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WW2後の普=カリーニングラード州(ロシア領)というむちゃくちゃな設定の下で書いた話です。
露と普が職場の上司部下みたいな関係です。隔離部屋の露普とは雰囲気が違います。
時代は冷戦後で、若干時事問題を含みますので、苦手な方はご注意ください。
参考になるかはわかりませんが→設定備忘録





説得、交渉、そして最終手段



 モスクワの中心地に位置する中規模なビルの一フロア。個室が並ぶエリアは、ほとんど《使用中》の表示で埋まっている。その一室で、プロイセンはノートパソコンのキーボードを叩きながら、背後のパイプ椅子――フランスのデザイナーによる高価なものらしいが――に腰掛ける人物に応じた。
「EUと会議? ああ、そういやそんな予定入ってたよな。んじゃブリュッセルかシュトラスブルクあたりに行くのか? 確か明後日からだったような……」
 プロイセンはデスクに隅に置かれたマトリョーシカ柄の卓上カレンダーの数字を指差した。正直キャラクターとしてはあまりかわいくない。出張中に借りている部屋に過ぎないので、備品は彼の私物ではなかった。職員が用意したのか、以前ここを使用した誰かの置き土産なのか。
 彼がそんなことを考えていると、ロシアがこくんとうなずきながら答えてきた。
「うん、そろそろ出発の準備しないとね。なんかこのところずっと忙しくて、まだ全然支度できてないんだよね」
「へえ、そりゃご苦労さん。あんまバルトたちいじめるなよ。っていうかリトアニア。トラブって迷惑こうむるのは俺なんだし」
 ポーランドにも挟まれてるしよぉ、と飛び地の苦労再びな彼はぼやいた。今回のモスクワへの召喚も、手続きに多少時間を取られ、コスト高だった。
 少しでも仕事を進めてしまおうとディスプレイに張り付いたままのプロイセンに向けて、ロシアがさらりと言った。
「うん、その件だけどさ、きみも連れて行くから」
 唐突に、ほとんど決定事項のようにして告げられたその言葉に、プロイセンはキーを叩く指をぴたりと止めた。というか、固まった。
「は?」
 ギ、と軋んだ音を立てて回転するオフィスチェア。体ごと振り返れば、そこにはロシアの微笑があった。
「オブザーバー参加するの、きみが」
 説明を加えるロシアに、プロイセンはうろたえた。なんだその話、はじめて聞いたぞ。ロシアの口ぶりからすると、大分前から決められていたような印象だが……。
「な、何言ってんだよ、俺はもうそういう立場じゃないんだぞ。国内会議ならともかく、国際舞台に出るのは……」
 落ち着かないのか、意味もなく立ち上がって首を振るプロイセンを見上げながら、ロシアが話を続ける。
「んー、それがね、今度の会議のメイン議題のひとつに、きみの実家の問題が持ち上がるんだよね。きみにとっても他人事じゃないし、僕としても出てほしいんだけど。っていうか、出てね」
 人差し指を顎につけてちょっと首を傾げるという、図体に似合わずかわいらしい仕種でロシアは言った。内容は横暴とも取れるものだが。
「ちょ、ちょっと待て! それって俺に、EUの連中と顔合わせろっつってるのか?」
「そりゃ、そういう意味になるよね」
 ロシアはあっさり首を縦に振った。納得がいかないのはプロイセンだ。彼らの前から消えて――消されて――数十年、もうそういった場所に出ることはないと思っていたのに。
「おいおい……連中は俺の存在を知らねえんだぞ。いや、知ってるにゃ知ってるけど、こうしていまでもおまえんとこで生きてるとは思ってないはず……。いまさら唐突に姿見せたら、向こうの不信感煽りかねねえだろ。あんまあっちを刺激してやるな」
 腕をわたわたと振りながら、参加したくない旨を遠回りに伝えるプロイセン。ロシアは困ったように眉を寄せながら足を組み直した。
「出たくないの?」
「おう」
 きっぱりとした返答に、ロシアは苦笑する。
「きみさあ、その調子だと本格的にヒッキーになっちゃうんじゃない? ウチに来て以来、ほとんど家から出たことないでしょ。移動のときは別にして」
「誰のせいだ誰の。ったく、半世紀も軟禁しやがって」
 プロイセンは腕組みをすると、苦々しくぼやいた。彼の家はつい最近まで長らく閉鎖されていたため、ろくに表に出られなかったのだ。もっとも、現在も別の事情で相変わらず制限が掛かっているのだが。その件についてクレムリンは頭を悩ませているし、ブリュッセルには煙たがられているのが現状だ。
 この半世紀を思い返すと、鬱憤で頭が噴火しそうだ。プロイセンはこめかみを手の平で押さえながら、うがぁぁぁ、とストレスに身悶えた。思い出さなければいいのだが、ひとたび回想がはじまると止まらない。ついに切れたのか、彼はがつんと壁に頭を打ち付けた。
 ロシアはそんな彼の珍行動を観察しつつも、制止する気はない様子だった。
「軟禁はしてないよ。ちょくちょく出張もあったんだし。せいぜい外出禁止ってところじゃない?」
「門限破った中高生へのお仕置きみたいな表現すんな。んな生易しいもんでもなかっただろうが」
 いてて、と額を押さえてプロイセンが言い返す。いまの自傷的な打撃で少しは頭が冷えたらしい。ロシアはくすりと笑った。
「きみってときどきおもしろい比喩使うよね。でも、もう解放されたのにいまだに出たがらないなんて、やっぱきみ、無類の実家好きなんじゃないの? 引きこもりの鏡だね」
「あのな……閉鎖が解けたと思ったら、今度はまたしても飛び地じゃねえか。どっちにしろ自由に出入りできないっつーの。おかげで風邪で死に掛けたし。しかも最近はリトアニアのおかげでさらにしちめんどくせぇことになってんだしよ」
 プロイセンはちょっと鼻をすすって見せた。実はいまだに風邪が続いているのだった。ロシアは、ティッシュいる? とサイドテーブルに置かれた箱を差し出しながら、
「ああ、そういえばあの子はきみのこと知ってるから、もしかしたらきみの親戚の耳にも入ってるかもね」
 意味深長にそんなことを言ってきた。ティッシュペーパーを摘もうとしたプロイセンは、ぎくりとして指先を震わせた。一瞬の動揺のあと、箱ごと受け取って彼は椅子に腰を下ろした。
「……あのリトアニアが不用意なことを言うとも思えないが」
 ギギ――また軋ませながら、椅子をデスクのほうに半回転させ、ロシアに背を向ける。
「ふふふ、まあそれは会議の日になってみればわかるよねえ。みんなの反応見れば」
「俺は行かないぞ。見世物にされてたまるか」
 鼻をかんでから、プロイセンは肩越しに振り返った。
「当事者なんだから、参加しないとだめだよ。それに、会場に行けば絶対に会えるよ、彼に。なにしろ、フランスくんと並ぶ向こうのリーダーだからね」
 会いたくないの?
 ロシアが言外に問う。
 プロイセンは数秒の間を置いてから、低い声で答えた。内容の変更はない。
「……行かない。会わない」
「でも、もうオブザーバーの許可もらっちゃったから、キャンセルはしたくないんだよね。ほかに適当な人物もいないし」
「おまえがひとりで行けば済む話だろ。なんでわざわざオブザーバーなんか……。味方がいなきゃ心細い、なんてかわいらしい神経してねえだろうが」
「EU側もきみのうちの件に関してはほとほと手を焼いてることだし、多分直々に対話したいこともあると思うんだよね――カリーニングラード・・・・・・・・・とは」
 ロシアの言葉に、プロイセンは唇を一文字に引き結んだ。正面を向いて、相手からは見えないようにして。
 しばしの沈黙ののち、彼は口を開いた。
「仮に俺に発言権が認められようと、最終的な意見はおまえが握るんだろうが。まあ、当然のことだけどよ」
 頑として譲らない彼に、ロシアはやれやれと首を振った。
「あれ、妙にごねるね。たいていの命令は一兵卒の勢いで『ダー!(イエス)』なきみなのに」
「あれはただの反射だ」
 プロイセンはここまで来たら大人気なかろうが無礼だろうが構うもんか、といった心持ちで、デスクに頬杖をついて頑固な姿勢を貫いた。
「とにかく俺は嫌だからな。いまさら連中と会う気はない」
「でも、今後のことを考えると、きみにはがんばってほしいところなんだよね。昔から西方に馴染みのあるきみなら、彼らにも顔が利くし。それに、あっちと交渉して少しでも現況なんとかしないと、いつまで経っても調子よくならないよ?」
 パソコンいじりを再開したプロイセンの背後に、ロシアが音もなく立った。プロイセンは少しだけ肩を揺らしたが、すぐに取り澄ましてマウスを握った。
「おまえががんばれ、一国なら」
「もー……頑固だね。まあ、予想はしてたけど」
 ロシアは後ろから彼の首に腕を回した。プロイセンは思わず身じろいだ。画面のカーソルが揺れる。
「おい、仕事の邪魔すんな。ってか、わかってんならいい加減諦めてくれ。俺は自分ちだけで手一杯――」
 と、言いかけたところで。
 シュッと空気をかすめるような音を耳にとらえ、彼は反射的に息を止めた。と同時に左手で鼻と口を覆う。
「な、何をした!?」
 空気の流れを感じた方向に目線を向けると、そこにはロシアの手があった。手の中には、小さなスプレー缶のようなものが握られている。
 たら、と嫌な汗をこめかみに流しながら、プロイセンは無言で相手を振り仰いだ。室内灯の逆光を受けて浮かぶのは、ロシアのいつもの笑顔。
 にっこりと微笑みながら、彼はいけしゃあしゃあと答えた。
「眠くなる薬」
「催眠ガス……!! てめ、それ対テロ特殊部隊の備品じゃ……」
 文を終える前に、声が途切れた。
 猛烈な眠気が襲ってくる。瞬間的な落下感を覚えながら、プロイセンは意識を手放した。必然的に背もたれとロシアの腕に体重を預けるかっこうになる。
 ロシアは、腕の中でぐったりと眠り込んだ彼の頬を突付いた。まったく反応はない。
「よし、やっとおとなしくなった。やれやれ……これでようやく出発に向けて準備ができるよ」
 スプレーをポケットに仕舞い込むと、ロシアは腰を屈め、プロイセンの体の下に肩を入れた。そのまま引越しの荷物のようにして彼の体を肩に担ぎ上げ、ロシアは個室をあとにした。




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