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露普です。
コメディではないです。若干あやしい雰囲気かもしれないのでご注意を。






夏の短い夜


 夏の長い日照の中で照らし出される故郷の風景は、破壊と復興が交錯している。プロイセンは古ぼけた椅子に座って窓越しに街を眺めると同時に、ガラスにうっすらと映じた自身の像をぼんやりと見つめた。疲労というよりは消耗の浮かぶ相貌はどこか虚ろだ。らしくねえ、と思いながらも、彼はひとりじっとその平面の中の誰かと目を合わせていた。あと数時間で日付が変わるが、太陽はまだ顔を覗かせている。夜はなかなか来ない。
 座ったまま、窓辺に組んだ腕を置き、そこへ顔の半分をうずめた。視界を閉ざしてふと思う。変わりゆくのは、街か、自分か。
 いくらか眠気を覚えた。部屋は狭く、ベッドまではものの数歩だが、そのわずかな移動さえ億劫だったので、窓辺で突っ伏したまま目を閉じた。起きたらシャツの袖の皺が頬に跡を残しているかもしれないな、と思った。
 しかし、眠りの扉は開かれなかった。ふいに響いた短いノック音が、彼を導く睡魔を退散させたのだった。
 意識は清明になったものの、無視を決め込もうと、プロイセンは顔を上げない。だが、ノックは一定の間隔で繰り返された。居留守を見抜かれている。彼は面倒くさそうに息を一回吐くと、椅子から立ち上がり、ドアを開けた。
 立っていたのは、長身の青年だった。
「やあ」
「あんたか。……悪いな、転寝してたもんで」
 プロイセンは肩をすくめ、対応が遅れた言い訳を何気なくしておく。完全に嘘というわけでもないその言い分に、訪ねてきたロシアは特に異を唱えるでもなく。
「そう。上がるよ」
 と言って勝手にドアを押した。プロイセンは一歩引いて道を空けてやった。
 ロシアはぐるりと室内を一周見回してから、窓辺の椅子に目を留めた。
「外を見ていたの」
「別に」
 プロイセンは扉を閉めながら、素っ気なく答えた。
「街を歩いてはみた?」
「そりゃ、こんなとこに日がな一日こもってちゃ生活できないからな」
 軽く腕を広げ、殺風景な部屋を示す。寝て起きて、食事を取って、服を替えて、入浴するだけの設備はある。しかし、それ以上のものはいまだ揃えられていなかった。照明はあるが、いまはスイッチを入れていない。明度は十分とは言えないが、淡い日の光が低い角度から鋭く差し込むので、室内の物品を見分けるのに不自由はない。
 窓から降る夜の陽光がロシアの髪に反射するのが妙にまぶしく感じられ、プロイセンは薄いカーテンを引こうと窓へ寄った。
 と、背後に体温を感じた。
 ロシアが真後ろに立ち、背に密着してきたのだった。
 背の高い彼は、後ろからプロイセンを抱き込むように脇の下に腕を入れると、手を胸元に這わせてきた。そして、耳の少し上から、声を落とす。
「まだ、傷は癒えていないようだね」
 綿のシャツの下には、ごわごわとした粗い感触。皮膚を覆うガーゼだ。布越しとはいえ、他人が傷に触れる感覚には緊張を覚える。プロイセンは一瞬息を呑んだあと、なるべく平静を装った。
「火傷は厄介なんだよ」
「痛む?」
 開襟シャツの合わせ目から、ロシアが指先を突っ込んできた。ガーゼに直に触れられる。じわり、と汗がにじみそうなのがわかった。プロイセンは相手の手を止めるように上から掴むと、
「いまはな。圧を加えられなければどうってことねえよ。だから放せ。……痛いだろが」
 高い位置にある相手を肩越しにちょっとにらむようにして、首を斜めにひねった。ロシアはなおもガーゼ越しに傷を撫でながら、耳元でささやくように言った。
「火傷って、最重度になると痛みを感じないらしいよ。真皮を破壊し、脂肪の層まで進展した深い火傷を負った人間は、治療中に痛がらない。でも、傷が治らずじきに死ぬ」
「知ってる。見てきた」
 そんな連中はたくさんいた、とプロイセンは胸中で付け加えた。そう、大勢いたのだ、傷ついた者は。この窓の外にも、かつて。
「きみのは大丈夫だよ」
 そう言うと、ロシアはようやく服の下から手を抜いた。プロイセンは相手に悟られないよう、ほっと息をついた。と、唐突に、体をくるりと反転させられる。至近距離で対峙する長身の青年は、今度は正面から腕を伸ばして彼の胸に手の平を当てると、
「そのうち治してあげるよ。きれいに」
 今度は力を加えず、ただシャツの表面をなぞるように触れてきた。何がしたいんだ、とプロイセンは怪訝に相手を見上げた。ロシアは彼の視線を受けてにっこりと笑った。
 そして、脈絡もなく一言。
「脱いで」
「なに……」
 突然の命令にプロイセンはぽかんとしたが、ロシアは笑顔を崩さないまま言葉を繰り返した。
「脱いで?」
「………………」
 無言の圧力に屈し、プロイセンはシャツのボタンを外し出した。袖を抜いて体から取り払うと、椅子の背もたれにそれを掛ける。あらわになった上半身は、右の鎖骨から左脇に掛けて白い。胸の七割ほどをガーゼが覆い、その上にクッション剤を置いた状態でテープで固定してある。背中にはいくつか目立つ瘢痕がある。医療品の独特のにおいがかすかに鼻をついた。
「ガーゼ、取り替えても?」
「今朝替えたとこだ。まだ早い」
「清潔にしておかないと」
「いじりすぎもよくないんだがな。それに物資の余裕はあまりない。……って、おい。剥がすな。ひとの話聞く気ないだろ」
 ロシアはガーゼを留めているテープの端を指先で二、三回引っかくと、音もなく剥がした。粘着剤に引っ張られ、皮膚が少し伸びた。クッションを取り除いてしまうと、肌に張り付くガーゼが現れた。着々と取り替え作業が進められていく。
「僕にそんなサービスがあるとでも?」
「……思ってねえよ」
 プロイセンは止めることもせず、されるがままの状態でため息をついた。と、ロシアが先刻と同じ要求を再度してきた。
「ねえ、脱いでよ」
「ああ? もう脱いでるだろうが」
「全部」
「はあ?」
「全部」
「…………わかったよ」
 明らかに不必要ではあったが、有無を言わせない口調に、プロイセンはしぶしぶうなずいて下も脱いだ。
「座って」
 ベッドを指し、ロシアが言った。プロイセンが腰を下ろすと、彼は前屈みになって右手でガーゼの端を摘んだ。
「ガーゼ、外すね。痛かったら言って」
「ああ」
 言ってやるものか、と思いながら、彼は首を縦に振った。
 布の下からは、変色し、えぐれたり盛り上がったりしてでこぼこになった皮膚が現れた。瘢痕が形成されかけている。たいした痛みはないが、引き攣れるような感覚が常にまとわりつき、そこに傷があることを意識させる。
「薬箱は……」
「大丈夫。持って来たから」
「ご親切なことで」
 持参した荷物を見せてくるロシアに、プロイセンはそっぽを向きながら、どうも、とだけ礼を言った。
 傷に触れるときの手つきが存外丁寧で優しいのがかえって不気味で、プロイセンは妙に落ち着かない気分だった。

*****

 薄暗い空間を、ぱっと人工の光が照らした。ロシアはプロイセンの肩をぽんと叩き、起き上がるようにと指示した。ベッドの脇から脚を垂らして座るプロイセンの横でなにやらごそごそと持って来たバッグを漁り、中から布のようなものを取り出した。
「腕、上げて」
「なんだよ」
「シャツ。着せてあげる。夏とはいえ、夜だからね。いつまでも裸じゃ寒いでしょ」
 ロシアはワイシャツを広げると、プロイセンの背に回して、片袖の通し口を彼の手元に当てた。プロイセンは呆れながら、はあ、と長いため息をついた。
「自分でできる」
「いいから」
 袖を通してよ、とロシアは無言で迫る。プロイセンはちょっと乱暴な動作でシャツの袖に腕を突っ込んだ。
「……ほらよ」
 その後ロシアは、彼にズボンを穿かせ、シャツのボタンをきっちり上まで留め、ネクタイまで自らの手で結んだ。プロイセンは居心地悪そうに眉をしかめている。
 最後に、ロシアは上着を示してから袖を通させようとした。プロイセンは一瞬表情を硬くしたが、すぐに応じてそれを着た。上着のボタンまですべて留めてやると、衣装は完成した。それは、ロシアが仕事のときに着用する制服と同じものだった。彼は制服姿のプロイセンをしげしげと見下ろした。
「見慣れないせいかな。なんか変な感じ」
「これ、おまえのじゃないだろ。サイズが……」
 体格差があるので、これがロシアの服であれば袖が余るはずだ。しかし、プロイセンが着ているそれは丈がぴったりだった。訝しげな彼に、ロシアは紙袋を目の前にぶら下げながら言った。
「うん。だってきみへの支給品だからね。今日はこれを届けに来たんだ。これから基地へ来るときは、それを着て来てね。替えも一組、置いていくから」
 ロシアが渡してきたそれを、プロイセンは複雑な表情で受け取った。


ソ連の制服を着せられるプーさんが書きたかったんです……。

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