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お見舞い


 ファイルをクリックしたものの、すぐには開かなかった。
「なんだ? 妙に重いな……」
 小さいながら一生懸命働く携帯電話のディスプレイを見下ろしながら、ドイツはハンガリーから送られてきた画像が映し出されるのを待つ。彼の右下、つまり足元のベッドから、プロイセンはばたばたともがきながら腕を伸ばしてくる。
「おい、見るな、開くな、よせ!」
 しかし臥位からすばやく体位を変えるような俊敏性はいまの彼にはなく、言葉だけで必死に制止――というより懇願――するだけに留まった。
 プロイセンの願いむなしく、数秒後にはディスプレイの画面に送信物が映し出されていた。当然、最初にそれを目にするのはドイツだ。彼は眉ひとつ動かさず、平然と呟いた。
「ああ、おまえがトイレにはまったときの写真か。そういえばハンガリーがデジカメで撮っていたな」
「見るな、見るなぁぁぁぁ!」
 叫び散らしながら、プロイセンはドイツのズボンを掴んで引っ張った。精一杯の抵抗らしい。ドイツは体を少し傾斜させつつ、バランスを取る。
「何をそんなに慌ててるんだ。俺は現場で実物を見てたんだぞ。いまさらだろうが。俺は全然気にしていない」
 慰めているつもりなのか、ドイツは空いているほうの手でプロイセンの肩をぽんぽんと軽く叩いた。プロイセンはなおも携帯を奪おうとじたばたと腕を振り回す。だが重心をうまく維持できず、ドイツの腰にすがりつくようなかっこうになっている。これはこれでなかなか情けない姿なのだが、本人は気づいていない。
「おまえが構わなくても俺が構うんだよ! ンなかっこ悪い姿、恥ずかしいじゃねえか!」
「恥ずかしがることはない。俺はもっとかっこ悪くて恥ずかしくて情けないおまえの姿も知ってるしな。いまも相当情けないと思うが」
「仕方ないだろ、腰が痛ぇんだから。あと、ダウンしてたときのことを蒸し返すのはやめろ。あれは不可抗力だったんだしよ」
 風邪に見舞われていたときのことを指摘され、プロイセンはむくれた。じと目で見上げてくる彼に、ドイツはため息をついて忠告する。
「痛いんだったらおとなしく寝ていろ。立ったほうが楽ならそれでも構わんが」
 携帯電話をナイトテーブルに置くと、ドイツはベッドで上半身を浮かせた中途半端な姿勢を取っているプロイセンに手を伸ばした。体勢を変換するときの中間の姿位がいちばん痛みが増強するらしく、彼はおっかなびっくりの慎重な動きでドイツの手を借りる。結局元のうつ伏せに戻ることを選んだ。
 ドイツがクッションを渡してやったとき、再び携帯が着信を知らせる音を響かせた。これまたデフォルトのままである。プロイセンは、電話に応答しようと移動するドイツの動きを目で追った。
「む、またハンガリーか」
「え……」
 このタイミングで何の用なのか。いい予感はまったくせず、プロイセンは不安そうに固まった。ドイツはそれをよそにコールに応じる。
「ハンガリー?」
『ええ』
「どうした。いま取り込み中なんだが」
『プロイセンが暴れてるんじゃない?』
「そのとおりだ」
『手こずってる?』
 現在の状況を透視しているかのような質問をするハンガリー。ドイツはプロイセンを振り返りながら答える。
「いや、そうでもない。腰痛で動きが制限されているからな、たいして暴れない。もっともその分、騒音度は倍増だが。先ほどからぎゃあぎゃあうるさくてかなわない。注文も多くてな」
 やめろ、とか、変なこと言うなよ、とかいった言葉とともに、腰痛がもたらしているらしいうめきが電話越しに伝わってくる。ハンガリーは苦笑を漏らした。
『あー、もう、やっぱり……。ね、もしあんまりあなたの手を煩わせるようなら、さっき送った写真、脅しに使っちゃっていいからね? あいつのことだから、おとなしく療養なんてしないでしょー』
「ああ、的確に察してくれて助かる」
『ちょっとあいつに電話近づけてくれる?』
「かまわないが」
 ドイツは携帯電話をプロイセンの耳元に近づけた。話の流れのわからないプロイセンは、一瞬きょとんとする。
『プロイセン?』
 いきなり間近から聞こえてきたよく知る声に、彼は動揺した。
「ハ、ハンガリー!」
 次に続ける言葉が思いつかず、ぱくぱくと口を開閉させていると、先にハンガリーが話し出した。
『なんかさっきからぎゃーつくぎゃーつくうるさいけど……あんまりドイツに迷惑掛けちゃダメよ? ただでさえあんたって普段から小うるさいんだから。あと、安静にしてなさい。体幹筋を鍛えれば治るとかなんとか無茶なこと言って無意味に筋トレなんかはじめないで、ドイツの言うことちゃんと聞くのよ?』
 なんでこいつがゆうべの俺たちのやりとりを知っているんだ?――プロイセンは訝しく思いつつ、電話先の見えない相手に向けて頬を膨らませた。
「なんでおまえにそんな小言言われなきゃならねえんだよ」
『相変わらずあんたってかわいくないわねえ……。まあいいわ、おとなしく養生しないと、あの写真のデータ――』
 ハンガリーが《どうする》の部分を提示する前に、プロイセンの大声が響く。
「うわ―――!! や、やめてください、それは勘弁してください!!」
『じゃ、おとなしくしてるのよ? 無理に動いたらダメよ?』
 ハンガリーが念押しのように告げてきた。プロイセンは唇を尖らせつつ、
「わ、わかったよ」
 しぶしぶ了解の返事をした。もっとも、体調的にはうなずかざるを得ないのだが。
『あ、あと、さっきから変な声聞こえるけど、出してるのあんた? 電話越しだとなんかいかがわしい感じがするんだけど』
 妙な指摘をしてくるハンガリーに、プロイセンは早口で言った。
「知らん! 俺は知らん!!」
『そう。まあいいけど……じゃあね、お大事に。電話切るってドイツに伝えておいて』
 一秒後、ぷつんと通話が切れ、単調な周期の電子音が繰り返し聞こえてきた。ドイツは状況を察すると、携帯を手元に引いて尋ねた。
「話は終わったか」
「あ、ああ」
「ハンガリーはなんと?」
「おまえに迷惑掛けるなってさ。くっそ、あいつ、ネタがあるのをいいことに脅しやがってぇ……」
 おもしろくなさそうに答えるプロイセンの横に腰掛け、ドイツは忠告した。ハンガリーとて何も本気で脅迫を目的としたのではなく、彼の容態を心配してくれての電話だろうに……と思いつつ、肩をすくめる。
「見舞いの礼はあとでしておくんだぞ。治ってからでいいが」
「俺、あいつのナンバーもアドレスも知らねえんだけど……」
「手紙くらい書けるだろう」
「えー……手紙なんてなんか大仰じゃん。だいたい、あれのどこが見舞いなんだよ、俺を脅したかっただけだろ。まったく、ひとの足元見やがって……」
 ぶつぶつ文句を垂れ流すプロイセンに、こういう気の利かなさというか素直でないところがダメなんだろうと、堅物のドイツさえ感じた。
 頬杖をついたプロイセンは、口をへの字に曲げてむぅっと不機嫌そうにうなった。と、ふいに背後に翳りを感じる。
「ん?……おまっ……なに乗り上げてんだよ!?」
 振り返ると、ドイツが彼の背中を跨ぐようにして膝立ちになっていた。体重は掛けられていないので物理的にはどうということはないのだが、心理的圧迫感は否めない。
「いや、マッサージでもしてやろうと思ってな。機械より手のほうがいいだろう」
 言いながら、ドイツはプロイセンの背中に軽く手を触れさせ、滑らせた。びく、とプロイセンが肩を縮めた。まだ圧は掛けていないから、痛いということはないはずだが。
「うわ!? ちょ、くすぐってぇ! 何すんだよ!」
「だから、マッサージ」
「わざわざ服めくる意味がわからん!」
 シャツの裾を肩甲骨のあたりまでたくし上げられたプロイセンが吼えてくる。が、ドイツはお構いなしに手の平を彼の背につける。他人の皮膚の接触が余程こそばゆいのか、プロイセンは可能な範囲で身をよじった。ほとんど動けていないが。
 ドイツは、おとなしくしろ、と警告してから話を続ける。
「布越しでは筋肉の状態がわかりにくい。直接触ったほうがいい。人間の手掌は機械以上に優れたセンサーだ」
「それは修行を積んだやつについてだろうが。おまえは専門家じゃねえんだ、生半可な知識で変なことすんな。ってか、おまえが機械を信じないなんてどうしちまったんだよ! 頭に風邪でも引いたか!?」
「これは俺が品定めをしたものじゃないし、治療効果のエビデンスもないから信頼に足りない。それに大丈夫だ、おまえの体のことなら、筋の走行方向の特徴を含め、だいたいわかっている。昔散々解剖学を叩き込まれたからな。加えて、おまえが年とってからははからずもいろいろ面倒見てきたわけだし」
 ドイツの指腹に軽く背筋を押され、プロイセンがぎくっと首をすくめた。
「い、いい! 何もすんな! ってか、おまえいま何気に俺を要介護老人扱いしただろ!? むかつく!! 俺はまだまだ若いわぁ!」
「それに、仮に悪化したなら、今度こそおまえは病院に行く気になるだろう? 医師には『親戚とプロレスごっこしてやりすぎました』とでも言っておけばいい。詐称はよくないが、まあこの場合は婉曲表現ということでよしとしよう」
「この年齢でプロレス!? ンな言い訳使ったらなんか別方面の想像されるわ絶対! っつーか、ハナから悪化させて医者行かせるのが目的だろ! そうなんだろ!」
 プロイセンは抗議のために後ろを向こうと、首を斜めにひねる。
「こら、無理に体をひねると本当に悪化するぞ。頚部をひねれば連動して体幹にもねじれが生じる」
 無理はするな、とドイツはプロイセンの後頭部を軽く掴むと、くりっと前方を向かせた。そのまま片手で後頭部を押さえつけられ、もう一方の手で背中や腰にじっとりと圧を加えられる。
 これはもしかしなくてもすごく屈辱的な体勢なんじゃないか。
 プロイセンは悔しさに唇を引き結んで枕に顔を埋めつつも、
「う〜……悔しいけど気持ちいい……もっと右頼む」
 結局ドイツの腕前を認めると、緊張を解いてそのままぽふっと枕に沈んだ。




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