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※ちょっと仏独/独仏っぽいかもしれません。





水面下の戦い



 衆人環視の中、プロイセンは机の下に潜り込んで趣味の悪いユニコーンの被り物を取り払うと、黒いレンズで目を覆ってから体を起こし、改めて椅子に座った。首から上だけ見ると、これから長距離走に行くかのようだ。
 顔を上げて席に着いたのと同時に、場内にどよめきが走ったのがありありと感じられた。つい周囲の様子を窺いたくなる衝動を堪え、彼は平静を装って背筋を伸ばした。すると、前に座っているロシアが椅子の上で体をひねり、彼のほうを振り返った。ロシアは、サングラスを掛けた彼の顔をおもしろそうに眺め、くすりと笑った。
「昨日も思ったけど、まるでチンピラだね。ある意味似合ってるけどさ」
「うるせえ、ほっとけ」
 褒めているか貶しているかだったら確実に後者だと思われる感想だ。プロイセンはぶっきらぼうな口調で応じながら、サングラスのフレームを指先で突付いてくるロシアの手を、首を傾けて軽く避けた。すると、ロシアがフレームの縁を親指と人差し指で掴み、彼の顔からわずかにサングラスを浮かせようとしてきた。あんまり邪険にするとこれ外しちゃうよ、と言外に告げながら。プロイセンは仕方なく正面に向き直った。
「まあ、ユニコーンよりはまともだと思うけど。まったく、なんであんなもの選んで来たんだか。きみの趣味が疑わしくてならないよ」
 机の下に置いた例の被り物をつま先で突付き、ロシアは呆れたため息をついた。
「苦肉の策だ。ホテルの売店で、全面的に顔隠せそうな商品っつったらあれくらいしかなかったんだよ」
 むしろなぜあんなものが販売されていたのか謎だが。現代のこちら側の消費者文化にはついていけない。
「だからって被り物チョイスしてくるなんて、きみ、相当冷静さを欠いてたってことだよね。これ被って会議に出ていいかって真顔で尋ねられたときは、本気で頭がおかしくなっちゃったのかと思って、ちょっと心配しちゃったじゃない」
「許可するほうも許可するほうだろ。この愉快犯が。おまえだって共犯みたいなもんだろ。ひとが動転してるのをおもしろがりやがって。仕方ねえだろ、サングラスなんざ実質なんの役にも立たねえんだからよ。これ、はっきり言って無意味だよな……ぜってぇ顔割れてるよな……」
 途切れることなく突き刺さってくる無数の視線。この部屋にいる限り、いや、この会場にいる限り、逃れる術はなさそうだ。メンバーは欧州の古株たち――彼の正体に勘付くのなんてあっという間だろう。サングラスの内側でしきりに眼球を動かし、参加者たちを観察していく。どいつもこいつもこっちを見てやがる……ははは、俺って意外に人気者だったんだな。懐かしい顔が勢揃いする中、彼はなかば開き直ってそう思うことにした。
「意味ないなら、もういっそ外しちゃえば?」
「この流れでいまさらノコノコ外せるかよ。それに、すっぴんよりましだ」
「単語の使い方が微妙におかしいよ」
 プロイセンの言葉選びが受けたらしく、ロシアは小刻みな笑い声を立てた。プロイセンは何がそんなに愉快なのか理解できず、真っ黒なレンズの下できょとんとしていた。と、ふいにロシアの手が側頭部に移動する。
「なんだよ?」
「あーあ、あんなもの被るから、すっかり髪に癖がついてるじゃない。跳ねちゃってるよ、こっち側」
 どういう押さえられ方をしたのか、左の横髪が盛大に外跳ねている。ロシアは無秩序に跳ねた彼の短髪を強く撫で付けた。
「そんなに目立つか? 自分じゃ見えないから気になんねえんだけど」
「寝癖っぽくてみっともないよ。ほら、こっち向いて」
 ロシアはプロイセンに右を向くように指示した。つまり、自分の正面に左側頭部が来るように。プロイセンは疑問符を浮かべながらも従った。
「こうしてればちょっとは直るかな?」
「……? 何してんだ?」
 ぎゅっと髪を押さえたまま手を止めたロシアに、プロイセンは怪訝な面持ちで尋ねた。
「いや、手で押さえて元に戻そうと。こんなとこに整髪剤ないし、櫛も持ってないし。あ、女の子なら持ってるかも? 借りたら?」
 ロシアはなんのてらいもなく提案してきたが、プロイセンは思い切り眉間に皺を寄せて却下した。
「はあ? 無茶言うな。一歩間違えば変態じゃねえか」
「それもそうだね。じゃ、手櫛で我慢」
 そう言うと、ロシアは自身の五指を櫛に見立てて彼の髪を梳く。
「いいって。自分でやる」
「いいからいいから」
 髪を梳かすのみならず、頭部を両手で固定するようにしてぐいっとロシアのほうに近づけられる。これは何かの合図だ、と察したプロイセンは自分から机に上半身を乗り出して相手との距離を縮めると、声量を下げた。
「……なんだよ」
 ロシアはちらりと、対面側の席に視線を送った。向かいには、彼らが座っているのと同じ臨時席があり、そこにはまだ正式メンバーとなっていない隣人ふたり――リトアニアとポーランドが仲良く並んでいた。
「そういやあいつらも来てるんだったな……」
 プロイセンは、サングラスを掛けているのをいいことに、じっとりと彼らを見た。
 ロシアはプロイセンに視線を戻すと、ひっそりとした声で言った。
「みんなの様子からして、リトアニアはきみのことを誰にも伝えていなかったようだね。ポーランドにすら」
「ポーランドにしゃべったら筒抜けになるだろ……。それに、おまえが圧力掛けてたんじゃないのか?」
「まさか」
「どうだか。あいつ、顔色悪いっぽいし、絶賛挙動不審だぜ」
 プロイセンは首のわずかな動きでリトアニアを示した。リトアニアは、ロシアが横目を向けるのを一瞬早く察知したらしく、ぱっと首を真横に向けてポーランドを見つめた。ポーランドはその動きをどう解釈したのか、彼の口にガムを放り込んだ。
「ほんとだ、顔色悪そう。大丈夫かな」
「どの口が言うんだか。いいか、あんまいじめるんじゃねえぞ。やつが強硬姿勢に出たら、困るのは俺なんだ」
「でも、こういうところでは押しの強さも重要だよね」
「おまえはいつだって強ぇだろが」
 EUのメンバーが遠巻きに凝視してくるのに気づいていないのか、はたまた意識の外に閉め出しているのか、ふたりは授業中に内緒話に熱中する小学生のように、ひそひそと話している。
 一連の光景を漏らさず観察していたフランスは、ドイツの横で立ったまま呆れ気味に苦笑した。
「おーおー、さっきから仲よさそうだなあ」
「……何か作戦でも立てているのではないか?」
 話題を振られたドイツは、ぴくんと片眉を動かした。推測自体は妥当なものだったが――
「おまえ、意外に顔に出やすいよな」
 彼のもやもやした表情を前にしたフランスが、一層の苦笑いとともに指摘した。どうやら、向かいに座る二人組の動向が相当おもしろくないとみえる。
 しかし本人は自覚がないのか、目をしばたたかせて明後日な質問をするばかりだ。
「顔? ごみでもついているか?」
 指の腹で自分の顔を触れ出したドイツに、フランスは否定半分、呆れ半分で頭を左右に振った。
「いや、別に、なんでもねえよ。……それより俺らも立てるか、作戦?」
 と、フランスはロシアとプロイセンに向けて自分のほうへ注意を引くようなねっとりとした視線を送ったあと、再び机に半分だけ腰掛けると、ドイツの肩に手の平を乗せた。ちょうど対面からはドイツの姿が隠れて見えなくなるように体の位置を調整し、上から覗き込むようにして彼を見下ろす。なんだか意味深長に、ちょっと頭を傾けるという仕種までつけて。
 そうしてから、首をひねって向かいにいる相手をうかがう。サングラスの男が、先ほどよりさらに机に身を乗り出し、こちらを見ていた――まあ、眼球の動きはわからないが。フランスはドイツの肩を掴んだまま、挑戦的な笑みを浮かべてプロイセンを一瞥してから、首の位置を元に戻す。わずかにほくそ笑みながら。
 ドイツはフランスの行動に不自然さを覚えつつも、相手の質問に答えることを優先した。
「作戦か? 概要はあらかじめ話し合っておいたと思うが。直前変更でもあったのか? ならば聞くが」
 実直すぎる態度のドイツに、フランスは内心がくっと肩を落とした。
「……おまえってさ、こういう空気読むのはイタリア以下だよなあ」
「? 何を言っているんだ?」
「いや、いい。それよりちょっとこっち寄って来い。額になんかついてるからさ」
「む……?」
 フランスは適当なこと言ってドイツの顔を近づけさせた。そして、やはり適当に額の辺りに触れてから、もう取れたからいいぞ、と一言。
 ドイツを無自覚に協力させての挑発行為を終えると、フランスはその効果を測ろうともう一度向かいのターゲットを振り返った。対面の席では、プロイセンがぐっと唇を引き結んでこちらを注視していた。威嚇するように両肩を怒らせている。サングラスの下でにらみつけているだろうことが容易に推察される、わかりやすい反応だ。ドイツの協力は効果覿面だったようだ。
「へっ。俺と一対一のときは乗って来なかったくせに」
 あからさまに妬いちゃってかわいいねえ――と、狙いどおりの結果に満足を覚えた。
「どうしたんだ、フランス?」
「いや、なんでもねえ。そろそろ会議はじまる時間だな。いい加減席に着くわ」
 結局最後まで事情を呑み込めなかったらしいドイツにそう告げると、フランスは少し離れた自分の席へと向かった。


心安らぐ暇もなく

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