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身内の集い


 プロイセンは、ドイツを訪ねて彼が仮住まいとして使用しているという屋敷の一室のドアをノックした。が、返事はない。
「おーい? いるのか?」
 内側から施錠されていはいなかったので、ゆっくりと扉を押して室内に入る。部屋には荷造りされた箱がいくつか置かれている。
「作業ははかどってるか? ってか、ほんとにひとりでやってるのか?」
 尋ねるがやはり返事はない。彼は少々雑然とした部屋の中を見回しながら奥へと入っていった。
 プロイセンの自宅へ引っ越すため、ドイツは身の回りの品を整理し、荷物をまとめているところだった。他人に物品をいじられると行方がわからなくなったり、整頓した場所の記憶が使えなくなる、という理由で彼は幼いながらひとりで荷造りをしていた。プロイセンが手伝うといっても、ひとりがいいと言って聞かない。家具のような大きなものはすでに設えられているので必要なく、持って行くべきものといえば、プロイセン宅にあるはずもない子供用の衣類や日用品などの雑貨、ドイツが個人的に所有している書籍類だった。量はそれほどないものの、ひとりでまとめようとすればそれなりに時間がかかる。
 ――今日で四日目だ。
 プロイセンは、そろそろ移動できるか、と見通しを立てた。それにしても、きれいにまとまっている。どの箱も几帳面に壁と一定の間隔を保って並べられ、移動中の書籍も散乱はしておらず、床の上でぴしりと角をそろえて積み上げられている。ともすれば美しい幾何学の世界だ。これは自分が下手に手伝わなくて正解だったな、とプロイセンは思った。
 感心しながら室内を観察していたが、奥のベッドに目が留まったとき、そこに金髪が横たわっているのを見つけ、彼は近づいていった。
 ベッドの掛け布団の上には、幼児がひとり、右半身を下にしてちょっと丸まるようにして眠っていた。
「なんだ、眠りこけて。疲れたのか?」
 プロイセンは床に片膝をつくと、組んだ腕をベッドに置いた。胸から上を伏せるようにベッドに乗り上げさせると、シーツに頬をつけて眠っているドイツと逆さ向きで同じ目線になってみた。一定の間隔で刻まれる寝息と、軽く閉じられたまぶた。よく眠っている。プロイセンはなんとはなしに人差し指を伸ばし、子供の柔らかそうな頬を指先でちょんちょんと突付いた。反応はない。その熟睡した様子にいたずら心を少しばかり刺激され、彼は鼻を突付いたりくすぐったりしてみた。すると、こそばゆさを感知したのか、ドイツは無意識に手を持ち上げてプロイセンの手を払おうとした。プロイセンはびくっとして手を引っ込めようとしたが、緩慢に伸ばされた子供の手が偶然彼の指に触れ、そのまま握りこまれてしまった。意外に握力が強く、手掌の中で指を回しても外れない。
「おまえ、筋力つきそうだな」
 プロイセンは握られたままの指をさてどうしようかと考えあぐねた。自然に開放されるのを待ってもいいが、この体勢は少々つらい。変な姿勢でじっとしているよりは――
「っと、起きるなよ?」
 いっそ抱き上げて支えたほうが楽だ、とプロイセンはドイツをベッドから浮かせると、左腕を彼の背側から回して体幹を固定し、胸に体重を預けさせた。

*****

 起きる気配のないドイツに暇を持て余したプロイセンは、彼を抱いたまま屋敷の外へ出て、敷地内をぶらついた。指はすでに放されたが、今度は胸のリボンタイを握りこまれてしまった。子供というのは睡眠中に何かを把握したがる習性があるのだろうか、と彼は不思議に思った。
 外はまだ少し肌寒く、外套がほしいところだったが、ドイツを胸に抱えた状態では着用できないので(人を呼べばいいのだが、子供を抱いている姿を見られるのがなんとなく気まずかった)、室内での服装のままだった。代わりに、接する体の面を大きくして、子供の体が冷えないように気をつける。
 横抱きから、対面するようなかっこうに体勢を換えさせると、左腕を両膝の裏に当てて脚を固定し、右腕で背中を支える。腕をプロイセンの首に回させると、ドイツは勝手にしがみつくように片手で彼の襟を掴んだ。もう一方の手は、顔を埋めている肩口の上着の布を軽く握っている。プロイセンは、肩に子供の寝息を感じながらゆっくりと歩いた。
 目的もなく中庭を一通り散策したところで部屋に戻ろうと屋敷に足を向け、裏口から建物に入った。と、玄関のほうに人の気配がある。外部からの出入りがあったようだ。
「あれは……オーストリアじゃねえか」
 来客を見たプロイセンはぱっと壁に身を隠したが、別に隠れなければならない理由はないと思い当たった。腕に抱いている子供の寝顔を見下ろしたとき、彼はある種の顕示欲に駆られた。にや、と口の端を歪めると、こちらへ歩いてくるオーストリアと曲がり角で出くわすようにタイミングをはかって姿を表した。
「よお、オーストリアか」
 オーストリアはばったり遭遇した相手に特に驚いた様子はなかった。それはそうだろう。ここは相手の行動範囲内なのだから。
「こんにちは。今日はあなたに用事はありませんよ」
 オーストリアは無視はせず律儀に挨拶をしてきたが、慇懃無礼以外の何ものでもなかった。しかし、彼のそのような対応は予測がついていたので、
「ああ、そうかい」
 プロイセンはあっさりとかわして通路を進もうとした。
 と、彼がすれ違おうとしたところで。
「ん……?」
 オーストリアが振り返った。案の定、プロイセンが抱いている幼児に視線を奪われている。注目するなと言うほうが無理だろうが。
「珍しいじゃないですか、子連れなんて。……この子は?」
 言葉どおり、珍獣でも目にしたかのように目を丸くするオーストリア。プロイセンは胸中でにやりとしながら、用意しておいた答えを口にした。
「こいつか? 俺の息子だ」
「はい……?」
 つい数日前上司にからかわれたときのことを思い出しながら、プロイセンは、今度は俺の番だ、とばかりに方向性をわざと間違えた仕返しに胸を高鳴らせた。


はじめましてを言う間もなく

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