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ひとには言えない 2


 ホラー映画でゾンビに足首を掴まれた女の子のような、恐怖感溢れる悲鳴が空気をつんざく。あまりの声量と発声の長さに、フランスは思わず身を引いて耳を両手で塞いだ。プロイセンの悲鳴が収まるのを待ってから、おそるおそる尋ねる。
「お、おい、プロイセン? 大丈夫か?」
 まだ体の下に敷いている相手は、身を守るように側臥位になってから背を丸め、両手をこめかみのあたりに添えて頭を抱え込んだ。
「む、無理、無理、無理……まじ無理、ほんと無理、無理だ、無理……」
「ちょ、おまえ、まじで大丈夫か? 半泣きじゃねえか。……そんなに嫌だったのかよ? ちょっと傷ついたぞ」
 一種の恐慌状態らしいプロイセンはフランスの心配をよそに、ブランケットを頭からすっぽりとかぶり、壁にもたれかかるような姿勢で座り込んだ。
「無理だ、無理、無理だから……」
 がたがた震えながら、壊れたスピーカーよろしく同じ言葉を繰り返す。その様子があまりに尋常でなかったので、フランスはしばらく何も言わず、落ち着くのを待ってやった。
 五分ほど経つと、ブランケットの中身が動かなくなった。フランスは布の端をつまんでめくり上げた。中では、膝を抱えて丸くなってプロイセンが、じと目でこちらを見ていた。
「おーい、プーちゃん、俺の存在忘れるなよー?」
 プロイセンはなおも無言だったが、やがて布の下から出てくると、脱ぎ捨てた自分の服を回収しはじめた。
「……悪かったな、面倒かけて。忘れてくれ」
 興奮はすでに収まったらしく、ちょっと憔悴した、しかしいつもどおりの声でそう言った。とんだ失態だとばかりに額を押さえ、ふるふると頭を振っている彼に、フランスは場を茶化すように言った。
「そう言われてもな、こんな強烈な思い出なかなか忘れられねえぞ。俺の戦歴に新たなる一ページが刻まれちゃったわけだしぃ? あんな深刻に拒否られた覚え、なかったのになあ」
「山ほどいるだろ、そんなやつ」
 冷ややかな目を向けるプロイセン。先程までの大騒ぎはどこへやら、落ち着いたものだった。
「いやいや、あの状況までいったら流れに乗ってだいたいいい感じにフィニッシュできるものなんだよ、普通は。おまえは例外だったけど」
「ああ、そう……」
 と、プロイセンがズボンに足を通そうとしたところで、フランスがその手を掴んで止めた。
「ってなわけで」
「おい?」
 腰にまとわりつくようにして絡めた両腕でプロイセンの手首を握りながら、フランスが見上げてくる。
「……リベンジさせて?」
 言うが早いか、下着を下ろされる。プロイセンはぶわっと嫌な汗が背中に浮かぶのを自覚した。
「や、やめろっ……」
「はいはい、終わったらやめるからね」
 いつの間にかマットレスの上に仰向けになり、フランスに圧し掛かられている――つまり、さっきの体勢に逆戻りだ。プロイセンは腕を伸ばしてフランスの顔を押さえつけ、必死に抵抗する。
「それはやめるとは言わない! こら、待て、ほんと、やめろって、やめろっ!」
「なんで? ああ、タチがいいってこと? いいぜ、それでも。俺は心が広いしストライクゾーンも広いし、何よりレパートリーが豊富だからな」
 ぎゃあぎゃあ喚き散らすプロイセンに、フランスは寛大な提案をした。が、相手はまったく受け付けない。
「そういう問題じゃねえんだよ、だめだ、やめろ、無理だ……!――ほんと無理なんだ!!」
「プロイセン?」
 プロイセンはフランスの両肩に手をやると、腕の長さの分だけでも距離を取るべく、ぴしりと肘を伸ばした。そして、いつになく神妙な面持ちでフランスと視線を合わせると、しばしの沈黙ののち、ためらいがちに口を開いた。
「むっ、無理なんだよ……」
「何がだ? さっきからそればっかりだけど、どういう意味だ?」
「だから、その……」
「うん?」
 聞き手モードに入ったフランスは、上体を起こして彼の上からどくと、正面を向いて胡坐をかいた。プロイセンはその先をどう続けるか迷ったように口をぱくぱくさせていたが、フランスが根気よく待つ姿勢を見せたために、結局言わざるを得なくなった。
「だから、で、できないんだよっ」
 先刻まで青ざめていた顔色が、今度は紅潮する。彼としては精一杯伝えたつもりらしいが、いかんせん言葉が短すぎて説明不足だ。フランスは相手の言わんとしていることをなんとか解釈しようと首をひねった。
「ついに童貞カミングアウトする気になったのか? そんなの大丈夫って言ってるのに」
 どうしてもそこに集約されるらしいフランスの思考回路に、プロイセンはなかばやけくそで付け加えた。
「そうじゃねえ! で、できないってのは、つまり、その……わ、わ、わかるだろ、おまえも男なんだから!」
「男ができないとき……? って、まさかおまえ……」
 フランスがはっとして真顔になると、プロイセンとばちりと視線がぶつかる。口を開く寸前、泣きそうに顔を歪めながらも、プロイセンはお得意の高笑いとともに叫んだ。
「わ、笑いたきゃ笑えよ! 俺だって泣きたいの通り越していっそ笑えてくるくらいなんだからな! はははははははははは!」
 空元気そのものといった調子で笑い続けるプロイセンの横で、今度はフランスのほうが顔色を失っていた。
「いや、笑えねえよ……ってか、まじで?」
「深刻な顔はやめろ、なんか落ち込むだろうが! いっそ笑ってくれたほうが楽だ! ははははは、同情はいらねえよ! いらねえんだよ!」
 自暴自棄にそれだけ言うと、プロイセンはうつむいて黙り込んだ。
「なんか理由があるのか?」
 尋ねつつ、ワケありなのは間違いないな、とフランスは思った。今日のプロイセンの不可解な行動と反応を見ればそれは明らかだ。自分を訪ねたのは、おそらくそのことを遠回しに相談したかったからだろう。結果的には大曝露になってしまったが。
「いつからだよ?」
 プロイセンはなおも口を閉ざしている。フランスはまたもや待ちに入った。焦ることはない。時間はある。宵の口がすぎた窓の外を眺めながら、時計の秒針が連続的に変化していくのを見つめる。
 と、沈黙の空間にふいに波紋が広がった。プロイセンが、夜の静寂の中でさえなんとか聞き取れるかどうかといってくらいの小さな声で、ぽつりと告白したのだった。
「……ここ半世紀……くらい」
「半世紀!? 長いなおい……」
 思わぬ回答に、フランスはつい素っ頓狂な声を上げてしまった。
「あ、悪ぃ……」
「いや……」
 また会話が途切れる。とんでもなく気まずい空気だ。フランスはいったいどうやってこの場を取り直そうと頭をフル回転させる。と、ある事実に思い当たる。プロイセンがかろうじて答えた単語がもつ意味。それは。
「あ、半世紀って……もしかして」
 合点がいったという顔を向けるフランスに、プロイセンはおもしろくなさそうな面持ちで唇を尖らせた。
「そーだよ、全部あのマフラー野郎のせいだ」
「おまえの実家、めちゃくちゃになったもんなぁ……」
 ご愁傷様、とも言えず、フランスはしみじみと彼の故郷を思い浮かべた。プロイセンは立てた片膝の上に手の平を置き、そこに顎を乗せてぶつぶつと文句を並べた。
「あの野郎、ひとのいちばん大事なとこ奪いやがってぇ……しかも徹底的にぶっ壊した挙句、自分好みに塗り替えやがった。そりゃ元気もなくなるってもんだろ。くっそー」
 生まれ故郷を想ったのか、プロイセンは膝に顔を伏せてため息をついた。
「そういうことね……まあ、元気出せよ?」
 フランスは、すっかり落ち込んでいるプロイセンの背をちょっと撫でた。プライドに抵触するかと思ったが、払い落とされることはなかった。


ひとには言えない 3
こんな話にカリーニングラードをもってくるなんて不謹慎すぎる……すみません。

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