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それでもなお残るのは


 気が済むまで抱き締めあったあと、プロイセンはそろりと腕を緩めると、自分の体を見下ろしながら肩をすくめた。
「うーん、にしても俺だけマッパって、なんか不平等だよな」
 茶化すどころか眉間に皺を寄せて大真面目に呟く彼に、ドイツは呆れたように首を振った。
「自発的に脱いだんだから、不平等ということもないだろう。俺がおまえに脱ぐのを強要したわけじゃない。服を着ればいいだけの話だし。というか、いつまで裸でいる気なんだ。別に暑いわけでもないのに」
 言いながら、ドイツはベッドに座ったまま上体をかがめ、床に脱ぎ散らかされた彼の衣類を拾い集めた。そして気休め程度に埃をはたき皺を伸ばしてから彼の前に差し出す。が、彼は受け取ろうとせず、代わりに突拍子もなく命令してきた。
「よし、おまえも脱げ」
「は?」
 きょとんとまばたきするドイツ。いったい彼は何を言っているのだろうか。
 理解不能とばかりに疑問符を浮かべるドイツを前に、プロイセンは自身と相手を交互に指差しつつ、先ほどの自分の命令の意図を堂々と解説した。
「俺が裸でおまえも裸。うん、それならお互い同じコンディション、平等じゃねえか。さすが俺、いいアイデアじゃねえか」
 プロイセンは自画自賛しながら満足げに何度もうなずいた。しかしドイツは到底賛同する気にはなれなかった。
「いや……おまえが服を着ればそれで済む話だと思うんだが」
 右手の平を控えめに前に突き出して、やんわりと拒否の意を示す。が、プロイセンは胸の前で拳を固めて主張する。
「いいや、済まない。いっぺん脱いで着たのと、最初から着ているのは違う」
「なんだその屁理屈は……。ということは、俺にも一度服を脱いで、また着ろと?」
「おう。ついでに余すことなく見てやるぜ」
 今度はおまえの番だ、とでも言いたいのか、プロイセンは左の口角をつり上げ、非対称なにやついた笑みをつくって見せる。いったい何がそんなに楽しいのか、ドイツには理解不能だった。
「何の意味もないと思うんだが……俺のほうはこれといった変わりはないぞ?」
「成長したんだろうが、俺がいない間に」
 プロイセンの口調にはいじけた様子はなく、むしろ誇らしげだった。そのまなざしがちょっぴりくすぐったく感じられ、ドイツは明後日のほうに視線を逸らした。
「いまさら身体的な成長はたいしてしてないと思うが。半世紀前にはすでに成人してたんだから」
 真っ当な発言をするドイツ。が、プロイセンは怪しげに指をわきわきと動かし、いざりながら少しずつ迫ってくる。
「いいから脱げ。そして見せろ。ぐだぐだしてると俺が脱がすぞ」
「まったく……」
 迫り来る彼の赤い瞳に本気の光を感じたドイツは、脱がされるよりは自発的に脱いだほうがましかと自分の中で妥協すると、しぶしぶシャツのボタンを外していった。別段恥ずかしがることも気取ることもなく、自宅での日常的な着替えと同じ動作で、袖から腕を抜き体から布を取り払った。そこで一度ちらりとプロイセンに目配せをする。彼は先を促すような視線を寄越してくるばかりだ。ドイツはため息をひとつ落とすと、無言のままベルトを外して下も脱いだ。
「これでいいか?」
 脱いだ衣服を折り目正しくきれいに畳みながら尋ねるドイツに、プロイセンは大きく首を横に振った。
「駄目だ、全部脱げ。パンツも駄目だ。マッパだマッパ!」
「こら! 引っ張るんじゃない!」
 プロイセンは勢いよくドイツに飛び掛ると、トランクスのウエストの内側に指を突っ込んで引きずり下ろそうとしてきた。ドイツは反射的にゴムの部分を掴んで上方に引いた。が、プロイセンは意地でも相手を脱がせたいらしく、ぎりぎりと奥歯を噛み締めながら手に力を込める。
「だから! 引っ張らないでくれ! 脱がないとは言っていないだろう!」
 ゴムが駄目になることを懸念したドイツがそう叫ぶと、プロイセンがきょとんとした顔で見上げてくる。自然、ウエストに引っかかった指の力も弱まる。ドイツはこっそりと彼の手を下着から外させながら、困ったように眉を下げて尋ねた。
「脱ぐのはこの際いいとして、ひとつ聞かせてくれ。こうすることにいったい何の意味があるんだ? ふたりして裸になってどうしようと言うんだ?」
 改めて問われると自分でもよくわからないのか、プロイセンは小難しそうに眉をしかめて数秒沈黙したあと、
「さあ……? なんだろ?」
 疑問符を浮かべながら逆に聞いてきた。ドイツは額に手を当てて大きく息を吐き、脱力気味に肩を落とした。
「無意味なんだな……」
 なかば予測していたとはいえ、プロイセンのいい加減極まりない返答を聞いたドイツは、もはや何もかもがどうでもよくなってきた。彼のことだ、ただの思いつきなのだろう。なんら建設性のないろくでもない要求だが、だからこそドイツは懐かしい気持ちになり、彼のちょっとしたわがままを聞いてやりたくなった。
「まったく……しょーもないことを」
 ぼやきつつも、ドイツはあっさりと下着を脱いだ。
「ほら、これで満足か」
 シャツやズボンと同じようにきっちりと折り目をつけてトランクスを畳むドイツ。ついでにプロイセンの服も畳みはじめる始末だった。プロイセンは、相変わらず几帳面なドイツの行動をおもしろそうに眺めていた。床に放られたために埃っぽくなっているのが気になるのか、ドイツは真剣な表情で服をはたいたり綿埃を摘んだりしている。大きな体を縮こまらせてそんな作業に精を出す姿はなんともミスマッチだった。プロイセンは、作業に没頭しているドイツの背後にそっと忍び寄ると、
「おーおー、やっぱいい体してんな〜」
 腕を回して彼の腹筋の隆起を指の腹でなぞった。唐突に触れられたことに驚いたドイツは、畳み掛けのズボンを思わず取り落とし、体ごと振り返った。
「みょ、妙な触り方をするな! おまえはセクハラ親父か!」
「いいだろ、男同士だし、身内なんだしよ」
 声を上擦らせるドイツとは対照的に、プロイセンは彼の肩に顎を乗せて呑気に言った。手はもちろん相手の腹筋やら胸筋やらを無遠慮に触っている。
「ほんとに何がしたいんだ……。やっぱり、無意味なのか?」
「いいじゃん、つき合えよ、ただのスキンシップだって」
 そう言うと、プロイセンはドイツの胸の前で腕を組むと、相手にぶら下がるようにして後方に体重を落とした。必然的にドイツは仰向けに倒れる羽目になる。
「うわ!?」
 縦に半回転する視界に揺さぶられつつ、ドイツはとっさに上体を捻って右腕をマットレスについて力を込め、完全に倒れるのを防いだ。あのままでは、真後ろに張り付いているプロイセンを下敷きにするところだった。
「ちょ、なんのつもりだ、危ないじゃないか」
 バランスを崩して彼の上に倒れこまないよう横に体をずらして振り返る。何もかもを放り出して仰向けになっているプロイセンは、腹立たしいほどのんびりとした口調で言ってきた。
「ん〜? いや、なんか不思議な感じがしてな」
「何がだ?」
「ここでこんなふうにしてるの」
 プロイセンは目線をドイツにやりながら壁際に体をずらすと、自分のすぐ左横のマットレスを手の平で軽く叩いた。ここに寝ろ、というように。ドイツは、シングルの狭いベッドから落ちないよう気をつけつつ、ほとんど引っ付くようにして彼の隣に寝そべった。
「横向きのがスペース節約できるか?」
「多少はできるかもな。あまり変わらないような気もするが」
 と、どちらからともなくもぞりと動き出し、体を九十度回転させ、顔を向き合わせる。プロイセンは足元につくねられた掛け布団を足の指で摘んで引き寄せると、ふたりの体の上に被せた。
「眠いのか?」
「ん……そうだな、ちょっと。おまえも長旅で疲れたろ? もう休めよ」
 彼は体を気持ち丸めると、布団の下に頭を潜り込ませた。まぶたがゆるゆると下りはじめている。そのまま寝入ってしまいそうな彼に、ドイツは控えめな声で言った。
「狭くて寝づらいと思うんだが……」
「嫌なのかよ」
 ドイツの言葉に反応したプロイセンが、ほんの少し不満そうな、そして不安そうなまなざしを向けてくる。ドイツは即座に答えた。
「そんなことはない」
「じゃ、いいじゃん、このままで」
 彼はドイツの背に腕を回すと、目を閉じて額をわずかに相手の肩に寄せた。ドイツもまたつられるように、やや遠慮がちにぎこちなく彼の背中に触れた。しばらくそうして緩い抱擁を交わしたまま横たわっていたふたりだが、ふいにドイツからの触れ方が変わったことにプロイセンは気づいた。先ほどよりはしっかりした、それでいて労わるような手つき。プロイセンは首を左右に振って掛け布団をよけながら顔を上げた。
「どうした?」
 彼を見つめてくるドイツの面には神妙な表情が浮かんでいた。
「ここは……治っていないのか」
「え?」
 一瞬目をぱちくりさせたプロイセンだったが、ドイツの手が触れている位置から、すぐに相手が何を言っているのか察した。
「……ああ、そこの肋骨か。まあな、さすがに再生はしない。欠損したままさ」
「俺を庇って被弾したときの傷だな」
「派手な怪我だったけど、いまじゃ見た目じゃわかんなくなっちまった」
「ひどい傷だった。結局おまえは肋骨を二本失った」
 まだ表面に傷跡が残っていた頃の記憶がよみがえるのか、ドイツは少しだけ手の平を浮かせた。触れたら痛むのではないか、と恐れるように。すでに消えてわからなくなっているとはいえ、彼の背にことさら深く刻まれていた瘢痕はいまもなお生々しい映像として脳裏に焼きついている。苦痛の耐える彼の顔も、ドイツの前で気丈に振舞おうとする彼の姿も。
 ずいぶん昔のことをいまだに気にしているらしいドイツに、プロイセンは苦笑した。
「別に不自由はないけどな。微妙にバランス感覚が悪くなった気がしないでもなかったが、とっくに慣れたし」
「痛まないか? 以前は冷えたりするとつらそうにしていたが」
「もう平気だ。どんだけ経ってると思ってんだ。気にすんじゃねえよ」
「けれども、ここの骨はないまま、か」
 ドイツが伏目がちに小さく呟くと、プロイセンが布団の下から彼の頬へと手を伸ばした。
「おまえが痛そうな顔してどうする。俺はもう平気だっつってるだろ。それに……これが俺に残された唯一の名誉の負傷なんだからよ、このままでいいんだよ。俺が生きてきた道の中に、おまえと過ごした時間が確かにあったってことの何よりの証なんだから」
 言いながら、プロイセンは腕を後ろに回すと、自分の背に触れているドイツの手を取った。
「もう痛くないから、もっとしっかり触ってみな」
 手の平が密着するよう、プロイセンはドイツの手の上から力を加えた。ドイツはなおもためらいがちだったが、次第にぴたりと触れてくるようになった。自分で言ったとおりすでに痛みはなかったが、触れられた場所がひどく熱く感じられてならなかった。


朝になって

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