text


袖振り合うも他生の縁?


 国境近くの街道沿いにある宿屋の二階から、やや長めの金髪を揺らした青年が降りてきた。いかにも軟派な面差しで、だらしなくあくびをしながらお飾り程度に設けられたロビーまでやって来る。が、だるそうな態度とは対照的に、移動の際の姿勢や動作には隙がない。洗練されているというよりは、長年にわたる絶え間ない習慣的行為の延長線上にあるような自然体。衆目を集めてもおかしくない際立った存在感がそこにはあった。
 しかしそのような立ち振る舞いに反して、彼は誰の注目も集めてはいなかった。目立つはずなのに、誰の目にも留まらない。土地に空気に人々に溶け込む。それは技術というより性質に近いかもしれない。
 そうやって、明らかに異国の雰囲気をまとう青年は、誰の注意も引かないまま(もっとも国境沿いの街では異国のものなど珍しくない、むしろいて当然なのだが)、ロビーの隅に置かれた安っぽい装飾のついたベンチの片端に腰を降ろした。もう一端にいる先客の許可も取らずに。
 ベンチには、少年がひとり座っていた。いや、少年と呼ぶには早すぎるかもしれない。幼い子供だ。ケープよりもやや裾の長い上着を羽織って、ベンチの端でちょんとおとなしく座っている。彼は青年を一瞥したが、すぐに視線を外し、出入り口のほうに顔を向けた。青年は、この幼い少年が自分に気づいたことに興味を引かれ、ずい、とベンチの上で滑るようにして彼との距離を縮めた。
「よぉ、坊主。ひとりでこんなとこにいるなんてどうしたよ」」
 青年――フランスは、子供の視線の先を見た。宿に出入りする人間に注意を払っているらしい。ということは、誰かを待っているのか。
「父ちゃんとはぐれたか?」
 フランスが尋ねると、子供は目線だけを彼に向けた。子供は口を開こうかどうか数秒迷ってから、質問に質問を返してきた。
「……フランスの人ですか」
「あっれー、わかっちゃった? ドイツ語使ったのになあ」
 フランスがおどけたように首をすくめると、子供はふいっと目を逸らし、またしても逡巡してから、
「フランス語に聞こえた」
「んー、やっぱフランス語の美しさは言葉変えてもにじみ出ちゃうんだよなあ」
「そういうものか」
 それだけ言うと、子供は黙り込んでしまった。あんたのドイツ語は下手だとか、子供らしい生意気な台詞を続けてくるかと予想していたフランスは、拍子抜けして苦笑した。
「なんだぁ、愛想ないな」
 フランスは、おもしろくないぞ、と示すように、おもむろに人差し指を少年の顔に近づけると、指先で頬をつんと押してみた。物腰の固さはともかく、頬の柔らかさはちゃんと子供だった。フランスはそのことによくわからない満足を覚えたが、されたほうはいい迷惑だったようで、心底うっとうしそうに眉をしかめながら彼の指を掴んで放させようとしてきた。
「あまり……」
「ん?」
「あまり話しかけないでいただきたい。あなたは知らない人だ」
「あー、知らない人としゃべっちゃだめって言われてんの?」
 はーん、とフランスは納得したように自分の顎に手を添えた。ちょっとおもしろがるように眺めていると、少年は逡巡ののち、こくん、と首を縦に振った。なんとなく気まずそうに眉根を寄せて。
 ノンバーバルな手段で応答することの是非を判断しかねているらしい少年にお構いなしに、フランスは質問を続けた。
「父ちゃんに言われたのか?」
 今度は横に振る。
「じゃあ、母ちゃん? 母ちゃんいるならちょっと見てみたいんだけどな。おまえのママンならまだ若いよな?」
 同じく、首は水平に左右する。
「んじゃ、乳母とか先生に言われてる?」
 やはり同じ答えだ。フランスの提示した選択肢の中に当てはまる答えがないのか、それとも何を聞かれても同じ反応を返すことで、会話を拒否する意思を伝えたいのか。
 なんにせよ、話していて楽しい子供ではない。だが、鉄面皮に近い少年の少年らしからぬ表情にわずかながら変化が現れているのをフランスは見逃さなかった。知らない大人に次々に話しかけられても動じなかった少年だが、どこかそわそわして落ち着かない様子だ。なんというか――そう、きっと彼は困っている。このやたらと絡んでくる異邦人の撃退方法がないことに。
 子供はついに体ごとそっぽを向けて、相手を完全に視界の外に追い出した。フランスは、斜め後ろから彼の横顔を見るかっこうになった。
 ――と。
 何かに吸い寄せられるように、彼は子供の顔に見入った。胸にざわりとした妙な感覚が広がる。
 いまの心理を表すなら、既視感という言葉がいちばん近いかもしれない。フランスは掴めそうで掴めない何か、あるいは見えているのに触れない何かが目の前にあるような錯覚に陥った。まるで霧でも捕まえようとしているようだ。
 フランスが我知らず凝視していると、少年はその視線に耐えかねたのか、居心地悪そうに身じろいだあと、そろそろと振り返った。ばち、とふたりの目が合う。
「なあ坊主、おまえさあ、どっかで俺と会ったことない?」
 フランスが唐突にそう聞くと、少年は先程と同じように首を横に振った。もちろん、ここで肯定の返事が返ってくるとも思っていなかったが。
「いや、俺も普通に考えて幼児に知り合いはいないはずなんだけどさ、なんかこう、初対面とは思えない感じがしてだな……なんつーの? こう、記憶の奥のほうがむずがゆくなってくるようなイヤーな感覚が……。うーん、とにかく、なんか知ってる気がするんだよなあ、おまえの顔」
 フランスは両手を伸ばすと、少年の頬を挟んでこちらを向かせた。必然的に上半身をひねることになり、子供は不自然な体勢で相手を見なければならなかった。
「どこで見たんだっけな……」
 不安定な姿勢が不快そうな少年に構わず、フランスが記憶の探索に耽りかけたところで。
 両腕に衝撃が走った。
「てめえフランス! なにガキ相手にナンパの常套文句垂れ流してやがるんだ! おまえそっちの趣味まであったのか!?」
 聞いたことのある声が降ると同時に、少年の姿が遠のいて、消えた。
 両手を払い落とされたと気づくか気づかないかといううちに反射的に顔を上げると、そこには大人がひとり、背筋をピンと伸ばして立っていた。消えたと思った少年の姿は、彼の後ろにあった。大人――おそらく待っていた相手だろう――の背後に隠れるように、いや、隠されるようにして。
 フランスは、少年の顔の位置、すなわち現れた男の腰のあたりからすっと視線を上げた。
「おわっ、プロイセン! なんでおまえがここに?」
 立っていたのは、野戦服のような茶色い上下に身を包んだプロイセンだった。戦場でよく見せる不敵な笑みは鳴りを潜め、両腕を組んでやぶにらみの目をフランスに向けている。どう考えても穏やかではない。しかし、そんな彼の後ろに小さな子供が控えているのは、なんとも言えずちぐはぐな印象が否めなかった。


笑えないペアルック

top