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便宜上「若普と子独」に分類しましたが、内容的には別物で、若普と神ロの話です。
珍しく普が攻めくさい話ですので、苦手な方はご注意ください。
時代的にはヴェストファーレン条約後。神ロが中1、普が高1くらいのイメージです(外見)。
険悪な雰囲気なので、仲の良い普神ロをお求めの方にはおすすめできません。
神ロと独の関連性は濁しています。





斜陽の中


 昼の明るい陽光が差し込む書斎、大きな執務椅子になかば包まれるように腰掛けた少年は、ひとり黙々と裁判所から送られてきた書類を処理していた。朝からずっと紙面にペン先を走らせている。持ち前の集中力で仕事に没頭していたら、いつの間にか太陽が南中を過ぎていた。疲労から作業能率が低下しているのを感じ取った少年は、長いため息のあとペンを置いた。少し休憩を挟んだほうがよさそうだ。
 大人でも悠々ともたれることのできる椅子は、少年にはいささか大きすぎた。深く腰掛け背を沈めると、足が完全に床から浮いてしまう。しかしその状態が心地よく感じられ、少年は足をぶらつかせながら背もたれに体重を預けて視界を閉ざした。視覚刺激をシャットアウトして目と頭を休めようとするが、暗い視界の中でもまぶたの裏側にいくつもの文字列――もっぱら公文書の専門用語だ――がちらつく。休憩しようにも、机の上に置きっぱなしにした書類が気になってしまい、結局休めそうになかった。
「まったく……」
 少年は自身に対してぼやきを入れると、背を離して執務の姿勢に戻った。これならとっとと仕事に戻ったほうがよさそうだと判断して。
 だが、ペンを握ろうとしたとき、右手に違和感を感じた。指の動きが緩慢で、握力が出ない。どうやら、酷使された手の筋肉がストライキを敢行しているようだ。
 少年は手の平を見下ろすと、呆れたようにふっと苦笑した。
「この程度で……情けない」
 肉体の見かけ上の若さに反して、全身がひどく疲れやすくなっていることに彼は気づいていた。すでに斜陽に差し掛かっているのだろうか。長期にわたる断続的な戦いを経てなお生き延びているのが不思議だった。
 とはいえ、ガタの来た体は使い物にならないというほどではないが、職務への支障は否めなかった。今日こうして書類を溜め込んでしまったのも、数日間寝床から起き上がれなかったためだ。発熱したわけでも痛みがあったわけでもないが、体が重くてならなかった。怠けていると取られるんだろうな、と思いながらベッドに沈み続け、今日になってようやく机の前に座ることができた。
 不調がぶり返さないうちに少しでも仕事を進めておこうと、彼は左手で右手を揉み解した。
 再びペンを持とうと指を動かしたそのとき、
「よお、調子はどうよ、神聖ローマ」
 ノックもなく開け放たれた扉の前に、ひとりの男が立っていた。少年よりはやや年かさで、青年に近い少年、といった印象の人物だ。
 少年――神聖ローマは眉をひそめながらドアのほうに視線をやった。
「プロイセンか。ノックくらいしたらどうだ。礼儀を知らないのか」
 神聖ローマの忠告にプロイセンはへっと笑うと、無許可のまま室内に踏み入った。そして机の前で足を止めると、尊大な目つきで相手を見下ろし、
「なんだよ、だらしねー格好して。これ、寝癖か?」
 少年の短い金髪を指先で摘まんだ。
 昔よく載せていた帽子は、いまはもうない。剥き出しの頭髪は、右側が少し跳ねていた。セットなどまったくされていない。着衣も、清潔ではあったがきっちりと整えられておらず、襟元が開いたままだ。
 プロイセンは半病人といったいでたちの少年を愚弄するようにせせら笑った。嫌な笑みだ、と少年は思った。
「昨日まで寝込んでたんだってな。またかよ」
「今日は仕事をしている。それより、遠路はるばる何の用だ。ケーニヒスベルクからは遠いだろうに」
 つっけんどんな態度で事務的にそう尋ねると、プロイセンは少年の髪を軽く引っ張った。少年は頭皮が引かれる痛みに顔をしかめそうになるのを堪えた。
「ばーか、最近はベルリンに住んでんだぜ。ここんとこ顔見てなかったからな、まあ近場だし、覗いてやろうと思ってよ」
「ああ、そういえばこっちのほうに嫁入りしたんだったな」
「誰が嫁だ」
「おまえだろう?」
 相手に負けないくらい皮肉っぽい声音で安い挑発をすると、プロイセンがむっと唇を曲げた。
「おまえ、俺が花嫁衣装着てるとこ見たいのか」
「恐縮ながら謹んで丁重にお断りしたい」
「そーいうこと言われると逆に着てやりたくなるぜ」
「やめてくれ。現在過去未来合わせこの世界のすべての花嫁への冒涜になる」
 神聖ローマは真顔で言うが、プロイセンは逆に楽しげに口角をつり上げた。相手の反応を喜ぶように。
「はっ、ずいぶん口達者になったじゃねえか」
「おまえには負ける」
「違いねえ」
 プロイセンはやぶにらみの目を相手に向けたまま、行儀悪く執務机に浅く腰掛けた。そして、神聖ローマに斜め上から被さるようにして顔を近づける。少年は威圧と圧迫を覚えたが、表には出さず、努めて平静に腕組みをして相手を見つめ返した。
「しかしまあ、相変わらずチビだなあ、おまえ。昔は俺とたいして変わんなかったのによ、いまじゃ頭ひとつ分は優に違うぜ」
「背丈の割にひょろいな、おまえは。まるで棒切れだ」
「着やせするんだよ、俺は。なんならここで脱いでやろうか」
「見苦しいものをさらすものではない」
 神聖ローマは露骨に眉根を寄せると、上着のボタンに手を掛けようとしたプロイセンを制止した。
「なんだと」
「どうせあばらが浮いているんだろう」
「そういうおまえはどうなんだよ」
 プロイセンは少年の襟を左手で掴むと、ぐっと引っ張った。少年は彼の手をやんわりと退けながら自嘲気味に呟いた。
「……自慢できるものでないのは確かだな」
 体力が低下し弱っている現状では、万年やせ気味のこの男を笑うことはできない。加えて、体には戦争中に負った傷痕がまだ生々しく残っている。戦禍の爪痕は、まだ国中で色濃い。
「神聖ローマ――ふっ、帝国なんてのも、いまじゃ名ばかりってか」
 皮肉たっぷりのプロイセンに、神聖ローマはあっさりと、無感情にうなずいた。
「そのとおりだ。いまではおまえのほうがずっと強大だ。俺は名前だけの亡霊のようなものだからな。帝国の名が、聞いて呆れる。かつてのおまえは騎士団として、根無し草のような存在だった。しかしいまやケーニヒスベルクも、ベルリンさえもその手ある。いまとはっては、拠り所となる地が明確でないのは俺のほうかもしれない」
 見下ろしてくる視線の居心地悪さに少年は身じろいだ。隙を見て椅子から抜け出ようと一瞬考えたが、下手に立ち上がってふらつかないという保障もない。体が弱っていることは周知だが、それをわざわざ見せつける気にはなれなかった。
「弱気だな」
「事実を述べたまでだ」
「まあそうだな。……だが、おまえのそのいじけた態度は気に食わない」
 プロイセンはわずかに苛ついた口調でそう言うと、すっと目を細めてにらむように少年を見つめた。
「おまえに気に入られたいとは思わない」
「ふん、帝国域外から来た田舎者は嫌ってか?」
 プロイセンは机から下りると、ゆっくりとした歩調で迂回して椅子の横に立った。何のつもりだと見上げてくる少年の顔を正面にとらえながら、彼は膝を折って身を低くした。そして、椅子の背に片手をつくと、自分の体と椅子との間で少年を囲った。
 間近に迫った赤い瞳に、神聖ローマが息を呑んだ。猛禽類を思わせる鋭いまなざしだ。
「あの戦争はおまえを弱らせたが、俺にとって、いや、俺らにとっては悪くないものだった。おかげでこっちは強くなれそうだ」
 呼気がかすめるほどの近さで、プロイセンはささやくような低い声で言った。笑いを含んだ口調なのに、ひどく冷淡に感じられる。普段やかましい笑いを立てる男の不気味なくらい落ち着いた冷徹な声音は、少年の背に緊張を走らせた。頬に当たる息の生温かさとは逆に、声には温度がない。
 神聖ローマは不自然なほど背筋をぴんと張ると、上擦りを隠し切れない調子で答えた。
「ああ、そうしてくれ。俺は役に立たない。おまえたちが動かなければ、ドイツの地は復興しない」
 それは皮肉ではなく、本音だった。
 戦争で荒廃したこの地の再建と復興は、いまや帝国内の諸領邦の仕事となっている。自分はもはや国家として機能不全に陥っている。まったく無力で無能というわけではないが(もしそうなら生きてはいまい)、国としての能力はきわめて限定的だ。それでもやるべき仕事があるうちは、それを怠るつもりはないが。
 視線を落としたまま沈黙を続ける少年を、プロイセンはしばらく苦々しい目で見つめていた。戦火で多くの傷を負った少年の胸には、さまざまな思いが渦巻いているだろう。言いたいことなど山ほどあるに違いない。だが、どんなに待っても少年が自発的に口を開くことはなさそうだった。
 プロイセンはことさら冷たい光を瞳に宿すと、おもむろに少年の首に左手を伸ばした。ゆっくりとした動作だったが、指先が首の皮膚に触れた途端、彼はすばやく手を握った。少年の首を内側にとらえて。


わたしにできること

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