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見つめ合うとき


 つい十分前と比べると格段にリラックスした――というよりだらけたポーズで寝そべりながら、プロイセンはちょっぴりばつが悪そうな目をドイツに向けた。頭が冷えてくると、自分がとてつもなく恥ずかしいことをしでかしてしまった気がした。
「悪かったな、見苦しいもん見せて」
 ぶっきらぼうにそう言ったプロイセンだったが、相変わらず一糸纏わない姿のままで、服を拾おうとする意志すら見せなかった。けっこうな時間をこんな状態で過ごしているため、ドイツはもはや彼の裸が風景の一部のように感じられ、気にもならなくなった。
「いや。見せてもらえてよかった。興味深い」
 ドイツは真面目そうな好奇心をたたえた目をプロイセンに向けた。
「創傷治癒に関する形成外科領域の研究レポート書かせろっつってもダメだぞ? 普通の人間の参考にはならねえだろうし」
 おちゃらけた調子で言いながら、プロイセンはドイツの太股をつんと指先で突付いた。ドイツはスキンシップに応じるように、彼の肩口を軽くさすった。
「そうか。それは残念だ。きれいなのに」
 ドイツの口調は実直で、嫌味も皮肉も窺えなかった。
「ん……」
 プロイセンは目を細めると、困ったように薄く笑った。できれば傷を失いたくなかったという気持ちはいまでも変わらないが、こうして何もかもをさらけ出してしまったあととなっては、つい数十分前まであんなに騒いでいた自分はいったいなんだったのだろう、と不思議な気分だった。あれだけ恐れと緊張に支配されていた心身が、いまはすっかり穏やかになっている。再会して以来続いていた、ふたりの間の微妙にぎくしゃくした空気が嘘みたいに消え、代わりに心地よい安心感が彼らを優しく包み込む。張り詰めていた気持ちが解けてどっと疲労感が押し寄せたのか、プロイセンの少し眠たげにまぶたを半分下ろしていた。
 ドイツもまたふっと安堵のため息をひとつ落とすと、苦笑とともに先刻の出来事を思い返した。
「しかし、おまえがあんな殊勝な口をきくとは……遠慮がちになったものだな。驚いたぞ」
 否定だけはしないでほしい。
 そう懇願してきたプロイセンの弱々しい声音が、いまも耳に残っている。彼をそこまで追い詰めてしまったのはきっと俺だ――ドイツは苦い気持ちとともに一瞬だけ視線を逸らした。
 プロイセンは自分の情けない姿を回想されるのが腹立たしいらしく、あまり思い出すなとばかりにドイツの太腿を叩いた。もっともたいした力ではなかったが。
「うるせえ。気まずいんだよ。おまえこそ、いつの間にあんな余裕のある態度取れるようになったんだよ。おまえのくせに生意気だ」
 プロイセンはむっと唇を尖らせてひどく主観的な文句をつけた。
「なんだ俺のくせにというのは。それに、余裕なんてないぞ。いまだにおまえに振り回されてるだろうが」
「嘘つけ。余裕しゃくしゃくで応じてたじゃねえか。こっちは裸にまでなったんだぞ。まさに体張ったってのに、なんだその冷静さは」
 プロイセンは起き上がると、見ろこの姿を、と言うように自分の裸の胸を手の平でぱしんと叩いた。ドイツは彼の体を平然と眺めると、
「それこそ別になんでもないことだろう。おまえの裸のどこに驚けと言うんだ。性転換手術でもしていた日にはさすがに卒倒すると思うが」
 珍しくジョークを言ってみせた。もっとも口調はあくまで実直極まりなかったので、本気の発言のように感じられた。
「そういうこと言うと、ほんとにやってやるぞ!」
「やれるものなら」
 さらりとかわすドイツの大人な態度がおもしろくなく、プロイセンはチンピラのように彼の首に自分の腕を巻きつかせ、ぎゅうぎゅうと締め付けた。
「おまえほんと生意気になったな! フランスの野郎なんかとつるんでるからだろ! 悪影響受けてんじゃねえ! かわいくねえぞ!」
 ドイツはうっかり動脈を圧迫されないよう注意しつつ、彼に絡まれながら冷静に答えた。
「俺も少しは成長したということだ。それから、フランスとはEUでしょっちゅう一緒に仕事してるからな、対処法を身につけただけだ。ある程度達観しなければ、あいつとはつき合えない」
「つ、つき合うだと!?」
 途端にうろたえだすプロイセン。
「変な方向に解釈するな。仕事のパートナーだ」
「パ、パートナー……」
 ドイツとしては誤解のないよう説明したつもりだったが、プロイセンはさらにショックを受けたらしく、声を荒げるのも忘れて呆けていた。ドイツは面倒くさげにため息をつくと、慰めるように彼の髪を緩く撫でた。
「あのな……『仕事の』という部分を聞き逃してないか? おまえだって職場関係のつき合いはあるだろう。俺にだってあるということだ」
「こっちは主に上下関係だっての」
 拗ねてしまったらしいプロイセンが、頬を膨らませながら答えてくる。
「まあ、ロシアとはそういうことになるだろうが」
「う……」
 何の気はなしに相槌を打ったドイツだったが、プロイセンが気まずそうに口ごもった挙句、そそくさと離れていこうとする気配を感じ、しまったと思った。
「あ、いや、すまない……別にそっちの事情に口を挟むつもりは……」
 気の利いた言葉が出ず、ドイツは声もなく口を開閉させることしかできなかった。ただ無意識のうちに腕が動き、我知らずプロイセンの手首を掴み、自分のほうへ引き寄せようとしていた。プロイセンは、ドイツの動きに気づくと同時に、自分が彼から距離を取ろうとしていたことを自覚し、苦笑しながら元の位置に戻り、今度は絞め技ではなく、背後から肩越しに腕を回して緩く抱きしめた。
「へっ、おまえが嫌味言えるほど器用じゃねえことはわかってるっての。びくびくすんな。気にしてねえから」
 背中に感じる彼の体温に安心したのか、ドイツはほっと小さく肩を下げて息を吐いた。そして彼の腕にそっと触れると、改まったような声音で話しだした。
「再会したとき」
「うん?」
 再会――どのタイミングでの再会のことを指しているのだろうか。プロイセンは疑問調の相槌を打って先を促した。
「あの日、会議の控え室で思わぬ再会をしたとき、おまえ、目を合わせようとしなかっただろう。顔を見られることすら嫌がっていた。ホテルで会ったあと……別離を覚悟したときも、結局ドア越しのまま、顔を見ることがかなわなかった」
「まあ……会議場で再会したときは本気で何の心の準備もできてなかったからな。イワンの馬鹿のせいで。モスクワで会議出席命令を唐突に告げられた三分後には催眠ガスで意識なくなってたんだぞ。それから、ホテルでおまえと話したときは……それこそ気まずさ最高潮だったしよぉ……」
 首を捻って背後を見ようとしてくるドイツに応え、プロイセンは膝立ちになると、首を伸ばし斜め上から相手の顔を覗き込んだ。すると、ドイツは腕を上げ、彼の後頭部に手の平を当て、少しだけ自分のほうに近づけさせた。
「あのときに比べれば、ずっといい。おまえは今日、俺に自分を見せると言ってきた。そして、実際に見せてくれた」
 間近にある赤い双眸を見つめながら、彼は微笑した。
「あれだけ見られるのを拒んでいたおまえが、自らを見ろと言ってきた……嬉しかった。少しはいまの俺を信頼してくれたと思っていいか?」
 尋ねられ、プロイセンは目をしばたたかせた。頭の中でドイツの言葉の巡らし、その意味するところを考える。
 再会して以来、彼を見るドイツのまなざしには遠慮がちな影がちらついていた。見つめてよいのかどうかためらうような。プロイセンはそんな彼の顔を数え切れないくらい目にした。つまり、それは――
「……相手から目を背けていたのは俺のほうだったってことか」
 プロイセンはようやく自分の愚かさに思い当たり、自嘲気味に苦笑した。
「そうだな……再会したあのときから、おまえはずっと俺のほうを見ていた。よく見ていたからこそ、つらそうな顔をしていたんだろうな」
 思い返せば、自分は彼に対しずいぶんとよそよそしい態度を取ってきた。かつてのふたりの間柄からは考えられないほど。ドイツをもっとも不安にさせていたのは、自分が暗に、あるいは無意識に、彼との距離を置こうとしていたことかもしれない。
「ああ、そうだった。おまえはいつだって俺を見てくれてた」
 プロイセンは膝立ちのままドイツの体の横に移動すると、彼の顔を両手で包み込んだ。そうしてお互い、相手の顔を真正面に視界いっぱいにとらえる。ドイツの青い瞳が真摯な光を宿している。
「ああ。もう見失うのは嫌だったんだ」
「なら、もう見失うなよ」
「そのつもりだ」
 静かに厳かにそう答えると、ドイツはおもむろにプロイセンの手を離させ、自分の肩に回させた。そうしてから、自分もまた彼の背に腕を回し、甘えと誓いが入り交ざった仕種で彼の裸の胸に自分の額を押し付けた。頭蓋に伝わってくる彼の鼓動に言いようもない安心感を与えられ、ドイツは知らず彼の胴をきつく抱擁していた。見失うのも離れるのも、もう嫌だとばかりに。


それでもなお残るのは

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