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引き続き露普です。
いろいろ最悪の展開なので、ご注意ください。普が露に……という展開を受け付けない方は絶対この先に進まないでください、お願いします。
エロはありませんが、とてもイヤな感じの話です。
念のために下げました↓


























春遠からず


 全身の耐え難い痛みに苦しみ抜いた末にロシアに抱かれ、苦痛から解放される。しかし痛みはやがて再燃する。そうしてまた、そこから自分をすくい上げ得る唯一の手を待つ。何ヶ月も何ヶ月も、そんなことの繰り返しだった。
 ただの対症療法だ。根本的な解決にはなっていない。
 むしろ、事態は膠着状態から悪い方向へ向かっているような気がした。というのも、苦痛への耐久性が徐々に低下しているのを自覚しているからだ。
 最初の頃よりも、確実に痛みに弱くなっている。同じだけの苦痛であっても、そのつらさが増している。理由は明白だ。楽になる方法を知ってしまったから。どうすればこの苦痛から一時的にでも救われるのか。そして、痛みが消失したときの甘い安らぎ。一度理解してしまえば、その誘惑には抗い難い。
 ――不毛だ。
 プロイセンは、幾度目になるのかわからない激しい苦痛の波にたゆたいながら自嘲した。
 そこは、モスクワへ向かう列車の中。

*****

 首都はすっかり冬模様だった。何度か赴いたことのある大都市。独特のかたちをした建物が来訪者を迎える。
 郊外にある一軒の家。周囲の建物に溶け込むようなデザインだった。彼は痛みに震える体をなんとか宥めすかして、玄関の前に立った。ベルを鳴らせば、少し遅れて主が扉を開く。
「どうしたの。きみが来るなんて。よく許可が降りたね」
 突然の訪問者にいささか驚いた様子で、ロシアが出迎えた。プロイセンはうつむいたまま押し黙っている。
 ロシアは首をかしげながらも、寒い外気にさらされていた彼を建物に招き入れた。すっかり冷え切っていたが、寒がる様子がない。
 冷覚よりも痛覚が勝っているのか。そう当たりをつけつつ、暖炉のある部屋に案内をした。
 プロイセンは入り口で棒立ちになったまま、相変わらず顔をうつむけている。おいでよ。ロシアが言う。しかし動こうとしない。
 ロシアは訝しげに眉をしかめながら、彼に近づいた。
「いったいどうし――」
「……頼む、抱いてくれ」
 相手の言葉を遮り、プロイセンが唐突に切り出した。何の前置きもなく。
 彼は視線を地面に固定したままふらふらと腕を前に伸ばすと、ロシアの服の胸元をぎゅっと掴んだ。表情を隠すように額を相手の胸につける。
 ロシアに問いただされる前に、プロイセンは自ら吐いた。絞り出すような、悲痛な声音で。
「もう……限界なんだ。これ以上、この痛みには耐えられない。痛い、痛いんだ!」
 それが誇張でないことは、わずかに覗く表情からも、声からも呼吸からもうかがえた。
「くっ……ん、はあ、はっ、はあ……」
 ひどい痛みに必死に耐えているらしく、彼はロシアのシャツを強く強く握り締めた。額に冷たい汗が浮かんでくる。憐れなほどの懸命さで、彼は言葉を続けた。
「……意気地のないことを、プライドのないことを言うと思うだろう! ああ、そうだろうよ、そのとおりだ! そんなことは俺自身がいちばんわかっていることだ! 情けないことこの上ない! 侮蔑に値するだろう!……けど、けどよ……この痛みを誰がわかる? 誰にもわからないだろう! 感覚ってのは共有しようのないものなんだからよ。誰にも理解はできない、この苦痛がどんなものなのか! 肉体はまったく正常に働きながら、ほかの感覚がまともでありながら、ただ痛みだけが頂点に君臨して全身を支配する! どこにも悪いところはないのに、ただひたすら痛い。そう、意味のない痛みなんだ! 防衛反応や危険信号としての意味を失った痛覚。生体にとってなんらメリットのない疼痛。だが、意味がないからこそどうすることもできないし、終わることもない。そして、どんなに苦しくとも死ぬこともない。そりゃそうさ、損傷なんざどこにもないんだから。身体はまったくの健康だ、しかし、だからこそ治りようがない、治癒自体が起こり得ない。だって、存在しない傷をどうやって癒すってんだ? 傷のない痛み……幻肢痛並みに厄介だろうよ。亡霊に刺されているようなものだ……かわすことも、逃げることも、迎え撃つことも不可能なんだ」
 そこで一旦言葉を切った。ロシアは無言のまま、プロイセンの頭のてっぺんを見下ろしている。
「俺は……もうずっとこの痛みとつき合ってきた。何ヶ月も。耐えて、耐えて、耐えて! 気が遠くなるくらい!……けど、もう無理だ、無理なんだよ。終わりのない痛み……いつ消えるのかわからない。気が狂いそうだ! いや、実際のところ、大なり小なりイカれているのかもしれない、俺の頭は。恥も外聞もなく、こんなことを堂々と叫んでいる! もしまったくの正常だったら、言えるもんか、こんなこと。あんたに……抱けと言うなんて」
 プロイセンはゆるゆると頭を振った。ようやく顔を上げ、気まずそうにロシアと視線を合わせる。自分の発言を恥じ入るように、彼は苦々しく顔をゆがめた。赤い瞳が揺れている。
「うぅ……」
 肉体的な痛みと心理的な苦悩とに苛まれて、彼は低くうめいた。
 自分の体を抱くように手で対側の上腕を掴み、肩を丸める。少しためらったあと、再び唇を動かす。
「おまえに……抱かれている間は、痛みが引くんだ。そのあとも、しばらくは。おまえに抱かれれば、否応なしに自分はもうおまえの手中の存在だって思い知らされるからだろう。嫌でも現実を見なきゃならない、実感せざるを得ない。だから――皮肉にも――痛みが消える」
 絶望に駆られるように、彼は叫んだ。
「最初から、抱かれなければよかった……! あの痛みを手放すべきじゃなかった! そうすれば、少なくとも苦痛の緩和という誘惑を知らないでいられたのに! なのに、なのに……俺は、解放の味を覚えてしまった……際限のなかったはずの苦痛に、一時的とはいえ、楽になる方法があることを知った。そしてそこから、完全に解放されるだろう手段も推測した……浅ましいことにな! 苦痛のない時間を、深く安らかな眠りを味わったがゆえに、いまの苦痛はより一層耐え難い。ああ、俺は愚かだ……結末がわかっていながら、そこへ自ら進んでいく。いや、最初から結末なんざ決まっていたのか……それこそ、俺が認めるのを拒んでいただけで……ただの時間の浪費だったのか……?」
 自身の言い分の整合性や矛盾を噛み砕く余裕はもはやない。苦痛に突き動かされるまま、一思いに叫び散らした。自分がこうして話していることの意味あるいは無意味。それすらわからない。
 ひときわ激しい痛みに襲われ、プロイセンはびくんと首をすくめた。
「う……あ、っは……ぅ、あぁ……」
 がくりと膝が折れ、床に崩れる。乱れた呼吸の中で、彼はもう一度懇願する。
「……抱いてくれ、頼む……っは、ぁ……」
 ますます縮まりそうな体を叱咤し、彼は相手を見上げた。
「この……状態が続けば、俺はいずれ……正気を失うだろう。果てることのない強い痛みは、精神を蝕む。必ずだ。それは、嫌だ……嫌なんだ。発狂して、過去を忘れて、おまえに同化すれば、きっと楽になるだろう……けど、それは嫌なんだよ。理性も判断力も失った結果屈服するほうが、確かに気は楽だろうよ。だが、そこには意志が介在しない……俺が存在しない……。狂うのは嫌だ。それに、これ以上この痛みに耐える気力は、もはやねえよ。俺がここで選び得る唯一の解決策は……自分の意志で、自らおまえに抱かれることだ。現実を認めさせられるのではなく、能動的に認めることだ。この身はすでにおまえのものだということを。そうすれば、肉体と精神の不調和が――この痛みの原因が、消えるだろう……」
 彼はそこで唇をぐっと噛み締めると、数秒置いてから、再び声を発した。ほんの少し、震えている。
「……解放してくれ。俺を。この痛みから。おまえだけが、できるんだ……っつ! ぅ、ん……はぁっ、はぁっ……はっ……ぅ、ぁ……」
 ひどく苦しげなのは、全身を駆け巡る痛みのためだけではないだろう。いま自分が口にした懇願が意味するところ……その結果がわからないはずもない。想像を絶するであろう慢性的な疼痛を限界まで我慢して、我慢して、それでも、どうしても耐えることができず、ついに膝を折るに至った――その苦悩は、眉根ひとつにも現れている。
 ロシアはその場に佇んだまま、自分の腰元にある金髪をじっと見つめる。やがて彼は、疼痛に耐え忍ぶプロイセンの脇に手を差し込み、立ち上がらせた。プロイセンはよろめきながらも、なんとか体重を支える。
「難儀なひとだよ、きみは」
「ああ……俺もそう思う」
 皮肉げに小さくうなずいてから、彼は相手の首に腕を回した。
 これで終わる。この痛みが。そして、彼がこの瞬間までしがみついていた最後の矜持やさまざまな想いが。
 解放感と安堵、喪失感と絶望。相反する感情が胸を内側から叩いていた。

*****

 ぱちぱちと、暖炉から乾いた木の爆ぜる音が響く。
 ソファの隅の席を譲られたプロイセンは、片手で顔の下半分を多い、気難しそうに沈黙を続けている。ロシアは何も言わず、紅茶を飲んでいる。
 静寂が耳に痛い。
 ぱちり、と暖炉から少し大きな音が届いたのと同時に、プロイセンがおもむろに口を開いた。
「すまん……最悪の醜態だった」
 あんなにも彼を苦しめていた痛みは、どこへやら消え去っていた。肉体的な苦痛から脱したためか、少なくともここを訪れたときよりはずっと気分が落ち着いていた。現金なものだ、と彼は苦く笑った。
 ロシアはジャムを舐めてから、あっさりと答えた。
「いや、いいよ。どのみち、あれ以上はかわいそうで見ていられなかったもの」
「はっ……いまとなっちゃ、憐れみすら無味乾燥だぜ、俺にとっては」
 自己嫌悪に見舞われていることを隠そうともせず、プロイセンはくしゃりと自分の前髪を引っ掴んだ。顔の左半分が前腕で隠れる。
「痛みは?」
「消えた。多分、もう……」
 言葉を濁すプロイセン。ロシアはティーカップを口に運ぶ。
「そう。それはよかった」
 そのまま再び沈黙に陥った。
 次にそれを破ったのは、ロシアのほうだった。
「なんて言ってたの?」
「何が」
「さっきさ、ときどき何か呟いてたでしょ。ドイツ語で。小さくて聞き取れなかったけど」
「さあ……なんて言ったかな。よく覚えてねえや」
 プロイセンは曖昧に首を振った。ロシアはそれ以上追及しなかった。
 静かな長い夜は、しかしやがて終わりを迎えた。

*****

 モスクワから故郷の地へと戻り、閉ざされたままの街で一冬を過ごした。
 痛みのぶり返しはもうなくなっていた。あれだけ苦しんだのが、嘘のように。
 冬の気配が遠のきつつある日差しの中、プロイセンは凍らない港に立って海を眺めた。隔離された都市にも、平等に季節は巡る。
 埠頭に波打つ海を見下ろし、彼は現在のこの街の住民の間では使われない言葉で小さく呟いた。
「すまないヴェスト。一方的で悪いが、本当に、俺たちはお別れみたいだ。こんなところから悪ぃな……でも、もう、さよならだ……」
 水際に向かってそう告げ、しばしその場に立ち尽くす。
 やがて、彼は踵を返して埠頭をあとにした。左手でぐっと胸元を押さえながら。
 もう体は痛まない。
 けれどもどうしようもなく、胸が痛んで仕方なかった。
 ここが港でよかったと思う。汽笛の音が、嗚咽を掻き消してくれるから。


気持ちの悪い話を書いて本当にごめんなさい! そしてオチがやっぱり普→独ですみません……。
蛇足ですが、普の露に対する二人称が途中で変化しているのは故意です。


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