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親戚のおにいさん


 じじじ、と照明の火が燃える。
 ほの暗い夜の書斎の中、プロイセンは柔らかく照らし出された少年の双眸の輪郭を見つめた。少年がどう切り出してくるのかうかがいながら。
 ドイツのまなざしは真剣ではあるが、瞳に深刻そうな色はない。疑問に思ったことについて、いちばん精通していそうな人物に尋ねてみただけ、といった印象だ。
「俺、母のことをほとんどというか、まったく覚えていないんだが」
 そのことを思い悩むふうでもなく、ただ事実の叙述として、ドイツは話してきた。プロイセンは乾いた唇を舌先で舐めてから、少しだけトーンを落とした。
「……まあ、それは仕方ないな」
「叔父貴は知ってるんだろう?」
 純朴に首を傾げる甥の姿は、こんな場面でなければ心底かわいく感じられただろう。
「そりゃまあ、姉弟だし。あんま認めたくねえけどよ」
 プロイセンは片手を側頭部に当てると、どう答えたものかな、と悩みながら髪を掻いた。
「なあ、どんなひとだったんだ?」
 ドイツは椅子の上で前のめりになりながら、上目遣いにプロイセンを見た。いままで聞かれなかったのが不思議な質問ではあったが、だからこそ、なぜ今夜突然それを携えて自分のもとを訪れる気になったのかわからない。プロイセンはまずそのことについて明らかにしようと試みた。
「まあ、疑問に思うのはもっともだと思うが……けど、どうしたんだよ、唐突に? いままでンなこと聞いてこなかったのに。遠慮してたのか?」
「いや……少し、気になってな。この前書庫で本を漁っていたら、母のことを記述でしか知らないことに気づいたんだ」
「いままで気にならなかったのか?」
 プロイセンが少し踏み込んで尋ねてみると、ドイツは腕組みをして眉間に皺を寄せた。この若さにしてすでにそんな表情が板についている。
「それが不思議なことに、きれいさっぱり意識していなかった。忘れていたという感覚じゃなくて、ほんとに気にならなかったんだ。でも、なんでだろうな……不思議だ」
 少々難しそうに目を閉じるが、重苦しく自問しているわけではなさそうだ。
「……そうか」
 プロイセンは曖昧な相槌を打つと、それ以上突っ込んだ質問をするのはやめた。
 まあ、あんまり深く考えるんじゃねえよ。プロイセンは声には出さないまま、少年の金髪をくしゃくしゃと掻き混ぜた。
 ドイツは自分を撫でる大人の手の下から青い瞳を向けてきた。少々口の立つ子供だが、こういった扱いを嫌がらないあたりまだまだかわいいものだと、プロイセンは思った。
「なあ、どんな人物だったんだ?」
「どんな……って、なあ……」
 プロイセンは言葉を濁すと、ドイツはちょっと不安そうに目をぱちくりさせた。まずいことを聞いてしまったのだろうか、と。
「どうした? 話しにくいことなのか?」
「うーん……それこそ内容によるけどよ。ま、存在自体は秘匿しておくようなこっちゃねえな。そういやおまえには話したことなかったっけ」
 プロイセンは両手を広げて肩をすくめて見せると、ドイツはぱっと顔を輝かせた。
「話してくれるのか?」
 期待のにじむ少年の声。しかしそれゆえ、プロイセンは目を逸らして考え込みたくなった。
 数秒の間のあと、彼は視線をドイツに戻してまっすぐにとらえた。そして、少年の両肩に手の平をそっと置くと、
「いいけどよ、ほんとに聞きたいか? 後悔しないか? 責任は取れねえぜ?」
 脅かすようにそう尋ねた。ドイツはわずかに唾を飲み込んで少し詰まったが、すぐに首を縦に振った。
「そうやって念を押されると怖気づきそうになるが……ここはぜひ聞いておきたい」
 プロイセンは、わかったよ、と片手を上げて了解の意を示した。いつもむっつりと不機嫌そうな表情に固定されがちな少年が、純粋に嬉しそうな顔を見せる。プロイセンはちょっぴりきゅんとしつつ、一方でなんだか申し訳ない心持ちになった。生憎これから話すことは、少年の期待にそえそうにないからだ。
 彼は椅子から降りて少年の座る椅子の横に片膝をつき、アームレストに前腕を乗せた。
「んー、そうだなあ、姉貴の人物像なあ……まあ一言で言うなら」
「言うなら?」
 先を促してくるドイツをちらりと横目で見やりながら、プロイセンは一息に続けた。
「粗野で野蛮で乱暴でそれでいて小賢しくて妙なところでばっかり頭の回転の速い、どーしようもなく凶暴かつ凶悪な女だった。まったく……暴虐って言葉は姉貴のためにあるんだと思ったもんだぜ」
 百パーセント悪口で構成された説明に、ドイツが目をしばたたかせた。プロイセンの言い草に腹を立てたり呆れているわけではなく、ただ呆気に取られているのだろう。
 たっぷり三十秒ほどの沈黙を置いて発せられた、少年の最初の感想は、
「……叔父貴がそれを言うのか?」
 むしろあんた自身に冠せられた修飾語句の数々なんじゃないか、という疑いだった。
 プロイセンは歯茎を剥き出して剣呑な調子で聞いた。
「そりゃどういう意味だ」
「いや、別に。しかし、あんたがそう言うなんて、どんなレベルの凶暴さだったんだ……?」
 プロイセンの追及をさらりとかわすと、ドイツは自分の質問に転換した。プロイセンは頬杖をつくと、忌々しげに語った。
「弟の鼻に球根詰めて大喜びするようなろくでもない姉貴だぜ」
「詰められたのか……?」
 思わず聞き返すドイツに対し、プロイセンはおおいにうなずいた。あの悪行、息子に伝えないでおくものか、と息巻いて。
「おう、詰められたぜ。しかも小さいのが奥にはまり込んで取れなくなってな、危うく鼻から芽が出て花が咲くところだった」
 ドイツは信じられないといった面持ちで眉をひそめている。
「よく入ったな……種じゃなくて球根なんだろう?」
 突っ込むポイントが少々的はずれだったが。
「小さい種類のな。痛いし苦しいし最悪だったぜ。……って、おい、何ひとの鼻の穴覗き込んでんだよ」
 ドイツが上半身を屈めて下から覗いてくるのに気づき、プロイセンは思わず鼻を手で覆った。別に見られて困るようなものではないが、なんとなく落ち着かない。
「……おい、ほんとに詰められるか確かめたいとか言い出すなよ? 二度とごめんだからな」
 この少年には何かと現物で試して確認したがる癖があることを知っているので、プロイセンはあほくさいと思いつつも断りを入れておいた。すると、ドイツが少しだけ首をすくめた。
「それは……残念だ」
「何が残念だ! さらっと恐ろしい発言すんじゃねえ!」
 プロイセンは鼻を庇うようにぎゅっと摘まんだ。
「ただの好奇心だ。悪かった。確かに鼻に球根は恐ろしいな。しかしまあ……子供の頃のいたずらだろう?」
 そんなおおげさな、とでも言いたそうなドイツに、プロイセンがとんでもないと頭を左右に振った。
「いたずら? 中に槍仕込んだ落とし穴に弟をはめて縛り上げ、木に逆さ吊りにして口にナイフの柄何本も詰めるのが子供のいたずらか?」
 さらなる悪事を暴露して反語調に尋ねると、ドイツが露骨に眉をしかめた。本当にそんな喜劇みたいな出来事が過去にあったのだろうかと疑いつつ。
「……口にも詰められたのか?」
「ああ。そんだけじゃねえぞ。ピ――ッピ――ッ突っ込まれたこともあるし、寝てる間にピ――ッされたり、ピ――ッにはめ込まれたピ――ッが抜けなくなったり……ちくしょう、何が楽しいんだ、あの野蛮人め。おかげでしばらく寝込んだじゃねえか」
 恨みのこもった口調で繰り出される痛い思い出の数々は、ちょっとひとさまにはお聞かせできないような単語でいっぱいだった。ドイツは幾分青ざめながら呟いた。
「それは……素直にヒくな」
「体のめぼしい穴にはたいがい何かしら詰め込まれたな」
「毛穴は?……さすがにないよな?」
 恐る恐るドイツが尋ねてくる。ないと答えてくれと言外に訴えながら。しかしプロイセンは正直に答えた。
「あるぞ、塩とか砂とか絵の具とか。いいか、塗るんじゃないぞ、擦り込むんだぞ。あれは痛かった……」
 はあ、とため息をひとつ落としたあと、プロイセンは疲れたように肘掛けに突っ伏した。ドイツはそんな彼の肩を励ますようにぽんぽんと叩いた。
「……そうか、そんなひとなのか。大変だったんだな。確かに凶暴そうだ。さすがあんたの姉だ」
 他人事めいたドイツの弁に、プロイセンが顔を上げた。
「いや、おまえのおふくろじゃねえか。俺は傍系二親等で片親違うが、おまえは直系一親等だろ。おまえのが血縁は濃いぞ」
 自分とドイツを交互に指差して重要な事を思い出させる。少年はショックを受けたように沈黙したあと、ぼそりと言った。
「そう言えばそうだった……」
 自分の手の平を見下ろすドイツは、その身に流れる血を思ってか、少しばかり憂鬱そうだ。プロイセンは彼の頭に手を乗せて軽く撫でてやった。
「まあ、いまのところ似てないから安心しろ。頼むからあーいうふうにだけはなってくれるなよ。正直手に負えん」
 プロイセンのぼやきに、ドイツがふと首を傾げた。
「ああいうふうにって、どういうふうにだ? 穴を見たら何か詰めたくなる衝動に駆られ、強迫的なまでにそれを実行せずにはいられないような人間ということか?」
 ドイツの言いざまにプロイセンはうわぁと顔をゆがめた。
「いや、何もそんなピンポイントな注文をつけてるわけじゃねんだけど……っていうか、その表現やべえよ、どんなぶっとんだ変態だよ」
「しかし、いまの叔父貴の話をまとめるとそうなると思うんだが」
 ドイツの冷静な要約はプロイセンを納得させた。
「あながち間違いとも誇張とも言い切れないあたりがイヤだな……」
 ろくでもない思い出ばかりがよみがえり、プロイセンは幼き日の苦痛に耐え忍ぶように額に皺を寄せた。
「なんか胃が痛そうだな。大丈夫か?」
 急にトーンダウンした彼が心配になったらしく、ドイツが不安げに覗き込んで尋ねてくる。少し引いた顎に片手を添えて。
 その仕種が妙に愛らしく感じられ、プロイセンは思わず少年に抱きついた。
「うわ!? ちょ、なんだ、急に……」
 突然のことに驚くドイツ。しかし彼を抱き締めるプロイセンの腕の力はますます強くなる。
「あ〜〜〜〜っ! かわいぃぃぃぃぃぃ! もうっ! おまえはほんっとかわいいなあ!」
「お、おい……!?」
 頬ずりせんばかりの勢いでドイツに顔を寄せる。
「……こっ、こんなかわいいやつが、あんな姉貴みたいになるとか、考えたくねぇぇぇぇぇ! なんでアレからコレが生まれるんだ……!?」
「ちょ、苦しい、やめろ叔父貴!」
 ぎゅうぎゅう抱き締められ、ドイツはたまらず彼の肩甲骨のあたりを叩いて力を緩めるよう訴えるが、聞いてはもらえない。
「ドイツ! 俺、絶対おまえを真人間に育ててやるからな! けっして姉貴のような凶暴な野蛮人にはしない!」
 プロイセンは腕の中のドイツに向けてそう宣誓した。
 ドイツはなんとか息苦しくないポジションを見つけると、プロイセンの肩に顔を半分埋めたかっこうで呟いた。
「叔父貴に凶暴と称されるなんて……いったいどんなひとだったんだ……?」
 結局鼻やら口やらに物を詰めるのが好きだという以外、何ら具体的な情報は得られなかった。しかし、まあいいかと少年は妥協気味に思った。叔父の昔話を聞けたことだし――。


元ネタはフルハウスのジェシーおじさんです(えぇ!?)。

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