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意味のない斜め上


 やたらと濃厚な直前準備期間を経て訪れた、会議当日。
 参加国がぽつぽつと入場しはじめる頃合、ロビーでコーヒーを飲んでいたフランスは、アタッシェケース片手に階段から降りてきたドイツに軽く手を上げて合図する。
「よぉ。もう来てたのか。さすが早いな」
「いや、さっき着いたところだ。控え室に直行したから、多分おまえとは入れ違いになったのだろう」
 と、ドイツは奥歯に力を入れるように下顎を強く持ち上げた。あくびをこらえているようだ。珍しいこともあったものだ。フランスはカップをソーサーに置くと、ソファに座ったまま、斜め後ろに立っているドイツを振り返った。
「どうした、睡眠不足か。悶々として眠れなかったとか?」
 前日の一連の騒動を顧みれば、一晩中思考と感情が交錯していたとしても不思議ではない。フランスもまた、昨日会った、そして今日も会う予定のロシアとそのオブザーバーについて、あれこれ考えを巡らしたのだった。
 俺でも考え込んだくらいなんだから、とフランスは昨晩のドイツの精神的疲労を予想した。が、ドイツは睡眠不足のうかがえる顔を左右に振る。
「いや、それどころではなかった。どういうわけかホテルの俺の部屋にイタリアが入り込んでな……当然ながらセキュリティが作動してちょっとした騒動になったのが原因だ。まったくあいつは……今日の会議、まず間違いなく寝るな、あれでは。現に今朝、着替えながら半分寝ていたし」
「おまえ……こんな場所でまで惚気るなよ」
 この口ぶりだと着替えるの手伝ったんだろうな。そのシーンが自然に脳裏に浮かんできて、フランスは呆れた。
「いまのは愚痴なのだが。考えたいことがあったのに、すっかり時間を削られた」
「余計なこと考えずに済んでよかったんじゃねーの? おまえ、ぐるぐる考え出したら暴走するだろが」
 フランスはおどけるように肩をすくめた。もっとも、発言は本心なのだが。乏しい情報を基に無数の解釈と想像を導き出し、それに踊らされて頭がパンクするよりはよっぽどいい。さすがイタリア、天然でドイツのことを理解している。
 と、そこまで考えたところで、ふいに気づいた。ドイツがイタリアを連れていない。話を聞く限りでは、今朝まで一緒だっただろうに。
「ところでイタリアは?」
 フランスがきょろきょろとあたりを見回すと、ドイツが先ほど自分がやって来た方向、つまり階段のほうを振り返った。
「控え室に送ってきた。ほとんど何も準備していないなどと言い出したのでな、兄貴と一緒にせめてテーマの確認くらいはしろと釘を刺してきた。兄貴のほうには反発されたが」
「まあ、ロマーノだしなー。そういうのはスペインに頼んだほうがいいと思うぜ」
 言いながら、思い出したように腕時計で時刻を確認すると、おもむろに腰を上げた。
「そろそろ会議室に入るか。大分メンバーも集まってきたし」
「ああ、わかった」
 ドイツはすぐに了承したが、どことなく気が乗らない印象だった。足取りに明らかな重さはない。が、立っている場所から踏み出す最初の一歩に、わずかなためらいが見られた。彼の心境をうかがい知ることはできない。が、その幾許かを推測し、フランスはやれやれとため息とついた。今日は俺がしっかりしないといけないだろうな、と胸中で自分に向けて呟きながら。
 会議室に入ると、フランスはドイツの席として割り当てられた机に行儀悪く腰を下ろした。目線で、まあおまえも座れよ、とドイツに促す。
「ああ、そうだ。ロシアはもう会場に来てるってよ。いまはどこぞに行ってるみたいだが」
 そう話を切り出すと、フランスは広い室内をぐるりと見渡した。ドイツはワンテンポ遅れてその視線を追った。今回の会議の主役と言えるロシアの姿は、まだない。
「オブザーバーのほうは……」
 やはり気になるのか、ドイツはロシアが同伴するであろう人物を探している様子だ。名前を呼ばず普通名詞を使用するところに、ある種の葛藤が見え隠れしているような気がした。
「もちろん、あのカリーニングラードくんも一緒だそうだ。ま、実質部下みたいなもんだろーからな、上司より遅れて来るなんてこたぁできねえだろ。しかし、ふたりして席外すたぁ、どこで何やってんのかねえ」
 フランスは意味ありげな笑みを浮かべながら、ロシアの席を見やった。ちらりと視線を戻すと、どうにも落ち着かないらしいドイツが、椅子に座り直していた。
 と、ばちっ、と両者の視線が交わる。
 リアクションに困ったのか、ドイツが口を開きかけてはまた閉じるという仕種を二回ほど繰り返した。フランスは苦笑したが、同時にちょっと心配になり、少々真面目な調子で警告する。
「なあ、俺がおまえにこんなこと言うのもおかしな話だが……会議中は議題に集中しろよ」
「よりにもよっておまえに注意されるとは……不覚だ」
 ドイツは自身の集中力の欠如を自覚しているようで、むう、と小さくうめいた。額を指で押さえ、心底不覚を嘆くように肘を突いてうなだれる。
「あ、いま本気でがっくりしただろおまえ。おまえが普段俺をどう思っているのか如実に現れてんぞ。なんでそう直接的なんだよ、もっとこう、エスプリをきかせろよ。ったく、そんなんだからおまえは粗野なんだっての」
 フランスは膝から下をぶらぶら揺らしながら不服そうに唇を尖らせた。
 と、視界の端に人影が映ったのに気づく。進路妨害になる前に彼は無意味な脚の運動をやめて、机から立ち上がった。右手には、本日話題の人物の姿。
「やあ、おはよう」
 彼らと同様フォーマルないでたちのロシアが、おっとりと朝の挨拶をしてきた。続いて彼の背後から、聞き覚えのある、しかしいくらかくぐもった感じの声がする。
「おはよーさん」
 例の連れか、とフランスとドイツはやや体を傾けて、ちょうどロシアの陰になっている場所を覗く。が、そこに予想した顔はなかった。
 代わりに見つけたのは――
「うま……?」
 馬。
 なぜか白い馬の顔が一メートル先にあった。両脇にくっついた鈍い光沢を放つ大きな目は、しかしどこまでも死んでいる。
 フランスは馬の顔を凝視したまま、声だけをドイツに向ける。
「なあドイツ、この会場って馬の連れ込みOKだっけ?」
「確か、禁止を明文化したものは作成されていなかったと思うが……」
 ドイツもまた、フランスと同じ方向に顔を固定している。目を離せないのも、まあ仕方がないだろう。
「なら今度議会に提案してみるか、馬の連れ込み禁止規定の設置に関して」
「いや、しかしこれは……馬ではなくユニコーンじゃないか……? 馬に角は生えていないだろう」
 混乱しつつもきちんと観察しているらしいドイツが答える。
 フランスは言われてはじめて気づいたというように、白馬の顔の中央に焦点を当てる。果たして、角はあった。一角獣の特徴たる一本の角が。
「ああ……言われてみりゃなんか余分なもの生えてるな……。イギリスの野郎、俺らに幻術でも使ったのか? ユニコーン禁止を全員で話し合うのはいくらなんでもむなしいし恥ずかしいぜ」
 なかば現実逃避なのか、妙に真面目な声音でそんな会話を繰り広げるふたりを、ロシアは不可解そうに見ていた。そして、ちょっとおもしろくなさそうに眉を下げて、
「挨拶くらい返してよ」
 常識的な発言をした。
「礼儀がなってないやつらだな」
 馬、もといユニコーンもまた文句をつけた。腕組をしながら――そう、ユニコーンの首の下には、前脚の代わりに人間の上肢があった。
 ドイツとフランスは、たっぷりとした沈黙のあと、まったく同じタイミングで吸気をし、そしてやはりまったく同時に言葉を発した。
「ちょっ……なんなんだその被り物は!!」
 音色の違うふたつの声が見事にハモる。声量もほぼ同じくらいだ。
 当たり前ではあるが、本物のユニコーンが彼らの前に現れるはずもなく――本物はイギリスご用達だ――、立っていたのはユニコーンの頭の被り物をした誰か、だった。それが誰かなんてことは、火を見るより明らかだったが。
「人前で顔出しNGな体質なんだよ。健康上の理由ってやつだから、許可しろ」
 肩から頭頚部をユニコーンの顔で覆ったプロイセンが、意味不明な事情を説明してくる。
「どういう体質だよ! 昨日のサングラスよりパワーアップしてるじゃねえか! ってか、アップしすぎだろこれ!」
 フランスは前に進み出ると、ユニコーンの被り物に掴みかかった。プロイセンは奪われまいと布を両手で引っ張った。
「おい、もぎ取ろうとするんじゃねえよ、ユニコーンがかわいそうじゃねえかっ」
「被り物だろうが!」
「うおっ!?……って、痛ぇ! 痛いって! よさねえか、こら!」
「なんだこれ、どういう留め方してんだよ、全然外れねえ……!」
「痛でででででで!」
 ふたりはひとつの被り物を巡って不毛な争いを展開した。その異様な光景は、否応なしに会場中の注目を集める。すでに参加者たちはかなり入場していた。
「おいドイツ、おまえも手伝え――」
「やめてやれ。余計に目立つだけだ」
 要請を遮ったドイツは、フランスの手首を掴んで強硬手段を止めた。そして、フランスが何か言ってくる前に、もうひとりの当事者に顔を向ける。まっすぐな視線を受けたプロイセンは、頭部を覆う布の下でかすかにたじろいだ。
「外せ。他の参加国の不審を煽る。おまえらにとってもプラスにはならないだろうが」
 真っ当な言い分で説得を試みるが、相手は反応しない。被り物の首元を掴んだまま、じっとしている。
 ドイツは、はあ、とため息をひとつついたあと、仕方がないとばかりに首を左右に振り、
「サングラスくらいならしていていい」
 妥協を提案する。が、先に応じたのはロシアだった。
「――だってさ。どうする?」
 振り返って尋ねると、プロイセンはしばしの沈黙ののち、ちっと舌を打ち鳴らした。
「わかったよ」
 被り物の中でうなずくのが小さな動きから見て取れた。
 ただし、先に席についてからな、と断りを入れると、彼はロシアとともに所定の机に向かっていった。
 ドイツは、彼がロシアの背後に用意されたオブザーバー用の席に座るのを無言で見届けた。


水面下の戦い

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