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拡大するカオス


 一旦部屋から出たオーストリアが、四十センチ四方の木箱を提げて戻ってきた。ドイツは羞恥と居たたまれなさからか、足のつかない椅子の上で明後日のほうを向いてふるふるしている。オーストリアは別段気にしたふうもなく、箱をテーブルに置くと、 両開きの蓋を開けかけた。
「ドイツ、ご所望の下着の件ですが――」
 が、蓋に手を掛けたところで、インターフォンが来客を告げた。
「……もしかして、さっきから鳴っていました? ひとつごとに集中するとほかのことまで意識がいかないもので」
 先刻、ドアベル百連打(ドイツ談)に気づかなかったオーストリアが、ちょっと目配せをする。ドイツはまだ目線を逸らしたまま答えた。
「いや、俺がここに来てからははじめてだと思うが」
「そうですか。それはよかった――と言ってる間にまた鳴らされましたね。辛抱のない訪問者です」
 二度目の電子音の残響が消えるのを待たず、オーストリアは室内に設置されたインターフォンとの通信受話器に手を伸ばした。と、その前に、カメラがとらえた玄関前の人物を見た。
「イタリア?」
「イタリアだと?」
 オーストリアが呟くのを聞いて、ドイツがぎょっとした。オーストリアのところへは助けを求めに走ったものの、この姿で知り合いと対面するのは正直避けたい。
「おい、オーストリア、俺のことは――」
 ドイツは椅子から飛び降りてオーストリアのズボンを掴んだが、そのときには受話器は本体から外れていた。
「はい、なんでしょう。イタリアですね、どうしました?」
『オーストリアさーん! 大変だよー、ドイツがいないんだよー!』
 イタリアの涙声がドイツの耳にも伝わってくる。オーストリアはちょっと眉をしかめて受話器を耳から放すと、
「落ち着きなさい、いま開けますから」
 小走りで玄関へ出て行った。
 扉を開けた途端、顔をくしゃくしゃにしたイタリアが突進するかのような勢いで抱きついてきた。
「うわーん、オーストリアさーん! ドイツが、ドイツが……家がなんかめちゃくちゃで、ドイツがどこにもいなくて、箪笥とか冷蔵庫とか、ひっくり返して探したけど、どこにも寝てなくて……」
 泣きついてくるイタリアを受け止めたオーストリアは、ぽんぽんと背中を叩いて宥めてやりながら、ダイニングへと彼の腕を引いていく。
「誇張なのか事実なのかいまいちわかない発言ですが……あなたのことだから多分本当なんでしょうね。とにかく落ち着きなさい。心配しなくても大丈夫ですよ、イタリア。ドイツなら……」
「ちょ、オーストリア!? なんでこいつを連れてくる――」
「わー! この子誰? かわいー!」
 ダイニングで出くわしたふたりは、正反対の反応をした。
 うろたえるドイツと、さっきまで泣き喚いていたのをすっかり忘れて、はしゃいだ声を上げるイタリア。子供に懐くラブらドールレトリバーのごとく、彼は小さくなったドイツに腕を広げて飛び込んでいった。
「やー! かわいー! えいっ、ほっぺつんつんー!」
「こら、やめないか……」
「ね、オーストリアさんの親戚?」
 尋ねられたオーストリアは、頬をつつかれているドイツのこめかみに青筋が浮かびかけているのを見た。
「え、ええ、まあ、その通りですが……」
 オーストリアが止めに入ったほうがいいのだろうかと迷っている間にも、イタリア的スキンシップはエスカレートしていく。イタリアは片腕をドイツの首に回して肩を抱き込み、反対の手で頭をうりうりと強く撫で付けた。と、子供の前髪が浮いて額が現れたところで、ふと手を止めた。
「あれ……? ねえきみ、前に会ったことある?……ん? この台詞ってなんかナンパみたい?」
 既視感を覚えたのか、イタリアは不思議そうに呟いて首を傾げる。改めて子供を眺めようと両手を肩に置いたまま、腕を突っ張って距離を取る。
 ようやく開放され、ドイツはぷはっと息を吐いて頭を振った。そのとき、下に向けられた視線は思わぬ光景がドイツの視覚野を刺激した。
「イ、イタリアぁぁぁ!」
「わぁ!」
 突然の怒鳴り声に、イタリアは驚いて後ろにひっくり返った。ドイツは小さくなった手でイタリアの襟首を掴み上げと、さらに声を張り上げた。
「おまっ……おまえ、何でまた下に何も穿いてないんだ!? その格好で俺の家まで来て、さらにここまでやって来たというのか!? この馬鹿者がっ、恥を知れ恥を!」
 激しい怒声を浴びたイタリアは、玄関口で見せたのとは別の意味で半泣きになって、びくっと後退した。
「ひぃっ! な、何この子、超怖いよ、まるでドイツだよ、ドイツそのものだよ!」
 両目に涙をためたイタリアが、震える指で子供姿のドイツを指しながらオーストリアを振り返る。
「イタリア、さっきから立て続けにすごいですね。ドンピシャですよ」
「ヴェ?」
 感心するオーストリアに、イタリアはきょとんとした。
「あと、ドイツも現在は半分あなたの仲間みたいなものみたいですよ」
「オーストリア! 嫌なことを言うな! 俺は好きで穿いてないわけじゃない!」
 オーストリアのコメントで自分のズボンの下の現状を思い出したドイツが、顔を紅潮させる。小さな姿で肩を怒らせている様子が妙に微笑ましくて、オーストリアはくすりと笑った。
 状況が掴みきれないままのイタリアは、ふたりを交互に見回して、
「え、この子ドイツなの……?」
 目をぱちくりさせた。
「ええ、そのようです。原因不明ですが、朝起きたらそうなっていたとのことです。信じられない現象ですが……彼がドイツであるというのは先ほどのでよくわかったんじゃないですか?」
 ほとんど何の説明にもなっていないオーストリアの弁だったが、イタリアはあっさり信じたらしく、ぱっと目を輝かせた。
「うっそ、かわいー! ドイツとは思えない! ちっちゃい! ムキムキしてない! あ、けど、面影はあるかな。えへへ、かわい〜。俺より大分ちっちゃい」
 彼は好奇心を自重することなく、無遠慮にドイツの顔やら頭やら体やらを触りに触った。ドイツはちょっとうっとうしそうに半眼で顔を逸らす以外は、イタリアのしたいようにさせておく。いかにへたれなイタリアが相手といえど、大人と子供では力の差が歴然としている。それに、イタリアが引っ付いてくるのはいつものことだ。ドイツは人差し指をイタリアの眉間の間にずびっと突きつけて忠告する。
「言っとくが、中身は大人だからな?」
「うん、そうだね、さっきのですごくよくわかったよ。あ、ドイツ、いまパンツ穿いてないってほんと? 見せて見せて!」
 流してほしいところほど聞き逃してはくれなかったらしい。
「何を言っとるんだおまえは!?……おい、やめろ、脱がすな!」
ズボンのウエストを引き伸ばそうとしてくるイタリアに、ドイツはさすがに抵抗を見せた。
「ちょ、オーストリア! オーストリア! 見てないでこいつを止めろ!」
「はいはい。……イタリア、それじゃ危険人物以外の何ものでもないですよ」
 テーブルの横で木箱をいじっていたオーストリアは、イタリアに近づくと後ろから肩を軽く掴んで制止した。
「ヴェ〜」
「助かった……」
 イタリアがオーストリアのほうを振り向いている隙に、ドイツはウエストを両手で押さえてそそくさと遠ざかろうとした。が、オーストリアはドイツを捕まえて抱き上げると、椅子の上に立たせた。オーストリアの肩ほどの目線になったドイツが訝しげに眉をしかめていると、彼はこほんと咳払いをし、
「さてドイツ、用意が整いましたので下を脱いでください」
 真顔でそんな要求をしてきた。
「……ついにおまえまでおかしくなったのか? 頼むからそれだけは勘弁してくれ」
 ドイツが引き気味に呟くと、オーストリアは彼の目の前にメジャーを突き出した。
「何言ってるんですか。採寸するんですよ。下着をご所望だったでしょう」
「待て。おまえ、自分で縫製する気か?」
 オーストリアは大仰にうなずくと、テーブルに用意されたミシンと裁縫道具を指差した。
「材料とミシンの準備はできています。元になる型紙はありますけど、成人用なのでまずは本人の体型を測定しないことには数値が出せません」
「いや、布や糸買う前に既製品を買えばいいだろう」
「材料なら私の家にあるもので間に合います。それに、どのみちサイズがわかりませんから買うにしても採寸は必要でしょう。子供用の下着なんて普通買いませんからね、目安がわからないんですよ」
 言いながら、オーストリアはメジャーをピンと張った。
「あ、ねえ、俺んとこで売ってるランジェリー豪華だよ、参考にする、ドイツ?」
 ファッションの国イタリアの冗談なのか本気なのかわからない提案に、ドイツは頭痛を覚えた。
「おまえ実は混乱しているだろうイタリア?」
「ヴェー?」
「さ、いつまでも下着なしというわけにもいかないでしょう。さっさと測ってつくってしまいましょう」
 オーストリアがおおいに真面目な調子で採寸を迫ってくる。ドイツはウエストにかかるオーストリアの左手を掴み、なんとかズボンを死守しようとする。
「お、おい、オーストリア、や、やめろ! 目的はともかく、やってることはさっきのイタリアと同じだぞ!?」
 無駄に職人気質を発揮し、針子になりきってその使命を達成しようとするオーストリアに、ドイツは慌てふためく。イタリアは見ているだけだった。おそらく、オーストリアの真剣な声音に根拠もなく説得力を感じたのだろう。
「待て待て待て!」
 ドイツが子供の高い声で悲鳴じみた叫びを上げようとしたそのとき。
「おーい、玄関開いてたから勝手に入ったぜ?」
 ノックも足音もなく、唐突にダイニングのドアが開け放たれた。自己申告どおり勝手に入ってきたのは、フランスだった。その脇からは、人間の上半身が垂れていた。抱えられているのは七、八歳の少年で、短い金髪の下には生意気そうな双眸があった。
「フランス? なぜあなたが? それに、その子は……」
「おい、オーストリア! ここにあいつ来てないか!?……って、何してるんだおまえぇぇぇぇぇぇ!?」
 見覚えのある顔立ち、聞き覚えのある口調での少年の声。
「こら暴れるな。落としちまうぞ」
「こぉの変態、子供に何してやがるっ!」
 フランスに提げられた少年は、オーストリアに掴みかかろうと彼の腕の中でじたばたと手足を動かしてもがく。フランスは落とさないようにバランスを取りつつ、やれやれ、というようにオーストリアにウインクを遣った。


子供のじゃれあい

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