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なんとなく書いてみたくなった、叔父甥関係な普と独の話です。捏造と妄想が著しいので、苦手な方はご注意ください。
独の母親の話題が出てきますが、誰なのかは不明です。





親戚の男の子



 夜更けの書斎は静寂に包まれていた。照明の油がじりりと燃える音と、紙のこすれる音が響いて聞こえる。プロイセンは言語記号よりも数式の羅列のほうが目立つ紙面に目を落としながら、ペンの尻で額を突付いた。手元のメモには他人が見ても解読できないであろう走り書きのアルファベットが並んでいる。彼はそれらの文字とにらめっこをしながら眉間に皺を寄せた。
 どうにもはかどらないな。今夜はこのへんで切り上げるか。
 本を閉じると、彼はメモを文鎮の下に挟んでインクが乾くのを待った。
 そろそろ明かりを落とそうと照明に手を延ばしたとき、ふいに外部から短い音が届いた。ノックだ。
 振り返ると、控えめに数センチだけ開かれた扉の向こうから声がした。
「叔父貴、まだ仕事中か?」
 ギギ、と蝶番を軋ませながら、少年が扉の隙間からちょこんと顔を出してきた。プロイセンは意外な来客に目をしばたたかせた。
「ドイツ? なんだよ、まだ起きてたのか。子供があんま夜更かしすんじゃねえよ。大きくなれねえぞ」
 叱責というほどではないが、ちょっと声を低くして忠告する。ドイツは咎められたと感じたのか、少々恐縮した様子で扉の間で立ち止まった。
「ああ、すまない。ちょっと……な」
「まあいいや、入れ」
 ドイツはひょっこり頭だけ覗かせたまま、窺うようにプロイセンを見た。
「いいのか。仕事してるんだろう」
「構わん。今夜はもう寝るつもりだったし、そう急ぎってわけでもねえし」
 はっきり示してやらないといつまでも廊下で突っ立っていそうだ。そう感じたプロイセンが手招きをすると、少年は足音もなくするりと室内に入ってきた。広くない書斎にひとつだけある客用の椅子を勧めると、ドイツは遠慮がちに浅く腰掛けた。プロイセンは自分が座る椅子を回して少年と向き合った。
「で、どうしたんだ、こんな夜更けに」
「あの、少し聞きたいことがあるんだが、いいか?」
 寝巻きで外をうろつくことに抵抗があったのか、ドイツは昼間のようなきちんとした服装だった。これはちょっと思い立って部屋を出てきたわけではなく、目的を持ってここまで来たんだな、とプロイセンは推測した。この場所、この時間を狙って来たということは、人払いの必要がある話なのだろうか。
 いったい何を聞かれるのかと少々身構えつつ、プロイセンは平生と変わらぬ軽い口調で答えた。
「んなもん内容に寄りけりだ。ま、おまえが聞いてくるってことは、俺が答えられる範囲だって踏んでるってことだろうけどよ。しかし、前にわざわざ遠出してザクセンのとこまで行ったのは感心しない。あいつに聞かなくても、あんくらいの数学、俺にだってわかるっつーの。ってか、ザクセンにわかることを俺が理解できないはずねえだろ。まずは俺に聞けばよかったんだ」
 ドイツが自分より先にザクセンを頼ったことがおもしろくなかったらしく、プロイセンはいまだに根に持っている様子だ。
 けっこう前のことだよな、と呆れつつも、ドイツは律儀に話題に応じた。
「いや……無理だろ。めちゃくちゃややこしかったぞ、あれ。なにせライプニッツの著作だったんだ。あの記号オタクの」
 難解すぎて見ているだけで頭が痛くなった、とドイツがため息をつく。すると、プロイセンがむっと唇を尖らせた。
「てめえ、俺をなんだと思ってる。数学は得意だぞ。物理もな。学者連中のゴーストライターやって小遣い稼ぎしてたこともあるんだぜ。おら、見やがれ。いまだって大学の小論文書いてたんだぞ。流体力学の」
 と、彼は机上に置いた書きかけの書類の束を無造作に引っ掴み、丸ごとドイツに手渡した。ドイツは上の数枚をぺらぺらめくって紙面を確認した。力学関連の数式や用語や理論の出典などがずらりと並んでいる。このかなり読みづらい筆跡はプロイセンのものに違いない。ドイツが真剣なまなざしで文字列を追うのを見て、プロイセンは得意満面に息を吐いた。
「ふっ、どうよ、これでもまだ俺は頼りにならないと思うか?」
 俺ってすごいだろ、といまにも口に出しそうな調子で彼は自分の短い横髪をさらりと撫でて見せた。フランスあたりがやれば様になる仕種だろう。
 もっとも、ドイツは彼の気障な動作には見向きもせず、論文の下書きに目を釘付けにするばかりだった。そして、ほうっと感心のため息をついたあと、
「ものすっっっっっっっっっっごく意外だ」
 実にシンプルな感想を述べた。
「なんだその不必要なまでに長い溜めは! てめえ、俺を馬鹿だと思ってるだろ!」
 少年の反応が気に食わないプロイセンは、大人気なく彼の肩を掴んで声を荒げた。ドイツは怯むことなく落ち着いた様子で首を左右に振って、プロイセンの被害妄想を否定した。
「いや、そんなことはない。頭はいいと思っている。ただ同時に、頭がおかしくもあるんだと思う」
「なんだと」
 プロイセンが文句を垂れ流す前に、ドイツは先手を打って具体例を挙げることにした。
「ほら、こないだのあの珍発明……印刷機に搾乳機をくっつけて売りつけようと本気で画策するなんて、並の頭では考えられないと思うんだ。頭のいい悪いは別にしても、おかしいのは間違いない。どこに頭のネジを落としてきたんだ?」
 ドイツは自身のこめかみを人差し指で押さえて軽く回した。しかし、馬鹿にしているというよりは、心配そうな表情だ。
 プロイセンは身振り手振りを交えて、自分のアイデアのすばらしさを訴える。
「あの発明のどこが悪い。一度にふたつの異なる作業ができるなんて、時間短縮ができる上に作業能率がアップして、効率的でいいだろうが」
「印刷と搾乳を同じ場所で同時に行うことがあり得ると想定することがそもそもクレイジーだろう。出版と酪農の組合せだぞ? どこの世界のどんなマーケットで需要があるんだ」
 呆れ返るドイツ。しかしプロイセンは自らの発想の先鋭性を信じて疑わないようで、少年のもっとも言い分を鼻先でせせら笑って一蹴すると、自信たっぷりに言った。
「ふっ。わかってねえなあ、お子様は。いいか、俺の考えがイカれてると評されるとしたら、それはあまりに斬新かつオリジナリティに溢れているからそう感じるだけだ。世間の誰も俺のアイデアを受けつけないとしたら、それは時代が俺に追いついていないということだ!」
 プロイセンは拳を握り締めていっそ感動的なまでに力説した。いかにも少年くらいの年頃の子供が好みそうな語句や言い回しが並んだ小演説ではあったが、ドイツは冷めた遠い目で彼を見るばかりだ。いや、冷めているというよりは、どちらかというと生温いかもしれない。
「そこまでおかしくなれたらむしろ幸せなのだと、俺はいまここで確信した」
 淡々とした語り口。プロイセンは一瞬むかっとしたものの、すぐににやりと口角を持ち上げると、少年の頭に手の平を置き、ぐりぐりと髪の毛を掻き乱した。
「あんだよ、そのおかしいやつと血ぃつながってんのは誰だぁ? なあ、かわいい甥っ子ぉ?」
 彼は立ち上がると、腕を首に絡めて軽く締めた。いつものことなのでここから本気で技に持ち込まれる危険性は少ないが、ポジション的に不利なのは事実なので、ドイツは少々言葉を選んでから答えた。
「なんというか……悲劇としか思えない」
 プロイセンは、小難しく顔をしかめた少年の頬を指先で軽くつねった。
「言っとくが、おまえのオカンに比べたら俺なんてかわいらしいもんなんだからな? おまえはかわいい甥だが、だからこそ、あの女と血がつながってるってのが解せん。俺もアレときょうだいなんて正直うげって感じだし。はあ……人生最大の汚点としか思えない」
 彼は少年の頭頂部に顎を乗せると、妙に実感のこもったため息をついた。
 と、ふいにドイツが声を高くした。
「ああ! そうだ! 忘れていた!」
 もぞ、と首を動かして、上方にあるプロイセンの顔を見つめる。急な行動に、プロイセンはきょとんとしている。
「どうした、いきなり?」
 顎をどかして半歩後退した彼に、ドイツが矢継ぎ早に言ってきた。
「叔父貴に尋ねたいことだ。そのことなんだ。よかった、話題に出なければこのまま忘れるところだった」
 ああ、そういえば何か聞きたいことがあるからここへ来たんだったな。プロイセンはようやく思い出した。が、いまの会話の流れから、ドイツが何について質問しようとしているのか即座にははかりかねた。
「そのことって?」
 単純に聞き返した彼に向けて、ドイツが発したのは――
「母のことだ」
「……姉貴の?」
 興味津々に輝く少年の瞳を前に、プロイセンは少しだけよどんだ反応を見せた。いつか聞かれることがあるだろうと、予想していた質問ではあったのだけど。


親戚のおにいさん