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不審物の処理方法


 ドイツは、フランスを案内するようなかたちで足早に通路を駆けた。こんなときでも、いや、こんなときだからこそ、走ることはしない。急いでいるときというのは、駆け足よりも早歩きになるものらしい。
「こっちだ、フランス」
「どうしたんだよ、いったい。イタリアほったらかして」
 納得していない様子のフランスだったが、それでもドイツのあとを二歩ほど遅れてついていく。ドイツのやや焦り気味な表情を見るに、何かよろしくない事態が発生したか、あるいは内的な方向で暴走しているか、どちらかだろう。前者も怖いが後者も厄介だな。フランスは眉根を寄せた。
「なんかあったのか?」
「先ほど、控え室の一室で不審な荷物を発見した」
「不審物? まさかテロか?」
「爆発物の可能性もなくはない。妙な気配があったらしい。イタリアが気づいた」
「時限爆弾とか?」
「わからない。そういう感じではなかったが……ともあれ、憶測とはいえイタリアに何か話すと騒ぎ回って混乱を招きかねないからな、黙っておいた」
「はいはい。危険な目に遭わせたくなかったのね。で、俺ならいい、と」
 移動しながらの説明に納得しつつも、フランスは揶揄を忘れない。
「私情ではない。適性の問題だ」
「へっ、ご指名くださってどーも」
「この部屋だ」
 話しているうちに目的の場所に到着した。ドイツは扉の前に立つと、耳をそばだてて中の様子を窺ってから、そろりとドアを開けた。無人の部屋はシンと静まり返っていて、それゆえ足音が響く。
「あれだ」
 先に入ったドイツが、フランスに通り道を譲りながら、部屋の中央を指差す。数分前に目撃したままの状態で、大きなトランクが鎮座している。
「おぉ!? こりゃまた……わかりやすい不審物だな」
 あまりにあからさまな怪しさに、フランスが胡散臭げに顔をしかめる。
「わかりやすすぎて逆に不気味だろう」
「で、どうすんだよ?」
「とりあえずこれでスクリーニングをかける」
 と、ドイツはどこからか取り出したらしい長細い棒状の機械をフランスに見せた。フランスは目をぱちくりさせる。
「それ……金属探知機? おまえ、いつの間にそんなもん用意したんだよ」
「会場入りして以来、常に持ち歩いているが」
「うわぁ……」
 常に警戒を怠らないその姿勢には敬服するが、いささか偏執的なものを感じないでもない。フランスはちょっぴり退き気味にうめいた。
 その横で、ドイツは着々と作業を進めている。金属探知機をトランクの周囲にくまなくかざして移動させた。しかし。
「反応なし、か……銃器ではなさそうだ」
「時限装置だったら音したりしてな。耳当ててみるか?」
「よせ、触れるな、危険だ」
 床に膝をついてトランクに片耳を近づけようとするフランスの肩を掴み、ドイツが引き止めた。フランスはにやりとして聞いてみる。
「なんだよ、心配してくれてんの?」
「当たり前だ。爆発物かもしれないんだぞ。このへん一帯巻き添えになったらどうする」
「うーん、おまえと心中は嫌だなあ……」
 大真面目に答えるドイツに、フランスはちょっと苦笑した。そんな悠長な事態ではないのかもしれないのだが。
「で、どうすんだよ?」
「下手に動かすのも危険かもしれない。少々大事になるが、このフロア及び上下のフロアを封鎖した上で、爆破処理をするのがもっとも安全かつ速やかな対処法だろう」
 フランスの問いに対し、ドイツは現実的な対応を淡々と述べた。
「ば、爆破処理だぁ!?」
 口調に反し荒っぽい意見が飛び出し、フランスは素っ頓狂な声で繰り返した。すると。
 がたん!
 突然の物音。
 しかも、音源は至近距離。
 フランスとドイツは顔を見合わせたあと、同時にそちらに視線を向けた。
「おい……いまの音、これからだよな? しかも……なんかちょこっと動かなかったか?」
「あ、ああ……俺も見た気がする」
 ふたりはごくりと唾を飲んだ。そして再度、恐る恐るトランクに身を近づける。
「何が入ってるんだ?」
「おい――」
 好奇心に負けたフランスは、ドイツの制止を聞かず、ノックの要領でトランクを叩いた。すると、わずかながら、やはり内部から音が聞こえてきた。まるで何かが動いているような……。
「もしかして、生き物でも入ってるんじゃ……? いまの、そんな感じじゃなかったか?」
「確かに……こちらからの刺激に反応したかのようだったな。ペットの持ち込みは禁止していたはずだが。それに、動物をこのようなところに閉じ込めるのは虐待だぞ。誰がこんなことを」
 眉間に皺を寄せるドイツに、フランスが思い切った提案をする。
「開けてみるか?」
「いや……罠かもしれない。生き物だとしたら大変忍びないが、やはりここは皆の安全のためにも、爆破処理をしたほうが……」
 頑として安全優先は譲れないらしく、ドイツは主張を変えようとしない。
 と、そのとき、またしてもトランクが振動した。今度は目の錯覚など疑いようもなく、はっきりと。
「おい、また揺れたぞ!? こっちの言葉わかってんじゃね?」
「馬鹿な……動物が人語を解すものか」
「や、もしかしたら人間だったりして?」
「それこそ馬鹿な話だ」
「でも、入れねえサイズじゃなさそうだし」
 言いながら、フランスはおもむろにトランクの鍵穴にヘアピン(三角巾を留めるのに使っていたらしい)を差し込み、ちょっと押し上げるような動きをした。がちゃん、と開錠の音があっさり響く。
「おい、フランス……!」
「お、開いた」
 ドイツに腕を掴まれるが、フランスは強引にトランクの蓋を開け放った。
 中は、白い布で満たされていた。フランスは手を突っ込むと、布を分け入った。ふいに指先が柔らかく細かいものに触れる。見ると、白金色の糸の束のようなものだった。彼はさらに布を避けると――
「なんだこれ……って、うわぁ! ヒトだぁぁぁぁ!?」
 現れたモノを目撃した瞬間、悲鳴を上げた。
 指に触れたのは、人間の頭髪だった。いま、左耳が髪と布の下から覗いている。
「なんだと!? 死体遺棄か!?」
 驚きのあまり尻もちをつくフランスの隣で、ドイツは血相を変える。
 クッション代わりらしい白い布を取り払ったトランクの中には、白い衣服を着せられた人体が一体、手足と首を曲げられた状態で収まっていた。膝を抱えるようなかっこうで、右半身を下にして。顔は両の膝の間にうずめられているのでわからないが、体格からして成人男子だ。
 いったいどんな猟奇的な事件に遭遇してしまったのか。頭が真っ白になったドイツは、その場で固まっていた。
 フランスもやはり硬直していたが、視界のど真ん中で、トランクの中身がぴくんとわずかに動くのをキャッチしたとき、急速に現実に引き戻された。彼は意を決して手を伸ばし、トランクの中の人間の耳に触れた。びく、と明らかな反応があった。
「ん……? なんか生きてるっぽい? 動くし、体温あるぞ、これ」
「生身の人間? そんな馬鹿な」
「おーい、生きてるかー?」
 まだ呆然としているドイツの傍らで、フランスはトランク男に向かって話しかけた。生きているのは明白だ。ついでに、多分意識はあると踏んだ。先ほどからの反応を見ていれば、そのような推測はつく。
「大丈夫か?」
 フランスは男の肩を叩くが、相手はますます顔をうつむけてしまう。その行動こそ、まさしく意識があってこちらの働きかけに反応している証拠なのだが。
「聞こえてるならこっち向……――!?」
 フランスは、男の上半身を強引に引っ張り出し、頭を引っ掴んで顔を上げさせた。その直後、フランスはひくりと息を呑んだ。真横のドイツも同様だった。
 彼らのほうを向かされた男は、顔の下半分が白かった――医療用のガーゼとテープにきっちり覆われて。しかし、上半分はあらわになっていた。そして、その顔貌を同定するのには、それで十分だった。少なくとも、彼らにとっては。
「こ、これって……」
「いや、まさか……」
 信じられない――ふたりは互いの顔をまじまじと見た。これって共通の夢じゃないよな、と確かめるように。
 ふたりがそうしている間に、男はまたしてもうつむいて、膝に顔を伏せていた。顔を隠そうとしているようだ。だが、ドイツは相手の意図を無視し、顎を思い切り掴んで首を上げさせた。
「おい、ちゃんとこっちを向いてみろ」
 ドイツと真正面から見つめ合うことになった男は、赤い双眸を揺るがせた。それを目の前で見た瞬間、ドイツはひゅっと息を吸った。
 驚愕に時間を止めてしまったドイツに代わり、フランスが口を開く。
「おまえ、プロイセン……?」
 口を塞がれているその男は、さっとまぶたを下ろして瞳を閉ざしてしまうと、力の緩んだドイツの手から逃れ、ふるふると頭を横に振りながら、何かを恐れるように顔を下に向けた。よくよく見れば、彼は拘束衣を着せられていて、腕の動きを封じられている。そんな状態でできる精一杯の抵抗と意思表示といったら、首から上を振るくらいだった。
 何がどうなっているってんだ?
 眺めれば眺めるほど、混乱に拍車が掛かる光景だった。


現実は予測困難

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