてくるプロイセンの声を聞いていた。
 と、リトアニアが思い出したとばかりにぽんと手を打った。
「あ、俺も自分の部屋掃除しとけって言われてるんだった。あとで姑みたいなチェックが入ってうるさいから、やっとかなきゃ。彼に文句つけられるとなんかカチンと来るんだよなあ……なんでかわかんないけど。ほら、ラトビアも掃除しよ。俺もちょっとは手伝うから」
 ラトビア単独で行動させたら何が起こるかわからないし、という言葉は飲み込んで、リトアニアは彼を促した。
 ラトビアは素直にあとに続いてくるものの、半べそでリトアニアに訴えた。
「あのひと指で机の埃までチェックするから嫌です〜! あと、あのひと来て以来、夕飯のメニュー八割方ジャガイモとキャベツでつらいです〜!! もう嫌ですこんな生活〜! これなら自分で家事やったほうがましです!!」
「そ、そうかな……ラトビアが家事やるほうが俺は胃が痛いけど……」
 思わず本音を漏らすリトアニア。
 そのとき、階段の上からひときわ大きな声が降ってきた。
「おら! そこのバルト一号にバルト三号! おまえらも自分の部屋片付けろ! ごみの分別を怠るなよ! バルト二号はちゃんとやってるぞ!」
 洗濯籠を抱えたプロイセンが、血走ったまなこで指示を飛ばす。スケジュールの大幅な遅れが気に入らないようだ。彼は小走りで階段を下りると、リトアニアたちの正面を通過して洗濯機へと向かっていった。
 彼が過ぎ去ってから、ラトビアがリトアニアに泣きついた。
「うああぁぁぁぁ、嫌です、あのひと怖いです―――! ロシアさんひとりでも十分怖いのに、なんで怖い人が増えるんですかぁぁぁぁ!」
 リトアニアは、抱きついてくるラトビアの頭を困り顔で撫でてやった。
 階段の上では、ようやくエンジンの掛かりはじめたロシアが手すりにもたれかかっていた。




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