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あなたは私を認めますか


 認知しろ、って……。
 ――幼児が放つレベルの単語じゃないだろこれ!? どんなボキャブラリーしてるんだこのガキは。認知?……認知ってあれか? 物事の性質を論理的に知ることか? それとも……
 思考がとりとめもなく流れていく。しかし時間は待ってくれない。思考外現実では着々と事態が進んでいく。
「……だそうだよ、プロイセン。こんなおちびさんが必死になって言っているんだ、ここで何もしてやらなかったら男が廃るぞ」
「いやいやいや、こんなちびがなんで『認知』なんて単語使うんだよ!? 意味わかって使ってんのか!?」
 つい大声で怒鳴ると、子供はうつむいて黙り込んでしまった。
「……………………」
「お、おい?」
 驚かせてしまったかと、プロイセンはちょっとひやりとしながら床に膝をついて子供の目線に合わせた。覗き込むと、男の子は小声でぽつりと呟いた。
「にんち……」
「いや、だからさ、おまえ、意味わかってるのか、認知の?」
 ぽん、と子供の小さな頭の上に手の平を乗せて尋ねると、
「……したくないならしなくていい」
 子供は視線を逸らしてぶっきらぼうに言った。それきり、プロイセンと目を合わせようとはしない。
「おい……?」
「遠慮深い子だな。この幼さで大人に気遣えるとは……」
 上司はしみじみと感想を述べた。まるで他人事だ。子供はいまだそっぽを向いている。ちらりと見える横顔は、何かに耐えるようにぎゅっとしかめられていた。
「だぁ―――――っ! そんな顔すんな、なんか俺が悪いことしてるみてえじゃねえかっ」
「別に……あんたは悪くないと思う」
「そ、そういうふうに言われるとなんか余計に罪悪感が湧くじゃねえか……別に俺なんもしてないんだけどよ」
 第一声が認知しろだなんて強烈過ぎる一言だった割に、子供はその後おとなしかった。プロイセンが拒否しても、泣き喚くことも罵ることもない。健気と言えば健気な態度に、さしもの青年もなんだか悪いことをしているような気分になり、気まずい雰囲気を払拭しようと口を開いた。
「あー……正直俺、ほんっとおまえのことわからねえんだ。会うのはじめてだよな? 俺がおまえの親父だってのは誤解だと思うが……ええと、どこでどうしてそういう話になった? まさか自分で調べたわけじゃないだろ? おまえまだ子供だもんな、そんなことできないよな」
 プロイセンの手の平の下で、子供は小さく頭を左右に振った。曖昧なその仕種は、ますます青年を困らせた。
「おい……その反応はどう解釈すればいいんだ? 悪ぃ、ガキの相手は慣れてねぇんだ。あ! 泣くなよ? 頼むから泣くなよ!?」
「泣いてない」
「なんか泣きそうだろうが」
「泣いてない」
 涙声ではないが、このままではいずれ泣かれるのではないかと予測したプロイセンは、あてもなくあたりを見回して打開策はないものかと探した。もちろん、そんなものが都合よく転がっているはずはないのだが……
「ふ……ふ……あはははは! プロイセン、見事に引っかかったな」
 突然、それまで張り詰めていた緊張を根こそぎぶち壊すような笑いが、固まった空気を弾いた。プロイセンは目をぱちくりさせながら上司を見上げた。
「へ?」
「はは……安心しろ、その子供はおまえの子じゃない」
「え……え?」
「いや、すまん。おまえの驚いた顔が見たくてついからかってしまった。いや、ご苦労だったね、きみも」
 上司から労いの言葉を受けた子供はこくんとうなずいた。プロイセンは内心安堵と脱力に見舞われつつ、急展開に乗り遅れるまいと精一杯の虚勢を張る。
「え……な、なんだ、そうか、そういうことじゃねえかと思ってたんだ。ははははは、いや、途中で気づいてたけどな、ドッキリだってことくらい。あんたが乗り気っぽかったからこっちもあえて乗ってやったんだよ、はははははははははは」
「その割にひどく狼狽していたようだが、それも演技だと言うのかね?」
「お、おう、演技に決まってるじゃん!」
「まあいい、そういうことにしておこう」
「いや、ほんと、ちゃんと見抜いてたんだからな!?」
「うん、そうかそうか。わかったよ」
 明らかに取り合っていない調子で上司は言った。プロイセンは納得がいかない様子で口を尖らせたが、あまり引き摺りたい話題でもないので、別の文句をつけることにした。
「それにしても、ちっと悪趣味が過ぎるっすよ。わざわざガキに嘘つかせてまで企画するなんて。はあ……おまえも災難だったな、悪いおじさんの手先にされて」
 しゃがみこんだまま、プロイセンは子供の顔をもう一度覗き込んだ。子供は、騙して悪かったと思っているのか、気まずそうに目を逸らしたままだ。プロイセンは、別におまえにゃ怒ってねえから、と伝えるように、ぽん、と子供の頭に手を乗せた。そして、元凶たる上司を軽くねめつける。
「っつーか、このガキどこからさらって来たんだ?」
「さらってなどいない。彼はここにあるべくしてあるのだから」
「どういうことだ? 今日は朝から会話が噛み合わなくてかなりやりにくいんだけどよ」
 と、上司はまたしても何かを企んでいるようなこもった笑い声を立てた。まだなにかあるのか、とプロイセンは身構えた。
「お互い、自己紹介がまだだったね。……おいで」
 手招きに従い、子供はプロイセンの手の下から抜けて上司の横に立った。
「改めて彼に挨拶しなさい、ドイツ」
 その命令に子供が従うよりも先に、プロイセンは反応した。
「ドイツ……だと?」
 意図せず、視線が鋭くなる。しかし、そのようなまなざしを浴びても、子供は臆することなく彼の前に立っていた。


とりあえず前向きに

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