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年の差は忘れがち


 ようやく静けさを取り戻したオーストリア宅で、日本は小さくなったドイツとプロイセンの前でしゃがみ、改めて深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした。私も味見をして、大丈夫だと判断したんですが、こんな副作用が出るなんて思わなかったんです。しかも遅効性だったみたいで」
 日本の顔を見上げていることに不思議な感覚を覚えつつ、ドイツは顔を上げろと手で合図する。と、そのとき、はたと手を止めた。
「待て。ということは、おまえも食べたのか、イギリスのつくったスコーンを?」
「はい」
 あっさりと肯定する日本に、イタリアが感嘆の声を上げる。
「うわー、勇者だ! 俺昔イギリスのつくったもの食べて泣いたことあるのに!」
「イタリア、かわいそうに」
 そう言って、ちゃっかりとイタリアのほうへ寄ろうとするプロイセンのシャツの裾をがしっと掴みながら、ドイツが日本に質問を続ける。
「では、なぜおまえには効果が現れていないんだ? 同じものを食べたんだろう?」
「いえ――」
「ちょっ、服伸びるし、脱げるって! 放せよ! なんだよ、俺を脱がしたいのかよ」
 日本が答えようと口を開きかけたところで、プロイセンのドイツに対する抗議の声が立つ。日本は子供ふたりの揉め事を前に、どうしたらいいものかとおろおろしていた。
「ああ、騒音は無視してくれ」
 ドイツは、いっそ脱衣して自由の身になろうとしたプロイセンの足を後ろから引っ掛けて床に引き倒し、その背に乗った。体格とウエイトの差をものともせず、ドイツはうまい具合に体重を乗せて相手を立ち上がれないようにする。
「痛い、痛いって! ロープロープ!」
「あの、関節極まっているように見えるんですけど……」
 人体構造的にけっこうぎりぎりな体勢が目の前で展開され、さすがに助けたほうがいいかと日本は手を出しかけたが、ドイツが威圧感とともに制止する。
「いつものことだ、気にしなくていい。一応怪我させない程度には手加減しているし、こいつは技掛けられ慣れているからな。だが、いつもと体が違うせいかいまいち加減の仕方がわからない。そういうわけだから、あまり暴れてくれるなよ?」
 子供の声で脅しをかけるドイツ。プロイセンはぴたりとおとなしくなった。
「それより、おまえのほうこそ体調は大丈夫なのか? こんなふうに縮んだりしないまでも、腹くらい壊しそうだが」
「あ、それがですね、私にも効果自体は出てるんですよ。ただ、私はみなさんよりずっと年をとっていますから、同じだけの時間若返ったとしても、そんな姿までは戻らないんですね。わかりにくいかもしれませんが、普段より若干、若い外見になってるんですよ」
 日本は照れるように笑いながら、自分の顔を指差した。
 ドイツはぱたりと動きを止めて日本を凝視した。その下のプロイセンも、思わず顔を上げる。
 そして、たっぷりとした沈黙のち。
「おまえいったい何歳なんだ!?」
 ドイツとプロイセンがまたしても同時に叫んだ。縦に並ぶふたりの子供の顔を見下ろしながら、日本はしーっと人差し指を唇の前に立てた。
「それは……秘密です」
 さ、そろそろ放して差し上げてもいいでしょう、と日本はドイツの脇の下に手を入れてひょいと持ち上げ、横に移動させてから下ろした。解放されたプロイセンは両手をついて一度床に座ってから改めて立ち上がった。
 日本は、横並びになったふたりをじっと見た。その視線にドイツがちょっと身じろぐ。
「……なんだ? 何か顔についているのか?」
 日本は何を感じたのか、ちょっと含みのある独特の笑みを一瞬見せたが、すぐに引っ込めた。
「いえ、なんでも。……それにしてもこうしてみると、ドイツさんがいちばんお若いんですねぇ……なんかいまはじめて実感しましたよ」
「俺はおまえがかなり年上だということをはじめて実感したぞ」
「俺もー」
 イタリアが日本に顔を接近させる。
「あ、ほんとだ、いつもより肌が若いー」
「ちょ、イタリアくん……顔が近いです」
 すると、足元でプロイセンが飛び跳ねながら自分に親指の先を向けながら主張する。
「俺のが若いって、イタリア!」
「若いんじゃなくて幼いんですよ、その姿は」
 オーストリアが、落ち着かせようとプロイセンの肩を掴んだ。
「あ、てめ、オーストリア。おまえの顔なんか近くで見たくねえんだよ!」
「自分からは無駄に絡んできますのに」
「言っとくけど、俺のがこいつより年上なんだからな!」
「知ってますよ、それくらい。その落ち着きのなさは驚愕に値しますけど」
 オーストリアは、いい大人なんだからいい加減落ち着きなさい、とおそらくこの場限りではなく平生から思っているであろうことを忠告しつつ、騒いでやまないプロイセンの両手首を掴んだ。いまいち脈絡に欠ける相手の主張をさくっと無視しながら。
「さて……結局食べ物が原因だったわけですが」
「俺の料理じゃなかったけどな! っつーか、放せよ!」
 噛み付くように言いながら、プロイセンは手首を掴まれたままの腕を引っ張る。オーストリアは彼の相手はせず、ドイツにちらりと目配せした。もう少しそのまま押さえておいてくれ、とのアイコンタクトが返ってくる。ドイツは日本と話を進める。
「食べ物に関しては日本は基本的に安全圏だからな、ノーマークだった。ここでイギリスが絡んでくるとは予想できなかったし。スコーンの時点で疑うべきだったかもしれないが」
「本当に申し訳ありません」
「いや、根本的な原因はイギリスだろう」
「どこまで迷惑なんだあの野郎……」
 また文句がはじまりそうだったので、オーストリアは先んじて重要な質問をした。
「それで、どうやったら元に戻るんですか?」
「代謝によって原因となったなんらかの成分が排出されれば、つまり、時間が経てば自然に戻ると思います」
「だそうですよ、よかったですね」
「ああ」
「えー、それっていつだよ……」
「個人差があるので期間についてはなんとも……おふたりともお若いですから、私よりは早く戻るのではないかと」
 日本は彼お得意の曖昧な答えを返すと、ようやく立ち上がった。正座で鍛えられているためか、長時間座り込んでいたにもかかわらず、足がもつれる様子はない。
「では、私はこれで。念のためイギリスさんのところにしばらく滞在すると思うので、何かあったら携帯にご連絡ください」
「まだ何か開発しているのか?」
「いえ、フランスさんとの間で国際問題を起こされたら、私が間接的な原因ということになってしまいますので、それは回避したいと思いまして」
「だったら急いだほうがいいぞ」
「はい、そうします」
 日本はぺこりと頭を下げると、お邪魔しました、と挨拶をし、オーストリアの家をあとにした。

*****

 残った四人は、長らく騒ぎの中心地と化していたダイニングからリビングに移動し、ようやく一息ついた。
 オーストリアとイタリアがキッチンへ戻ってコーヒーを淹れている間、ドイツとプロイセンはリビングのソファにぐったり沈み込んでいた。
「なんか朝からいろいろありすぎて疲れた……」
「俺も……すげえ疲労感」
 さすがに憔悴した顔で彼らはぽつりぽつりと呟いた。
 体が小さいのでソファのスペースはたっぷり余裕があったが、ふたりともなぜか右端に寄って、同じようなポーズで背もたれに体重を預けていた。各々、段々と重心が傾いていくのを感じないではなかったが、それを正そうと思えるだけの気力は残っていなかった。
 数分後、オーストリアとイタリアがトレイを持ってリビングに入室すると。
「あら。寝ちゃってますね。子供の体ですし、仕方ないですね」
 子供がふたり、ソファで眠りこけていた。ドイツはプロイセンの肩に頭を預け、プロイセンはドイツの頭に自分の側頭部を乗せるようにして、互いに体重を支え合っている。
「ヴェ〜、かわいー」
 イタリアが声をひそめて、あどけなく眠るふたりの顔を覗き込む。
 オーストリアはその光景を見ながら、
「寝る前に下着とズボン、なんとかしてほしかったんですけどねえ」
 呆れたため息をひとつ残し、ブランケットを取りに再びドアの外へ出て行った。なるべく足音を立てないようにして。


モーニング・パニック

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