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心安らぐ暇もなく


 アナログ時計、デジタル時計ともに開始時刻の数字を示した。
 すり鉢上の会場の真ん中で、インカムをつけたフランスが書類をぱらぱらとめくりながらしゃべり出す。
「えー、今回は俺フランスが司会進行なんで、よろしく。紅茶や茶請けの菓子の飲食は話し合いの邪魔にならない範囲なら自由にしてくれ。ただし、すべては自己責任ということで。……この意味、わかるよな?」
 一同、机に用意された飲食物を深刻そうに見下ろし、一斉にうんうんとうなずいた。スコーンが用意されている時点で全員、事の重大さを察していたらしい。今日はきっと紅茶がよく捌けるだろう。イギリスだけが、納得いかないといった様子だった。
 フランスは少し歩きながら、ぐるりと会場を三百六十度見回す。スピーカーに近づくと一瞬ハウリングが起きたので、ぱっと離れて元の位置に戻った。
「見た限り、全員揃ってるな? いないやついたら手ぇ挙げろ……なんてベタなボケはかまさないぞ、俺は。よし、そんじゃはじめっか」
 フランクな調子で開会宣言をすると、彼は司会席に着いた。
「今日はいつもの正規メンバーのほか、これからこっちに加わる予定の国も出席している。まあ、これまでも顔出したことあっから、周知のメンツだ。紹介は省略な。それから、本会議はロシアと俺たちの間での話し合いの場として設定されているから、当然ロシアが来ている。まあ、でかくて目立つからどこに座っているかは一目瞭然だろう。そんであとひとりだが――」
 と、ここで一度言葉を切る。自然、会場の集中も高まった。
 フランスはこほんと小さく咳払いしてから続けた。
「ロシア側のオブザーバーで、はじめてここに参加するやつがいる。昨日から悪目立ちしてるからもう全員わかってると思うが、そこのサングラスの彼だ」
 手の平を上にして五指を揃え、ロシアとそのオブザーバーが座る席を示そうと腕を伸ばす。
「紹介しよう。ここ数年俺らのほうでも問題になっている街、ロシアのカリーニングラードだ」
 たいていの者は事前に推測を働かせていたようで、大きな動揺はなかった。が、やはり改めて名前を紹介されれば、それなりのざわめきが生じるのは止めようがなかった。
「カリーニングラード……」
「昔のケーニヒスベルクだよな? ってことは……」
「っていうか、あいつって……」
「いや、まさか……」
 そこかしこでそんな会話が交わされる中、プロイセンは腕を組んでややうつむき加減でじっと座っていた。
 かつてないほどの注目度――ステージに上ったアイドルか、あるいは法廷に立つ世紀の犯罪者か。どう控えめに見積もっても後者の心境だったが、彼は努めて前者の心境になるよう自己暗示を試みた。……そんなことをしている時点ですでに劣勢な気がしないでもなかったが。
 ちら、と向かいのドイツを窺うと、周囲と余計な口はきかず、ただ静かにこちらを見つめているのがわかった。プロイセンもまた、サングラスのレンズを隔ててではあったが、彼に視線を返した。多くの雑音に包まれていながら、ふたりだけで見つめ合っているような錯覚に陥る。
 プロイセンが彼らしからぬ沈黙を保っていると、フランスが唐突に仕掛けてきた。
「せっかくだ、立ってみんなに顔見せてやってくれ、カリーニングラード」
 プロイセンははっとして面を上げた。声のほうに顔を向ければ、フランスがあからさまににやりと見返してきた。また挑発かよ。プロイセンは腹立たしさを覚えながらも、ここで相手の提案を拒否するのも不自然だと判断し、しぶしぶ腰を上げた。そして、よろしく、とばかりに片手を上げて挨拶に替える。
 フランスは、もう座っていいぞ、との合図を送った。
「今日の議題にも持ち上がるから、せっかくの機会だ、みんなどんどん意見や質問をぶつけてやってくれ。もちろん、逆も然り、だ」
 その後、会議に際しての注意事項を決まり文句のように列挙していった。その頃になると、会場の緊張感が緩み、多少の私語がどこからともなくささやきとなって飛び交っていた。
「ドイツ。彼は……」
 オーストリアは、斜め前に座るドイツの肩を指で突付いて振り向かせると、目線でプロイセンを示した。ドイツは、おまえの言わんとすることはわかる、というようにうなずきつつも、
「本人はカリーニングラードだと名乗っている。ロシアもそのように紹介してきた」
 昨日本人らがしてきた紹介をそのまま受けるというスタンスを崩さなかった。しかしオーストリアは疑念を隠そうともせず、反論を試みる。
「しかし、どう見てもあれは――」
「オーストリア。いまは公式の場だ。憶測でものを語ったり考えたりしないほうがいい。あそこにいるのはカリーニングラードで、ロシアのオブザーバーとして参加している――それがこの場での事実だ。そのように考えろ」
 ドイツはそう忠告した。が、それはオーストリアに対してというより、むしろ自分に向けて言い聞かせているようであった。
 オーストリアは腑に落ちない様子だったが、会議中ということもあり、それ以上の追及は断念すると、腕を引っ込めた。
 まもなく、フランスの司会の下、最初の議題が提示された。

*****

 会議の進行は概ね予定表のとおりだった。途中でちょっとした揉め事が局地的に勃発したものの、そのような事態も進行表には組み込まれていたので(つまり、ありふれた出来事というわけだ)、時間的な狂いは適宜調整された。
 解決に達しない問題も多々あったが、それでも会議は無事に終了し、閉会の言葉ののちに解散が告げられた。
「あ〜〜〜〜〜……なんかすっげ疲れた……。会議ってこんな疲れるもんだったっけ? 久しぶりすぎて昔の感覚が戻らねえ」
 控え室に戻ったプロイセンは、左手で右手首を掴むと、力の限り伸びをした。会議の間中、注目を一心に浴びていたので、精神的に非常に消耗した。もっとも、重要なことについてはほとんどロシアが、有無を言わさぬ例の高圧的な笑顔とともに発言してくれたので、仕事という面から見れば彼としては楽だった。
 が、これならわざわざ自分が出席する意味はなかったのではないかとも思えた。これでははっきり言って、恥をかきに来たようなものだ。昨日トランクから救出されてからというもの、およそ褒められるような行為はひとつもしていない。それに肝心の会議では、実家の問題が取り上げられたとき、笑うこともできないような悲惨な現状をさらされ、恥ずかしさと情けなさで穴があったら埋まりたい気持ちでいっぱいだった。ロシアの野郎、本気で俺に嫌がらせしたいがために連れてきたんじゃないか? そんな疑いさえ生じてくる。
 けれども、ようやく会議の緊張感から解放されたのは、やはりたとえようもなく心地よかった。この会場に集まったメンバーのうち、一緒にいてもっともリラックスできる相手がこともあろうにロシアだというのがなんとも複雑だが、これについては諦観するしかない。だって仕方ないだろう、現在の関係を鑑みれば……とちょっと言い訳がましく自分に弁明しつつ。
「はー、終わった終わった。これで帰れるってもんだぜ。正直あんまり問題解決になってなかった気がすっけど……議論の持ち越しはいつの時代も変わんねえってことか」
 緊張の糸が切れてどっかりと椅子に沈み込む。だらりと体を弛緩させているプロイセンに、ロシアがおもむろに話しかけた。
「ずいぶん疲れたようだね」
「そりゃ、あんだけ注目の集中砲火を食らえば仕方ないだろ」
「よかったじゃない、みんなに構ってもらえた感じで。きみ、なんだかんだで寂しがりやだし?」
 ロシアが紅茶を飲みながらからかってくる。
「妙な言いがかりつけんじゃねえよ。全然よくないだろ、まるで珍獣扱いじゃねえか」
「似たようなものじゃない?」
「てめえ……」
 プロイセンはちょっぴり気色ばんで見せたが、疲労困憊ということもあり、長続きはしなかった。解放感が勝っていたというのもあるが。
「あ〜、でもこれでようやくうちに帰れるってもんだぜ。早く実家戻りてー。あんなとこでも住んでると落ち着くようになるんだよなー」
 机に突っ伏してだらけたポーズでそんなことを呟くプロイセンに、ロシアは目をぱちくりさせた。
「……きみがそんなこと言うようになるなんてね」
 思うところがあるといった表情でどこか遠くを見ながら、ロシアはペットボトルの水を一口含んだ。
「ん? なんか言ったか?」
「いや、なんでも。あ、そうだ、ほっとしているところ悪いんだけど、実はまだ仕事が残ってるんだ」
「仕事? 何が?」
 プロイセンは少しだけ緊張感を取り戻して机から顔を上げた。ロシアは、表面上だけだろうが、ちょっぴり申し訳なさそうに眉を下げて見せた。
「それがね、まだお開きじゃないんだ。このあと非公式の会談を予定してるからさ。フランスくんとドイツくんが出席することになってるんだ。場所は近くのホテルね」
「……へ?」
 突然の予定追加に目をしばたたかせるプロイセン。
「もちろんきみも参加だよ。拒否権ないから、よろしく」
 ロシアはそんな彼の肩をぽんと叩いて、激励の意を表した。
「ま、待て! そんなん俺聞いてねえぞ!?」
 束の間の解放感が吹っ飛び、プロイセンはうろたえきった声音でロシアに問いただした。フランス・ドイツと会談……ということは、昨日医務室で展開されたような、あのとんでもなく居たたまれない空間が再現されるということではないか。
 二の腕を掴んで詰め寄ってくるプロイセンを軽くいなし、ロシアはアルカイック・スマイルにも似た不気味な微笑を浮かべた。
「うん、そうだろうね。いまのいままで言ってなかったからね」
「勝手に決めんなよ!」
「とっくに決めてたことだよ。きみに伝えてなかっただけで」
「なんで事前に予定言わねんだよ!」
 プロイセンは無意識のうちに顔をかなり至近距離に近づけて、ロシアに尋ねていた。ロシアは飛んでくる唾をひょいひょいと器用に回避しながら答えた。
「それはね、きみのやかましい文句を聞く時間を少しでも短くしたかったからだよ。それには直前連絡がもっとも効果的だと思うんだ。いまからきみが文句を言い出したところで、四十分後には会談の席にいるわけだから」
「四十分後!? すぐじゃねえか!」
「そうだよ。だから、そろそろ移動しないとね」
「休む暇もねえのかよ……」
 心行くまで文句を垂れたいのはやまやまだったが、ここまで時間が切羽詰っていると、逆にてきぱきと命令に従わざるを得ない。プロイセンは緩めていたネクタイを締め直すと、ジャケットの肩を整え、パソコンのバッグとアタッシェケースを提げた。
「で、どこに行けば?」
「ロータリー。車待たせてあるから」
「わかった。先行ってるぞ。いいか、遅れるなよ」
「あれ、乗り気になってる?」
「まさか。単に遅れるのが性に合わねえだけだ」
「意外にきっちりしてるよねえ」
「おまえが悠長なだけだ」
 まだのんびりと一服中のロシアを置いて、プロイセンは胸ポケットからサングラスを取り出して再び掛けると、なかば駆り立てられるように控え室から出た。この野郎、もっとキリキリ動けねえのかよ、と胸中でぶつくさ言いながら。
 荷物を提げて廊下を早足で移動し、角を右に曲がったところで、前方にオーストリアの姿を発見した。
「げ」
 壁に背を預け、こちらに顔を向けていたところからすると、待ち伏せしていたようだ。ぎくりとして、一瞬歩に澱みが生じる。プロイセンは、目の前でUターンしてやろうかとも思ったが、癪だったので思いとどまった。なんで俺がこいつのためにわざわざ遠回りしなきゃならねえんだ、と感じて。
 こういうのは華麗にスルーに限る。彼は同じ歩幅と歩調を保つことを意識しながら、オーストリアの横を通過しようと決めた。相手のことは、置物だと思っておこう。そうだ、こいつは置物だ。立ち止まるほどの美術的価値のない、ただの装飾品だ。
 しかし、以前やたらと絡んでいたのが仇となったのか、マリアツェルを目撃するとつい突っかかりたくなる習性が形成されていた。プロイセンは否定と無視でもってその衝動をやり過ごすと、平静を装ってすたすたと廊下を進もうとした。が、そのとき。
「あの」
 オーストリアが壁から背中を離して一歩踏み出し、話しかけてきた。
「少しよろしいですか」
「よろしくねえ。忙しいんだ」
 プロイセンはほんの少し足を止めたが、つっけんどんに返すと、すぐに歩みを再会させようとする。だが、オーストリアもまた彼を追うように半歩遅れて歩き出す。
「なら、移動しながら少しだけ。あの、あなたは――」
「俺はまだ仕事があるんでね、失礼させてもらう」
 苛つきをにじませて、プロイセンはペースを上げた。しかし、オーストリアはまだ引き下がらない。
「待ってください」
「仕事あるっつったの、聞こえなかったのかよ」
「十秒だけ時間をください」
 オーストリアはそう断りを入れると、プロイセンが許可も拒否も意思表示しないうちに、口早に質問を繰り出した。
「元気にしていましたか」
 あまりにもありふれた言葉。単純すぎて逆に予想外の質問だ。
 いや、質問というよりは挨拶に近い。久しぶりに会った知人に向けて言うような。
 プロイセンは瞬間的に唇が戦慄くのを自覚した。なんと答えようとしたのかは、自分でもわからなかったけれど。
 少しだけ歩速が乱れる。彼は短く息を吸ってから、
「見てわかれ、そんくらい」
 やはり愛想の欠片もない態度で答える。オーストリアはそこで速度を落とし、やがて立ち止まると、
「そうですか。お疲れのようですが、仕事、最後までがんばるんですよ。プロイセン」
 丁寧な口調ながら、どこか馴れ馴れしさが窺える言葉掛けをした。なんの迷いもためらいもなく、彼の名前を口にして。
 プロイセンはどきりとして、数瞬その場から足が離れなくなる。
 それをごまかすように、彼は振り返らないまま、背後の相手に向けて言った。
「三秒オーバーしたぜ」
「それはすみませんでした。では、私はこれで」
 オーストリアが踵を返し、彼とは反対の方向へ歩いて遠ざかって行くのが気配で感じられた。
 プロイセンはバッグのショルダーをぎゅっと握ると、速度を上げてまっすぐロータリーを目指した。歩行という軽運動には不釣合いなほど、心肺機能が亢進しているのが自分でもわかった。
 よりにもよって、あんなやつに名前を呼ばれて動揺するなんて。俺としたことが、とんだ不覚だ。
 彼は、どうしようもなく湧いてしまった懐かしさという名の感情を悔しさの中に溶け込ませ、知らないふりを決め込んだ。


プレゼンテーション

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