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手の中に包み込んだ、まだ幼さの残る少年の顔を見つめながら、プロイセンは苦いため息をついた。 「てめえ、熱あんのに無理してやがったな」 手の平の皮膚に熱が伝導してくるのがはっきりと感じられる。つまり、触れている対象のほうが温度が高いということだ。一般に子供のほうが体温が高いと言うが、これはちょっと度を越えている。白い頬がかすかに赤いのは、血色の良さではなく発熱によるものだろう。 証拠は明白だというのに、ドイツの返事ときたら―― 「え? そ、そうか?」 わざとらしく目をぱちくりさせ、どもりながら疑問符を浮かべてみせる、というものだった。プロイセンは半眼になると、ドイツの右頬を親指と人差し指で軽く摘んだ。表情の固さから受ける印象に反して弾力があり、子供らしく柔らかかった。 「白々しい反応してんじゃねえ。廊下引っ張ってこられたくらいで息上がってるやつが、なにシラ切ってんだよ。……いつからだ」 プロイセンの声が低く静かになる。平生は頭が痛くなるほどうるさいだけに、唐突なトーンの変化は不気味だった。射抜くように注がれる視線の鋭さに耐えかねて、ドイツは逃げるように目を伏せた。うつむくなり顔を背けるなりしようにも、顔を固定しているプロイセンの手が許してくれない。彼は険しい目つきで、ほとんど脅すようにして返答を促した。 「答えろ。上官が誰か忘れたか」 ドイツはしばし沈黙したが、プロイセンの静かな迫力に屈し、おずおずと口を開いた。 「……今朝からちょっと体調おかしい感じがして……で、でも、そのときはそんな熱はなかったんだ。……多分」 萎縮しながら答える少年に、プロイセンはきついまなざしを向けたままさらに畳み掛けた。 「自覚はあったってことか。訓練休むのはまずいと思ったのか?」 「それは……」 「俺にどやされると思ったか? そりゃ不調を押してでも活動しなきゃならんときだってあるのは確かだがな、訓練で体潰したら元も子もねえだろが。ましておまえは成長途中の体なんだ、下手に無理したら将来的に響かないとも限らねえぞ。体調悪いときは悪いと、きちんと報告すること。おまえがサボりたがるようなやつじゃねえことは、俺だってわかってんだ」 プロイセンの声音から高圧さが抜け、徐々に労わるような響きを帯びてきたことに、ドイツは安堵しながらも申し訳ない気持ちになった。ぽんぽんと軽く頭を撫でてくる大人の手の感触の心地よさが、ますますそれを煽ってくる。居たたまれない心持ちで、ドイツはぎゅっと目を瞑った。 「すまない……俺が浅慮だった。ちゃんと言うべきだった。結果的に散々なトレーニングになってしまって、ほかの兵たちにも迷惑を掛けた。あんたにだって――」 と、ふいに頬に当たる感触にドイツは言葉を止めた。訝しく思ってそっとまぶたを上げると、見慣れない顔があった。いや、顔そのものは誰よりも何よりもよく知っているのだが、そこに乗せられた表情は、少年にとって馴染みのないものだった。プロイセンは眉間に皺を刻んでいたが、その下にある双眸は揺れており、下がり気味の眉からは心痛が窺えた。悲しげ、というよりは、ひどく申し訳なさそうな表情だった。 ドイツの頬に片手を触れさせ、親指の腹で唇のあたりを撫でながら、プロイセンはささやくように言った。 「……ごめんな」 「え?」 彼の声とまなざしがあまりに柔らかかったので、ドイツは思わずきょとんと唇を薄く開いた。 ベッドに仰向けになった少年を見下ろすプロイセンの顔には、後悔の苦々しさが浮かんでいる。彼はぐっと奥歯を噛み締めたあと、少し苦しそうな調子で言った。 「朝、顔合わせたとき、気づいてやれなかった、おまえが具合悪いって。あのとき気づいていれば、おまえに無理させることもなかったのに」 プロイセンの言葉に、ドイツはしばしの絶句ののち、弾かれたように上体を起こすと、彼の胸になかば縋りつくようなかっこうで必死に反論した。 「あ、あんたが謝ることなんてない! 俺が……俺が浅はかだったんだ! 自己管理ができていない証拠だ。その上、自分の体力と体調を過大評価して訓練に臨んだ。責任は俺にある。反省しなきゃならないのは俺だ。あんたは悪くない」 責任の所在を示すように自分の胸元に手の平を当てて主張するドイツ。しかし、プロイセンはふるりと頭を小さく左右に振る。 「いや、俺がもっと気をつけるべきだった。俺はおまえの養育を任されてんだから、責任は俺にある。おまえはまだ子供で体調狂いやすいんだし、もっとしっかり見てなきゃいけなかったんだ。今日の訓練は明らかな過負荷だった。不調のおまえには負担が大きかっただろう」 自分を責めるプロイセンの、見たことのない苦渋の表情を目の当たりにしたドイツは、ひどくショックを受けた。少年は一瞬、きゅっと力を込めてプロイセンの服の胸元を握ったあと、真下を向くほどうなだれた。 どうして自分の判断は、結果的に彼を煩わせてしまうのだろう? 自分が情けなくて、ドイツはぐっと唇を引き結んだ。そして、力ない声音で謝罪する。 「……ごめんなさい。結局俺は、あんたの迷惑になったんだな……。ほんと、ごめん、なさ――」 と、そこで唐突に少年の体が脱力し、しなだれかかるようにプロイセンの胸に頭と肩を預けてきた。 「お、おい!?」 プロイセンはとっさに少年の肩に腕を回して体を支えたが、すっかり体が弛緩しているらしく、ドイツの顔はずるずると彼の胸板をスライドした。どうやら意識が途絶したようだ。プロイセンは腫れ物を触るような慎重さで少年の顔に手を触れそっと上向かせた。軽く目を閉じうっすらと唇を開いている。苦しげな表情ではなかったが、かなりぐったりした様子だ。額を手の平で押さえると、先ほどより明らかに熱くなっていた。熱の上がりはじめだったようで、会話をしている間にもどんどん悪化していったのだろう。 完全に潰れてしまったドイツを片腕で抱いたまま、プロイセンは空いたほうの手で自信の前髪をくしゃりと掴んだ。 「くそ、結局倒れさせてどうすんだよ」 後悔のにじむ声でそうぼやくと、力の抜けきった四肢を投げ出して寄りかかってくるドイツの肩に前腕を当てて支えた。自力で頭部を支えられず、後方に首をのけぞらせるようなかっこうで、少年は熱い息を吐いている。プロイセンは彼の短い前髪を指先でそっと横に流し、秀でた額のラインを軽くなぞった。 「……ほんと、目ぇ閉じてるとまだまだ子供だよな」 少年のあどけない寝顔に、プロイセンは少しだけ目を細めた。この腕の中で守るべき存在が、どうしようもなくいとしい。 早く大人になりたがっている少年には悪いが、もうしばらくは子供でいてほしい、と思わずにはいられなかった。
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