トップのカリグラシリーズの一部ですが、弁明しようがないほどがっつり露普なので、隔離しました。これを読まなくても、ストーリーは概ね通じると思います。
普と露がかなりいちゃいちゃしているので、苦手な方はご注意ください。普独/独普派の方にはおすすめできません。
そこにいるひと
会議と会談、すべてのスケジュールを終えた夜。
ロシアはプロイセンの部屋を訪ね、ドアをノックした。しかし、応じる気配がない。眠っているのか、出たくないのか。
もう一度曲げた指の第二関節で扉を打つが、やはり応答はない。仕方なく、フロントから特別に借りたカードキーを使って勝手に開錠する。
室内は真っ暗だった。入り口の白熱灯をひとつ点け、足元の視界を確保すると、ロシアは部屋へと踏み入った。薄明かりの中、ベッドの掛け布団に大きな皺が寄っているのが見える。少し上方に目線を移すと、スーツのズボンに包まれた脚が見えた。靴下も穿きっぱなしだ。さらに上を見れば、呆れたことに、ネクタイまで締めたままだ。さすがに上着は椅子の背もたれに掛けられていたが。
着の身着のまま、布団に潜ることもせず、プロイセンはベッドの上に仰向けに寝そべっていた。腕で目元を覆っている。
「ロシア……?」
侵入者への警戒をしないところを見ると、相手が誰なのかすでにわかっているのだろう。プロイセンは片腕を支点にして、緩慢に上半身を起き上がらせようとした。
「起こしちゃった? 寝てていいよ」
ロシアが止めるが、プロイセンはベッドに座って脚を垂らした。
「いや……会議のまとめとか、あるだろ……」
しゃべろうとして、すぐにしゃくり上げる。声もかすれていて、息漏れがひどい。いつからなのかは定かでないか、相当長時間泣いていたようだ。暗がりなので顔色はよくわからないが、まぶたが腫れているのは容易に見てとれた。ロシアはふぅとため息をついた。
「その状態で? やめなよ、ミスして仕事増やすだけだから」
ひっく、ひく、とまだ嗚咽の余韻を残して不規則な呼吸をするプロイセンの背をさすってやる。彼は泣き腫らした顔を隠そうともしなかった。
「今日はもう休みなよ」
プロイセンは小さくうなずくが、ぼうっとしたまま動こうとしない。疲労のためか、思考が鈍っているようだ。
ロシアはおもむろに彼のネクタイに手を延ばすと、指を結び目に差し込んで、器用に解いた。彼は視線を宙にさまよわせたままだ。
襟の下からしゅるっとネクタイを取り、ワイシャツのボタンを上から外していく。ウエストから裾を引っ張り出してシャツの前を完全に開放すると、今度はバックルに手を掛け、ベルトを引き抜いた。彼は自分からは何の行動もせず、抵抗もしなかった。
ネクタイとバックルをまとめてテーブルに置いてから戻ってきたロシアに、プロイセンがぼんやりした視線を向ける。
「このほうが楽でしょ」
そう言うと、ロシアは彼を再びベッドに寝かせた。彼が掛け布団を下敷きにしたまま、動くのを億劫そうにしていたので、代わりに未使用のバスタオルを掛けてやった。
プロイセンは右半身を下にすると、ロシアに背を向けてきゅっと丸まった。
「チェックアウトまでまだ時間あるから、それまでは好きなだけそうしてていいよ」
「ああ……」
「何しててもいいけどね、水分補給だけはちゃんとしなよ。でないと、また脱水起こすから。いまも大分ひどい声だけど」
ロシアは冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出した。
「ああ……そのへん置いといてくれ。あとで飲む」
プロイセンはどうでもよさそうに、投げやりな口調でそう言った。そしてそれきり、黙り込む。といっても、先ほどからほとんど自発的にしゃべろうとはしなかったが。
すっかり意気消沈している彼のそばに腰掛けると、ロシアはしばらく無言のままその場に留まった。
やがて、ぽつりと尋ねた。
「ひとりになりたい?」
プロイセンは答えない。眠っている気配はないので聞いてはいるだろうが、しゃべる気力もないのか、会話を拒否している。
「いたほうがいい?」
反対の質問をするが、今度も無反応だ。
ロシアは一分ほど待って、やはり何の返事もないのを確認すると、
「じゃあ、僕は戻るよ。おやすみ」
それだけ言ってベッドから立ち上がった。
と。
「……て……れ」
言葉としてはほとんど聞き取れないような、かすかな声がする。振り返ると、プロイセンが少しだけ肩を動かしていた。
「ん? 何?」
ロシアが聞き返すと、先ほどより少し明瞭度の上がった声で彼は答えた。
「……いて、く……れ」
ロシアは元の位置に戻って腰を下ろすと、上体をひねって後ろを向き、シーツを握っているプロイセンの手の甲に、自分の手を重ねた。
「ここにいる」
軽く指に力を込めて握ってやると、プロイセンがひときわ大きく肩を揺らした。
「ふ……ぅ……っ」
嗚咽が漏れる。
しばらくすすり泣いていた彼だったが、ふいにロシアの手を掴むと、仰臥位になった。そして相手の腕を引っ張って自分の両脇に腕をつかせる。ロシアは脚をベッドに乗り上げさせ、無理なひねりを緩和した。プロイセンは相手の背中に腕を回して自分のほうに寄せると、肩口に顎を乗せた。そして、涙声でとつとつと話し出した。
「あい、つ……に会ったん……だ」
「うん」
わざわざ報告しなくてもロシアは事情くらい把握しているだろうが、言わずにはいられなかった。
「一人前、に、なって……た。よかっ……た……もう、大丈夫だ……」
「うん」
「大丈夫、だ……俺がいなくても、あいつ、は、やってける……大丈夫、なんだ……」
「そう」
「もう俺は、必要、ない……」
「そう」
ロシアはプロイセンの語りに、ただ短い相槌を打つだけだった。
プロイセンは縋るようにロシアの背を抱いたまま、声を殺して涙を流していた。だが、段々と嗚咽が再燃し、ついに大声を張り上げた。
*****
「んっ……」
唇が離れると同時に、自分の上に降りていた影が遠く薄くなる。プロイセンはゆっくりとまぶたを持ち上げた。少し息が苦しくて、口を軽く開いて深呼吸をする。散々泣きじゃくったせいで鼻水がつまり、鼻呼吸がしにくくてならない。
頭の鈍い痛みにぼんやりしながら天井を眺めていると、ロシアがペットボトルをちゃぷんと鳴らした。
「まだ飲む?」
「いや、もういい」
まだ少し枯れているが、ボトルの三分の二ほど水分摂取をした、というかさせられたので、大分まともな声が出るようになった。
「もうちょっと飲んだら? 涙と鼻水だけでけっこう外に出してるんじゃない?」
そう言うと、ロシアはまたボトルから水を口に含んだ。プロイセンは痛む頭を押さえながら体を起こした。
「あとでまとめて飲んでやらぁ。これ以上枕周り水浸しにできるか」
プロイセンが答えると、ロシアは口内の水をごくんと嚥下した。
「はあ……」
プロイセンはため息をひとつつくと、壁に背を預けて天井を仰ぎ、手持ち無沙汰に裸の胸を掻いた。端につくねたバスタオルを手に取ると、鼻水ですっかり固まっていた。恥ずかしいというより呆れてしまう。
しばし無言で体を休める。脳は休ませてもらえなかったが。プロイセンはようやくまともに回転し出した頭で思考をこねた。
やがて、ぼそりと口を開く。
「これで、これで満足か……?」
「何が?」
抽象的、というかひたすら漠然とした問いに、ロシアがきょとんとまばたきをする。
プロイセンは質問の意味をぽつぽつと語り出した。
「別れを告げた……あいつに。直接。もうとっくにさよならしたつもりで……会う気もなかった……でもいざ顔合わせたら、本当にただの《つもり》にすぎなかったって痛感した。俺があいつと会いたくなかったのは、俺がいかにあいつから離れてしまったかということを、自分に知らしめたくなかったからだ。だからずっと避けていた。長いこと、話題に出そうともしなかった。それで……あいつのことを忘れた気でいた。いや、忘れたことはねえけど、気にしないでいられるようになったって気でいた。そうして過去の俺を突き放して、いまの俺を、おまえんちの一部としての自分を築いたつもりでいた。でも、そんなのは砂上の楼閣でしかなかった。触れなかったから、崩れなかっただけだ」
説明というよりは自分の考えを述べているような感じだ。言語化された自身の思考を耳にフィードバックしている間に、一度は鎮まったはずの興奮が再び勢いを取り戻した。段々と声が高く大きくなっていく。
「あいつを前にして、どんなに、どんなにあいつをこの手に、この腕に抱き締めたかったことか! けど、できなかった……!」
彼は両手の平を上にして開くと、震えるそれを見下ろした。
「近づけば近づくほど、俺たちの間の距離がまざまざとわかったんだ……この手が永久にあいつから離れてしまったことが。あいつが遠かった……。おまえ、これわかってたんだろ……だから俺をここへ連れてきたんだろう! あいつに会わせたんだろう! 俺が目を背けているものに直面させるために! 俺の、俺自身へのごまかしを突きつけるために! おまえほんと、残酷だ……」
気持ちの高ぶりに任せて一方的にまくし立てるプロイセンに、ロシアは先刻から変わらない冷静さで応じた。
「それがきみの解釈というわけ。でも、きみは結局自分で考えて、自分で行動したんでしょう」
「そうだ」
ロシアの指摘に、プロイセンはこくりとうなずいた。
「後悔が無意味だと知っているんじゃなかったっけ?」
「ああ、知っている、わかっている……だから、いいんだ。これで、いいんだ……いいんだよ……」
もはや他人にわかるように話そうとする努力を放棄して、プロイセンはぶつぶつと同じことを繰り返した。自分に言い聞かせるように。そうこうしているうちに嗚咽が再発し、彼はまたしても虚空を扇いで泣き出した。一度激しく泣いてしまうと、その後も断続的に啼泣を来たすようだ。体質だろうか。それとも癖だろうか。本人もここまで来ると、悲しくて泣いているというより、ただの発作になっているのではないだろうか。
発作だとしたら自制しろというのも無理な話か。もとより止めるつもりもないので構わなかったが。
ロシアは彼が落ち着くのを待ってから、
「わんわん泣きながら言われてもねえ……全然、いいんだって感じしないよ?」
呆れたように肩をすくめた。プロイセンはすっかり固くなったバスタオルで鼻をかんでいる。
「うるさい。わかってても涙が止まんねえときだってあるんだよ。おまえの前じゃ、たいがいの恥は出し尽くしてんだ。いまさら涙だの鼻水だの、恥じる気にもなれねえよ」
彼はほとんど開き直って言い切った。今日は自嘲だらけだったので、感情が鈍くなったというか図太くなったというのか、この程度では羞恥も起きない。
もう一度息をついてから、彼はちらりとロシアに視線をくれた。
「けど、おまえもこれでわかっただろう? 俺がいまさらあいつのとこに戻ろうなんて気はさらさらないと。俺に……おまえのもとを離れようという意志はないと。ほかに行き場もねえんだしよ」
ロシアが、理解に苦しむ、というように首を傾げる。
「それを証明しようとしての行動? きみにそんなものを求めた覚えはないけど。その必要もないしね。きみがいまになってそんなことで駄々をこねるなんて思っていないから」
プロイセンは少しうつむくと、声を低くした。
「ああ、そうだな……おまえのせいとか、おまえのためとかってのは……詭弁にすぎない。俺は俺に、それを証明したかったんだ……。自分からとっとと手ぇ放したつもりでいて、でも実は、先延ばしにしているだけだった……後戻りできないってわかってんのに、時間は時計の針と違って絶対に逆さ回りにゃなんねえって、わかってんのにな……往生際悪いぜ、ほんと」
肩を落として脱力すると、プロイセンは苦笑した。少しの間瞠目してから、すっと目を開け、静かに言う。
「だが、もう受け入れよう。いや……受け入れている自分を認めよう」
「……そうしなければ彼を煩わせることになるから――というのがきみの本音かな?」
ロシアの代弁をプロイセンは鼻で笑った。
「はっ、俺がンな殊勝なこと考えるわけねえだろ。そこまで献身的でもねえし。これ以上あれこれ考えたり悩んだりすんのが面倒くさくなったんだよ。ぶっちゃけガラじゃねえしな」
心の整理がついたら気が楽になったのか、彼はぺらぺらと軽口を叩き出した。すっかり落ち着いたらしく、もう涙の気配はない。つい数分前まで手がつけられない勢いで泣いていたというのに、変わり身の早いことだ。
ロシアはそんな彼を横目で見やりながら、ぽつりと呟いた。
「そういう態度を殊勝って言うんだと思うけどね」
小声だったので、相手には聞こえなかったようだ。プロイセンは落ち着いたら頭痛を思い出したのか、こめかみを指で押さえている。さっきまで泣いていたのが嘘のようだ。だが、涙の筋ははっきりと残っているし、まぶたもかなり腫れぼったい。
ロシアはふと思い立って彼の手を掴んで額から退けさせると、おもむろに顔を近づけた。そして、目尻を軽く舌先で舐める。
「けっこう塩辛い」
「そりゃそうだろ」
ぺろ、と舌を出すロシアの子供っぽい仕種がおかしくて、プロイセンは呆れながらも吹き出した。
→手の中の重み
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