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クリスマスシーズンの話なのに再統一絡みというわけのわからない話です。1990年が舞台です。
普と独が地味にいちゃいちゃしているだけの話ですが、若干明るさに欠けるかもしれません。





その年のクリスマス 朝



 世紀の大仕事をひとまず遂げてから一ヶ月と少し。
 気がつけば街はクリスマスの季節を迎えていた。ここ一年以上、息つく暇もなくめいめいにあちこち奔走し忙殺されていたふたりだったが、さすがにこのときばかりは休暇を与えられた。しかし、クリスマスマーケットを楽しむことはできそうになかった。というのも。
「う〜〜〜〜……鼻水止まんねえ」
 休暇に気が抜けたのか、プロイセンが体調不良でダウンしたためである。もともと風邪気味なのを気合で凌いでいた感のある彼だが、いい加減体が危険信号を発したらしい。
 前日の夜、ワイン半ダースを引っ提げてドイツ宅を訪れた彼は、玄関先で「よー、遊びに来てやったぜ!」と威勢よく挨拶したはいいが、次の瞬間、応対に現れたドイツに向かって前触れもなく倒れ掛かった。幸いうまく受け止めたものの、驚いたドイツは慌てふためいた声で呼びかけた。しかしそのときにはもう、プロイセンの意識はほとんどなかった。高熱で朦朧とする中、彼がドイツに告げたのは、「ワインちゃんとしまっとけよ、明日一緒に飲むんだから」というお気楽な忠告だった。ドイツはプロイセンの体を担いで寝室に運び寝かしつけたあと、彼の言いつけを律儀に守って玄関先に置きっぱなしにしておいたワインの束を回収しに行き、大急ぎで部屋に戻ってそのまま一晩看病に費やした。深夜に悪い夢を見たらしいプロイセンが、熱にうかされるまま抱きついてきたり、うなされながら半泣きになったりと、なかなか盛りだくさんな一夜だったが、ドイツは迷惑には感じなかった。もちろん彼の不調は心配だが、具合が悪いときにこうして頼ってこられるのは嬉しかった。プライベートで彼と以前のように過ごせることも。とはいえ、彼が体を壊していることは以前から承知していたので(その上で職務に従事していることも)、潰れる前に対処できなかったのが悔やまれたが。
 熱でぐったりとベッドに沈む彼を前に、ドイツはある種の既視感を覚えた。かつて似たような光景があった――けれどもそのときは、ベッドで寝ているのは自分のほうだった。まだ少年だった頃、子供特有の体調の不安定さから、風邪でもないのにしばしば発熱して寝込んだものだった。普段は苛烈な訓練を課してくるプロイセンだったが、こういうときは決まって自ら看病してくれたものだった。熱でぼんやりする中、氷水で冷えた彼の節くれた手指に心地よさと安心感を得た。
 過ぎ去った若く幼い日を回想しながら、ドイツはふいに自分の手を見下ろした。当時の彼よりも幾分大きくなって久しい手を。そして、その手の平を彼の額に当てた。体表の熱を他人の手に取られた彼は、うん、と小さく喉を鳴らした。彼の呼気は熱かったが、苦しげな様子はなかったので、ドイツはほっと息をついた。年月を経たいま、役割を入れ替えて昔の光景を再現しているようで、なんだか不思議な心持ちだった。
 そうして一晩を彼と同じ部屋で過ごした。冷え込む明け方、空調と加湿器を効かせた部屋の中でドイツがうとうとしていると、閉ざされた視界の向こうでなにやら不審な動きを感知し、目を開いた。と、ベッドから起き上がって目をこすっているプロイセンがいた。すでに熱は引いているようで、顔色は平常どおりだった。ドイツは胸を撫で下ろすと、昨晩の一連の出来事を彼に話し(彼はうなされて泣いていたことを断固として認めなかった)、ふたりで朝食をとった――まではよかったのだが。
 その後が大変だった。病み上がりというか、高熱がひとまず治まったというだけで絶賛風邪の症状に見舞われ中にもかかわらず、気持ちはやたら元気なプロイセンが、クリスマスマーケットに行きたいと駄々をこねた。なまじ普通に出歩ける程度の中途半端な回復具合のため、本人はもう元気なつもりなだけに性質が悪かった。結局ドイツの説得が勝ったものの、ドイツもまた今日は一切の外出せず、一日彼と一緒に家で過ごすという約束を書面で示してはじめて、彼はしぶしぶ家でおとなしくしていることを承諾した。彼は一度だけ、「こんな日に病人につき合って引きこもってていいのかよ」と仏頂面で尋ねてきた。予定は特にない、とドイツが正直に答えると、プロイセンは嘲りと憐みの混ざった皮肉っぽいまなざしを向けてきた。傍から見たら小憎たらしい限りだが、ドイツには、彼が少しだけほっとしているように見えた。
 そんなわけで再会後はじめて迎えるクリスマスは、特に計画せずともふたり一緒に過ごすこととなった。プロイセンはドイツに貸されたスウェットのまま、リビングのソファの上で毛布をかぶってしきりに鼻をかんでいた。かれこれ三時間ほど、ずっとこんな調子だ。どうにもこうにも鼻水が止まらず、ティッシュはたちまち二箱空になった。
 真新しい三箱目のティッシュペーパーに手を伸ばしたプロイセンは、威勢良く鼻をかむと、
「んー、透明。粘度も低い。風邪っつーより花粉症みたいな鼻水だな」
 使用直後のティッシュを開き、鼻水の色と形状を確認し、報告した。あまつさえ、見ろよ、とばかりに隣に座るドイツにまでそれを提示する。
「何をしてるんだおまえは……」
 ドイツは呆れつつも、律儀に使用済みティッシュペーパーを覗き込んでやった。水様性の透明な鼻水なのでそう気持ちの悪いものでもなかったが、積極的に見たいようなものでもない。ドイツはさっさと視線を逸らすと、足元のごみ箱に目をやった。プラスチック製の黒いダストボックスは、溢れかえらんばかりの、を通り越してとっくにティッシュで溢れかえり、周囲に白いごみを散在させていた。
「休みに入る前にティッシュをまとめ買いしておいてよかった。別におまえが大量消費するのを見越したわけではなかったが……」
 床に転がるティッシュペーパーの残骸を眺めながら呟くドイツ。その間も、プロイセンは隣で鼻をかんでいる。
「もー、なんなんだよ、かんでもかんでも出てくるこの鼻水!」
 彼は鼻づまり特有の声で叫ぶと、八つ当たり気味にティッシュをごみ箱の白い山めがけて投げつけた。こうして床の散乱物が増えてゆく。
「そっち方面に目覚めたばっかの中学生だって、ここまでお盛んにティッシュ消費したりしねえっての。見ろよこの使用済みティッシュの量。山盛り大サービスじゃねえか。どんだけ絶倫なんだよ俺」
「なんでそういう方向に結び付けるんだ……ごみ捨てに気を遣わなければならない気分になってしまったではないか。……黒い袋を探してくる」
 やましいことなど何ひとつないというのに、この山盛りのティッシュをひとに見られるのが無性に気まずくなってきたドイツは、収納室に仕舞ってあるごみ袋を取りにソファを立った。と、立つならついでに一用事、とプロイセンが声を掛けてきた。
「なあ、クリームねえ?」
「クリーム?」
 尋ね返すドイツに、プロイセンは自分の鼻をとんとんと人差し指で叩いて見せた。
「あ、ホイップクリープとか生クリームじゃねえぞ。鼻に塗るやつ。薬用の。かみすぎたせいで鼻の周り、皮膚がずり剥けてさあ、痛ぇんだよ」
 散々ティッシュにこすりつけられた鼻頭は真っ赤で、ところどころ薄皮が捲れ、痛々しかった。
「確か常備薬の中にあったと思う。探してくる。あんまりこするなよ、余計痛くなるぞ」
「もう遅いっての」
 そう言って、プロイセンは腫れた鼻先に指の背で軽く触れた。真っ赤な鼻は、彼をひどく少年くさく見せた。
 色つきのごみ袋と薬箱を携えて戻ってきたドイツは、薬用クリームのチューブとともにウェットティッシュをプロイセンに差し出した。
「ほら、これだ。ちゃんと手を拭いてから塗るんだぞ」
「おう」
 返事はするものの、受け取る気配のないプロイセン。ドイツは訝しげに首をひねった。
「……? どうした、いらないのか」
「塗れ」
「はあ?」
「だから、塗れって」
 横柄な口調でそう命じると、プロイセンは首ごと前に突き出してドイツの前に自分の鼻をさらした。
「自分でできるだろう、それくらい」
 眉をしかめるドイツに、プロイセンが不服そうに頬を膨らます。
「自分の顔は自分じゃ見れねえの」
「鏡を使えばいいだろう」
「おまえがやるほうが早い。おら、早く」
 頼みごとの態度すら見せずプロイセンがせっつくと、ドイツは諦めたようにため息をひとつついたあと、
「まったく……」
 チューブの蓋を外し、人差し指の先にクリームをちょこんと盛り付け、プロイセンの鼻の頭に近づけた。直接指が触れないよう注意しながら、ずり剥けた患部にちょんちょんと薬をつけてやるが、プロイセンは眉根を寄せて首を緩く振った。
「ちょ、痛い、染みるって」
「動くな。我慢しろ。どうにもならない」
「う〜……」
 処置を施す指先は丁寧で優しかったが、薬剤が染み込むのはやはり痛かった。メンソレータムのにおいが立ち込めたが、プロイセンの嗅覚がそれを探知することはなかった。
 最後に鼻頭を軽くタッチしたあと、ドイツはプロイセンから指を遠ざけた。と、のろのろと遠のいていく彼の手を見ていたプロイセンが、それを追って首を伸ばしたかと思うと。
「うわ!? な、何をする!?」
 ぱくん、とドイツの人差し指に食いついた。驚いたドイツは反射的に腕ごと引っ込めてプロイセンの口から逃れた。
「うげっ、苦っ!」
 渋い顔で舌を出すプロイセンに、ドイツが露骨に眉をひそめる。ときどき、いや、しばしば、プロイセンの行動の意味がさっぱりわからない。
「当たり前だ。何を考えている」
「いや、目の前にあったからついパクッと」
 おそらく単純に思ったままのことを言ったのだろう、悪びれもせずしれっと答えた彼は、唾を新しいティッシュに吐き出すと、まだ使えると判断したのかそのまま鼻をかむのに再利用した。
「魚じゃあるまいし……」
 ドイツは呟きつつ、それ以上彼の奇行に言及するのも疲れそうだったので、持ってきたごみ袋を広げて散乱した使用済みティッシュペーパーを回収しにかかった。




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