露普です。
ちょっとウワァな流れなので、お気をつけください。
胸の傷の癒えるとき
窓の前で耐えるように顔をゆがめているプロイセンの傍らで、ロシアは外界をまっすぐ見つめた。
「僕はずいぶんと昔から、きみの大切な場所に魅了されていたよ。僕がなかなか手に入れられないものを、きみはあっさりと持っていたからね」
プロイセンが最初から持っていたものは、ロシアにとってはかねてよりの悲願。きっと手放しはしないだろう。もちろん、ほかの要因も絡んでいるわけだが。
「よかったな。晴れてあんたのものだよ。あとは俺をここから消すだけだ」
皮肉とともに、プロイセンは横を向いた。ロシアを正面にとらえることになったが、街を見下ろすよりはずっといい。
「僕はきみを追い出したいとは思ってないよ。きみの故郷はここなんだ。いてもいいのに」
「居場所なんてないさ。いまとなってはな」
はっ、と自嘲の笑いを立てる彼に一歩近づき、至近距離でロシアがささやく。
「いられるように、してあげようか」
その言葉の意味するところは明確だった。プロイセンはよっぽど、衝動に任せて突っぱねてやろうかと思ったが、すんでのところで踏みとどまる。代わりに口にするのは、以前から疑問と引っかかりを覚えていた、現状という名の事実。
「あんだけ放っぽり出しといて、俺だけ残しておくってのは矛盾してるだろうが」
ひと思いに追放してくれればいいのに。捨て鉢な気持ちがプロイセンの胸裏をよぎる。
「そう? きみは人々とは違うから、残っても不思議ではないと思うけれど」
「……せめてこの軟禁状態だけでもどうにかならねえのかよ。息苦しくてかなわない。空さえも、開けてる気がしねえぞ」
彼は首を持ち上げ、窓越しに空を見た。眼下の街の姿を瞳に映さないようにして。閉ざされた街は、空さえも切り取られ隔離されているように感じられる。
「それは無理。きみにとって大切であるように、僕にとってもまた、この場所は重要な意味をもつんだ」
「……だろうな」
「大丈夫。大事にするから」
「そいつはありがとよ。せいぜいかわいらしく直してやってくれ」
「おかげさまで復興は進んでいるよ。きみもなんだかんだで手伝ってくれてるし?」
協力どうも、とロシアは笑顔を浮かべた。プロイセンは体をくるりと反転させると、窓の真横の壁に背をついた。ここがいちばんの死角だ。見なくて済む。
彼とは対照的に、ロシアはガラスを指先で触りながら、手中に収めた街の姿を見つめた。
「早く僕好みになればいいのに」
「時間の問題だろ」
プロイセンは腰に手を当てて床に視線を落とす。用件はもう済んでいるのだから、早く解放してほしい。
と、ロシアが彼の真正面に立った。距離があまりに近かったので、プロイセンは反射的に離れようと身じろいだ。が、後ろが壁なので無駄な動きに終わった。
ロシアは再度プロイセンの手を掴むと、胸のあたりまで上げさせ、見下ろす。
「故郷の姿をその手で変えるのは、つらい?」
「……っ」
不覚にも、つかまれた指先がびくんと振れた。
「嫌な質問だったかな。いいよ、答えたくないならそれで」
「っんと、ヤなやつだな……」
いちいち癇に障ることばかり言いやがって。たまりかねてねめつけようとするが、動揺する瞳ではどうにもならなかった。
「言わなくていいから、何も」
ロシアはプロイセンの手をぱっと放すと、そのまま自分の腕を壁につけた。距離はさらに小さくなる。プロイセンは、相手の前髪が自分の額に掛かるのを感じた。そして緩慢に右腕を持ち上げると、何度かためらうように指を震わせたあと、ロシアの制服の袖を掴んだ。
*****
事務室の床に座り込み、壁に背を預けたプロイセンは、立てた右膝に顔を埋めるようにして体を丸めていた。左足はだらりと床に投げ出している。深く差し込む日の光が、つま先を照らしていた。
膝を抱えたまま、彼はまだ残る火傷のためにかすかにうずく胸を軽く押さえた。少しずつだが確実に傷が癒えていくのを自分でも感じている。きっとそのうち、痕も残さず消えてしまう。
変わりゆく街の景色を頭の中に浮かべながら、プロイセンはそう思った。
それなのに、いまだにここでこうしているということは、畢竟、故郷を捨てる覚悟がないということだろうか。確かに閉鎖され出入りの困難な街となっているが、何も手足を縛られてどこか薄暗い地下室に監禁されているというわけではない。自由に動き回ることはできる。行動範囲の制限はあるが、それでも、絶対に脱出不可能な環境とは言えない。ただ、諸々の状況が彼にそれを決断させずにいる。外的要因はもはや彼の手中から離れた問題であり、彼の胸のうちに渦巻く内的要因とはつまるところ――
……自分はここを離れたくないということなのだろう。
ということは、結局俺は自分の意志でこいつのところにいるんだろうか。
すでにロシアの手に落ちた故郷にいまだ身を置いているという事実は、彼を苦しめた。いっそ追放してくれれば、喪失の痛みと引き換えに、この煩悶は幾許か軽減されるだろうに。
この傷が消えるとき、自分はどんな姿をしているのか。それとも姿自体なくなっているのか。想像がつかないが、そのときがいずれ訪れるのは確実だ。まだいくらか時間はある。多分、それほど長くはない。
だからそれまでは、らしくもなく悩んでやろうじゃないか。一度くらいそういう時間があっても、まあ悪いということはないだろう。……結論は、もう出てしまっているような気がしないではなかったが。
プロイセンはもう何度自問したのかわからない大量の思考に酔いそうになりながら、いましばらく俺はあの野郎から離れられないんだろうな、と自嘲気味に思った。自身の手から離れゆき、かたちを失ってもなお、この街には思い出が多すぎるのだ。
けれども去り難き故郷は、きっともう、彼には微笑まない。
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