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最大の被害者は


 フランスはたっぷりとした沈黙のあと、小難しそうに眉根を寄せつつ両の耳の穴を小指でほじくった。いま俺、ドイツのデフォルトみたいな表情してるんだろうな、と自覚しつつ。彼は小指を左右同時に耳から引き抜くと、
「え、え〜と、ちょっと待て。誰が相手だって?」
 今度こそ本気で聞き返した。いや、音の聞き取りに問題はなかったのだが、ドイツの発言を字義通り受け取ってもいいのだろうか、という疑問を脳が投げかけてくる。疑わしそうに顔をゆがめるフランスの前で、ドイツはむっつりと口を曲げつつ、ちょっぴり不機嫌そうな声音で繰り返した。
「だから、兄貴。プロイセンだ。知っているだろう」
 ここまできっぱりはっきりしっかりと断言されたら疑問の余地はなさそうだ。フランスはなおも数秒ほどぽかんとしたが、やがてはいはいと大仰に首を縦に振って納得の意を示した。
「そうかそうか……そっちのほうとデキてたのか。やべぇ兄弟だとは思ってたが、やっぱデキ上がってたんだな」
 先ほどのドイツの答えから高速で結論を叩き出して自己完結するフランス。ドイツのテレフォンセックスの相手が兄――確かに信じがたい発言ではあったが、ひとたび納得してしまえば、これ以上明瞭な結論はないように思われた。
 しきりにうなずくフランスに、ドイツは迷惑そうに眉根を寄せた。
「それこそとてつもなくひどい誤解だ。なんで俺が兄貴なんかと……」
 イタリアとの関係を否定したときとは違い、今度は露骨に嫌そうだ。が、その表情はフランスに、身内を何かと否定したがる思春期の少年の顔を髣髴とさせた。ああ、そういうお年頃なのね、とちょっぴりおっさんくさい心持になったフランスは、
「いやあ、イタリア以上に可能性ありそうじゃん?」
 揶揄を込めてそう言ってやった。すると、ドイツはおもしろいほど劇的に反応し、
「なぜ!?」
 心底信じられない、またおぞましいといった顔つきで尋ね返してきた。フランスはますます口元をにやつかせつつ、意味深長なため息とともにぼそりと呟いた。
「そりゃ、おまえらの長年にわたるベタベタしい関係を見せつけられたらねえ……最近お預けで寂しいだろうけど」
 最後を付け足してから、もしかしたらこのへんは触れないほうがよかっただろうかと少し気を張ったフランスだったが、ドイツは意外にも冷静な――ややもするとげんなりした――調子で肩をすくめた。
「いや、最近はそうでもない。あのひと、頻繁に電話掛けてくるからな。寂しいどころかむしろうっとうしくてならない」
「電話? 向こうって盗聴が当たり前になってんじゃねえの?」
 大丈夫なのかよ、と言外に案じるフランス。ドイツは苛つきのにじむトーンで答えた。
「それを踏まえた上でのいたずら電話なんだ。正直かなりイライラする。向こうの見ず知らずの職員に会話が筒抜けかと思うと、迂闊なことは言えないし、けっこう神経を使うんだ。しかも兄貴が振ってくる話題といったら、大方セクハラまがいの発言ばかりでな……このままではノイローゼになりそうだ。加えて、そういった諸々の頭の悪そうな変態電話の発信者がこともあろうに自分の身内だと思うと、俺は悲しみで胃に穴が開きそうだ」
 そう説明してくるドイツからは、並々ならぬストレスが窺えた。プロイセンのセクハラに相当苛立っているのだろう、手の甲の静脈がぼこりと浮き出るほど握り締められた拳は、ふるふると小刻みに打ち震えていた。まあ、トイレの便器の上に座った状態では彼の怒りも威圧感も半減なのだが。
 ひとりむかむかと不機嫌に陥っているドイツとは対照的に、フランスは苦笑しながら無精髭の生えた自分の顎をさすった。
「はは〜ん……要するに、プロイセンからテレフォンセックスの誘いを受けたんだな?」
「察しがよくて助かる」
 察しがいいも何も、これまでの話の流れから、それ以外の可能性はないに等しいだろう。が、兄弟喧嘩(ドイツが一方的に怒っているだけだが)で拗ねた表情を見せるドイツを新鮮に感じたフランスは、あえて空気を読まない発言をした。
「そしておまえはぜひとも兄貴の求めに応じたいと。いやあ、健気だねえ」
「誰が思うか、そんな身の毛のよだつこと」
 ちょっとしたからかいだったのだが、案の定、ドイツは真顔で、かつ引きつった表情で否定してきた。まあ正常な反応だろう。が、ひとつ疑問が残る。
「じゃ、なんで俺にテレフォンセックスのやり方なんて聞いてきたんだよ?」
 その気もないのにわざわざマニュアル本を事細かに調べ上げ、それだけでは飽き足らず直接フランスに教えを乞うなどという病的な探究心を発揮するには、それ相応の理由と動機があってのことのように思われた。生真面目で職人気質なドイツとはいえ、まさか好奇心だけでこんな恥を忍ぶ気にはならないだろう。
「ここまでしてやり方を知りたがるってことは、実際にやる予定があるってことだよな?」
「それは……」
 痛いところを突かれたとばかりに口ごもるドイツに、フランスが攻勢を仕掛ける。
「おまえ自身が言ったとおり、恥を忍んでまで俺に聞く気になったってことは、それなりの理由があるんだろ。プロイセン関連のことでおまえが最初に頼りそうなのは、俺よりオーストリアだし」
 と、そこでドイツがあからさまにぴくりと片眉を動かした。突っ込んでくれと言わんばかりに。しかしフランスはあえて言葉にはせず、どうした、まだ話していないことがあるのか、とねっとりとした視線で尋ねた。ドイツは逃れるように上体を後退させたが、真後ろには陶製のタンクが控えているため、結果的に追い詰められるような格好になった。ずいっと近づいてくるフランスの顔から目線を逸らしたドイツは、
「いや、それがだな……」
 ほんの少し頬に血を上らせながら、はっきりしない声で語りはじめた。
「実は一度オーストリアに電話して、その、教えてもらおうと思ったんだが……ものすごい勢いで叱られてしまってな、結局何も聞けずに終わってしまった」
 やはり最初はオーストリアを当てにしたらしい。国内の身内を頼らなかったのは、さすがに気まずいにもほどがあるということか、あるいはお家騒動が起きかねないからか(バイエルンあたりが事情を知ったら怒り狂いそうだ)。
 フランスはドイツの鼻先にびしりと指先を突きつけると、自身ありげに言った。
「まず最初に『破廉恥です!』って罵られたろ。そんでそのあとどもりながら『な、ななななな、なぜ私にそんな質問をしてくるのです、このお馬鹿さんが!』とか言われただろ」
「な、なぜ知っている? まさかおまえまで盗聴を……!?」
 激しく狼狽しながら疑念を湧き上がらせるドイツ。フランスはやれやれと首を左右に振った。
「してねえよ。東側と一緒にするな。だいたい、オーストリアの反応なんて聞かなくたってだいたい推測がつくっつーの。おまえと一緒でワンパターンだからよ」
 フランスは呆れ気味に大きなため息を落とした。
「しっかし、なんでよりにもよってオーストリアなんかに聞いちゃったんだよ。おまえがいくらドSとはいえ、おまえの質問にうろたえ恥ずかしがって怒るオーストリアの声を聞きたかったわけじゃないだろう?」
 ドイツは、うっかりオーストリアに尋ねてしまったという己の愚行にわなわなと震えながら、ばつの悪そうな声で成り行きを話しだした。
「オーストリアなら――こ、このような下世話なことを想像するのは大変不謹慎だとは思うのだが――ええと、その……ハ、ハンガリーといまでもそういうことをしているかもしれないと考えたんだ。それなら状況的にウチのケースと似ているから、参考にできるのではないかと思ってな」
 言われてみれば確かにあり得なくもなさそうな可能性ではあるが、相談するにあたって最初に考えるようなことだろうか。
「おまえやっぱムッツリだわ。いきなりそんな想像するとは」
 うわあ、とフランスは思わず体ごと後ろへ引いた。すると、ドイツが慌てて付け加えてくる。
「言っておくが、オーストリア本人には俺がそんなことを考えたとは言ってないぞ。この情勢下でそんな発言をするのはあまりにデリカシーに欠けるというものだ。いくらなんでもそのくらいの良識はある」
「たとえどんなに平和なご時世でも、その発言のデリカシーのなさは軽減されないと思うぞ」
 あちゃー、やっちゃったねえ、と自分の額に手の平を当て、フランスは呆れ気味に苦笑した。
「まあ、うっかりオーストリアに相談しちゃうほどおまえが真剣かつ深刻になってるってのはよく伝わってくるな」
 これまでのドイツの態度からして、オーストリアには細かい経緯は話していないだろう。お堅いドイツからいきなり電話口でテレフォンセックスのやり方について尋ねられたら、驚いて怒るのも仕方のない話だ。きっとマリアツェルが伸び上がるほどびっくりしただろう。加えて頭が冷えてからは、なぜよりにもよって自分が――例えばフランスを差し置いて――その質問の回答者に選ばれたのかと、悶々としたに違いない。
 フランスは、不本意ながらもオーストリアに同情せずにはいられなかった。


とどのつまりは兄弟喧嘩

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