text


招かれざる来客


 ドイツが出張の振り替え休日だというので、これといって出かける用事もないのに自分も有給休暇を取ったプロイセンは、昨夜から上がりこんでいる彼の寝室でひとり自堕落に過ごしていた。部屋の主はといえば、掃除だの庭の手入れだの洗車だの、やりたいことが溜まっているということで、休みだというのに平日よりも早起きして敷地内を動き回っていた。プロイセンもやはり彼に合わせて早朝に目を覚ましたものの、朝食以外は別行動だった。小一時間ほど走りに出かけたあと、ドイツの部屋のベッドで転がりながら、彼に買わせた雑誌や彼名義で勝手に請求した車のカタログを斜め読みしはじめた。
 特に寒くない季節だが、布団があると潜りたくなるものなのだろうか。プロイセンはうつ伏せに寝そべって布団を肩まで被り、雑誌のページを捲っていた。胸から顎の下あたりに掛けて枕を敷いて上体を支え、腕を上方に伸ばして両手で書籍を持ち、時折暇つぶしに体を左右に揺らしては、ごろごろとベッドの上で過ごす。自宅でのだらけ方とまったく同じである。すっかりくつろぎモードの彼は、のんべんだらりと平日の静かな午前を送っていた。実に平和だ。そして幸せだ。気兼ねなくだらだら時間を浪費するのもたまにはいい。
 横になっていると、段々と頭に眠気が差し込んできた。
「ふぁ〜……」
 まぶたを半分ほどとろんと下ろし、大きなあくびをする。ああ、眠くなってきた。寝ちまうか。ここベッドだし。今日休みだし。
 胸に敷いていた枕を引き上げ、顔をうつぶせると、次第睡魔に負けてうとうとし出した。
 が、まどろみまであと一歩というところで、彼はふいに意識を引き戻された。
 かちゃ、という小さな乾いた音が部屋に響いた。扉の蝶番が動かされるときの音だ。どうやら、部屋の主が何時間ぶりかに戻ってきたようだ。プロイセンは布団を被ったまま、肘をついて少しだけ上半身を起こし、肩越しにドアのほうを振り返った。
「どうした? 別に部屋荒らしちゃいねえぞ」
 が、そこに立っていた人物は予想とは違った。この家の主と似ても似つかない、甘ったるく軟派ないでたち。どこか飄々とした立ち姿。
 驚いたプロイセンが目をぱちくりさせていると、来訪者は気安い調子で片手を挙げてぞんざいな挨拶をしてきた。
「よっ。元気?」
「フランス?」
 ハイネックに人工皮革のジャケット、黒の綿パンツにスポーツシューズといったラフな服装に身を包んだフランスが、へらへらと軽薄な笑みを浮かべながら、ゆっくりとした歩調で部屋の中ほどまで歩いてきた。
「残念だったな、大好きなあいつじゃなくて」
「なんでてめえがいるんだよ。ってか、プライベートルームに勝手に入ってくんな」
 布団を蹴飛ばし、体を起こしてベッドの上で胡坐をかくプロイセン。せっかくリラックスした気分でだらけていたところに水を差され、少々不機嫌な面持ちだ。フランスはそんな彼の顔を見ながらくすりと苦笑した。
「おまえだって入ってるじゃん。あーあー、くつろいじゃってまあ……ここドイツの部屋だろー」
「俺はいいんだよ」
「おーおー、すげえ自信」
 フランスがおどけた調子で肩をすくめる。プロイセンはおもしろくなさそうな声音で尋ねた。
「仕事はどーしたよ」
「代休だよ。こないだフォーラム出席したときの」
 フランスが話題に出したフォーラムとは、先日ドイツも参加したものだ。本日ドイツが代休を与えられたのはそのためである。つまり、ふたりとも同じ事情によって今日が臨時の休日となったわけだ。そこに思い当たると、プロイセンはますます不貞腐れた口調になった。
「おまえ、もしかしてあいつと示し合わせて休み取ったんじゃねえだろな」
 勘繰るプロイセンに、まさか、とフランスが大仰に首を左右に振った。
「いや、たまたま同じだったってだけ。自分で希望出せるときもあるけど、今回は上が勝手にスケジュール組んで振り替えたから、俺はノータッチさ。ほんと偶然。そんな疑いに満ちた目ぇすんなって。まあ、せっかくだから来てみたわけだけど」
「ちっ……来なけりゃよかったのに」
「あんまり目の敵にしないでくださいー。そりゃあいつとはいろいろあったけど、いまはうまくやってるんですぅー」
 フランスが演技がかった、なんとも気持ちの悪いしゃべりで主張してきた。プロイセンは頬を膨らませつつ、それでも一応の理解は示した。
「そりゃこのご時世だ、あいつがおまえとタッグ組むことに異論はねえよ。ロシアに接近するのもな。俺は二度とごめんだが」
「お、案外物わかりいいじゃん。でもまあ、どうせ『仕事でならな』って条件がつくんだろ?」
 フランスはわかったふうな口をききながら、無断でベッドに腰掛けた。プロイセンが文句をつけてくる前に、話題を切り替えて質問する。
「ところで、おまえこそなんでこんな時間にこんなところでダレてんだよ。ドイツのやつ、おまえが来てるとは言ってたけど、理由は言わなかったんだよな。どうした、失業して居候か?」
 ぺらぺらと失礼な憶測を立てるフランスに、プロイセンはむっと唇を尖らせた。
「違ぇよ。有給だ。おまえが来るなら取らなかったってのに」
 フランスはきょとんとした。有給休暇を取って親戚の家の寝室まで寝転がりに来るなんて、有意義な使い方とは思えない。
「なんでわざわざ有給? 今日なんかあんのか? とてもじゃないが、そうは見えねえけど。……ああ、そうか、ドイツの休みに合わせたのか。きっとそれ以上の理由はないんだろうな……」
 質問したものの、結局自己完結で答えを見出して納得するフランス。直接相手とベタベタしなくても、同じ空間にいるとなんとなく安心するのだろう。そんなことを考えていると、プロイセンが不審そうに眉根を寄せた。
「あんだよ、俺に用でもあんのか?」
「いや、用事はドイツのほう。ちと届けもんがあってな」
「ああ、そういやワインがどうとか言ってたな」
 個人購入だか輸入細目の検討だかは知らないが、何日か前、ドイツがそんな話題を出していたような覚えがある。
 と、そこでプロイセンははたと気づく。なんでこいつピンなんだ?
 ドイツの姿を探してにわかにきょろきょろあたりを見回しはじめたプロイセンに、フランスがやれやれと肩をすくめた。
「あいつなら買出しに行ったぜ」
「けっ、おまえなんざもてなさなくていいってのに。律儀な野郎だぜ」
「おまえと違ってあいつはクソ真面目だからな。もーちょいフランクに育てりゃよかったのに」
「知るか。元からああだったんだ、あいつは」
 投げやりに答えるプロイセン。自分を部屋に放置してフランスのために買出しに出かけたことが気に食わないらしい。もっとも、ふたり揃って出かけたなら、ますます機嫌が冷えていただろうし、さりとて彼を誘って三人で、という話を持ちかけたとしても、やはり文句は出るだろうが。主にフランスに対しての。
 どうも、悪いタイミングで来てしまったようだ――フランスは苦笑いした。プロイセンが部屋にいるとドイツに聞き、少々からかってやろうと顔を出しただけなのだが、予想外に機嫌を損ねさせてしまったようだ。やれやれ、どうするかねえ、と彼は自分の顎を撫でた。と、ふいにひとつの閃きが彼の脳裏を照らした。彼は手の平の内側で口角をにやりとつり上げると、つかつかと部屋の角に設置されたクローゼットの前へ移動した。
「ま、あのガチガチっぷりも結局おまえ好みってことなんだろーけどさあ」
 言いながら、無断でクローゼットの扉を開放する。
 プロイセンはそちらに首をひねると、非難がましい口調で注意した。
「おい、何勝手にひとンちのクローゼット開けてんだよ」
「いや、ちょっと抜き打ち検査を」
「はあ? 別にやべえ薬とかは出てこねえと思うぞ」
 なんのつもりだ、と怪訝に眉をしかめるプロイセン。フランスはクローゼットに収納された冬着を右端から順に眺めていく。
「いや、そういうの疑ってるわけじゃなくてだな。……お、やっぱきっちり整頓されてんなー、さすがドイツ。ん?……もしかしてハンガーの色で分類してんのか? うへぇ、寸分の隙もねえな」
 感想を漏らしつつ、一枚一枚服を確かめていく。と、左のほうへ視線と手を移動させていったとき、やや丈の短い衣類がまとめられていることに気づいた。
「あ、これあいつのコートじゃねえじゃん。サイズ違うしあいつの趣味じゃねえし……ははあ、さてはおまえのだな? うわあ、おまえらなに同棲してんだよ」
 口元に手を当て、シシシシ、といやらしい含み笑いを響かせるフランスに、プロイセンが激昂する。
「漁るな!」
「このスーツもおまえのだよな? 仕事着まで置いてあるとは、こりゃ本格的だな〜」
 まったく聞く耳を持たないフランスを実力行使で止めようと、プロイセンはベッドから立ち上がり、大股でクローゼットのほうへ歩いて行った。
「何がだ! ってか、家捜しすんじゃねえ!」
 怒鳴りながら、プロイセンはフランスの手から自分の秋物の黒いコートの袖口を引き剥がした。
 フランスはあっさり引き下がったが、その顔に反省の色は微塵もない。ちっとも申し訳ないと思っていない軽い口調で彼は言った。
「悪い悪い。そう怒んなって。別に吹聴したりしねえから。ってか、ほとんど周知だと思うけど、おまえらのべたべたっぷり」
 と、フランスはそこでプロイセンの左肩に自分の右手をぽんと乗せた。
「ところでさ、プロイセン」
「なんだ」
「最近調子どうよ?」
 唐突に、初心者向け語学CDの会話スクリプトの典型のような挨拶をしてきた。プロイセンは疑問符を浮かべつつも、律儀に回答した。
「はあ?……まあ、普通だが」
「いや、下のほう」
 フランスが目線を露骨に下げる。遅れて、プロイセンもそれを追う。
「下……? ああ……まあ、相変わらずだ」
「なるほど。しおしおのぱーってわけだ」
「無性に腹が立つな、その表現」
「真実を的確に描写してるだろ?」
「否定できないのがむかつく!」
 プロイセンは肩を怒らせて声を荒げた。動物だったら毛が逆立っているに違いない。が、フランスはさらりと流す。
「まあまあ、落ち着けよ。俺、いっこ新案思いついたからさ」
 ぴんと人差し指を立てるフランスに、プロイセンが胡散臭そうに顔をゆがめた。
「新案? 言っとくがバイアグラなんかは無効だぞ。薬が効くような症状だったら苦労してねえ」
「いや、そういうのじゃなくて。ちょっと趣向変えって感じ?」
「趣向変えだぁ?」
「そ。いつもとシチュエーション変えてみたり。たとえば――この部屋で、とか」
 と、フランスはプロイセンの肩を掴む力を強めると、
「何を言っ――うわぁ!?」
 前触れも断りもなく自分のほうへぐいっと引き寄せた。そして、プロイセンともども真横に倒れ込んだ。その先にあるのは、開け放たれたクローゼット。
 素っ頓狂な悲鳴の直後、扉はパタンと閉ざされた。
 そして部屋には見かけ上、誰もいなくなった。

*****

 ――というような会話が交わされたのが二十分ほど前。
 以来プロイセンとフランスは、狭くて暗いクローゼットの中に詰まったまま、実に不毛なやりとりを繰り返していた。
「まさかドイツの部屋でこんなことしちゃうなんてなー。プロイセンってばけっこう大胆〜!」
「おまえが引き込んだせいだろうがぁぁぁ!」
 フランスの揶揄に、プロイセンが大声を張り上げる。もっとも、つながったままの上、空間的にも視覚的にも姿勢的にも相当不自由なので、行動で抗議することはできない。
「でも最初のほう、いつもより明らかに興奮してただろおまえ? ちょっとは効果あったんじゃね?」
 フランスは相手の腰に添えた右手をすすっと後ろのほうへ滑らせ、指先で軽く圧を加えた。プロイセンが苦しげに息を漏らす。
「んっ……あ、あ……都合よく解釈すんな! 焦ってたんだよ! ってか、いまも絶賛焦っとるわ!」
「あれよあれよとこの状態だったもんなー。なんつーか、おまえ不測の事態に陥ると流されやすいよな。そういうとこあいつそっくり。血縁ってのはすごいねえ」
 フランスが何気なく呟く。が、相手の反応は劇的だった。
「なっ……! ま、まままま、まさかてめえ、あいつに手ぇ出したのか!?」
 プロイセンが身を乗り出すように動いたので、フランスは思わずうめいた。互いに余裕のない体勢だというのに、無茶をする。
「う、ちょ、ちょっとこれかなりきついんだけど……お、落ち着け。ものの喩えだよ、保護者さん。怖い父兄がバックにいるのにどうしろってんだ」
「それってなにか、俺がいなけりゃ妙な気起こすってことなのか!? じゃ、じゃあ、俺がいなかった半世紀は……!? お、おまえ、あいつと……!?」
 おそらくプロイセンの顔面筋はいま、限界を超えて引き攣っているに違いない。
「ひとりで盛り上がれるっていいねえ。まあまあ、冷静になれよ」
「これが落ち着いていられるか――うあっ!?」
 突然、プロイセンのやや高い声が上がる。フランスが少しばかり脚を揺らしたのだ。
「ごめん、うるさいから実力行使しちゃった」
 フランスが動きを止めると、プロイセンはへなへなと彼にもたれかかるように上半身を倒した。
「て、てめえ……う、んん……っ! は、ぁ……て、てめ、覚えてろよ……あとで絶対ひいこら言わせてやる……」
 相手の肩に腕を引っ掛けたまま、プロイセンは不穏なぼやきを闇の中に落とした。


ひとの香

top