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引き続き露普です。
特にまずいことはしてないですが、ちょっとうわって感じかもしれないです。





暗い夕焼け


 鋭い痛みが絶え間なく押し寄せてくる。プロイセンはなんとか目を閉じようと眼輪筋に力を込める。しかしロシアの指によって徒手的に開かれ固定されている状態では、どうすることもできなかった。
「うっ……」
 さらに涙が溢れてくる。引かない痛みにプロイセンは苦しげなうめきを上げた。
「暴れないで。すぐ済むから」
 信用できそうにないロシアの声が降ってくる。と、次の瞬間。
「……っ!?」
 右のまぶたに、ぬるりとした感触と生暖かさを感じた。続いて、眼球に軽い圧力が掛かる。自分が押さえていたときのような間接的なものではない。眼球の表面そのものに接した、直接的な圧迫。けれども、先ほどよりもずっと弱く軽く、そして優しい力だった。
 ちゅ、と水っぽい音が小さく響く。
 眼球の表面をロシアの舌が這っているのだと思い当たったのは、左目をうっすらと開いたときだった。もっとも、焦点の内側に入り込んだ相手の輪郭は、ぼやけていたが。
「っ……は」
 プロイセンは息を漏らした。眼球を舐められる感触に動揺と緊張が走る。
 目頭から目尻へと、舌先が移動していくのがわかった。ロシアはやけに丁寧に、一分ほどもそうして彼の瞳に舌を這わせていた。
 やがて、ゆっくりとロシアは体を離した。なおも呆けて固まっているプロイセンの前で、彼はぺっと唾を吐いた。上品とは言えない行為だが、図体に似合わずこぢんまりとした動作だったので、存外かわいらしい仕種に見える。
「取れたかな? 痛くなくなったなら取れたと思うけど、ごみ」
 ロシアはプロイセンの目元に親指を当て、尋ねた。プロイセンはぎくりとして身じろぐが、うまく体が動かない。
「あ、ああ……どうも。もう平気だ」
「それはよかった」
 ロシアは微笑んで答えると、何を思ったのか、反対の手も持ち上げると、両手でプロイセンの頬を挟んだ。プロイセンはゆるゆると首を振るが、逃げることは許されなかった。
 鼻先の触れそうな距離で、ロシアがうっそりと言う。
「目、きれいだよね」
「あ、あぁ? 普通だろ?」
 いきなり何をぬかすんだ。プロイセンはわけがわからないまま答えた。
「前よりずっときれいだよ。僕は好きだな、このほうが」
 ロシアは親指の腹で、プロイセンの目の下縁をゆっくりとなぞった。ぞくり、と嫌な感覚がプロイセンの背を駆け上がった。
「青より赤のほうが、きれいだと思うんだ」
 含みを持たせた笑いの混じるロシアの弁に、プロイセンはふいっと視線を逸らせた。そして、ちょっと沈黙してから、
「……そりゃ、あんたはそうだろうよ」
 不服そうな声音で呟いた。ぐ、と自然と拳が握られた。何かに耐えるように。
 手の中からプロイセンの顔を解放してやると、ロシアはコートのポケットに手を入れ、ごそごそと漁った。プロイセンは、自分の涙と彼の唾液の混ざった右目に触れた。周囲の皮膚はすでに乾きはじめている。痛みと異物感は消失したが、代わりになんとも言えないねっとりとした違和感がそこにうずいている気がした。
「はい、これ」
 ロシアがプロイセンの前に差し出したのは、金属製の平べったい容器だった。手の平からちょっと出るくらいのサイズだ。
「ウォトカ?」
「うん」
「どうしたよ、あんたの燃料じゃねえか」
 ロシアが容器を押し付けてくるので、プロイセンは不可解そうに眉をしかめた。
「あげる。消毒に使えるよ」
「いや、使わねえよ」
 しかし、結局ウォトカを受け取らされてしまう。
「じゃあ、僕はもう戻るよ。仕事中だから。お大事に」
 ロシアはくるりと踵を返すと、手をひらひらと振りながら、来た道を戻っていった。プロイセンはいささか呆然とした心地でその背を見送った。帽子はどこかに飛ばされてしまっていた。

*****

 自宅に戻ると、プロイセンはロシアから持たされたウォトカの容器を質素なテーブルに置き、洗面台の前に立った。
 鏡を覗き込むと、赤い双眸をした鏡像がこちらを見ていた。
 ――おまえ、誰だよ。ドッペルゲンガーにしちゃ、重要なとこのカラーリング間違えてるぞ。
 プロイセンは心のうちでうそぶいた。嘲笑を向ければ、鏡の中の彼もまた、皮肉っぽい笑みを浮かべる。
 こつん、と額を鏡面につけ、目を閉じる。冷感が心地よい。
 ――きれいなものか。
 ロシアに言われた言葉がまだ耳元に残っている。プロイセンは胸中で反発した。
 再び目を開けて顔を上げれば、やはり赤い瞳がこちらを見ていた。
 いつからだろう。青かったはずの虹彩が変色し、赤になっていた。
 いや、いつからかはわかっている。赤なんて、いかにもロシアが好きそうな色じゃないか。確信はないし、こんな現象の機序など思いつかないが、あの青年に責任のすべてを押し付けたい気分だった。
 はじめて変色に気づいたときは驚いた。そのときは青っぽい紫色だった。そして徐々に青が抜けていくのを、彼は戦きながらも毎日鏡で確認した。いまではほとんど赤だ。
 視覚や色覚に変調はない――と思う。断言できる自信はなかったが。緩徐な変化では慣れが生じるため、実際には知覚が変わっていたとしても、認識できない場合があるからだ。
 ――こうして少しずつ変わっていくんだろうか。
 彼は体を反転させ、窓の外に目をくれた。その先にある街に。
 赤く変わっていく虹彩が嫌で、恐ろしくて、彼はよく空や海を眺めるようになっていた。その青が、瞳に映るだけでなく、移ってくれないだろうかと、叶うはずのない無茶な願いとともに。
「……どの面下げて帰ればいいってんだ。なあ――」
 これじゃ、おまえに合わせる顔がないじゃないか。遠く離れた地にいる《彼》の名を小さく呟き、プロイセンは目を閉じた。夕日が目にまぶしかった。以前より陽光に過敏になった気がする。それに――
 夕焼けに赤く染まる空や街を見るのは、嫌だった。
 燃えるような夕日は彼を怯えさせた。それは色だけではなく、昼から夜へと移り変わる短い時間の象徴でもあるからだ。変化が怖かった。
 彼は足早に窓辺によると、さっと厚いカーテンを下ろし、夕日を遮断した。電灯を点けていない室内は、途端に薄暗さに包まれる。けれども、このほうが気持ちが落ち着いた。
 光が少なければ、色の知覚は生まれない。
 色覚がうっとうしい。
 幸いなことに、夜はすぐそこまで忍び寄っていた。日の短い時期であることに、一抹の安堵を覚える。彼は長い夜を歓迎した。夜がもたらす暗闇を。そうすれば、この瞳の色に悩まされずに済む。
 ――ああ、なに暗いこと考えてんだ、俺は。
 モノクロの中、ベッドに身を放り投げた彼は、目元を腕で覆うと、皮肉っぽく口角を持ち上げた。



すいません、すいません……! 妄想が過ぎました。
以前いただいた「普の目はもともと青だったのに、露のせいで赤くなっちゃったとしたら」というコメントに激しくもえた結果、書いてしまいました。前書きでアナウンスすべきことだったんですが、ストーリーの展開上、勝手ながら事後報告というかたちを取るに至った次第です。
このコメントくださった方、勝手に書いてしまい、申し訳ありませんでした。まずいようならご一報ください。速やかに下げますので!

本当に、妄想しすぎてすみません……。
赤は東陣営の象徴色なので、つい。
ロシアの影響下だと赤くなるけど、ドイツに帰れば青に戻るという、余分な設定まで考えてしまいました。


追記
↑のコメントをくださった方から、後日OKサインをいただきました! 本当にありがとうございました!

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