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それは禁断?


 アポもなく訪れた隣人は、この世の終わりを垣間見てしまったかのような引きつった表情で叫びを上げると、さっと一歩退いてわたわたと手足をばたつかせた。
 フランスの大声に驚いたプロイセンとドイツは、少しばかり絡み合った体勢のまま思わずきょとんと顔を見合わせた。後ろに倒れかけたプロイセンの体の両脇に、ドイツが手をついて腕を突っ張る体勢で。
 フランスはがくがくと震えつつ、不躾にふたりを指差した。
「うわ! やっぱおまえらそーいう……!?」
「いや、これは……」
 先に反応したのはドイツだった。位置的に彼のほうがフランスの姿を見やすい。
「フランス?」
 一秒遅れてプロイセンが肩越しに振り返る。シャツは肌蹴るどころか両肩からずり落ち、腕に引っかかって留まっている状態だ。
 フランスは一通り身をぶるりと細かく揺らしたあと、両の拳を握り締めてふたりに向けて叫んだ。
「こ、このケダモノどもが! 身内同士でなんつーいかがわしいことを! そっ、それともなにかっ、もはや身内意識がなくなってついにタガが外れちまったのか!? そういうことなのか!? そうか……おまえらとうとう……いや、しかし! 駄目よドイツ! いくら離れ離れになっていようと、あなたたちは血がつながっているのよ! 早まらないで!」
 途中からメロドラマ一直線な台詞をご丁寧にも女言葉で熱演しはじめたフランス。プロイセンはぞわっとしたものを背筋に感じ、手近に埋められていたガーデニング用のミニブロックをひとつ引っこ抜くと、
「なに気持ち悪いアドリブかましてんだ!」
 フランスめがけて力の限り投げつけた。といっても、バランスの悪い姿勢だったので狙いがつけられない上、たいした飛距離は出ない。それでも彼の強肩にかかったブロックは、フランスの足元十センチ先に落下した。
「うおぅ!?……っぶねえ〜!」
 ひやりとしたフランスは、一足飛びで後退した。
 しかし、いまのプロイセンの攻撃で肝も冷えたが頭も冷えた。
 幾分冷静さを取り戻しながらフランスは改めて彼らを見やった。が、やはりドイツがプロイセンの上に半分ほど被さっている体勢に変わりはなかった。
「お、おおおおお、落ち着けドイツ!? プロイセン!?」
「おまえが落ち着け!」
 思わずもうひとつミニブロックを引き抜こうとしたプロイセンだったが、庭を荒らすなというドイツの警告に従い、攻撃は諦めた。

*****

 突然の来客をドイツが招き入れると、プロイセンが少々不機嫌そうに彼の背中を叩いた。なんだ、とむせ返りながらドイツが問うが、プロイセンは無言のまま頬を膨らますだけだった。
 その光景を生温かい目で見守りながら、フランスはドイツ宅に邪魔をした。こいつらの仲の良さってこういう種類だったっけ……? と少々疑問に思いつつ。
 リビングでコーヒーを飲みながら、先刻庭で目撃した驚愕の一幕の経緯を聞いたフランスは、ほっと胸を撫で下ろした。
「あ〜、びっくりした……ったく、心臓に悪いことしてくれるなよ。ついにドイツが強硬手段に出ちまったのかと思ったじゃねえか」
 カップをソーサーに戻すと、フランスは訪問時の取り乱しようはどこへやら、余裕たっぷりの笑みで口元をにやつかせながらドイツをちらりと見た。向かいのソファに座るドイツは、軽い頭痛を覚える額を指先で押さえた。
「激しくいまさらだと思うがあえて言ってやる。おまえの想像力は異常だ」
「いや、あの状況から事情を察しろというほうが無茶だろ。なんだよ、マトリョーシカ数えてましたって。おまえさあ、適当な理由つけて、単にそいつにじゃれつきたかっただけなんじゃねえの?」
 と、フランスはドイツの横でビスケットを齧っているプロイセンを指差した。と、フランスのにやつきが伝染したのか、プロイセンもまた口の端をつり上げた。そしてドイツの二の腕を人差し指でつんつんと突付きながら楽しげに聞く。
「なぁんだ、おまえ、構ってほしかったのか?」
 実に悪そうな笑顔だ。しかし心底嬉しそうでもある。
 肝心のドイツはどう答えるのかと、フランスは自重せずに堂々と正面から観察した。
「いや、別にそういうわけでは……」
「そういうことは素直に言えよ?」
「いや、だからそういうのでは……」
 もごもごと否定するドイツ。照れているというよりは、自覚がないから肯定しようがないんだろうな、とフランスは分析した。まあ、そんな弱い否定ではプロイセンには肯定と受け取られること必至だが。
 案の定、プロイセンは自分の都合のよいようにドイツの反応を受け取り、頬をつねったり髪の毛をくしゃくしゃと掻き乱しては絡んでいる。ドイツは露骨に嫌そうな表情でやめろとは言うものの、無理に相手を引っぺがそうとはせず、されるがままに甘んじていた。
 フランスは痛いくらい優しいまなざしで彼らのやりとりを眺めていたが、折を見て口を挟んだ。
「しかしまあ、気をつけろよ? いいかドイツ、いまのそいつに下手に手ぇ出したら国際問題になるぞ。現在じゃ情勢も違うんだ、同じ轍を踏む気はないだろう?」
「む……」
 軽い口調だったがフランスの言葉に真剣みを感じ、ドイツは難しい顔で黙ってしまった。代わりに反応したのはプロイセンだった。
「ヤな表現すんじゃねえよ! それじゃ過去に手ぇ出されたことあるみてぇじゃねえか!」
 ローテーブルを手の平で叩いて威嚇するプロイセン。フランスは彼の行為や音には驚かなかったが、その発言に少々目を見張った。
「え? ないのか? いっぺんも? 未遂すら?」
「なんだその心の底から意外そうな顔は! あってたまるか! ってか、おまえいままでそんなふうに思ってたのか!?」
 目をぱちくりさせるフランスに、プロイセンは歯を剥き出す。フランスは数秒ぽかんとしたあと、手で口元を押さえて意味ありげな含み笑いをした。
「うへえ、なんもナシかあ……。うわ〜、プーちゃんかわいそー」
「意味がわからん! 勝手にひとを妄想で汚してるんじゃねぇぇぇ! おら、おまえも黙ってないで文句のひとつも言ってやれよ!」
 プロイセンはドイツの肘を掴んでけしかけようとする。だがドイツは取り乱すことなくプロイセンを嗜めた。
「落ち着け。こいつ相手に騒いでも徒労にしかならない」
「なんでそんな寛容なんだよ! むかつくだろ、この脳内ピンク男!」
 ひとりで騒ぎ立てるプロイセンの肩に手を置き、ドイツは鎮まれと動作で示した。
「まあ……フランスの考えることだからな、諦めている。だいたい、ひとの頭の中まで取り締まりはじめたら恐怖政治になるだろうが」
「はん、それがどうした。俺はまさに半世紀そんなところで過ごしてたんだぜ!」
 自分の胸を押さえ、得意満面で断言するプロイセンに、ドイツとフランスはなんとも言えない沈黙に陥った。自然、先日の会議でロシアに提供された資料の数々が頭に浮かんできて、プロイセンの半世紀間の苦労を思わずにはいられなかった。
「なんというか、その、大変だったな……」
「んなこと自慢するなよな……まあ、がんばったとは思うけど」
 苦い面持ちでそれぞれ短くコメントする。しかしプロイセンはふたりの反応の意味が理解できないようで、不思議そうに首をかしげている。
 プロイセンはともかくドイツのほうがぐるぐると考え出しそうだったので、フランスは別の話題を切り出した。
「しっかし、おまえ、恐ろしくダサいもん着てるなあ。さっきから気になってしょうがねえ。まあ、こいつみたいにマトリョーシカ数えたいなんて気にゃならんけど」
 フランスに誤解を与える元凶となったロシア製の開襟シャツについて言及すると、プロイセンが実に嘆かわしそうなため息とともに答えた。
「仕方ねえだろ、ロシアの寄越すもんなんだからよ」
「へえ、これロシアがプレゼントしてくれたのか。ラブいねえ」
 きししし、と揶揄するようないやらしい笑いを立てるフランスに、プロイセンが声を荒げた。
「押し付けられたんだよ! 嫌がらせ以外の何ものでもねえ! 捨てるに捨てられなくて困ってんだ。……おいヴェスト、勘違いするなよ、俺だって別に好きで着てるわけじゃねえんだぞ。むしろ一刻も早くこんなもんとおさらばしたいからこそ、ああして車庫でメンテに励んでいたわけで――」
 ドイツからは何の発言も出ていないというのに、プロイセンは彼に対してあたふたと説明をはじめた。
「必死に言い訳しちゃうあたりがアヤシイぞ〜。ってかさ、隠す必要特にねえと思うんだけど。あいつとそーいう関係なんだろ?」
 今度はにやつきもせずフランスがごく当たり前のように聞いてきた。今日の天気予報晴れって言ってたっけ? と尋ねるような軽さで。
「そーいうってどーいうのだよ!」
「まあ、ぶっちゃけ体の関係?」
 叫びながら聞いてくるプロイセンに、これまたフランスはそのまま森に帰れそうなくらいのナチュラルさであっさり答えた。
「ぶっ……」
 飲食類を含んでいたわけでもないのに、プロイセンが思い切り噴出した。続いてなぜかむせ返り出したので、ドイツが背をさすってやった。
「がはっ……て、てめ、いきなり何を……」
 勢いよく顔を上げかけたプロイセンだったが、間近にあるドイツの気配にはっとすると、今度は一転してうつむいてしまった。そして、少しずつソファの端に移動しては彼との距離を取った。おずおずとドイツのほうを窺いつつも、目が合いそうだと感じるとそそくさと床に視線を落とす。会議で再会したときと同じ反応だ。
「大丈夫か」
「あ、ああ……」
 フランスは、あからさまに狼狽し萎縮するプロイセンの姿に憐憫を感じないではなかったが、同時にいまさらごまかしても詮無いだろうとも思った。彼がすでにロシアの一部であることは、先日の会議で公的に明らかになったのだから。
「慌てるなよ。意味ないから。そんくらい見てりゃわかるって。なあドイツ?」
 フランスが無遠慮にドイツに話を振る。プロイセンはびくんと肩を揺らすと、アームレストをきつく握った。そろそろとドイツのほうを窺おうと首をひねりかけるが、決心がつかないのか、すぐに顔を戻してしまう。
 ドイツは彼の背から離れた手を所在無さげに宙に浮かしていたが、無理にこちらを向かせて拒否されるのが怖かったので、そのまま引っ込めた。そして、フランスのほうに首を向けると、普段どおりの声音で言った。
「まあ、仲は良さそうだな」
「うん? 妬かないのか?」
 あまりにもさっぱり味なコメントに、フランスが目をしばたたかせた。ドイツはすまし顔で肩をすくめると、
「ノーコメントだ。おまえがそういう顔をして尋ねてくるときは、こちらの慌てた反応が見たいという腹があってのことだろう。その手には乗らんぞ」
 話題をフランスの魂胆へと置き換えた。フランスは年長者らしくドイツの意図を汲んでやることにした。
「おやおや、ドイツくんも大人になったこと」
「おまえには散々からかわれ続けたからな」
「お兄さん、鍛えてあげた甲斐があったわ〜」
 くすり、と意味深長に笑うフランス。
「そうだな。おまえにはずいぶん鍛えられたものだ」
 ドイツもまた、含みをもたせた声色で答えつつ、ふっと小さく笑う。
 彼らの異様にしっとりした雰囲気に、プロイセンがばっと顔を上げた。
「ちょっ……おま、なんなんだよ、さっきからこいつに対するその妙に深い理解は! おまえ、こいつに寛大すぎるだろ! ってか、なにそのわかり合っちゃってる感のある雰囲気!? お、おまえ、そんなにこいつと仲良しやってんのかよ! なんかむかつくんだけど! 見せつけんなよ!」
 フランスに対する嫉妬全開で、プロイセンが大人気なく騒ぐ。
「あーあ、おまえのほうが妬いちゃったか。自分のこと棚に上げないの、プーちゃん」
「フランスにまんまとからかわれてどうする。俺だって引っかからなかったのに」
 ドイツは再び腕を伸ばすと、そろりとプロイセンの肩を掴んだ。彼に逃げられることも振り払われることもなかった己の手を見て、ドイツは内心安堵した。
 プロイセンは一分前までびくびくしていたことなどすっかり頭にないようで、威勢よくドイツに食いついた。
「てめえ、フランスとグルだったのかよ! 見損なったぞ!」
 プロイセンはドイツと向かい合うと、チンピラよろしくその胸倉を掴んだ。やめないか、と言いつつ、ドイツは彼の好きなようにさせておく。
「……わだかまりは多少とけたみたいだな」
 フランスは自国の言葉でぼそりと呟いた。
 彼らが元の鞘に収まる日はもう来ないだろう。それでもなんとか以前の姿を現在に投影して振る舞おうとする彼らの姿は、いびつであり、また健気でもあった。互いに向き合える心構えができるまでは、こうして過去をトレースするのも悪くはないだろう。
 フランスは、血の絆を断たれたふたりを遠く眺めた。


彼我のあいだ

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