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プロイセンは人差し指と中指を揃え、皺の刻まれた自分の眉間にあてた。この予期せぬ緊急事態に、頭の中で混乱が雪ダルマ式に増大していく。 (え~と……と、とにかく落ち着くんだ! 静まれ俺ぇぇぇぇぇ! ここでおったつのはまずいって!……ああ、だめだ、焦れば焦るほど気分とは関係なく体が興奮する! そ、そうだ! 萎えるもの! 萎えるモンを想像するんだ! よ、よし、出て来いヴェスト、坊ちゃん! おまえらの顔思い浮かべてやるぜ! そうすりゃ絶対萎えるから! やる気の欠片も起きなくなるから!) 自分自身の状態に当惑しつつ、身内という安全パイを利用することにした彼は、血管が浮き出そうなほどきつく両目をつむった。藁をも縋る思いで必死に、全身全霊で集中力を高め、目的の人物二名を顔を記憶から引き出す。 (よーし来た来た! ヴェストの寝惚け面に坊ちゃんのシケ面! これで何もかもが元通りになるはず――) さすがに血縁者に登場してもらえば萎えざる得ないだろうと見込んだ彼だったが―― (な、なんで治まらないんだよぉぉぉぉ! あの腐れ眼鏡とムキムキマッチョ思い浮かべてんのに! あいつらに欲情する要素なんてないだろーがぁぁぁぁ!? どうしちまったんだ俺!? 身内にたつほど堕ちてねえはずだろ!?) 久々に健康を取り戻した彼の体は、主の理性にはまったくもって従ってくれなかった。小難しい顔をして鍋磨きをするドイツや、地図を上下左右頻繁にひっくり返しながら眺めるオーストリアといった、およそ性的興奮とは結びつかないシーンを脳裏に展開するものの、むなしい努力に終わった。 (ど、どうすりゃいいんだ……。いくら数十年ぶりとはいえさすがに処理の仕方は忘れてねえけど……多分。しかし、この状況でどうしろってんだ。こいつを起こさないように脱出できるか……?) このままここに留まっていても埒が明かないと判断したプロイセンは、打開策を講じるべく、おそるおそる自分の腰元を見下ろした。と、そのとき、 「ひとの寝顔に欲情するなんて、きみちょっと怖いよ」 狼狽しきった自分の姿を映す紫色の瞳とばちりと目が合った。 彼の太股を枕代わりにしたまま、ロシアが横目で見つめてくる。 「ちょ、お、おまっ……! 起きてたのかよ! い、いいいいい、いつから!?」 あわや恐慌状態に陥るかという瀬戸際のところでなんとか留まりながら、プロイセンが上擦った声で尋ねる。ロシアは意味ありげに視線を前方に泳がせた。その先にあるものを示すように。 「え~と……きみの股間のシュパーゲルがめっきり春めいてきた頃から……かな?」 詩的な言い回しでもって答えてくるロシアの目線を感じたプロイセンは、慌てふためきながら手で隠した――大事なところを。 「なにその無意味に高度な比喩表現! ひとの好物を汚すな! 今度からアスパラガス食えなくなっちゃうだろ!」 「緑のほうにしとけば大丈夫じゃない? さすがにあの色は人間じゃありえないから」 「葉緑素の問題じゃねえ!」 とんちんかんな会話を繰り広げるふたりだったが、ふいにロシアが無邪気な声を立てた。大事な場所を死守せんと奮闘するプロイセンの手を押し退けながら。 「これ絶対テント張ってるよね。見ていい?」 体を起こしてその場に座ったロシアは、改めて正面にとらえたプロイセンの足の間を眺め、好奇心旺盛な子供のように目を輝かせた。 「み、見るな!」 叫ぶプロイセンだったが、ロシアはあっさりと彼の手を剥ぎ取り、ファスナーの金具を指先で摘んだ。 「ちょ、やめっ……!」 「いつまでも抑圧してたら駄目だって。解放してあげないと苦しそうだよ?」 真面目な言葉を選びつつ、やっていることはろくでもない。ロシアは、全力で抵抗を試みるプロイセンを体重差で制すると、 「あ、すごい。鋭角だ~」 実に滑らかな動作でファスナーを下ろし、そこから現れたものをピンと指先で軽く弾いた。一瞬遅れて、プロイセンの顔が苦しげにゆがむ。 「うぁっ……てっ、てめえはぁぁぁぁぁ!」 圧し掛かってくるロシアを退けようと肩を掴んで抵抗するプロイセンだったが、現在の身体状況ではうまく力が入らなかった。ロシアは彼の左膝を横に倒して脚を開かせると、神妙な顔つきでその間にあるものを注視した。 「なんかエラく溜まってるみたいだけど……したいの?」 「し、したくない!」 もはやしたいしたくないといった意志の範疇を超えているのだが、ここでそれを認めるわけにはいかないと、プロイセンは頑なに首を横に振った。 「すごくたってるけど……」 ロシアの指摘どおり、眼前にある事実は否定も弁明も苦しすぎるものだった。しかしプロイセンはなおも抗うのをやめない。 「じ、事故みたいなもんだ、気にしなくていい! このまま寝てろ! お、俺は自分の部屋に戻るから! 夢の中のねえちゃんによろしくぅ!」 威勢よくそう告げると、プロイセンは酒棚に手を掛けて体重を引き上げ、脱力した膝を叱咤した。中腰ながらどうにか立ち上がることに成功した彼だったが、そこから何の支えもなく前進することは困難を伴った。しかし彼はふらつきながらも、出入り口である階段を目指して足を進めようと奮闘した。 「その状態で階段上がるのは無茶だと思うよ。階段っていうか、ほとんど梯子だし」 ロシアは数歩進み出ると、膝が折れて転倒しかけたプロイセンの体を背後からキャッチした。彼の脇に腕を差し込み体重を支えてやる。 「ほら、無理しないで。つき合ってあげるから」 ロシアはプロイセンの肩に顎を乗せると、視線を真下に投げ、そこへ自分の右手を移動させた。 大切なところを他人の手の内に収められたプロイセンは、びくりと肩を跳ねさせた。 「いい! いらんお世話だ! 自分で始末する!」 「でもきみにつられて僕もちょっと興奮してきちゃったし……ここは両者の利害の一致ということで、どう?」 相手の意向を尋ねるのは口先だけのことらしく、ロシアは無許可のうちにさっそく行動を開始した。突然の強い刺激に、プロイセンが悲鳴にも似た高い声を上げる。 「うあ!? こ、擦るんじゃねえ! しゃ、しゃしゃしゃしゃしゃ、しゃれにならねえんだよ!」 「わぁ、元気元気。むくむくしてる」 「ちょ、よせ、ほんとやばいんだピンチなんだ頼むからやめてくれ! ……う! あ、ああぁぁぁぁっ……」 プロイセンは半狂乱になってもがいたが、バランスを崩してその場に倒れかけただけだった。後ろから支えていたロシアは、彼を床に座らせて諭すような口調で言った。 「落ち着いて。とりあえず一回ラクになっておこう?」 「う……や、やだ……」 ロシアは背後から覆いかぶさるようにして彼に密着すると、困ったようにささやいた。 「ここまで来たら後戻りできないって。さっさとケリつけちゃったほうが楽だよ?」 「ふ、うぅ……や、いやだ、ぜってぇいやだ!」 駄々っ子のようにただ首を左右に振り続けるプロイセン。ロシアは呆れたため息をひとつ落としたあと、 「も~、なんでそんな強情張るの。下のほうは意地張ってる場合じゃなさそうだよ? ほら、気にしなくていいから」 強硬手段に打って出た。頑なに嫌がっていたプロイセンだったが―― 「やだやだやだやだや――――ぁ、あ……ああっ!」 時間の問題だった敗北は、結局呆気なく訪れた。が、ロシアもこのあまりに呆気ない終わりは意外だったようで、 「え……?」 自分の仕業のくせに、頓狂な声を上げて目をぱちくりさせた。腕の内側で浅い呼吸に肩を上下させているプロイセンの後ろ姿を、数秒の間、何が起きたのかわからないといった様子で眺めた。 おもむろに持ち上げた自分の右手を見たとき、ロシアはようやく事態を把握した。プロイセンはというと、失意のどん底に落とされたかのように、両手を床につき完全にうつむいて打ち震えていた。 ロシアは励ますように彼の背をぽんぽんと叩くと、 「……予想以上に早かったねえ。ちょっとびっくりしちゃった」 身も蓋もない感想を述べた。 「うるせえ! ほっとけ! だから俺言ったじゃん! 嫌だって!」 やけくそ気味に叫びながら振り返ったプロイセンの顔は耳まで紅潮していた。目尻には、生理的なものなのか、あるいは悔しさからくるものなのか、涙がはっきりとにじんでいた。 「あ、その顔色っぽい」 ふふ、と意味ありげな笑みを漏らしながら、ロシアは前触れもなくプロイセンの左手を握った。 「な、何すんだ……」 「えへ、僕も元気になってきちゃった」 うろたえるプロイセンの手を、ロシアは自分のほうへ引き寄せた。 一秒後、プロイセンの悲鳴が地下室にこだました。 「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ! 変なもん触らすなぁぁぁぁぁぁ!!」 変なもの呼ばわりを受けたロシアは、軽く不快感を示すように眉をしかめた。 「変なもんじゃないよ、きみの股間のツクシと同じものだよ。確かに形状や大きさに個体差はあるけど」 「ツクシ!? 何気にダウングレードしてねえか!?」 「シュパーゲルは嫌だってさっき言ってたでしょ。僕なりの気遣い、受け取ってほしいな」 「どこが気遣いだ!?……って、やめろ! 手が腐る!」 「ひどいこと言わないでよ。大丈夫だって、別に変な病気はもってないから。多分」 「多分かよ!」 プロイセンは思い切り自分の腕を引くと、何かこう汚いものを払うように、手をぱたぱたと振った。 「きみのほうこそ、病気はない?」 ダイレクトに尋ねてくるロシアに、プロイセンは数秒の逡巡のあと、 「あ、あるっつったら退くのか? だったらある! 淋病梅毒ヘルペスクラミジア、なんでもあるぞ! もう店開けそうなくらい!」 でたらめであることがありありとわかる回答をした。 が、ロシアは間に受けたのか、表情に驚きと不安の色が立ち上った。 「え、そんなにいっぱい病気持ち?」 「まあ、男の勲章ってやつだな。ははははは! 下手に近づくと痛い目見るぜ?」 ほとんど自棄になったプロイセンが盛大な高笑いを立てる傍らで、ロシアは顎に手を沿え深刻な面持ちで沈黙に陥っていた。 やがて、ロシアは顔を上げると、真剣そのものの表情でプロイセンに提案した。 「じゃあ、心配だからちょっと検体採取させて?」 「は……?」 きょとんとするプロイセンに、ロシアが引き続き真面目な声で説明を加えてくる。 「明日病院持ってって検査してもらうよ。いまならまだ元気そうだし、ちょっとがんばればすぐ採れるよね」 言いながら、ロシアは彼の股間に視線を落とした。先ほどに興味津々なまなざしから一転して、今度は心配そうな様子だ。揶揄の意図が欠片もないのがいっそ腹立たしい。 「何言ってんだてめえ!?」 「感染の危険があったら怖いから、自分で採ってね。ええと、空き瓶空き瓶……どこかにありそうだけど……」 呟きつつ、空き瓶を求めてあちこちの棚を物色しはじめたロシア。プロイセンはいまがチャンスとばかりにこの場から脱出しようと心に決めた――が、迅速に静かに動くには、あまりにコンディションが悪かった。しかしそれでも、彼は自身の最低限の尊厳を守り抜くべく、階段に向かってふらふらと歩き出した。なんとも情けないへっぴり腰の体勢で。
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